2016-12-31 / 師走まるごと

まるまる一ヶ月も日記を書いていないときはどんなふうに総括すればいいんでしょうかね。名案がまるで思い浮かばないので、箇条書きで済ませたいと思います。後から思い出して書き足すかもしれません。そのうち、そのうち、そのうち。
11月29日。ドミの授業はinstruction、いくつか案を持って行ったなかで、サンクスギビング休暇のフィラデルフィアから帰ったばかりの私は愛国機運が高まっており「合衆国国旗の正しい畳み方」が一押しだったのだけど、まるで響かず、「日本まで14時間のフライトを快適に過ごす方法」のほうを作るようにと激励される。
11月30日。シロクマ先生やズイショさんと、Twitter上で「恋愛の高速道路理論」みたいな話をする(ログはここ)。恋愛をドライブに、交際0日婚を徒歩に喩えたこの「恋愛の高速道路理論」って相当いいネーミングだと思うんだけど、はてな民を下手に刺激するのも何なので自粛。
https://twitter.com/okadaic/status/804151543746461700


12月1日。フィラデルフィア発祥のANTHROPOLOGIEで特価69ドルで買ったラムウールのガウンをおろす。DavidHの授業はストロボの講義が(まだ!!!!)続いている。女生徒がみんな撮られるのを嫌がるので、いつも被写体になる男の子がいて、私がちょうどその子の後ろに座っていたので、私まで実験台になる。途中、DavidHのカメラがストロボと連携しなくなったので、私のオリンパスが貸し出されて実験台にもなる。だから、この日の授業でいろいろなレフ板を使いながら撮った写真が、今も私のカメラロールに残っている。何もかも懐かしくなる日がいずれ来るのだろう。しかし授業内容は本当に何も残らなかった。私の作風だと一生ストロボ使わんからな。
12月2日。金曜、特記事項なし。
12月3日。クリスマスに向けてアドベントカレンダーを作ったら素敵ね、とか言いながらもちろんそんなことをしている心の余裕がない。『Citizenfour』というスノーデンのドキュメンタリー映画を観る。昔からいいメガネだなと思っていたけど、やっぱりいいメガネだった。当時は衝撃的なニュースだったはずなのに、フィクションのドラマ『パーソンオブインタレスト』を観ていると感覚が麻痺してきて、今は現実を観ても「まぁ、こういう奴も出て来るだろうね」という感想になってしまう。
12月4日。寒空の下、夫のオットー氏(仮名)をマディソンスクエアパークへかりだして、ポートフォリオ撮影のための助手とモデルを務めてもらう。ホットチョコレートをおごり、気の早いクリスマスプレゼントを買って、労をねぎらう。喫茶店の前をとても賑やかなデモ団体が通り過ぎてゆき、店員と「あれ何だろうね?」「あ、ほら、例の、水のやつだよ(We Are Water thing)!」と話していたのだが、帰宅してニュースを見たら Dakota Access Pipeline 建設計画について陸軍が代替ルートを検討するとのこと。ずっと抗議デモが続いていて、私も学内の友人の呼びかけを聞いて近所の公園でちょっとだけ参加したので、感慨深い。
12月5日。月曜、特記事項なし。
12月6日。9時から11時40分までの朝の授業が終わった後、19時から21時40分までの夜の授業の前に、イーストビレッジまで髪を切りに行く、という鬼畜の所業。遊んでいるみたいで気が咎めたのだが、前髪が邪魔で邪魔で仕方がなかったので、その後の生産性を上げるためにも行ってよかったと思う。ただやはりそのぶん夜の授業で見せるものがうんと少なくなってしまい、反省。ドミの授業がちょっと座学っぽくなったのはこの日だったろうか。かつて自分が手がけたという仕事を見せてくれたんだけど、相変わらずそれ自体はイマイチな出来なのである。そして蔵書を持って来てくれるんだけど、こちらはどれも素晴らしい。古川タクみたいなタッチで描かれたカメラの本がめっちゃかわいくて褒めたら、それは別の人だか図書館だかの蔵書で、どうしても欲しかったドミちゃんが、全編ゼロックスしてパーフェクトバインディングして作った「コピー本」なのだという。「でもそのコピーの粗さがまたいいよね!」と褒める。平和な世界だ。
