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文筆家・岡田育、近況と日記。

ザ・インタビューズ転載日記(睡眠2)

寝起きはよいですか。寝起きについて年齢とともに何か変化はありますでしょうか。


寝起きは悪いです。とても悪いです。寝床で目が覚めてから完全に覚醒するまで、数時間はかかります。いくら寝ても寝足りない気分が拭えないため、寝起きは非常に気が立っている可能性が高く、迂闊なことは話しかけないほうがよいです。平日の朝から午前中にかけてのtweetが極端に少ないのは、我ながらあまりにも機嫌が悪く、うっかりとんでもないこと書いて大炎上しそうだからです。

20代半ばまでは、休みの日に15時間連続睡眠とかザラだったんですが、最近は睡眠時間が細切れになりがちで、非常に年齢を感じます……。それでも寝ますけどね。一日12時間以上寝ると、さすがに寝起きもいいです。寝疲れてぐったりして起きるという感じなので、起きているほうが身体が楽で、心なしかテキパキ行動できる気がします。そんなの当たり前だろうって? その当たり前のことが叶わない人間社会のほうが間違っていると思います! できればあれを日常にしたいです。つまり人生の半分を寝て過ごしたいです。

ザ・インタビューズ転載日記(睡眠1)

寝る時間を惜しんでいるように見受けられますが、4日くらい寝ない生活はできそうですか?


無理に決まってるじゃないですか! ひとのこと何だと思ってるんですか! 自他共に認めるロングスリーパーです。最低8時間は寝続けたいし、とくに休日は10時間以上寝ないと翌週の調子が悪いです。すなわち、毎日4〜6時間くらいしか寝ていない今の生活は、つねに調子が悪いです。24時間つねに臨戦態勢で動き回っている人たちの、3分の1くらいの密度で生きています。

寝る時間を惜しんでいるわけではなくて、たとえ覚醒していなくても何かしらTwitterをいじってしまうので、ずっと起きているように見えるだけだと思います。深夜と早朝のtweetは大半が寝床で寝ながら書いている寝言ですよ。朝まで寝ずに何かせねばならない日などに息抜きと眠気覚ましを兼ねて全然関係無いことをつぶやくこともありますが、それだって、寝る間を惜しんでtweetしているわけではありませんよね。本当は一日中寝ていたいです。死ぬまでごろごろ寝ていたいです。外向的なこと全般が嫌いです。そのあたり、いつも誤解されているなぁと感じています。

ザ・インタビューズ転載日記(質問)

質問する際に心がけていることは?


いつも気をつけているのは「回答を誰に投げ返してもらうか、その行く先を明確にすること」です。たとえば芸能人にインタビューするとして、「(私が)最新の主演映画を拝見しました。あそこのシーンすごく素敵でした! でも撮影はなかなか大変だったんじゃないですか?(YES/NOで述べよ)」というのと、それを受けて「へえー、そうなんですかー。では、他に(観客一般に)ぜひここを観てほしい、という思い入れの強いシーンなどありますか?(具体的に例示せよ、複数回答可)」というのと、「なるほど、でもそれは以前仰っていたことと違いますね、(コアファンの)期待を裏切る展開も今作の魅力だということでしょうか?(仮説を否定または肯定した上で、前作と比較して最新作を述べよ)」というのとでは、引き出される回答がまったく異なります。時間内にそれぞれをバランスよく配分しながら訊いていかないと、記事にまとめる際に難儀します。

普段、誰かに何かを訊きたいと思ったら、「ちょっとうるさいくらいに自分の話をする」というのも心がけています。見ず知らずの相手からの質問に慣れている著名人と違い、ごくごく普通の一般人から何か本音を引き出そうと思ったら、こちらからじゃんじゃん話しかけねばなりません。相手を脱がせるためにこちらが先に服を脱いで裸になるとか、子供をあやすときに子供の目線に下りていくというのに似ていると思います。ただし、授業や講演会の最後に設けられた質疑応答で延々と自分語りをする質問者は迷惑以外の何物でもないので、絶対にやめてくださいね……。このへんが「インタビュー取材」型の質問と「記者会見」型の質問の違いなんじゃないかと思います。いま訊かれているのがどちらの「質問」についての心がけなのか、よくわかりませんが……。で、「ザ・インタビューズ」は、名前はインタビューですが、実際は「記者会見」型の場ですよね。端的な質問で面白い回答を得るにはいろいろコツが要りそうで、まだ実験中です。

それから、自分が回答する側になったらこのように脈絡なくダラダラ話しますけれど、自分が質問する側のときは、「小見出しが立つかどうか」も考えています。実際のところ、出来上がった談話記事に小見出しを立てるのはとても苦手な作業なんですが、だからこそ、取材中にはつねにそのよう意識しています。

ザ・インタビューズ転載日記(宮沢和史)

「モテ」とはどんな状態のことを指すのでしょうか。あなたの定義を聞かせてください。

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「ドラッグなしでハイになる方法」まさに……!


自分にあてはめて回答するといろいろとややこしいことになりそうなので、私が考える「モテ」の権化である、ある男性の存在を使ってお答えしたいと思います……ええ、はい、宮沢和史です。

宮沢さんは、音楽を始めたきっかけを「モテたいから」ただそれだけだったと、昔からしょっちゅう口にしています。彼のあらゆる言動はすべて「モテたい」「女の子にキャーキャーゆわれたい」という気持ちに突き動かされたもので、デビューから二十数年経った今現在にいたるまで、微塵も揺らいでおりません。彼は自分がモテるためなら何でもします。歌います。踊ります。暴れます。脱ぎます。歩行者天国の路上で。皇族の前で。世界各国を旅して回りながら。40代も半ばを過ぎたのに。三児の父なのに。求められるがまま、どこへでも行ってモテを披露します。アウェーではシャツのボタンを襟元まで閉めて「そうです私が島唄です」とおすまし顔をしていることが多いですが、ホームへ戻ると職業セックスシンボルとしてハリクヤマク(裸踊り)を自重することがありません。高校生の息子の友人親子が観に来ているホールライブで狂乱の客席から口々に「もっと脱いでー! ぜんぶ!」と絶叫され、そうして本当に惜しげもなく脱いでしまう四十路……宮沢さんは、自分がちやほや「モテ」るためならどんな不可能をも可能にする男なのです。キャーキャー!!

