2018-02-10 / 今日の1000字「シーツが裂ける」

夫と同居を始めて早いもので五年くらい経つのだが、このたびめでたく、シーツが裂けた。

ちょうど五年ほど前、二人で住む新居のために購入したベッドは、マットレスがちょっと特殊な形状をしている。長方形は長方形でも、幅と厚みにぴったり合うようなシーツがなかなか市販されておらず、いつも同じ店で購入することになる。選択肢はほんの十数種類で、季節ごとの素材感や二人の色の好みなどで絞り込むと数種類しかない。最初に新調したとき、米国に転居したとき、渡米二年ほど経ったとき、少しずつ買い足して季節ごとに使い分けている。

裂けたのは一番最初に買った冬物のボックスシーツで、お値段も一番高価、色は濃紺。夫の足元にあたる向かって左下部分が横方向に擦り切れて、びりびりになっているのを数日前に発見した。といっても、普段まったく上下を気にせず掛け替えているので、これは私の背中にあたる向かって右上部分が摩耗した可能性もある、どちらか一人に責任を負わすべきではない、というのが夫の主張。まぁでも常識的に考えたら就寝時、背中より足元のほうが激しく動くものではないかね?

あまりにも盛大に、数カ所いっぺんに、小気味いいくらい見事に裂けたので、これはもう繕うには手遅れであろうと、結婚して初めて、シーツを捨てた。大人二人で毎日毎晩寝起きして、五年保ったのが長いのか短いのかよくわからない。赤子がいたりするともっと耐用年数が短いのだろうし、乾燥機に放り込んでかけっぱなしにせずちゃんと広げて丁寧に干すようにすればもっと長持ちしたのかもしれないが、裂けた今から考えても詮無いことである。

二つのものを思い出した。ミサンガと、鏡開き。新生活開始と同時に買い求めたボックスシーツが、その社会的使命と歴史的役割を終えて土に還る。自然と擦り切れるのを「時が来た」吉兆と捉えるのはミサンガに似ているし、祝い事のために迎え入れたモノを祀り上げて供養するのは鏡開きや、どんど焼き(左義長)を彷彿とさせる。ボックスシーツに願掛けをしていたわけではないが、結婚生活とはこういう儀式の繰り返しで続いていくのだなと思うし、特定の宗教を信仰していない夫婦だからこそ、感慨深いものがある。愛用していたモノが壊れたのに、なんとなくおめでたい気持ちになるのは、不思議なことだ。

説明が面倒なので、Wikipediaの抜粋引用を直貼りしておく。とくにオチはない。

ミサンガ
手首や足首などに巻きつけて使用し、紐が自然に切れたら願いごとがかなうという縁起担ぎ(逆ジンクス)の意味がある。(略)ブラジル出身のサッカー選手の多くがつけているのは、バイーアにある BomFim(ボンフィン)教会の周辺で売られている Fita (フィタ、リボン・ひも状のもの)であることから、フィタもしくは、そのままボンフィンと呼ぶのが一般的である。(略)長いリボンを手首や足首に2回巻き、3回結ぶが、その時に各1回ずつ計3回お願い事をする。それが自然と切れた時に願い事が叶うといわれている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%AC

鏡開き
鏡開き(かがみびらき)・鏡割り(かがみわり)とは、正月に神(年神)や仏に供えた鏡餅を下げて食べる、日本の年中行事である。神仏に感謝し、無病息災などを祈って、供えられた餅を頂き、汁粉・雑煮、かき餅(あられ)などで食される。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8F%A1%E9%96%8B%E3%81%8D

左義長
1月14日の夜または1月15日の朝に、刈り取り跡の残る田などに長い竹を3、4本組んで立て、そこにその年飾った門松や注連飾り、書き初めで書いた物を持ち寄って焼く。その火で焼いた餅(三色団子、ヤマボウシの枝に刺した団子等地域によって違いがある)を食べる、また、注連飾りなどの灰を持ち帰り自宅の周囲にまくとその年の病を除くと言われている。また、書き初めを焼いた時に炎が高く上がると字が上達すると言われている。道祖神の祭りとされる地域が多い。民俗学的な見地からは、門松や注連飾りによって出迎えた歳神を、それらを焼くことによって炎と共に見送る意味があるとされる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%A6%E7%BE%A9%E9%95%B7