12月7日。動画の授業が本当につらい。今からでもドロップしたいのだがもう成績がつくので逃げるわけにはいかない。
12月8日。ファイナルプレゼンテーションの前週なのに、まるでそんな雰囲気のないDavidHの授業。もうほとんど講義はなくて、時間があいて準備のできてる人から順番に個別講評をしてもらう。私も来週発表予定の作品をPC画面でスライド形式で見せる。レーザープリンターでの試し刷りと、本番用に購入したセミグロスペーパーの質感サンプルも見せる。登校する直前まで全30枚くらいから絞れずにいて、夫のオットー氏(仮)に厳しめに見てもらって25枚ほどに落とし、自分で20枚ほどに落とし、DavidHと相談しながら表紙込み16枚くらいまで削る。韓国人クラスメイトM(愛称をムーンという)がとくに私の作品に興味津々で、すっごく褒めてくれる。彼女は写真専攻の1年生らしく、同じ「入門編」の授業に在籍していても腕前は断然、彼女のほうが高い。多重露光をテーマに複雑な作品を撮っている。でも東京大好き日本贔屓らしくて、日本人の私がやることなすこと褒めてくれるので、気恥ずかしくて痒くなる。今までの授業でとても評判がよく、私もなかなかお気に入りだった一葉を「素敵だけど、全体の雰囲気を壊すからこの写真集からは絶対に落としたほうがいい」と相当キツめに言ってくれたのも彼女だった。DavidHもそれに賛同して、「面白いね、よく起こることなんだよ、最高の写真が、最適の写真とは限らないんだ」と笑った。学級崩壊したgdgdの講義だったけど、彼らのような人たちとは、こういう時間をもっと長く取りたかった。
12月9日。朝のEmilyの授業が終わった後、Aちゃんとカフェテリアへ昼飯を物色に行く。朝食メニューのベルジャンワッフルがまだあったので二人とも「トッピング全部のせ」を注文。ここのカフェテリアの名物と言われているだけあって、たしかに上品な味でおいしかった。これならば外のカフェで食べるよりもお得感があるよなぁ。ハンバーガーとか二度と注文しないぞと思うけど。ファッションドローイングにも顔を出したはず。
12月10日。「SantaCon」って、日本語でも「サンタコン」で通じるのだろうか? 「みんなで示し合わせてサンタクロースのコスプレをして飲み歩く街コン」のこと。よその地区は知らないが、うちの近所は通り一面がサンタに埋め尽くされる。1994年サンフランシスコ発祥とのことだが、大人のニューヨーカーたちは「ここ数年で急に盛り上がりだした」と迷惑そうに顔をしかめている。夜は外食するつもりだったが、あまりの騒々しさに嫌気がさして、家にあるもので簡単に夕食を済ませる。頑張って寝ようとしたけどうるさくて眠れなかった。ハロウィーンはいいんですよ、ハロウィーンは。家族みんなで楽しめるし、ギークもナードも盛り上がるから。サンタコンは自分たちのことイケてると信じて疑ってない若者ばかりがウェイウェイしてるしコスプレも「ただ着ただけ」って子が多いので、見ていてつまらないな。
12月11日。雪の日。特記事項なし。
12月12日。月曜、久しぶりに「cuba」へ行った。いつもの魚介のキャセロールを食べる。これを食べるたびに『ドラえもん』に出てきた、「畑で獲れた大根を割って出てくるシチュー」を思い出す。「汁っけの多い旨そうな煮込み料理」を見ると全部アレを思い出すんですがね。
