2016-11-04 / Live your life, Live your life, Live your life.

11月2日水曜日、Sallyの授業は「ジョンケージの音楽に合わせて線だけを使ったアニメーションで30秒映像を作って来る」というもの。みんな面白かった。とくにAの作品が好評、私は発表順の並びで彼女の次になるので針の筵である。突然新しくきたSallyの指導方針に戸惑っていたクラスメイトたちも「音楽はみんな同じもの、とか、線しか使っちゃダメ、とか言われると、逆にクリエイティブになれるわね!」とキャッキャしている。うんうん、若者よ、これこそが「制約のある表現」「課題とその解答」というものなのだよ、大学では目先の商業主義に踊らされずこういう課題制作で表現に集中するのがとてもいいよね……と、したり顔で頷いていたところ。

「さぁみんな、来週の課題の参考映像はこれよ!」とスクリーンに映し出されたのが、「ISSEY MIYAKE APOC INSIDE」でした。うわー……。初めて観るクラスメイトが「すげーかっこいい!」「最高! クール!」とはしゃいでいる空気のなか、「私、もう36歳にもなって、19歳からの宿願『打倒佐藤』を果たしていないどころか、入り直した学校でまで恩師の偉業を見せつけられてるのマジでどうなん……。英語できないからとか全然関係なく、よいものはよいものとして海を越えて届いて誰もが目をキラキラさせるわけで、ここ3年くらいアメリカ来てビザを得ることそれ自体が目的になってしまっていて、新しい環境での忙しさを言い訳にやるべきことサボりまくって、いろいろ物事の本質を見失っていたよなぁ……」くらいの凹み方をする。なお、サリーに「これ、私が日本で通っていた大学でお世話になった恩師の作品ですよ」と言ったら「え、ちょ、マジで、あんたイッセイミヤケの弟子だったん!?」と目の色変えられたので「違います、映像作家のマサヒコサトウのほうです」と返したのだが、いったい彼女(ソーシャルアイコンがきゃりぱみゅ風プリクラ)はどんだけ日本贔屓なのか。


でまぁ、40手前にもなってまだ二十歳の頃に思い描いた何者にもなれていない己の至らなさ、中身の無さに凹みながら、AIGA主催、大好きなイラストレーター、クリストフニーマンの講演会へ行ってきた。今週こそエリックの授業に顔見せに行かないとと思っていたのだけど、前日になって「空席有り」のニューズレターを受け取り矢も盾もたまらずサイン会チケットまで購入。悔いはない。想像以上のドイツ訛りで冒頭いきなり「I don’t like collaborating.」と言って会場を沸かせる。デザイナーとして働いたあとイラストレーターになった人で、忙しないニューヨークを逃れて妻子とともにベルリンへ移った、とかいう物語にもいちいち隙がなくて、はー、好き。基本的に書籍『Sunday Sketching』の内容をスライドに起こしたものをめくりながら軽妙に自分の人生と仕事について語る感じ。後半は学生と若き人々に向けて「自分にまだまだ満足できない? 練習しろ!」「アイデアが湧かない? 作れ!」と檄を飛ばす。おっしゃる通りです。おかげでだいぶ元気になりました。学校ゴッコは所詮は学校ゴッコであって、学校に通っている期間こそが人生の夏休みのようなもので、ここを楽しみ尽くして卒業したら、いよいよ自分のペースで二本足で立って暮らしていけるようになりたい、私も。そう思うような名講演だった。最後の最後はラジオ番組で聴いたセンダックの電話インタビューに捧げるアニメーションを流して、会場全体しんみり。ここに日本語対訳があるので是非どうぞ。「Live your life」はその締めくくりの言葉。

うきうき帰宅すると、シカゴカブスとクリーブランドインディアンズの試合中。見入っている夫のオットー氏(仮名)、シカゴ優勝が決まるまでほとんどろくに口をきかず「おおおおおー!」「名試合! 名試合!」「ぎゃー!」とかしか言わない。翌日のドミトリの授業では、声の大きなJが「つーかさ、そもそもカブスって何?(Actually I don’t even know what Cubs is.) 今朝のCNNニュースでチラッと見ただけよ」と言い、カナダ人のSとO、インド人のAが「あんた……非アメリカ人でも知っとるがな……」という衝撃に引きつった顔で笑っているので私も一緒に笑う。デザイン女子とMLBの接点なんてその程度です。いやトロントッ子のAsは秋学期前半ずっとブルージェイズのジャンパーで登校してたけどな(宗教)。2限のDavidH、先週サボったままとくにフォローアップせぬままでいたら、今までのニコニコ優しい態度から一転して目が笑ってないちょっと冷たいあしらいを受け、やっぱりサボりはよくないね、と反省しますた。

