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ザ・インタビューズ転載日記(編集者以外)

編集者以外になりたかった職業は?



たくさんありますよ!

幼稚園児の頃は「絵描きさんになる」と言っていました。これは両親が美術大学の出で周囲にそうした大人が多く、皆こぞって絵を褒めてくれたから。ベレー帽でイーゼルの前でパレット持って、という姿に憧れていましたね。しかし両親はそんな私に向かって「美大に行くと不幸になる」「目指すなら医者か弁護士」と洗脳の呪文を唱え続けており、また、芸術家志望だと言うと双方の祖父母たちだけフッと暗い笑みを浮かべることにも気づき、子供ながらに言いづらくなってやめてしまいました。

小学校低学年の頃に最も憧れていたのは、考古学者です。ものすごくギリシャ神話にハマっていて(※よく逆だと誤解されますが、私の順路は『星の神話入門』→『ギリシャ・ローマ神話』→『聖闘士星矢』です)、延長線上で子供向けに書かれたシュリーマンの伝記を読み、その直後に映画『インディ・ジョーンズ』を観てしまったので、さぁ大変。天文図鑑片手に鞭に見立てた長紐を振るいながら、この世に考古学者よりカッコイイ職業はない! ナスカの地上絵の暗号を解き明かし幻の邪馬台国とついでにアトランティスも見つけてみせる! と息巻いていました。

中学年以降に最も憧れていたのは、宇宙飛行士と国連職員です。「日本なんて小さい小さい、私は世界のため、地球のため、宇宙のために働くんだ!」という発想ですね。とくに探査機で太陽系外へ出たきり帰って来ないというミッションを夢見ていたのですが、親から「じゃあ算数と理科のお勉強をもっと頑張らないとね」と言われて瞬時に挫折。SFによく出てくる「地球連邦」的な組織での仕事に就こうと思い直し、誰か大人から、それは国際連合のことだね、と教えてもらいました。もし今の子供だったらここで「世界政府Googleの文系採用枠を目指す!」と言うのだろうね。まったく同じです。

高学年のとき、クラスで集英社コバルト文庫が大流行し、バリバリ硬派な児童文学少女だった私は「そんなもん読めるか」と一人頑なに読まず嫌いを貫いていたのですが、「待てよ、C.S.ルイスやミヒャエルエンデにはなれなくても、あの程度なら私でも書けるんじゃないか。木根尚登だって片手間に『CAROL』書いたんだし」と思い至り、いきなり小説家志望になりました。あさはかですねぇ……。ここは大いにこじらせまして、進学してからも文芸部に所属して詩や小説を書いていました。でも、高校一年のとき部長として部内誌の台割作成を任されると執筆より編集に熱中してしまい、その年は一編も創作せず部員たちからひどく怒られました。

高校ともなると進路選択で「なりたいもの」の具体性を高めていくことが求められ、ここから消去法で考えるようになります。当時の私は若気の至りで激しく左傾化していたため「東大行って官僚になる奴ァ人間のクズ、国家資格で働いてる奴もクソ食らえだ、俺ァ医者にも弁護士にもならねえ」などと言い放ち「京大行って学者になって歪みきった社会をギッタギタに断罪してやるぜ」と考えていた、のだと思います。あんまり記憶にないけど……もし私が男子だったらここで「総理大臣になってテッペンから立て直す」とか言いそうなものですが、バカが女子校こじらせるとこうなります……。結局、途中で「何このインターネットってやつ超面白そう!」という目先の欲望につられて、まったく別の大学へ進みました。

『CBSドキュメント』が大好きで、とくに「音楽」と「報道」という自分の二大関心分野で両方きっちり仕事しているホストの姿が本当に羨ましく、ずっと「ピーターバラカンになりたい」と思っていました。もう少し幼い頃は街中で作品を目にする機会の多かった糸井重里のほうが羨ましかったんですけれど、やっぱりバラカンよね、顔も断然好みだし、と思ってました。「自分で自分の肩書を作る」ってカッコイイよなー、と。いわゆるひとつのハイパーメディアクリエイター病ですね。あと、テイトウワが初めてシンセサイザーを買ったのが16歳のときという話を15歳のときに聞いて「えッ、ミュージシャンは無理でもDJになら今からでもなれるの?」と思いましたね。こういう「なれそうなものになら何でもなりたい」感も、10代特有だと思います。

大学時代にあれこれアルバイトを掛け持ちしながら、「やりたい仕事」を探していた話は以前に書きました。ちなみに就職活動時は、出版社の編集職以外に、テレビ局の番組ディレクター職と、某メーカー宣伝部のコピーライター職に応募しました。どちらも採用面接を進む過程、つまり「なれるかもしれない」という段階では本気で「なりたい」と思い募っていましたが、今もう一度なりたいかと訊かれると、よくわかりません。

最後に、これはTwitterにさんざん書きましたが、今でもなりたい職業は「灯台守」です。宇宙飛行士と同時に憧れていたのが「管制官」の仕事で、その頃から「灯台守のような仕事」に憧れていました。ずっとすべてを見ている。自由時間の長い辺境のSOHO。いないと誰かがものすごく困るけど、多くの人はいることにさえ気づかない。

三年後、五年後、十年後にどんな職業になっているのか、自分でも楽しみです。会社員として部署を異動しているかもしれないし、辞めて別のことをしているかもしれないし。それは誰にも、私にもわかりませんからね。