ザ・インタビューズ転載日記(宮沢和史)

「モテ」とはどんな状態のことを指すのでしょうか。あなたの定義を聞かせてください。

M_464b20e534b77f8038050ccaf0462cb9
「ドラッグなしでハイになる方法」まさに……!

自分にあてはめて回答するといろいろとややこしいことになりそうなので、私が考える「モテ」の権化である、ある男性の存在を使ってお答えしたいと思います……ええ、はい、宮沢和史です。

宮沢さんは、音楽を始めたきっかけを「モテたいから」ただそれだけだったと、昔からしょっちゅう口にしています。彼のあらゆる言動はすべて「モテたい」「女の子にキャーキャーゆわれたい」という気持ちに突き動かされたもので、デビューから二十数年経った今現在にいたるまで、微塵も揺らいでおりません。彼は自分がモテるためなら何でもします。歌います。踊ります。暴れます。脱ぎます。歩行者天国の路上で。皇族の前で。世界各国を旅して回りながら。40代も半ばを過ぎたのに。三児の父なのに。求められるがまま、どこへでも行ってモテを披露します。アウェーではシャツのボタンを襟元まで閉めて「そうです私が島唄です」とおすまし顔をしていることが多いですが、ホームへ戻ると職業セックスシンボルとしてハリクヤマク(裸踊り)を自重することがありません。高校生の息子の友人親子が観に来ているホールライブで狂乱の客席から口々に「もっと脱いでー! ぜんぶ!」と絶叫され、そうして本当に惜しげもなく脱いでしまう四十路……宮沢さんは、自分がちやほや「モテ」るためならどんな不可能をも可能にする男なのです。キャーキャー!!

宮沢さんは、自分が大好きです。たとえば以前、ファンクラブの会報か何かに、旅先のホテルの部屋の鏡を使って自分撮りした上半身裸の写真が使われたことがありました。いったいどんな顔をして会報の編集スタッフに「俺が撮ったこの写真を使いなよ、ファンの女の子たちが喜ぶから」とこの一葉を手渡したのだろう……中学生当時の私は呆れ果ててしまいました。が、次の瞬間それを子供部屋の壁に飾っていました。ちなみに私さっきから宮沢の裸体の話しかしていませんが、それが女子にモテるということです。そうして宮沢さんは、わざわざ新しいバンドを作ったのに元からあるバンドの曲を歌い、元のバンドでは他のユニットのために書いた曲を平然と演奏します。彼にとってバンドやユニットやソロの線引きはなく、ただ「俺の持ち歌」という発想しかないのです。貴様はジャイアンか。しかし人間、そのくらい自信家であるほうが「モテ」るのかもしれません。お世辞にも美しいとは言い難い目鼻立ちであるにもかかわらず、どの角度から見ても壮絶にエロティックで、飛んでくる汗を浴びただけで妊娠しそうなほど官能的、そうしてあんなに小柄なのにステージではむちゃくちゃ大きく見える、それもこれも、あの割れた腹筋の奥にある内燃機関で絶えず生成されている自燃性の「モテ」オーラの力なのだと思います。きみの顎のほくろを見上げる角度から眺める宮沢さんの芸術的なまでに美しい下顎角は、日本の宝です。キャーキャー!!

私は、宮沢さんの放つあの魅力こそ、「モテ」の定義そのものだと思っています。モテたい一心で書いた「島唄」「風になりたい」が世界中で歌われ教科書に載るほどのヒット曲となり、モテたいと強く願う気持ちが憧れの矢野顕子と一つ椅子を分け合って座る夢の共演を果たし、混迷を極める日本音楽業界において一番モテる道を考えた結果が「手紙」……そう、「モテ」はきわめて不純な動機でありながら、とても純粋で高潔で人々の胸を打つ、素晴らしいアウトプットをも可能にするのです。俺の大好きな自分がモテるためなら何でもする、そんな彼のパフォーマンスを指さしてゲラゲラ笑いながら私は、心の底ではいつもいつも深く敬服しています。「他のものに夢中になるくらいなら、俺に夢中になりなよ」と歌う初期の曲、「たしかに俺はモテるけど、でもきみだけに愛されたいんだ」と歌う中期の曲、「20年越しで焦らしプレイしてきたけど今も変わらずキャーキャー言ってくれるかい」と試すかのような最新曲、どれも素晴らしいです。とにかく歌詞の内容が全部「こっちを向いてよ」なんですよね。かわいいニャー。そして私は、「晩年 サヨナラの歌」を始めとする彼の命を粗末にした仮想自殺ソングのカタルシスがなければ、10代のうちに世を儚んで自分の命を絶っていたかもしれません。思春期女子の代わりに何度も何度でも音楽の中で耽美に死んでみせてくれるロックスター。すなわち宮沢さんのモテ願望から生まれた楽曲が、めぐりめぐって私の命まで救ってくれたというわけです。ありがとう宮沢さん、ありがとう「モテ」の権化……。

不特定多数の異性からキャーキャーゆわれるために、自分から進んでカッコ付けること。カッコ付けて似合う自分になるべく不断の努力を欠かさないこと。全身全霊でモテを楽しみ、いついかなるときも、モテる者の義務(ノブレス・オブリージュ)に忠実であること……。すなわち「モテ」とはステージにおける宮沢和史のような状態を指し、私の定義する「モテ」とは宮沢和史その人のことです。世の中いろいろなミュージシャンがいて、それぞれに老いたり枯れたりしていますが、あの人だけはつねに一番大きな自作の「モテ神輿」に乗っている、そんなイメージですね。おだてるとどんな高いところへも登ります。たとえこれから孫のできる年齢になっても、ジャンプしたとき股開きすぎてタイトなボトムスがビリリと裂けてパンツが見える、10年前と同じスピンを決めようとしてステージ中央で盛大に軸足がブレてコケてメンバーから避けられる、大阪ミナミで「B’zの宮沢さんですよね」とサインせがまれたことを根に持つあまり恨みつらみを新曲に書いて歌い継ぐ、そんな宮沢さんでいてほしいものです。キャーキャー!!

そうして、近年よく耳にするようになった「不特定多数にモテたって仕方がない」という言説は、私は、負け犬の遠吠えだと思います。モテたい一心であそこまでの偉業を成し遂げてきたあの宮沢さんを前にして、同じことが言えますか? 私は言えません。ああいいな、私もMIYAみたいにモテたいな、ちやほやされたいな、照れる高野寛を抱き寄せて髪にちゅーしても誰からも文句言われないどころかキャーキャー騒がれるくらいの人間になりたいな……そう思うばかりです。宮沢ー!! 俺だー!! 重婚してくれー!!