2018-01-01 / はじまりに

時差ボケで寝ていたらもうこんなに時間が経っていた。というのはさすがに誇張表現だが、将棋の旅と佐渡旅行、大阪遠征について書かずにいるうちに年が暮れて明けてしまうというのはものすごいことだな。どこ行った何食ったというような話はもうInstagramの短文で勘弁してもらっていいですかね。と、誰に謝ってるのかもよくわからないけど。

いや、誰に謝っているのかというとそれは、自分自身なのだ。毎日コツコツ日記を書くということが本当に苦手である。今年こそは、何か面白いことを書かなくちゃいけない、というような雑念や煩悩から解放されたいものです。淡々と書くよ。


夫の実家では年明け前からおせち料理をつつき始める風習だそうで、私もそれにすっかり慣れた。大晦日は日本食料品店で買ったおせち惣菜でランチ、節電で寒々しいジムで筋トレ有酸素運動、サイト更新、融雪剤で真っ白になったアスファルトを踏み越えて「伊勢」でおでんと年越し蕎麦。例年ならばネット動画で紅白歌合戦をつまみ観てからチャンネルを切り替えてタイムズスクエアのカウントダウンを観るのだが、なぜか夫婦でコリンファースの話で盛り上がり、映画『シングルマン』を観て大満足して、早々に寝てしまう。起きたら年が明けていた。

街が水を打ったように静かなこと以外は、どってことない冬の日常。渡米三度目の冬、やっぱり今年が一番寒くて、もうどんな外気温にも驚かなくなった。はいはいマイナス20度ね。室内は相変わらず暖かく、日が照っている間の自宅リビングはとくに温室のよう。でも15時頃には日が傾いてしまうので簡単に気鬱にもなる。衣服はすっかりアメリカ人仕様(厚手の外套+脱いだら薄着)に。上半身のヒートテックをやめて下半身の防寒に特化したらだいぶ過ごしやすくなった。一方で衣替えは意味を成さず、超有能な日本製加湿器を導入してガンガンに焚いていたらクローゼットの中でおろしたてのニットが虫食いに遭い涙目。まぁ室内これだけ暖かかったら、窓を開けて換気するたびに外からお客様をお出迎えしているようなもんだよね。

昨年の今頃はいわゆる「大学卒業ハイ」、同級生たちとの連帯のなかで年を越したわけだが、あの頃に毎日一緒に過ごしていた彼らは、この一年かけて文字通り世界中に散り散りとなってしまった。代わりに、2017年後半は在NY日本人と酒席を共にする機会が多かった。もののはずみで講演なんかしちゃったし。永く住んでいる人もいれば駐在の人もいて、世界に名の轟く著名人もいればまだ何者でもない学生もいる。昼間の接点はまったくないし、向こうは私の経歴を知っているわけでもない。ただひたすらに横のつながりでだけ広がっていく友達。

渡米してすぐの頃は「ただ同じ国から来て同じ市内に住んでいるというだけでお互い仲良くしなくちゃいけないとか、どんな罰ゲームだよ……これから全世界との競争に勝ってかなくちゃいけないんだろ同国人と馴れ合ってる暇なんかねーよ……」くらいに思っていたのだが、これはいわゆる意気がる「上京ハイ」というやつである。二年半も過ぎれば、さすがにだいぶ緩和されてきた。外からやって来て同じ場所を選んで、あれこれ痩せ我慢しながら永く住んでいるというのは、それだけである種の価値観を共有しやすいということ。誰と話していてもベン図の重なる部分は毎回ほぼ同じで、(日本国内でのランダムな社交と違って)そこが担保されているだけでも気が楽である。どのみち去る人は去って行くので盛大に見送ればよいし、私だっていずれは去るのかもしれない。「汝の隣人を愛せよ」の隣人(Neighbour)とは、何も競争相手や異なる文化だけを指すのではない。ということがよくわかる2017年だった。

それにしても、英語圏でバリバリ活躍してるような人たちから「あー、こんなふうに母国語でがっつり話すの、久しぶり!」と喜ばれるたびに、複雑な心境になりますけどね。こちとら、読み書きや日常会話はまだしも、英語で深いこと話す機会が激減してしまった一年でもあったので。まずい。2018年の目標は、「ベン図の重なる部分(の価値観)は毎回ほぼ同じ」というこの感覚を頼りに、また別のコミュニティに漕ぎだすことです。