2023-06-07 / 虎と猟銃とスパイと草と波

さまざまなものの感想をあまりにもためこんでいたので一気に清算します。合計8000字くらいかな。早く現実に追いつかないと。たまに誤解されるけど感想書くの遅くなるのは出来が悪かったからではなく、単にその後に忙しくなって書きそびれるだけです。


『LIFE of PI』ブロードウェイ版

https://lifeofpibway.com/

4月7日観劇。英国から来たプレイ、日本でもNational Theatre Liveが上映されているから観た人も多いはず。ヤオヤ舞台の中央に置かれたベッド≒救命ボートのほかは目まぐるしく軽やかに移動して上手下手へはけるセット、登場する動物たちはパペット操演、床面プロジェクションが多用されるので二階席がおすすめと言われて席を取ったらたしかに正解だった。映画版ではフルCGだった動物を、人間の登場人物も兼ねるプリンシパルや専業のパペッターたちが操演する。こう書いた時点で完全にネタバレになるが、つまり母親役の俳優がオランウータン役も演じる、といった作りで、じつに刺さった。もともとオリジナルの原作が演劇で、小説や映画のほうが後発なんじゃないの? と間違った錯覚をしてしまうほど、演劇的効果と物語の寓話性との相性が活かされている。ポンディシェリの街並みも移民船も美しく記憶に残り、回想場面もうまく使って伏線回収、絶海の尺が長すぎて退屈するようなこともない。スクリプトのお手本みたいな出来。

とはいえ、NTLで英国版を観たhatoさんがTwitterで指摘していたように、舞台化の都合で主人公を「無知で無垢な少年」に設定し直したのは、たしかに興醒めである。私は小説は未読だが、映画版も若く賢い主人公の極限状態の内面に迫っていく話と記憶している。舞台版では作劇の都合もあり、何か愚行をやらかすと知恵者である大人の幻影が現れて救われる筋に直されたため、「志半ばで死んだみんなの想いを受け継いで生き延びた息子」といった言外のパターナリズム臭が強い。また、プロモーション戦略として物語のオチを明かせないのはわかるけれど、子供連れの観客が多いのが気になった。あらすじだけ聞いて「人と虎との共存ワクワク冒険譚」みたいに勘違いして来場し、失敗したなと思って帰る家族も少なくないのではないか。かつて仏領だった街で聞いた三人の聖職者との問答が下敷きとなる、テーマへの理解力ありきの作品だから基本「大人向け」なんだけどね。舞台化に際して「子供向け」っぽく(というか、子供の観客でもわかるほど愚かな行動を取る野比のび太みたいな主人公に終始ハラハラさせられる筋書きに)なったのは、こうした客層を見越しての改変なのかもしれない。パイ役のHiran Abeysekeraは足首など華奢で一幕は年端もいかぬ少年と見えるのに、二幕の漂流中から上半身の筋肉が凄まじいのがわかり、演技力というより身体表現で、あの結末に至る凄味を見せていてよかった。しかし本作、パイ役のアンダースタディに女性がいて、女性が演じる少年パイもちょっと観てみたい。


『猟銃 THE HUNTING GUN』

https://www.thehuntinggun.org/

4月観劇。井上靖の短編をもとにした中谷美紀とミハイルバリシニコフのコラボレーション。原作の小説は、ある男が三人の女からそれぞれ受け取った三つの書簡をつなげたもの、この書簡部分を一人三役の中谷美紀が長い長い長い独白をもって実質一人芝居として出ずっぱりで演じ分ける。その間、「言葉の無い舞い」の名手であるバリシニコフ(御年75歳とのこと)が舞台奥で、猟銃を携えて無言のまま動き続ける。多分あれは「能のようだ」と評されたいのだろうし、意図は汲めるから私もそのように評すことにする。一場は水を張った池をひたひた歩き回る洋装に眼鏡の少女、二場はその水が抜かれて濡れた黒石の上を転げ回る真っ赤なドレスの女、三場は石が排出されて板間に転換した舞台上で、天から降りてきた木箱に用意された左前の白装束に生着替えする女。そのどれもが、美しく官能的で恐ろしく、そして、もうええわ、っちゅうくらいにTHE・中谷美紀であった。

