2022-07-09 / 号外の後で

まずは三日坊主にならないことが大事なので引き続き日記を書く。とはいえ家から一歩も出ない日だったので書くことがない。昔は「ノー外出デー」があるとえらいこっちゃ大変なことだと感じていたけれども、コロナ禍ですっかりそちらがデフォルトになってしまった。外出の予定がある日にはいちいち気分が引き締まる。毎朝「出勤」していた時代を思い出せなくなりそう。仕事は連絡待ちが続く。連絡しないといけないものもある。なかなか進まない。

昨日は夫婦二人とも髪を切りに行った。夫のオットー氏(仮名)が私と同じ美容師にかかるようになって二度目。渡米後数年はあちこちの日系ヘアサロンを何軒も何軒も渡り歩いて迷子になっていたものだが、とても腕がいい、というか私との相性がよい人と巡り会えて、本当によかった。安倍元首相の訃報にショックを受けて文字通りの「床屋政談」みたいになってしまう。滅多にないことだけど実家の親と電話しちゃった、と日本人のスタイリストが言う。大きなニュースを受けて、離れて暮らす母国の家族と取り急ぎの安否確認をする、メンタルを労わり合う、日常生活とは別の例外的措置。いつも新聞の「号外」みたいだよなと思う。我が家は今回は「号外」は出なかった。

ベリーショートにしたくて、ならばヘアサロンではなく理髪店に行くべきだろうと検索かけて、ブッチレズビアン御用達の理髪店に辿り着いたが、そうなってしまうと入店が躊躇われてまだ行けていない、という話をする。「あー、文化の盗用」で通じる。私が子供の頃に好きで憧れて、ヘアカタログに載った白人モデルの写真を渡して真似して切ってもらったベリーショート、あれは今思えばセシルカットではなく、彼女たちのための髪型だった。どこが違うんだと言われてもうまく説明できないが、今なら丸ごと真似はしない。自分自身が「これは私のためのものだ」としっくり感じられる髪にするのがいいだろう。10代の頃はブッチなショートがそうだと絶対の確信を持っていた。服装や髪型の嗜好から逆算して同性愛者かと尋ねられることも多々あったし、他ならぬ自分自身が(己の内からではなく外からそう言われて!)そうなのかなと揺らいでいた。髪が短いだけで「レズ?」、そう書いてみるとひどく古い時代を生きていたものだよ、呆れるね。40代の今はまるで違って、外側を見て素敵だなと思う女性がいて、その人の内側のSOGIがどうでも、自分のほうが揺らいだりはしない。そして最近は韓国アイドル風のアジア人男性の髪型を検索するのが一番参考になる。彼女らが理髪店で刈り上げを整えるあいだ、彼らは美容院でバリカンに注文をつけていることだろう。私はどちらにも属さないが、おまかせで切ってもらってもだいぶ「私らしく」なるようになった。

昨日から、心が弱ってしまって何もつかないときはこれを食べるに限る、というようなものばかり食べている。近所の店の看板料理であるイカスミのリングイネ。朝ごはん代わりに同店のティラミス。自家製ザワークラウト添えたソーセージと野菜のスープ。ピーマンの卵炒め。豚のしょうが焼き。明日はたぶんつくりおきのゆでどりと玄米。まったく新味がないが、まるで新味を求めていない。交代でキッチンに立ってどちらかが一品ずつ何か作っては二人並んで食べる。この食事方式もコロナ禍で定着した。だらだら時間がかかるけれど酒飲みながらなら気にならないし、すべての皿を揃えて熱いうちにと一気に食べるよりダイエット効果もありそうだ。知らんけど。

今は土曜の深夜0時で、家の外をパリピが横行している。車載スピーカーから爆音で音楽を流すクルマの周囲に数十名が群がって、DJがかける曲に合わせて大合唱しながらゆるやかに大通りを北上していく。政治的主張を伴うデモのほうがよく通る界隈なのだが、まったく同じ道をパリピが同じように渡っていく。主張が無いということが主張なのかもしれない。若さよ。途中、オッその曲いいね、と思って窓越しにSoundHoundをかざしてみたのだが、眠れなくなるほどの大音量で歌詞まではっきり聴き取れるのに、曲名はわからなかった。うちの窓ガラスは防音設計がきちんとしているんだな。先週書いたこの↓人たちと同じパーティーなのかもしれない。家から一歩も外に出ぬままでは何も確かめようがないから、解像度が低い。