2017-11-05 / 今日の1800字「繰り返す練習」

先日からまた、ドローイングワークショップに通い始めた。金曜昼、大概は弁当持参で学校に出向き、三時間ひたすらファッションモデルを描く。最初の一時間くらいは「素体」でウォームアップ、ボディスーツのようなぴったりした服のモデルが1分2分でどんどんポーズを変えるので鉛筆クロッキーが精一杯。途中からは「ガーメント(衣服)」といって、ボディラインの隠れた着衣状態で、布と体の関係性を確かめていく。通常は3分くらい、最大でも5分。こちらには着彩する余地もある。ファッションドローイングの宿題が終わらない落ちこぼれ学生は補講として、技能の高い学生はさらなる鍛錬の場として、単位にならないこの授業に熱心に出席する。「参加無料で一流モデルが描ける」ということで、私のような卒業生、本職のイラストレーターやファッション科の別の先生なども来たりする。

キチ先生は人体をボックスに分割するメソッドを使って、まったく絵の描けない子でも、プロとしての必要最低限に至るまで徹底的に指導する。1年生は「服なんて百年早い!」と、ひたすら箱人間だけを描かされる。フリルやドレープの表現、マーカー塗りを教わるのはずっと後。「諸君はイラストレーターではない、あくまでデザイナーである。共同作業者に設計図を伝えるヴィジュアルランゲージとしての画が描ければそれでいい」というのが指導方針、描き順も厳格に決まっていて、お習字教室みたいだ。

一方の私は「形は十分に取れているから、好きに描きなさい」と言われている。顔にズームしたり、いきなり面を捉えたり、重心をとるのに苦労している子の横で、紙面に風を吹かせて反重力っぽく描いたり。「グラフィックのヒトはこうやるよね、でもファッションなら、こう」と指導の比較対象に挙げられることもある。今まではデッサンかマンガ風にしか描けなかった人体を別のデフォルメで描けるようになった。ファッション画の核は「10頭身上等」かつ「ポージング命」。そんな意識で人体を描いた経験はなかったが、慣れると気持ちいい。

通えば通うほど、「反復練習の効果が出ているな」と思うことがある。1年前よりも迷い線が減った。線を引きながら次に足す色(=面)について考えを巡らす回路も開いた。細部の失敗を全体の見栄えで誤魔化すのも上手になった。失敗をおそれずにアナログで色を塗る度胸も、紙面全体の構図を考える計画性も、ずいぶん会得した。過去に描いたもののどこがどう下手なのか、客観視できるまでの時間が短縮された。下書きのような絵を人目に晒すことにも慣れた。数十枚描いたうち、いいなと思えるものはほんの数枚で、それだけを手元に残してあとは全部その場で捨てる。その潔さも訓練で身につくものだ。「金曜午後は、初心に戻って学校で絵を描く日」と決めることで、一週間のリズムもできた。これもとても大事。

手が眼の解像度を高め、眼の解像度が高まると、手も早く動かせる。深く考えずにササッと線を決められるようになれば、そのぶん、同じ2分間3分間の中で「考える」時間を長く取ることができる。この時間配分こそが、いわゆるクリエイティビティの肝である。眼前のモデルを捉えるのに精一杯のうちは、そこに自分のアイディアを足していくのは難しい。文章を書くのも、立体物を作るのも、歌や楽器演奏も、プログラミングも、同じだろう。

不思議なことに、デジタル作業をしている過程では、こうした「効果」は体感しづらい。ベジェ曲線を引くのが早くなったな、と気づいてもここまでの悦びはないし、自動化できない細かな操作を手で片付けているときなど、苛立ちのほうが優る。物理的に紙と向き合い、取り返しのつかない線を引き、ヤレをゴミ箱に捨てる、体を使った感覚が、重要なんだろうと思う。

同じ時間に同じ分量でずっと同じことを続ける、毎回の変化は小さくても大きな自信を得る、という意味では、ジムで筋トレをするのにも近い。私はこうした地道な反復練習が昔から大の苦手なのだが、絵を描くことは好きで、新鮮な悦びが続いている。同じことを、英語学習とか、目的を決めた勉強の読書とか、他の(苦手意識のある)ことに応用できるんじゃないかとも考える。そのときのポイントは「体を使う」ことだ、と発見できただけでも、通い続けた価値があった。今こうして字数を決めて日記を書いてみるのも、この授業がヒントになっている。

2017-10-19 / 絶やさない

このところ在宅作業が続いていて、日記を書くモチベーションがまるでないのだが、「日記をやめる」ことができない、という感じの病に罹患し続けているので、何かしら書く。絶やさない。何もしないけど絶やさないことだけをする。

10月8日は「Elsie Fest 2017」というフェスに行ってました。ダレンクリス主催、セントラルパーク開催、「ミュージカルオタクのためのワールドハピネス」という感じの規模。いや、盛った。規模は京浜ロックフェスティバル。究極のインドア派であるブロードウェイオタクたちが集って「ドレミの歌」で大合唱したり、アランメンケンメドレーに狂喜したり、そんな音楽イベントです。基本的にノリは「再結成だよ! 『Glee』ファン感謝祭」であり、私はちょっと正直そこには乗り切れなかったんだけど(だって隣で大号泣してる子とかいるんだもん……じつは全話観てないとか口が裂けても言えんわ……)、隅々まで本当に楽しかった。夏っぽいイベントはもうお腹いっぱい。打ち止め。

