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ザ・インタビューズ転載日記(雑誌)

一番好きな雑誌は何ですか?どこに惹かれますか?



インターネットにおいて紙媒体の「雑誌」の話題をすると、なんだかとてもノスタルジックな気分になる。そのことに驚きと納得とをおぼえつつ、まずは思い出すままに「好きな雑誌」について書いてみたいと思います。

10代の頃は音楽雑誌ばかり買っていました。好きなものを一つ挙げろと言われたら『月刊カドカワ』です。数ある音楽雑誌の中からどれを購読するかによってその人物が「音楽」とどんなふうに接しているのかが見えてくると思いますが、私はいわゆるロキノン閥ではありませんでした。巻頭特集といえば2万字インタビューよりも「50の質問」「自作全解説」です。笑い声の応酬で行数を稼ごうとする談話記事には今でもイラリときます。そうして、たまに友達からヴィジュアル系専門誌の切り抜きなどもらうことがあると、内容よりも、グラビア用紙の斤量と発色の良さに驚いていました。未来人から総天然色の写真を見せてもらった近世の人みたいに。月カドの記事を読んでいると、他の雑誌で写真を見るより、テレビの音楽番組で観るより、もちろん実際の音楽を聴くよりも、ミュージシャンがずっと遠い存在に思える。きれいにフィルタをかけて処理された、薄皮一枚隔てた奥にある存在と思える。そこが好きでした。最新号なのにつねに古雑誌みたいな佇まいだしさ(笑)。今にして思えば、リアルタイムメディアのはずなのに時間が止まっている、そうした手ざわりは小説の文芸誌に極めて近いですよね。

それからこれはHMV渋谷が閉店したときにさんざん書きましたが、私はただただ『bounce』が好きだという理由で、レコード屋はHMVより断然タワレコ派だったのでした。大雑把に言うと、『HMV』はすでにその音楽家のファンである読者に向けて書かれている感じ、『bounce』はその音楽について未だ何も知らない人に向けて書かれている感じ、というトーンの違いがあったのです。『HMV』は好きなミュージシャンの記事が載っている号だけ読むけど(そして結局は大体毎号そうなんだけど)、『bounce』の場合は中身を見ないでただ持ち帰って、帰りの電車で何が載っているかわくわくしながら読んでいました。些細な違いだけれど、後から振り返ると何か重要な意味を持っているように思われます。ちなみに、長谷部千彩の連載目当てで『Bar-f-out!』を買っていましたが、『Olive』は恥ずかしくて買えず、小沢健二の連載は立ち読みでした。これも後から振り返ると重要な意味がある気がします。高二病的な「堂々とOlive買えない系女子」コンプレックス。女子力の決定的欠如という問題に地味に響いている気がします。

ファッション誌なら、やっぱり『ZOLA』ですね。親が買っていた『マリ・クレール・ジャポン』も大好きでした。この二つは「喪われたものこそが最も美しい」枠です。あんなに毎号楽しみにしていたのに意外と美本が手元になくて、それがまた思い出を無駄に美化させていると思います。もしかして、いま読んだらどうってことないのかもしれない。いやそんなはずはない。と古雑誌屋の棚の前でいつも逡巡して、プレミア価格の値札におののいて逃げ帰る繰り返し。それから、ごく限られた一時期の『AMICA』と『VOGUE CHINA』は、モデルと洋服の選び方もスタイリングもデザインも、広告主まで含めた「全体の雰囲気」がすごく好きで、それぞれ旅先や仕事先で複数入手し、すみずみまでうっとりと厭かず眺めていました。あれはきっとその時期の編集長と波長が合っていたのでしょうね。