12月13日。完徹。Annaの授業は今週で最後。数分ずつ全員のファイナルプレゼンテーションをして終わり。週末ほとんど一睡もしなかったのに、全体の90%くらいまでしか仕上げられなかった。無念なり。リサーチを褒められ、コンセプトを褒められ、アイデアスケッチを褒められたが、「レンダリングとインスタレーションがねぇ……あなたが精一杯頑張ったのはわかるんだけど……」と言われる。これは、実作したデザインを現場写真の中にはめ込む、いわゆる「完成予想図」のこと。私のプランは「公園全体を金属製のリボンでラッピングする」というもので、「公園の中心に巨大建造物を置く」「街頭から看板を吊るす」みたいな楽勝プランの子たちよりもずっと手間がかかるのである。「メインビジュアルはこんな感じだから、あとは脳内で補ってね」というテイで発表したのだが、所詮、100%でないものは100%でないのであった。これは「A-」であって「A」はもらえないなぁ。という自己評価。
ドミちゃんの授業はまだまだ続く。年の瀬でみんなテンパってきて個別相談の時間が取れなかった。帰り支度のドミちゃんがイカしたつば広の中折れ帽を被っているので、「素敵な帽子ですね」と言ったら「これは僕のDetective Hatなんだよ」とご自慢げ。これだからナードは……。「探偵かぁ、そしたら、Pipeが要りますね、ホームズみたいに」と言ったら「No! Cigar! and… Scotch!」といちいちキメポーズをつけてノリノリである。このネタ30年やり続けてるだろ。すっかり気分が高揚したのかノリすぎて照れたのか、私の上着をうやうやしく着せてくれるサービス付き。ハードボイルド探偵事務所そんなサービスしねえだろ。ちなみに授業の内容はまるで憶えていない。
12月14日。特記事項なし。いやいやいやいや。「Motion Concepts」の最終発表日だったのだった。あやうくスルーするところだった。Erikという、かつてSallyの教え子で、引き抜いて同僚にして、今はフリーランス? というような、まぁ「講師のおぼえめでたく口利きで就職先をゲットした成功例」のような男性がゲスト講評者として来ていた。私の作ったものは、先週の時点でSallyに「Bor… いや、Boringとは言いたくないんだけど、それに近い問題がある。」とけちょんけちょんに言われていたのだが、今までの経緯を知らない彼が初見で「I like it. Simpleでいいね。」と言ったので急に評価が上がった気がする。とはいえ、何もかもがやっつけ仕事のまま終わった授業だったなぁ、という感想。AfterEffectsの基本操作は覚えられたけれども、(就職活動的な意味で)映像の世界へ足を踏み入れようとは、ちょっと思えなかった。こういうとき私はいつも、萩尾望都が「漫画家に向いているのは、カケアミを描くのが好きな人」と言っていたのを思い出すのだ。かわいいお姫様が描ける人でも、奇想天外なストーリーを思いつく人でもなく、それらを作品に仕上げるために、背景のカケアミを描き続けられる人。SallyもErikも「映像作家に向いている人」であるが、私はそうではないだろうな、と思い知る授業だった。いずれちゃんと向き合ったり、それで楽しさを見つけたりする日が来るといいな。
12月15日。写真の授業はつつがなく最終日を迎える。全員が全員まるでやる気のない授業だったが、写真学科の子も、ファインアート専攻の子も、私と同じAASグラフィックデザインの子も、私が「いいな」と思っていた学生たち(約半数くらい)は、みんなそれぞれに凝った作品を作って、ちゃんと高品質印刷なり手製本して持参してきていて、とても見応えのあるファイナルプレゼンテーションだった。友人Mのキワッキワに攻めた建築写真のアコーディオンブックが優勝かなぁ。それと、芸術写真としての「自撮り」を続けているファインアート科の子が、「それぞれの写真で一番明度の高い部分」を黒い板にレーザーカットで転写して、セットで展示するというのをやってて、これも面白かった。私も、いわゆる「うっかり芸術っぽく撮れたストリートスナップの山に、後からテーマ性を付した」部門(数名いる)の中では、たぶん一番好評だったのではないか。まぁ、準備不足の不真面目な子たちが最後の数日に間に合わせで撮ろうとするとこの部門のエントリーとなるわけですが。「カラー写真なのに白黒写真のように見える」というしばりで、レタッチなしでその場の撮影方法だけに頼る、というコンセプトを、事前からちゃんと伝えてあったので、それを基準に良し悪しをはかってもらえたのがよかった。