13日の金曜日、ファッションドローイングワークショップのあと、QUADシネマで映画『TOM OF FINLAND』を観る。夜はミッドタウンに移動して、「Basso56」という店で11月に登壇する講演会の打ち合わせ。『TOM OF FINLAND』はもしかしたら今後、日本語字幕付き配給上映がないかもしれないと思って慌てて観に行ったのだが、フィンランド語のパートが多く、そこは英語字幕がつくので、とても観やすかった。そうか、ヨーロッパの映画とか、もっと映画館に観に来ればいいんだな、英語字幕ついててアメリカ人も英語字幕で観るんだから。と当たり前のことに気づく。最初の二年間はそんなこと考える時間もなかった。映像が美しいんだけど、お話はとてもベタに作ってあって、私はそのベタさがとても好きでした。マイノリティとアメリカ、祖国と約束の地、死と未来。『アリージャンス』のことなど思い出す。

14日はパーソンズ美術大学の同窓会と称して、総勢7名の宴会。「Tableside」でハッピーアワーのグラスワインを飲み、「UpState」で牡蠣を2ラウンドしてフェトチーネで〆、「Vaci e Vendetta」でダラダラ二次会のち、0時閉店間際の「Van Leeven」に駆け込んでジェラート食べるという、イーストヴィレッジのはしごフルコース。大人数で「UpState」なんて狂気の沙汰だと思ったが、6名席までなら意外と行けた。「Vaci」は架電など不可能なので、会計後にダッシュで先回りして円卓席を確保、他のメンバーにはLINEで位置情報送って追いかけてきてもらう。ということをしたんだよ、と夫に言ったら「編集者という病……!!!」と爆笑される。まぁたしかに、なんで私が後輩たちのために走り回ってアテンドして「接待」してんのかよくわからん。でも「Still House」の前辺りを走ってるとき、CM撮影の現場に入ったとき以来の「わたし、生きてる……!」という実感に襲われたので、まぁ好きでやってんですな。全員から「どの店も美味しくて、いいエリアですねー」と言われたので「接待」大成功、満足である。だが「Vaci」はオペレーションが最悪だから土曜の夜でも必ず空いていると踏んだだけで、事前に予約さえ取れたならもっといい店はいっぱいある!

「Van Leeven」のパンプキンスパイスは、「スーパーヒーローに、変!身!すぅ!る!」(by小沢健二)と歌いたくなる味。昔も書いたかもしれませんが、ハロウィーンって結局、コスプレパレード以上に「香り」と「味」だよなぁ、まぁ、クリスマスも突き詰めるとそうだけど、クリスマスについては終了後も余韻が長く(なんなら冬の間じゅうずーっと)続くので、ハロウィーンとサンクスギビングをテキパキ過ごしながら期間限定フレーバーを早めに堪能するというのは、この国においてとても貴重な、季節を感じられる行為。

どこででも話しているのは、「女が性を語ること、女が女の手によりメディアを編んでそれをブロードキャストすること、すべてが社会の意識変革につながると信じている」というようなこと。そんなの当たり前じゃん、と言われるかと思いきや、日本語でも英語でも、まだまだ伝わらない部分が多くて歯がゆい。先日、ある日本人女性から「セックスの話は、夜に酒を飲まないとできない」と言われて、大変カチンと来た。仲の良い相手だから思わず声を荒げて、「昼日中からセックスの話ができないのはなぜなのか、あなたにそれを『できない』と思わせているものの正体は何なのか、胸に手を当てて考えてみてほしい。『婦人公論』の編集者だった頃から、『オトコのカラダはキモチいい』の文庫化作業をしている今まで、私はずっと、その『何か』と戦い続けている」と答えた。いつか伝わると嬉しい。そんな気持ちのなか、はるばる日本から川上未映子責任編集『早稲田文学 女性号』をようやくゲットしたので、これからじっくり読ませていただきます。



昔やって全然うまくいかなくてやめてしまった「tweetのよりぬき」でもしてみましょうか。クリックするとそれぞれのスレッドに飛んでいって、ちょっと引くほどの長文が読めます。秋の夜長にどうぞ。