漫画雑誌なら『月刊漫画ガロ』『コミックガンマ』『コミックキュー』あたりでしょうか。私が「雑誌」という媒体の面白さに真の意味で目覚めたのは、創刊号から買い続けていた『コミックガンマ』のおかげです。広告の大半がキングレコード、版元が竹書房、編集部の大人の事情が全部透けて見える、個別の作品ではなく雑誌全体から打ち切り臭がする、でもだからこそ応援したくなる、あの文字通りのカオス状態こそが、単行本ではなく「雑誌」で連載漫画を読むことの抗しがたい醍醐味に通じていたと思います。その対極にあるのが、コンセプトありき、毎号ワンテーマで編まれていた大変オシャレなつくりの『コミックキュー』。「よもやここまでの完成度のモノを資源ゴミ回収の日に出したりはすまいね」という、雑誌でありながら雑誌とは思えないほどの高飛車な作り。この二誌は言ってみれば「潤沢さ」と「贅沢さ」の違いを教えてくれました。『ガロ』については、もはや私が何か言うまでもないでしょう。

その他、乙女カルチャーの周辺にあった生活系雑誌などもよく読んでいましたが、その場で消費するだけでなくちゃんと本棚にとってあるのは、結局『暮しの手帖』『Arne』のような質実剛健な内容のものが多いです。北九州にはほとんど馴染みがないのに『雲のうえ』が好きだとか。移動には東京メトロを利用することが多いため『metropolitana』『GOLDEN METROmin.』などのフリーマガジンもかつては欠かさず集めて読んでいました。そして五島帝国臣民なので『SALUS』はついつい手に取ってしまいます。そうだ、出版社のPR誌にハマッて、書店に行くたび置場を探してはゴッソリもらっていた時期もありましたっけ。あれって、デパートの地下食料品売場で供される試食品だけでお腹をいっぱいにするようなもので、少しコツがいるけれど、熱中すると楽しいし意外と己の糧にもなるゲームなんですよね。

外国を旅行すると必ずその土地の書店を覗くようにしているのですが、それはひやかすだけに終わることが多くて、旅の思い出として買うのは、スーパーマーケットのレジ横に並んでいるような雑誌だったりします。2009年6月末に米国西海岸を訪ねたときは、普段はものすごく下品な内容で誌面を埋めているのであろうゴシップ誌みたいなやつが、どこも大真面目にマイケルジャクソンの追悼特集を組んでいて、そのどれもが素晴らしく涙を誘い、それはもう「コミケで売ってる二次創作同人誌のような」愛と熱情のカタマリ、駅前のスタンドやコンビニに寄るたびについつい買ってしまいました。ああいう塵芥のようなものこそ、以後ずっと捨てられずに大事に本棚に取っておいたりしてしまうのですよね。それが雑誌のよさだと思います。

さて、質問に戻りましょう。「一番好きな雑誌」でした、困ったな。「思い出に残る雑誌」といった問いとは違いますから、最低条件として「数号連続して、発売期間にリアルタイムで自分のお金を出してワクワクしながら買っていた/いる」という経験がはっきりしている対象に限られるのでしょう。そう考えると、どんなに好きな雑誌といっても「毎号必ず、ろくに中身を見ずに買って、家に帰ってからすみずみまで大切に読んでいた/いる」というような、本来あるべき雑誌愛好者の姿勢でこの媒体にのめりこんだことは、ほとんどないことに気づきます。

ですから、ここでは別格の存在として、週刊漫画誌『週刊少年ジャンプ』と、月刊絵本『たくさんのふしぎ』を挙げておこうと思います。それぞれ期間は短くとも、今までの人生において「定期購読」をしていた数少ない雑誌です。また、同じく定期購読していた『学習』『科学』などと違って、これからも気が向いたら定期購読をしなおす可能性も非常に高い。「どこに惹かれるか」と訊かれると答えに詰まりますが、子供の頃からずっと「いま売りの号に、何が載っているのか、つねに気になる」という二媒体です。

ああ、『おはなしのろうそく』もそうかなぁ、と思ったら、なんとあれは今、ISBNコードを付されている=雑誌ではない! のですね。知らなかった……。そして『おはなしのろうそく』がAmazonで購入できるなんて……み、未来ですね……。