ドミは、ラストから数えて二日目。Project5のファイナルプレゼンテーションで、できてる子は完璧にできてるんだけど、私は「最後のモックアップ」みたいなものしか見せられず。火曜日までに帳尻を合わせないといけない。今日を最後だと思っていた(あるいは本当の最終日にはそんなことできないと知っている)Jが、巨大なcake……とみんなは呼んでいるが日本人感覚だと「巨大なシュークリームのおばけ」みたいなお菓子を持って来ていて、軽く打ち上げ。ドミが17mm単焦点、私が25mm単焦点で、クラスの様子を盗み撮る。その撮り方があまりにも自分と似ていて、この人は本当に……私をそのままおっさんにしたような人だな……と思う。全部片付けて帰ろうとしてたところへTimとAちゃんが立ち寄り、そこからまた大騒ぎ。久しぶりにTimに会えてとても懐かしい。はしゃぐ。同じ時間帯にTimのコマを取っているAちゃんは逆に、久しぶりに会えたドミに直近の作品をプレゼンテーションしながら泣きそうになっている。卒業が近い。
12月16日。朝から牛丼。昼はCHOP’Tのサラダ。Emilyの授業がなんとかかんとか終わる。必修だから取ったけど、まるでカタルシスのない授業であった。最後のプレゼンはみんな一通り褒めてもらえてたのだけど、それにより、彼女が「心無く褒める」人であることが露呈した感じがする。明らかにレベルの低い子にまで棒読みの賛辞を述べていて、「あ、私も別に気に入られてたわけじゃないのかも」と不安になる。ともあれこれで一段落、他が全部終わって、週末はDmitryのことだけ考えていればよい。近所のホテルの一階にある素晴らしい店のカモで打ち上げ。
12月17日。学校で自習していた土曜日。秋学期もあと月曜火曜の授業を残すだけとなったので、ずいぶん人口密度が減った。友達と待ち合わせてNY在住日本人コミュニティの忘年会へ。人間のクズみたいな酔っ払い方をするサラリーマンというのを久しぶりに見て「こういう人は早く本社へ帰って新橋圏から外へ出ないで欲しいな」と不快な気分にもなったが、それとは全然関係なく、何人か面白い人物と知り合えてよかった。もちろん、人間のクズみたいな酔っ払い方をする若者とか、どんな宴席でもずっと「お客さん」感覚でいることにより日頃の鬱憤を晴らす輩というのは、日本人に限らずアメリカ人でも何国人でもいるので、日本人だからとくにひどいというわけではないのだが。
12月18日。夕飯は新しくできたギリシャ定食屋。近所に「定食屋」が見つかると外食の幅が増えて有難い。日本の「定食」とはちょっと定義が違うんだけど、「定食」としか言いようがない。
12月19日。月曜、休講日。家に籠もっていた。
12月20日。「パーソンズ最終学期の最終日をあなたという師と迎えることができて、私は本当に光栄です」というわけで、家族や友人たちが本気でドン引きするほどの蜜月を駆け抜けたドミちゃんと俺をご覧ください。楽しかったなー。他のコマが消化試合気味だったぶん、最後の最後に「初心」を思い出させてくれたのは本当によい授業だった。「君の作るものにはセンス・オブ・ユーモアがあり、優れたWriterであることがつねにDesignを支えていて、この二つが共存しているのは素晴らしい才能なので、今後もWriterとしてDesignerとして、そこを伸ばしていくべき」というような総括をもらう。いや、総括なんだけど、それ一学期の授業でも一字一句同じこと言われたよね……いいけどさ……。世の中には「意味を超越して美しいもの」を好む人と、「意味を伴うからこそ美しいもの」を好む人とがいて、私とドミちゃんはともに後者であり、「透けて見える意味だらけ」のものが好きで、問答無用で人の心を打つ美しさには程遠いんだけど、レジビリティとかユニバーサルデザインとか、そういうものを志向している。もともとの共鳴度合いが高いだけに、「これはやっちゃダメ」「もっとここを攻めないと」と釘を刺されるのがとても勉強になりました。