▼一般人の承認欲求が加速し続けるとどんなババアが生まれてしまうのか想像もつかないという話。

▼池上線が無料乗り放題になったときの五島帝国臣民(東急電鉄沿線住民)の話。

▼BLの話。昔、「BL苦手な腐女子」を名乗っていたことがある。今も気持ちはあまり変わらない。

▼最近、自称オウンドメディアから目を疑うような依頼が増えていてその「裏」を想像した話。

▼日本人女子が海外で受けるナンパについての考察。

▼岡村靖幸が(意外にも)息が長くずっとかっこよく居続けているという話。

▼秘密選挙と、投票行動をSNSで書くことについて。

▼オタクあるある、としての「二次元限定性癖」の話。主に近親姦について。

▼HIPS「夜をぶっとばせ」が、『オトコのカラダはキモチいい』の原点だったのでは? という話。

▼「登場人物として神の設定に背く」のは楽しい、という話。

▼「VR技術に期待すること」と「面白さ」の難しい関係。

▼ストリートスナップを受けて咄嗟にポージングするのは無理ゲー、という話。

▼精神科医と、精神疾患治療中の18歳女性との性行為は「醜聞」か? という話。

▼「死んだら書簡やゲラよりもtweetを有難がってほしい」という話。

▼骨格診断から、おしゃれ日米比較のような話。

▼Adobe Senseiによって変わるのは「プロ養成学校の教師(せんせい)」、という話。

▼ヤンキース田中の通訳の話。

▼愛し愛されて生きる帝国劇場と石川禅、という話。

▼「CDを聴く」行為のボーホー性を、ボーホーでも億劫がるようになる、という話。

▼ジュリー下戸さんがヴィトンの財布を買ったので、私も買い物の話がしたくなった話。

以上。どれもちょっとしたコラムくらいの長さがあるんだから、全部ブログに書けばいいのにね。でもブログにいちいち書いてる暇がないくらいには、目の前のことに貧乏暇無しなんですよ。本当に。

2017-09-04 / フリーランス1年生

■サイト更新について

またしても数ヶ月のご無沙汰、皆様いかがお過ごしでしょうか。前回更新時、フィードが不調と書いたのですが、記事のアーカイブ構造がガタガタになっていたことに気づかず放置したまま4ヶ月近く経ってしまいました。申し訳ない。パーマリンク設定をいじるのと同時に、要らんプラグインを入れたり抜いたりしたのがまずかったみたいです。公式サイトとは名ばかり、本人がWordpressでシコシコ作っているので何卒ご容赦ください。子カテゴリのリンク(当ページでいう左側の赤文字の幾つか)が稼働してない不具合は確認しています。その他、過去記事などのリンク切れがあったら教えていただけると助かります。本当はもうちょっとブログっぽい作りにして、もっと気軽に更新したいのだけど、そういうのは TwitterInstagram でやっています。

これを機に、今まで自動生成していた記事一覧を捨てて、ゼロから作り直しました。 ここね 。じつは私、2012年以降、仕事の全容をどこにもまとめていなかったんですね。正確に言うと、何か露出があるたびブログをこまめに更新することでそれに代えようとしていたのだが、結果はご覧の通り……。なので、一念発起して新規スプレッドシートを作成したよ。毎年の確定申告や年賀状送付のときにやるべきアレです。昔はスケジュール帳を見れば一目で把握できたんだけど、2015年に同じスケジュール帳で大学時間割を入れるようになってから、いろいろ崩壊したよね……。とにかく、見栄えよく自動生成すると自分でもそれが絶対だと思ってしまい、うっかり抜け落ちた情報に気づけないのがマズい、というわけで結局手動で並べ直しました。21世紀とは思えない。こちらも、手作業につきまだ完璧には反映できていないのだが、指差し確認しながら徐々に手を入れていきます。それにしても、2012年ってもう5年も前なのか。年取るわけですな。

■近況について(日本フリーランス5年生)

日本語圏では、一番大きいのは『オトコのカラダはキモチいい』の増補改訂版文庫を刊行すべくあれこれ計画中です。フライングで書誌情報が出てしまったようだが、さすがにあの刊行日程では出ないかな。で、ご注目いただきたいのは、文庫版が出てしまうということは、親本を購入することができなくなることを意味するんですね。雲田はるこさんの美しい装画にくるまれた、大きなサイズの単行本、在庫僅少となっております。買うなら今です。ここから!!!! あと外国語翻訳版のオファー、引き続きお待ちしています!! 私が英語で自己紹介すると一番食いつかれるのがこの本の詳細です、自慢じゃないけどめっちゃ需要あると思います!!

『オトコのカラダはキモチいい』(2017)

また、「キノノキ」で『天国飯と地獄耳』が再開して、今のところ順調に連載しています。もともと紙の雑誌『新潮45』に連載していたものですが、もう少し原稿がたまったら書籍にする予定。あとは、講談社「現代ビジネス」やKKベストセラーズ「BEST T!MES」などにも不定期で寄稿しております(本当は定期でなければいけない)。それから、「cakes」で秋から新シリーズの連載を準備中。そして「note」も整備して、有料コンテンツ始めようと思っています。しばらくお待ちください。『女の節目』書籍化が止まっているのはそろそろマズい。というのと、あともう一つ進行中の企画もある。「学校が!」という言い訳はもうきかないので、2015年夏からもろもろ滞っていたものを再スタートさせたいところです。

■近況について(米国フリーランス1年生)