金曜1限はエミリー。50分くらい遅刻してったけど自習なので無問題。というか私この人の授業を完全にナメきっているのにミッドタームで(他の頑張ってる授業と同じ)Kudosが得られてしまって意味がわからない。いやしかし、遅刻したとはいえファイナルプレゼンテーションのスライド準備万端で行ったのに、他の子たちはまだ本日ファイナルのはずの課題を手元で作っている。つまり全員がそれぞれの方法でナメているのだった。PDF版ポートフォリオを見せて校閲的なチェックをしてもらう。ちなみに英文法はまるでノーチェック、動詞の言い換えを一つ指示されたくらい。これは別に私の英語が華麗に美しいからではない。そのくらい「要求される基準値」が低いってことです。面接でも「この文章、全部自分で書いたのか? すごいじゃないか」とか言われる。だんだんわかってきたんだけど、彼らは単純なスペルミスなどのほうがよっぽど厳しく見ていて、日本の教科書的な文法構文や、あるいは言い回しがプロっぽいか否かは、二の次ですね。まぁでも言われてみれば、私が外国人の書いた日本語の文章を読むときにも同じだと思う。漢字が違っていたらまるで意味が変わっちゃうので直してあげないといけないけど、文意さえ取れていれば人称や敬語がメタクタでも全然よし、みたいな。

加えて、「普通なら人称の混在については直させるところだけど、あなたの文章は三人称ベースでたまに意外なところで一人称や二人称の語りかけが混ざるのが、ふと私的な心情が吐露される感じでとてもいいわ。親しみやすさを与えられるし、このままでいいんじゃないの」と言われる。全然気づいてなかったけど、これ、日本語で文章を書くときのクセ(というか、読み手に引っかかりを与えようと思って長年開発してきた技法)がそのまま英語に出ているんだなー。エミリーはこういう「若い学生だったらここで世に送り出す前に矯正かますけど、あなたくらいトウの立った大人は、今までの経験を活かして自己判断でのびのびやりなさい」みたいな物言いが多くて、ああ、最終学期だなぁと思う。ほんの一年前には「まず無印良品のノートを買いましょう」から指導の始まるジュリアの幼稚園クラスにいたと思うと感慨深いです。だがしかし「ソーシャルアイコンをレターヘッドに使うのは許さない、絶対にだ」とそこは厳しく言われたので、あんまり気に入ってないけどロゴに差し替えた。

15時半から、一昨日クリストフの講演があったのと同じ学校ご自慢の講堂で、pictoplasmaというシンポジウムの一コマ、ジャンジュリアンの講演。同じ週にクリストフニーマンとジャンジュリアンに立て続けに会えるってすごい贅沢だと思いませんか!? 私だけですか!? しかし彼もまた、強烈なフランス訛りの英語で出オチ的なスライドで笑いを取りながら作品紹介、立て続けに作風そっくりの二人のイラストレーターの話を聞いて、そして二人とも「モノを見立てて絵を描く」系のシリーズを最後に出してきて、どっちがどっちだか混乱するわい。講演完成度の高さではクリストフに軍配ですが、彼はアメリカ人にウケるだろうと思ってわざわざトランプをイジってニューヨーカー相手に滑ったりもしていたので、「俺はただやりたいようのにやってるだけだ、そしたら成功してデカい予算でこんな面白くだらないこともできるようになったよ。は? 画材? 俺にそんな質問する? 普通のブラシでいいだろ」みたいな感じを、隠しもせず、臆面もなく、前面に出してくるジャンジュリアンはこれはこれでロックでよかった。

ついでにもう一人、たまたま同じ枠にいた、Martina Paukovaというスロヴァキア出身ロンドンベースの女性イラストレーターの講演も聴く。作品はそこまで好みじゃないんだけど、「腕一本で生きていく若くして成功した非英語圏出身者」の振る舞いとして大変参考になった。英語は半分くらいしか聴き取れないんだけど「みなさん私のことなんか知りませんよねー、でも女一人イラストで飯が食えてまーす」といった自虐的な自己紹介に始まり、「世界のどこからでも依頼が来たらなんでも描く、イケア・インドネシアからの依頼も受けた。全然想像つかないけど、とりあえず家具とか描いた」「こっちの仕事は数点描いて欲しいと言われて描き始めたのに、数十点作らされた、うんざり」「(あなたの描く女性はあなたに似ていますねと言われて)……は? あんな変な腕の曲がり方しませんよ。売るためには個性が必要だから平べったく描く作風でやってます」「苦労したポイント? 納期まで3日しかなかったから何も考えてない」などなど、歯に衣着せずに訥々としゃべるのが面白い(※すべて記憶のみにもとづく意訳です)。会場もバカウケである。質疑応答では「祖国スロヴァキアと比べて、大都市ロンドンで活躍するご心境はいかがですか?」という、まぁ普通に考えると「片田舎から出てチャンスを掴めてよかった、スロヴァキアにないものがロンドンにはあるから……」みたいな紋切り型の回答を期待している質問者に対して、「えー、そうね、あなたがスロヴァキアについて何をどこまで知ってるかによって返事が変わりますけど、たぶん話すと長くなるのでやめますね。ロンドンは、働くのにいい街よ。きっとニューヨークもね」と鮮やかに返り討ちにしていた。若くて英語が怪しい女子だからってナメられたらたまったもんじゃないぜ、言葉がマズいのは私のプロとしての能力や本来持ってる知性とは無関係だぜ、というオーラ。これはとても見習っていきたい。もっと自信をつけなくちゃなぁ。