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ゲスト講評者が来るという触れ込みだったのだが、最初の30分くらいで帰ってしまったので後半組の私は見てもらえなかった。代わりに、Annaの授業で一緒だった男子がずっと見学していた。来季とるつもりなのだろう。授業後、生徒ほぼ全員で飲みに行くことになり、ものすごく執拗に誘ったのだが、「OK, let’s do raincheck, raincheck…(棒)」と言いながら逃げられ、生徒たちだけでVapianoでプロセッコとマティーニを煽りながら「結局、彼が私たちを愛してくれるのは、授業時間内だけなのよね〜」「私たちはこんなに彼を愛しているのにね」「そうそう、妻子には敵わないからな〜」「えっ、俺あの人ゲイか独身だと思ってた」「何言ってんの! 彼の携帯の待ち受け画面の赤子を抱いた美女を見たことないの!?」「そうそう、あんないい男が既婚でないはずがない、男子は全然わかってない」「いや、なんで女子はみんな当たり前のようにドミの私生活を覗いてるんだよ、こえーよ」みたいなクダを巻く、ドミちゃんファンクラブ。
12月21日。午後まで寝ていたと思う。夕方から「卒業式」に出席し、ジュリアと久しぶりの再会、なぜか『プラダを着た悪魔』プレイをさせられ(出席している卒業生の顔とリストの名前を一致させる作業)、ルシールのエピファニーについてのスピーチ、Mのスピーチ、卒業証書の入っていない卒業証書の封筒を受け取るセレモニー、宴会になってワインがあいてからふらりと立ち寄るアンディ、残飯をまるごともらってくれる謎の学生および教員、ほろ酔い加減でそのまま日本人学生の打ち上げへ流れ、コリアンタウンで日本人教授も合流して、ほどほどに解散。何を話したかまるで憶えてないけど楽しかった。
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12月22日。また昼まで寝ていた。「ホワイ、ジャパニーズピープル、クリスマスをKFCで祝うー!?」みたいなネタをさんざん聞かされたので、無性にフライドチキンが食べたくなり、「きっとみんなクリスマス直前でチキンを食べ控えようと思ってるから、すいてるよ!」と言い合いながら「Bob White」へ。相変わらず「世界一のフライドチキン」だと思うけど、昔に比べて、ちょっと量が少なくなった、ような……。
12月23日。昼が寿司、夜がステーキという暴挙。同じタイミングで卒業し、帰国して就職活動を始める日本人留学生仲間のEちゃんを送り出す。
12月24日。聖歌隊に所属している友達に誘われてSt.Joseph教会のクリスマスミサへ。ミサの進行はわかるんだけど掛け合いパートとか英語で何と言うのかわからなかったりして面白い。はっきり言って日本でさんざん体験してきたミサのほうが荘厳で厳粛で厨二病的な意味でアツい。天使の羽をつけた幼女や姉妹でお揃いのドレスを着た幼女がいっぱい、新曲もたくさん。やっぱり60年代を境目に曲調から変わる感あるし2010年の曲などもあった。明らかに親族でも何でもない怪しい目つきの中年男が一人か二人か三人くらい、片隅に陣取り恍惚とした表情で聖劇に見入っていたのだが、まぁそんな者たちにも門戸を開くのが地域教会の役目であって、年に一度の天国を味わえてよかったねロリコンのおっさん、と思ったし、幼女にハァハァしに来た部外者という意味では私も大差ないので、賛美と感謝を捧げておいた。その後、Agがデザイン課題に選んでいたワインバー「Vin Sur Vingt」へ。メリークリスマステーキタルタル。ロゴはダサいけど、パリの路地裏からそのままウエストビレッジへワープしてきたような名店だった。