原作は男性作家が美麗な女言葉で書いた書簡小説、Z世代のお若いフェミニストならば怒り狂って途中で投げ出すような内容であるが、中谷美紀はそういう世界観を肉体に下ろすイタコとして、高齢白人男性を中心とした欧米知識階級の前に彼らの大好物であるソレを提供する謎めいたジャポンの女として、めちゃくちゃ有能である。そんなこと我々は、彼女が坂本龍一と組んで水に濡れたキャミワンピ一枚みたいなビジュアルで退廃的なポップスを歌っていた90年代当時からよく知っていたし、2023年になった今もなお、今度はバリシニコフと組んで水に濡れたキャミワンピ一枚みたいなビジュアルで這いつくばりながら、男からの愛を求めつつ拒絶する、血の一滴も流さずに己の死により男の息の根を止める、普段は口を噤んでいるのに「主人公」である特定の男にだけは延々と複雑な心情を吐露する、清純でふしだらで弱くて強い、瞳孔全開の狂女の独演を完璧にこなしている。非難してるんじゃないのよ。凄いのよ。一貫してるのよ。毎度おなじみ中谷美紀といえばそれまでだが、齢を重ねてますます他の追随を許さない唯一無二のイタコの中のイタコと化しており、幼少期から強制身体改造を施され続けてきたバレリーナなどと同じで、この域まで来たものはもう、是非を問うよりそういうものと思って鑑賞するしかない。拍手した。

しかしこれも『LIFE of PI』と似た問題がある。私の前列で鑑賞していたのは推定日本人の家族連れ、終演後退場中、推定お母さんが推定十代の娘にかける「……あなたにはまだちょっと早かったかしらね?」というフォローが聞こえてしまい、まったく予習せずにこんな芝居に子供を連れて来るなよ、わかってて覚悟決めて来たなら何も言うなよ、本当に教育上よろしくないと思ったのなら一家で途中退席するくらいの気概は見せなよ、とズッコケた。私の連れである夫は「中谷美紀って生で初めて観たけど綺麗だったなぁ〜、鏡も何もないところであの長台詞を回しながらノールックで着物を着るのすごくない? 大変ありがたいものを拝みました!」とデレデレしており、私も私で「そうそう、長着を羽織ってツッとやると長襦袢の袖がストンッと落ちる、あんなの絶対真似できない、帯は銀座だし全体ユルッとしてたから、完璧主義の御本人は納得いかんかもしれんけど、それが逆にこの世ならざる幽霊みたいで怖かったよな……脱いでいくより着ていくほうがエロい逆ストリップ、こりゃ大評判で欧米巡業もしますわな……」と返し、大人同士ならその感想戦でも十分なのだが。まぁ取扱注意のコンテンツですよね。クールジャパン。どっとはらい。