今年5月の大学卒業からいろいろありましたな……。まず、二箇所勤めていたインターン先のうち、一つを円満退職して、一つとフリーランス契約を結びました。よそからもちょこちょこ臨時の声掛けをもらっては、新人グラフィックデザイナーとして活動しています。アパートメントの契約更新もして、幸い恐れていたほど家賃も上がらなかったので、もうしばらくはニューヨーク拠点で働きながら暮らす予定。「住むからにはアメリカ社会に爪痕を残す」が目標だったので、無署名とはいえ、手がけた仕事が実際に世に出ていくのは嬉しい限り。学生時代とはまた別の充実感があります。

学生ビザで米国滞在している留学生たちは「OPT (Optional Practical Training)」といって、大学卒業後、専門技能に関連した仕事に就くことができる。というか、これはむしろ「学業の延長線上で実地研修を積む」ための制度で、あくまでも学生ビザの本分「学業」の一環である、特別な就労許可となる。詳しく正確な情報はググッていただきたいのだが、「卒業したのに無職のまま滞在」も、「留学内容と無関係な就労(飲食店でバイトするとか)」もNGで、最悪は強制送還だと脅される。つまり、世界中から集まってきた留学生たちは「デザイン学部から発行される学生ビザで渡米したら、卒業後の期間は何かデザイン関連の仕事をしていないと米国にいられない」わけだ(※だいぶ意訳です)。一方の企業側はといえば、安い労働力として学生を雇うのは大歓迎。とくに留学生たちは就労期間を途切れさせるわけにはいかないので、たとえ無給でもインターンの口に飛びついてしまう。それがわかっているから、大手インターン求人サイトにある大企業の募集条件は、ほとんど無給のものばかり。ウチの社名を履歴書に刻めるだけ有難いと思えよ、という感じで、なんとも足元見られているんだよなー。(これは留学生のみならず、米国人学生も同じ。実態を目の当たりにすると、大手広告代理店やテレビ局、超有名ファッションブランドなどでインターン経験アリ! と言われても、フーン、と地蔵のような微笑みしか出ない。法曹界とか金融界とかはまた違うんでしょうが。)

で、以前書いたチャイナタウンのデザイン事務所は、プレイングマネジャーである社長のほか、正社員が2、3名いるほかは、全部で何人いるのかもわからないほど大量の「無給インターン留学生」を受け入れて人件費リスク皆無で回している職場だった。少数精鋭の経営者&社員が有象無象のバイトたちのシフトを組んで回すのは日本のコンビニや飲食店と変わらないだろうが、バイト相当の学生がほとんど全員無給なのは日本では考えられんよね。交換留学で来て下宿の決まってないフランス人とか、地下鉄の乗り方もわからないようなインド人とかをホイホイ雇って機密保持契約を結ばせ、ポートフォリオにも載せられないような作業に従事させ、新学期になったら辞める子たちの人数分また新しい子たちを採用し、なかなかにタコ部屋感があった。ちなみに私は英語には難ありだがビザ問題がないので、もう少しはマシな待遇だった。同じ待遇の米国人学生が一人いて、英語にもビザにも問題がないのにこんな職場で働いているということはそれは技能のほうに問題g……というか、在学中に結婚が決まって愚直に手堅く宮仕えの空きを狙っているという例。数少ない正社員のうちデザイナーはブラジルと韓国出身、英語ネイティヴではないが仕事の打ち合わせに支障ないという感じ。私の次の目標このへんか、と勉強になりました。

もう一つの会社は今年2月に創業したてで猫の手も借りたいベンチャー、インターン期間の終了と同時に正規雇用してくれるという約束になっていて、ウキウキしながらこちらから諸条件を提示したのだが、……「その金額では出せない」と言われたね……。ニューヨークの物価と、私の過去の職歴と学業実績(一応は首席卒業扱い)を鑑みたら妥当、むしろ良好な関係を築くためディスカウントしたつもりだったのだが……。日本相手の「副業」をやたら奨励してくれて喜んでいたら、どうも「腰掛け程度の賃金で働ける奴」と思われていたようで、結構ガッカリ。試用期間が長すぎたのかな。とはいえ、無い袖は振れぬのならば仕方ない、とフリーランス契約を締結。一応まだ籍を置いていて、固定給は出ないけど、呼ばれれば働いたぶんだけもらえる。ここはプロジェクトベースで動いていて、学生寮や音楽フェスティバルのトータルブランディング、新規開店する飲食店のコンセプトワークなどなど、建築家や映像作家とやりとりしながら、デザインだけでなくスタイリングとか何でもかんでもやる。たとえば自分の担当案件ではない お酒のCM映像 に、現場で手がすいてるという理由でモブ出演したりもする。笑。

並行して、あちこちで好条件の求人を見つけては応募して断られるの繰り返し、「うそ、私の希望年収、高すぎ……!?」(AA略)と不安になっていたのだが、そういうのって大半が経験者採用かつフルタイムでいきなり部下とかつくような役職なので、冷静に考えると全然向いてない。我ながら経歴が異色すぎて面接もその話で終わってしまうしな。もし私が20代そこそこの大企業の人事採用担当だったら「37歳、社会人学生、兼業著述家(ただし日本語に限る)」とか、得体が知れないからそっと落とすよ……。でもまぁ、会員制求人サイト「WNW(Working Not Working)」 (日本語記事だと ここ に言及されていた)の審査通過してからは、ぽつぽつ話が来るようになった。今のところ提示条件が断られたこともない。これはWNWサマサマなんだろうな。