宮沢さんは、自分が大好きです。たとえば以前、ファンクラブの会報か何かに、旅先のホテルの部屋の鏡を使って自分撮りした上半身裸の写真が使われたことがありました。いったいどんな顔をして会報の編集スタッフに「俺が撮ったこの写真を使いなよ、ファンの女の子たちが喜ぶから」とこの一葉を手渡したのだろう……中学生当時の私は呆れ果ててしまいました。が、次の瞬間それを子供部屋の壁に飾っていました。ちなみに私さっきから宮沢の裸体の話しかしていませんが、それが女子にモテるということです。そうして宮沢さんは、わざわざ新しいバンドを作ったのに元からあるバンドの曲を歌い、元のバンドでは他のユニットのために書いた曲を平然と演奏します。彼にとってバンドやユニットやソロの線引きはなく、ただ「俺の持ち歌」という発想しかないのです。貴様はジャイアンか。しかし人間、そのくらい自信家であるほうが「モテ」るのかもしれません。お世辞にも美しいとは言い難い目鼻立ちであるにもかかわらず、どの角度から見ても壮絶にエロティックで、飛んでくる汗を浴びただけで妊娠しそうなほど官能的、そうしてあんなに小柄なのにステージではむちゃくちゃ大きく見える、それもこれも、あの割れた腹筋の奥にある内燃機関で絶えず生成されている自燃性の「モテ」オーラの力なのだと思います。きみの顎のほくろを見上げる角度から眺める宮沢さんの芸術的なまでに美しい下顎角は、日本の宝です。キャーキャー!!

私は、宮沢さんの放つあの魅力こそ、「モテ」の定義そのものだと思っています。モテたい一心で書いた「島唄」「風になりたい」が世界中で歌われ教科書に載るほどのヒット曲となり、モテたいと強く願う気持ちが憧れの矢野顕子と一つ椅子を分け合って座る夢の共演を果たし、混迷を極める日本音楽業界において一番モテる道を考えた結果が「手紙」……そう、「モテ」はきわめて不純な動機でありながら、とても純粋で高潔で人々の胸を打つ、素晴らしいアウトプットをも可能にするのです。俺の大好きな自分がモテるためなら何でもする、そんな彼のパフォーマンスを指さしてゲラゲラ笑いながら私は、心の底ではいつもいつも深く敬服しています。「他のものに夢中になるくらいなら、俺に夢中になりなよ」と歌う初期の曲、「たしかに俺はモテるけど、でもきみだけに愛されたいんだ」と歌う中期の曲、「20年越しで焦らしプレイしてきたけど今も変わらずキャーキャー言ってくれるかい」と試すかのような最新曲、どれも素晴らしいです。とにかく歌詞の内容が全部「こっちを向いてよ」なんですよね。かわいいニャー。そして私は、「晩年 サヨナラの歌」を始めとする彼の命を粗末にした仮想自殺ソングのカタルシスがなければ、10代のうちに世を儚んで自分の命を絶っていたかもしれません。思春期女子の代わりに何度も何度でも音楽の中で耽美に死んでみせてくれるロックスター。すなわち宮沢さんのモテ願望から生まれた楽曲が、めぐりめぐって私の命まで救ってくれたというわけです。ありがとう宮沢さん、ありがとう「モテ」の権化……。

不特定多数の異性からキャーキャーゆわれるために、自分から進んでカッコ付けること。カッコ付けて似合う自分になるべく不断の努力を欠かさないこと。全身全霊でモテを楽しみ、いついかなるときも、モテる者の義務(ノブレス・オブリージュ)に忠実であること……。すなわち「モテ」とはステージにおける宮沢和史のような状態を指し、私の定義する「モテ」とは宮沢和史その人のことです。世の中いろいろなミュージシャンがいて、それぞれに老いたり枯れたりしていますが、あの人だけはつねに一番大きな自作の「モテ神輿」に乗っている、そんなイメージですね。おだてるとどんな高いところへも登ります。たとえこれから孫のできる年齢になっても、ジャンプしたとき股開きすぎてタイトなボトムスがビリリと裂けてパンツが見える、10年前と同じスピンを決めようとしてステージ中央で盛大に軸足がブレてコケてメンバーから避けられる、大阪ミナミで「B’zの宮沢さんですよね」とサインせがまれたことを根に持つあまり恨みつらみを新曲に書いて歌い継ぐ、そんな宮沢さんでいてほしいものです。キャーキャー!!

そうして、近年よく耳にするようになった「不特定多数にモテたって仕方がない」という言説は、私は、負け犬の遠吠えだと思います。モテたい一心であそこまでの偉業を成し遂げてきたあの宮沢さんを前にして、同じことが言えますか? 私は言えません。ああいいな、私もMIYAみたいにモテたいな、ちやほやされたいな、照れる高野寛を抱き寄せて髪にちゅーしても誰からも文句言われないどころかキャーキャー騒がれるくらいの人間になりたいな……そう思うばかりです。宮沢ー!! 俺だー!! 重婚してくれー!!