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12月25日。東京から来たトモサクさんたち御一行と、『RENT』の聖地巡りをして、モガドールでクリスマスランチ。といってもいつものラムクスクスとフレンチトーストと卵料理など。やっぱり人数が多いといろいろシェアできて嬉しい。「嘆きの壁」を見せてあげようとユニオンスクエア駅へ行ったら、全部撤去されていて、ジュリア情報によると市の美術館に収蔵されるとのこと。夜はブルックリンまで出かけて、ジュエリーデザイナーAlain氏夫妻の家でホームパーティー、カモ料理を振る舞ってもらう。初対面なのにいきなりクリスマスディナーに呼ばれるのがすごいし、レストランでは到底食べられないような立派な鴨のザクロソースをオスもメスも存分に堪能、しかもワイン持ってった以外手ぶらだったのにプレゼント交換会のおこぼれにもあずかってしまい、「あ、アメリカ〜!」となる。素敵なアパートメントだったなぁ。
12月26日。またブルックリン、今度はサトコさんと年忘れ『Nutcracker Rouge』観劇。年末っぽくて楽しかった。
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12月27日。『パーソン・オブ・インタレスト』観て一日が終わった気がする。ピザ屋のカウンターで持ち帰りを待っている美少年二人がめちゃくちゃ絵になってかわいかった。
12月28日。秋学期もよく頑張りました、というわけで「Great Jones Spa」のウォーターラウンジでふやける。『SATC』にかぶれてるけどあそこまでオシャレにはなりきれず、とりあえずみんな中途半端に全身黒ずくめの安物ドレスを着て鞄だけブランド物、というキラキラ女子集団がプールサイドでバスローブ一枚になってシャンパンぽんぽん空けて女子忘年会をしていて、別にそれ自体はいいんだけども、こちとら「銭湯」のつもりで来ているので、ちょっとうるさかったかな。ていうか、外着にフルメイクのままスパ入って来るなよ。みんな私より年上だと思うけど「学生団体観劇日」に当たったようなハズレ感。
12月29日。ロウアーイーストサイドでカナちゃんとサシ飲み。ステーキタルタルのお代わりにサーモンタルタルを注文するとまったく同じ盛り付けで出てきて笑う。AstorPlace駅まで送ってアラモをくるくる回していたら、赤いマフラーをぐるぐる巻きにした知らない男に「Nice Scarf!」と言われて「You too!」と返す赤いマフラーをぐるぐる巻きにした女。みんな酔っ払っていて、年の瀬。
12月30日。サンライズマートでおせちの準備。ものすごい行列。普段から物見遊山というか、「NYCの中の小さなジャパン」という一種の観光地みたいな感覚でふらふら眺めに来ている外国人客というのはいるのだけれども、よりによって年の瀬の今日という日にそれをしてしまった人たちが、狭い店内でおろおろまごまごしていた。アメ横とまるで同じだ。菓子コーナーに追いやられた彼らを蹴散らすようにして、どちらかが日系の男女二人連れや子連れの主婦、もはや日本食しか食べなくなったのであろう老夫婦などが、殺気立った目でそれぞれにおせちの死活問題と向き合い、レジ待ちで長蛇の列をなしている。5膳1パックで5ドルくらいする祝い箸を買おうかどうしようか迷ってやめる。栗きんとんが高すぎるので伊達巻もやめる。
12月31日。「伊勢」で年越しそば。昨日のサンライズマートに引き続き、年末年始ばかりは「せめて日本らしく」と考えた客で賑わっている。おそらくは向かいに座る日本人ガールフレンドに「私たち民族はニューイヤーイヴの夜にはジャパニーズソバを食べないと死んでしまうの!」みたいに言われたのであろう非日本人の彼氏が、ちゃんと彼女の願いを叶えてあげたぞとニコニコしながらスパイシー納豆なんちゃらみたいなキワキワのメニューを食していて、とても微笑ましいんだけど「貴様のそれは年越しそばじゃねえ」と言いたくなる。まぁ我々のテーブルも、おでんとか頼んでたけど。ネット動画をあさって紅白歌合戦を観て、深夜0時のちょうど15分前に画面をNY1に切り替えて、「ゆく年くる年」とする。今年もお世話になりました。