渡米した頃から「日本語圏でフリーランス、英語圏でサラリーマン」という二足の草鞋が理想形で、大学在学中の就職活動もそこを目指していたのだけど、米国では社員でも容赦無くクビになり日本でいう「正社員の安定」とは程遠いという話も聞く。日本とはずいぶん雇用形態や待遇も違うので、フリーランスのままでもなんというか「サラリーマン感」はある。たとえば、私を臨時雇いしてくれた毎日常勤しているスタッフもまた、その会社の正社員というわけではなく古株のフリーランスである、ということが平気で起こる。みんながみんな「うちの職場」という物言いで、同じ釜の飯ならぬ同じデリバリーのピザを食い、決められた時間、決められた給料で、名前の出ない仕事に従事する。LinkedInでは「会社員」ということになっているが、ポートフォリオサイトでは「アーティスト」と名乗っていたりもする。ちょっと暇になってきたらよそで職探しをして、条件がよければそちらへ移り、どうも二度とここへ帰ってくる気はないようだと察されたところで「転職」扱いとなる。社員になりたい! 職業安定したい! と吠えていた舌の根も乾かぬうちに、「定収入」にさえこだわらなければこれはこれで気楽でいいのかもな、とも思い始めた。

この揺れ動く心境、数年後に読み返したら、「日本人っぽいー!」とゲラゲラ笑うのかもしれない。どうなるかわからないけど、現状メモ。つい最近まで目標が「採用初日にクビにならないこと」だったのだが、どこへ行ってもさすがにそれはクリアするだろうという感じの今は、「評判を得て継続して仕事がもらえること」が目標で、その次は「ネイティブと同等の条件で働けること」になるだろうか。雇用形態が正社員か否かより、こうしたステップアップが着実にできるかどうかが問題という気もする。

2016-11-24 / 雨宮まみさん

 雨宮まみさんについて考えるときいつも浮かぶイメージがある。2011年の年末、初の単著『女子をこじらせて』の刊行に合わせて彼女は、「こじらせカフェ」というゲリラサイン会の告知をブログに投稿した。「特定の日時に喫茶店のテーブルに目印を置いて佇んでいるので、声を掛けてくれれば著作にサインをする」というものだ。

 新刊を買ってカフェへ赴くと、雨宮まみが一人でお茶を飲みながら私たちを待っていてくれる。書店や出版社の仕掛けるフェアとは異なり、彼女個人が一対一で、読者とサシで向き合う。面白いことを考えつく人だなぁと思い、当時勤めていた職場のパソコンでブラウザのタブを開きっぱなしにして何度も読み返した。誰が来るかわからないところにたった一人で立って、何が飛んで来ようとも「個」として受け止め、すべてをその場で打ち返す。そういう仕事を有言実行する人は、多いようで、じつは少ない。

 直接ご一緒したときの楽しい思い出以上に強固なイメージとして、私の頭の中にはずっとこの「不特定多数の訪いを待ち受ける雨宮まみ」の想像図がある。行ったことのない町田の喫茶店の、二人掛けのテーブルが、格闘技のリングのように思い浮かぶ。まるごと真似しようと思ったわけではないし、逆立ちしてもできっこないのだが、それは会社を辞めた後、私が「個」として世界と向き合う際の、お手本の一つだった。


 出版社勤務を経て文章を書く仕事を始めた、という経歴だけなら似ているし、時々ものすごく大雑把に一つに括られることもあったが、それはろくに顔を見比べもしないで姉妹を「似てる」と言うような無礼さであって、雨宮さんと私とは当然まるで違う。同じブランドで買い物をしても選ぶアイテムがこんなに違う。同じスタジオでプロフィール写真を撮っても仕上がりがあんなに違う。同じタイミングで同じ男を好きになっても、惚れた理由や愛し方がまるで違う(※ダグラス・カイエンのことです)。

 一緒にイベントに出演するとき偶然にまったく同じ赤いドレスを衣装に選んだことがあり、お揃いで真っ赤な口紅をつけようね、と示し合わせたのに、私が持参した口紅はクリアなツヤ感あるもので、まみさんはみっちりマットな女優っぽいやつだった。「これは私よりも岡田さんのほうが似合うだろうから」とアクセサリを譲ってもらったこともある。たしかに雨宮さんのテイストとは似て非なるもので、そして私には意外とよく馴染んだ。こんなにまるっきり違う人と、それでも幾つか共通点があるのは、大変喜ばしいことだと思っていた。

 直接親しくなった後も、私にとって雨宮さんは「待っていてくれる」人だった。集合時刻に遅れて文字通りお待たせしたこともあるけど、もうちょっと概念的なもの。対談中、次の発言がばっちり用意されているのに、こちらがとりとめもない話を終えるまでじっと待っていてくれる、とか。誰かと誰かを引き合わせる約束をしたら、全員の都合がつくまで忘れずに待っていてくれる、とか。

 あるいは旅先で買い物を頼まれたとき、雨宮さんに渡す包みが滞在中ずっとスーツケースに入っていて、彼女が東京でそれを待っていてくれるのが嬉しかった。同じ芝居を観て感想をシェアするのも楽しかった。彼女のほうがフットワークが軽いので、一緒に観るとき以外は大抵、私が待たせることになる。とあるタカラヅカの夜公演を観に行ったら、同日の昼公演を観終えた雨宮さんにお茶に誘われ、興奮気味に「んもう、今すぐ観て!」と急かされ、「ええ、今すぐ観ます」とツッコんだことがある。

 今年7月の東京出張中、またしても「今すぐ観て!」と薦められ、東劇でシネマ歌舞伎『阿弖流為』を観た。終映後、建物の外に出て、あー、これ早くまみさんと語らいたいなー、とスマホでメッセンジャーを開いた瞬間、万年橋の向こうからバッチリおしゃれした雨宮さん本人がつかつか歩いてきた。高らかに「ラブ・ストーリーは突然に」のイントロが流れるほど完璧な絵だった。たった十日間の一時帰国でこんな偶然って起こるだろうか、あまりの運命的な出会いに取り乱してキャーキャー騒ぐ私と対照的に、彼女はおっとり笑って「私、連日来てるからさぁ」とサッと夜回のチケットを買った。ちょっとだけ立ち話をして、いくつか先の約束をして、「また、日比谷かブロードウェイか、どこかの劇場前でね」と別れた。私にとってはそれが最後の挨拶なので、たぶんいつまでもいつまでも、とくに東京宝塚劇場のロビーの人混みに、ずっとまみさんを探してしまうと思う。


 私は彼女を待たせっぱなしだった。必死で追いかける局面もあったけど、私のいいかげんさが彼女のひたむきさに追いつくなんて到底不可能なことにも薄々気づいてはいた。多少モタモタしても彼女は余裕で待っててくれるだろうと、甘えていたところもある。あまりに激しく回転しているから、まるで静止しているように見えていた。facebookを開けばいつも彼女の更新がタイムラインの一番上に来ていて、大学のクラスメイトより頻繁に会っているような気さえしていた。
 まみさん、なんで死んじゃったの! 次帰ったときごはん行こうって言ったじゃない! 生誕40年記念祭の話を聞くの楽しみにしてたのに、40歳で死ぬってなんなん!? と言ったら、「ねー、あたしもびっくりだよー!」とからから笑いながら返事が返ってくる、気がする。それもまた私の脳内にだけ描かれた美しすぎる幻である。そんな勝手な「想像図」に満足してないで、なんでもっと自分から動いて彼女に会いに行かなかったんだろう。何度でもそう後悔するんだが、私はいつでも、回転が遅い。

 書籍化を前提とした連載、始まったばかりの新企画、ぷつりと途切れた近況投稿、どれを見てもまるで信じられない。もしも自分で自分の人生の幕を引くとなれば、あの人は全部の後始末を執拗に完璧にばっちり終えていくだろう。芸能界を引退する歌手がステージにマイクを置くみたいな、ああいう派手なセレモニーやるでしょう。いやー、ないでしょう、ないない。遺言状の準備はあったらしいけど、もしものことがあったらパソコンのハードディスクが自動的に爆破消滅する装置くらい仕込みかねないでしょ、デミフレアナパームぶっぱなしたいよねって言ったじゃん。これはない。こんなのってない。らしくない、全然、らしくない。「うっかりかよ!」とツッコミを入れることしかできない。

 東海岸時間で16日水曜深夜、訃報を聞いてすぐ、親しい人たちが一様に口を噤んでいるところへ、奇妙な文面のネットニュースがいくつも流れてきて驚いた。Twitterではそれが拡散されて大騒ぎになっていたけれど、俄かには信じられなかった。あんなに葬式を嫌がっていた人が突然亡くなって、公式発表が出るまで伏せておいてほしいという近親者の意向とともに伝わっているのに、なんでもう軽々にその死が何かの象徴のように報じられ、バーチャル通夜会場で評論の対象になんかなっているのか。信じられない、こういうの大っ嫌い、どうして静かにできないの、冒涜じゃないか、口先ばかりご冥福をお祈りしている連中は本当に彼女の書いたものを読んだことがあるのかよ。と、ものすごく腹立たしい気持ちになった。

 今まで便利なインターネットに甘えていたぶん、他でもないインターネットに手ひどいしっぺ返しを喰らった気分で、電話やメールといった内向きに閉じた連絡手段で共通の知人と話しながら、親指がずっと雨宮まみのトップページをリロードしていた。雨宮まみの急逝について私がモヤモヤ抱えているこうした憤りを、まみさんならもっと的確に言語化してくれると思ったからだ。朝5時まで一晩中リロードし続けたけれども、どれだけ待ってもまみさんの更新はなかった。あっそうか、本人が、死んじゃったからだ。と思い知るのに半日以上かかり、その間に彼女は荼毘に付されていたらしい。この目で見られなかったし、全然実感がない。


 それで、これはどこに向けて書けばいいのかわからないけれど、インターネット上に残っている雨宮まみさんの痕跡が、これからもずっと残されたままだといいなと思っている。「超いい表情だから絶対アイコンにすべき!」と言った写真が使われている、このプロフィール画面を私はまだまだ見ていたい。何か素敵なものにふれて感極まって検索したらずっと昔に誰より早くものすごい熱量で考えられる限りの感想をすべて書き尽くした記事を発見し「またid:mamiamamiyaか!」と何度でも打ちのめされたい。いつも新しく素敵な人たちを次々に紹介してくれて、先日もそのうち一人とニューヨークで献杯したのだけど、私と彼女のfacebook「共通の友人」欄には、ずっとまみさんが燦然と君臨し続けていてほしい。「最初の出会いってたしか2008年で、高河ゆんが描いた『CAROL』の下敷きでしたよね?」と思ってぐぐったら、こうしてすぐに当該tweetが見つかってほしい。

 遺された者の勝手な思い込みや想像図にまさる姿は、本人が書いた一字一句の中にしかない。たとえ出版社の刊行物が絶版になっても、アカウントは「個」のものだ。新規更新の停止が仕方のないことならば、過去ログだけでもソースを眺めていたいし、トラックバックを飛ばし続けたい。もう死んじゃった人に「消えないで」って言うほどアホみたいなことはないし、「私の胸には今も生きている」といった表現でしかない表現もあまり好きじゃない。でも街角でばったり会えないならせめて、インターネットで待っていてくれよ。

 吐き出さずにいるとこのまま美しい妄想の「イメージ」が上塗りされていくばかりで、実際には行きもしなかった2011年の町田の喫茶店にだって、行って会って人生相談でもしたかのような錯覚までおぼえてしまう。でも一方通行のまま「個」を「個」として受け取っただけなんだよね。しなかったこと、伝えなかったこと、そんなものの美しさにこんなに簡単に屈するんだったら、じゃあ物を書くっていったい何なのよ、と、私まで消えてしまいそうな気分になったので、今はわがままに自分の書きたいことだけ書き残しておきます。寂しいです、とても。

2016-11-08 / 大統領選

 水曜日と金曜日は、徒歩20分ほどかけて13丁目の校舎へ登校する。火曜日と木曜日は、少し遠い16丁目の校舎へ登校するので、少し早めに出て地下鉄を使う。一駅乗って、ユニオンスクエア駅で下車。16丁目寄りの出口を出ると、地下通路の壁にはびっしりポストイットが貼られている。11月8日の大統領選はドナルド・トランプが勝利した。多くのニューヨーカーにとって「まさかの」結果である。これからの四年間に何が起こるのか見当もつかない。怒り、悲しみ、恐れ、不安、人々がそれぞれの思いの丈を付箋に綴って貼り付けていく。「サブウェイ・セラピー」と呼ばれるこの営みは、選挙結果の確定した9日から市内のあちこちで自然発生的に始まった。地上へ上がるとそこはユニオンスクエアパーク、古来さまざまな抗議デモ集会の発着点として機能してきた公園である。

 16丁目の校舎に向かう道すがら、ヒラリー・クリントンの横顔をかたどったステンシル・グラフィティが地面に残っている。選挙当日の11日8日も火曜日で、朝の登校中に見つけて写真を撮った。「Madam President」と銘打ったこのステンシルは学校周辺のあちこちに出現しており、私以外にも写真を撮る人が大勢いた。革ジャンを着たカップル、杖をついた老婦人、休憩中の厨房スタッフ、スマホを構える誰も一様にニコニコしている。その夜、女性初の大統領が誕生することをみんな信じて疑っていなかった。

 火曜はいつも21時40分まで授業があるが、その晩の講義は1時間半早く切り上げられた。秋学期の初めからヒラリー支持のピンバッヂをつけていたクラスメイトは学校を休んでジャヴィッツセンターへ行っていた。構内のラウンジではプロジェクターで開票速報が大写しにされ、パブリックビューイングの準備が整っている。みんな気もそぞろで授業どころではないのだ。一方で、誰かが「まだ20時過ぎじゃん、飯でも食って帰ろうぜー」と誘うと、何人かが従っていった。歴史的瞬間を見逃したくないので、私はまっすぐ家に帰った。あとの体験は、世界中の人々と同じだ。

 毎週、火曜日と木曜日が繰り返されるたび、朝は同じ道を通り、みるみる薄くなっていく16丁目のステンシルを踏み越えて校舎へ向かう。あの夜、「飯を食って」帰った連中だって、選挙戦に興味が無かったわけではない。ただ、結果は見ずともわかっていると思っただけなのだ。去年の夏に東京から引っ越してきてからというもの、私はひたすら自宅と大学を往復するだけの日々を送っていた。朝9時から夜22時まで、校舎から一歩も外に出ない日もある。私が1年間ここで見聞きしてきたことはいったい何だったんだろう。それは「ニューヨーク」であって「アメリカ」ではなかったのだ。テレビの前で絶句しながらニューヨーク・タイムズの開票速報の針がぐいぐい傾いていくのをただ呆然と眺めていた。

 あまりのことに、とても宿題なんかする気になれず、水曜日は学校を休んだ。私以外にも欠席者が多く、講師もひどくショックを受けていて、まるで授業にならなかったそうだ。メンタルヘルスをやられた学生は健康課に行ってカウンセリングを受けろ、というメールが届く。誰も固有名詞は出さない。ただ「post-election」とだけ表現する。10日木曜日の授業は講師が30分以上遅刻してきたので休講。10分過ぎたあたりから腕時計を見ながら「こんな状況には耐えられない!」と悶え始め、荷物を掴んで教室を飛び出していったクラスメイトがいた。アメリカで生まれ育った白人の女子たちだ。「オバマがいなくなってしまうと考えただけで一晩中泣き通してしまった。Oh gosh, I’m f**kin’ love him!!!」と喉を詰まらせる彼女たちは、ユニオンスクエアパークの抗議デモ集会へ向かった。

 選挙権を持たない留学生たちは教室に残り、ただ黙々と手元の宿題を続けていた。私も当初は「デモより他にすることがあるだろう」と思っていた。いくらヒラリーの得票数が上回っていたって選挙結果は覆らないのだし、まだ就任後に何が起こるかも不明瞭な状態で抗議するのは筋違いじゃないのか、ただ不満をぶつけたいだけじゃないのか、と思っていた。しかし次第に考えを改める。愕然としているのは、公然と差別発言を繰り返す男がもたらす未来に怯える、被差別側のマイノリティだけではない。むしろ、若くてリベラルで裕福で高学歴な白人たちのほうが、よほどショックを受けている。いわゆる「勝ち組」として、この街で小さき者たちに寄り添い、持たざる者たちの分まで最大限ノブレスオブリージュを発揮し続けてきた彼ら彼女らのほうが、ずっと大きなショックを受けているようにさえ見える。心配。本当に心配。

 以前から言ってますがアメリカは「打たれ弱い」よなー……別に自分が打たれ強いとも思わないし、打たれ弱いのが駄目だとも言わないけど、幼い頃からアメリカというのはあらゆる意味で自分が所属するそれより無条件に「強い」集団なんだと思い込んでたので、露呈する脆さに面食らう感じ……。でも、私のクラスメイトって、たとえば9.11のときまだ別の州にいる幼稚園児だったとか、そんな世代なんですよね。これが初めてのアイデンティティ・クライシスだという子も少なくないのだろう。バーニーサンダースの熱烈な支持者もたくさんいた。アンチヒラリーを公言しながら、でも、大人と違って絶対にトランプには票を投じなかっただろう彼らが、今どんな想いでいることか。

 「おいおいなんだよー、頭のおかしな老人がトップ張る社会で個々にギリギリ生き延びながらなんとか社会を回してく、ってだけなら、私の出身国では日常茶飯事だよー!? 東京都ではこんな感じのおっさんが4期も都知事を務めたんだぜー!? いちいち凹んでらんねーだろ、お互い頑張ろうぜー!?」みたいに声を掛けてあげたいんだけど、誰も石原慎太郎のことなんか知らないし、何の慰めにもならない。あとはもう、次の四年で新大統領が「米長邦雄に連盟会長させてみたら一定の成果をあげたどころか意外とうまくいった」みたいな効果をもたらすことを期待するしかないよな。それで過去の振る舞いが帳消しになるわけではないし、思想に殉じて死ぬ人が出てくるとシャレにならないんですが。11日時点では、うちの大学にも、ポストイットで築かれた「嘆きの壁」が出現していたようだ。24日現在、まだまだ「壁」はポストイットで埋め尽くされている。

 12日、学生寮でとうとうヘイトクライムが発生した。ユダヤ系女子学生の部屋のドアに鉤十字が描かれたのだそうだ。他大学はさておき、うちの大学でそんなことが起こるなんて信じられない、というのが正直な感想だ。ハンナ・アーレントのお膝元でハーケンクロイツの落書きとは、悪ふざけにもほどがあるだろう。本当に、マイノリティが「権利」以上に、度過ぎた暴行や正当化されたリンチで「命」を奪われることのないように、と、そんな心配をしなければならなくなってきた。デモに飛び出して行ったアメリカ人の学生たちは、そんな事態を食い止めるためなら自分が死んでもいいくらいに思っているかもしれないが、ちょっと頭を冷やして地下鉄乗ってブロードウェイ行って『レ・ミゼラブル』でも観てくるべき、学生の革命ゴッコがどんな顛末を迎えるか思い知るべき、って閉幕しちゃったんだった! となると『ハミルトン』しかないな……。

 ちょうど、とある媒体から留学体験について記事を書いてほしいという依頼が来ていたので、大統領選の結果を受けてニューヨークシティがどんな雰囲気に包まれているか、「私が見聞きした範囲」だけに絞って書いてみようと思っています。続きはそちらで。