ミュージカル『SPY FAMILY』

https://www.tohostage.com/spy-family/

5月21日、配信視聴。ロイド:森崎ウィン、ヨル:唯月ふうか、アーニャ:井澤美遥、ユーリ:岡宮来夢、フィオナ:山口乃々華、フランキー:木内健人、ヘンリー:鈴木壮麻、シルヴィア:朝夏まなと。脚本作詞演出:G2、作曲編曲音楽監督:かみむら周平。大人気コミック原作を老舗の東宝演劇部が帝国劇場規模で純国産ミュージカル化する新機軸、てっきり世界展開を視野に入れているのかと思いきや、米国の倫理基準にすっかり目が慣れた私はアーニャ役が登場した途端「あかんわ〜!」と天を仰いでしまった。いや、子役はダメじゃない。逆です。凄いんですよ。井澤美遥さん、めちゃくちゃかわいいしプロなの。滑舌いいし、アップに耐える演技力と、大人に埋もれない空間支配力がある。でも、だからこそ「こんな小さな子供に仕込ませた舞い踊りを作品の最大の目玉にしてカネ取って商売していいのかよ」という「犯罪」感も凄まじい。公募オーディション段階から低すぎる身長制限が物議を醸していたが、おかげで「虐待を受けながらつねに大人の顔色を窺って心を読み、平気で嘘をついて生き延びてきた未就学児」の姿は原作漫画をはるかに凌いで生々しく描かれている。でも実年齢の子役にそんなもの熱演させていいのかよ(再)。映像作品ならまだしも舞台だとひたすら「えぐいなぁ」と感じながら観た。輸出は難しいのでは。

うちの甥姪も読んでる漫画だし、チビッコ読者が保護者に連れられて劇場まで観に来ることを想定した作りなのかなと思う。なぜって異様に解説リフレインが多い。同じく低年齢層を意識した作りである宝塚歌劇ならば盛大にはしょって手短に一幕ものに収めるはずの内容を、逆に強引に薄めて伸ばして二幕にしたような印象。説明台詞そのままの歌が同じ内容をサビで二度三度四度五度と繰り返し、やっと終わったら次はその曲のリプライズが始まる、みたいな……ヨルさんが「私はただ弟を安心させたくて〜」と歌うの10分間で500億回聴いたし、ユーリやフィオナは歌も芝居も上手いのに貴重なソロ曲の99.9%が「姉さんどうして結婚したことを教えてくれなかったんだ〜」と「あんな女より私のほうが先輩にふさわしい〜」の繰り返しで、合間に無限に「ここまでのお話の流れをおさらいするぞ〜」ソングが挟まる。スーパー朝夏まなとタイムも「え、さっきも見たじゃん? せめて振付のテイスト変えないと単調では?」と思ったが、多分、すべてギャグなのだろう。プロレスの入場曲演出のくどさなどにも似てるかもしれない。一幕冒頭と一幕最後と二幕大詰めを同じテーマソングで見せるリフレインなどは、王道で耳に残ってよい演出だった。なるほど漫画原作のミュージカルには「主題歌」って欲しいものだわね。あの曲のおかげで、なんとなく続編を期待させる作りでもある。

また、スパイ物の醍醐味とも言えるアクションシーンを、照明効果でうまいこと暗がりを作ったり見切れを発生させたりして、あんまり生々しく暴力的すぎない、ピンク髪のアーニャと同じ世界線の漫画チックな表現に抑えているのはよかった。演者の擬闘はガチだけど、大劇場作品とはいえ派手な大乱闘だけが能じゃないし、映像編集的な処理なので配信でも観やすかった。白黒の漫画で読んだ世界を無理なく再現してくれるカラーリングも絶妙。字幕演出に関しては「視覚障害がある観客への対応は万全か?」と気になりはしたものの、「少女は娯楽に飢えていた」とか「黄昏先輩、すぅーーきぃーー!」とか大笑いしてしまった。あそこの妄想シーン、フィオナもいいけど、アーニャがあんぐり口開けて呆れて見てる顔と、ははに甘える仕草が、もう完全に原作絵を再現しててパネエのよ。子役はプロ。子役に罪は無い。でもこんな幼児にこんな芸を仕込んで見世物にしていいのかよ(再再)。

私は最後の冷戦世代、且つ私立小学校出身なので、本作における東西対立やお受験描写のヌルさはずっと気になっている。舞台版では「我が子を即席の令嬢に仕立てるために一流の文化教養に触れさせる」くだりが、えらく芸術解像度のショボい大道具でガッカリした。プリンセスの情操教育が付け焼き刃でもパリでは本物のバレエを見せる『アナスタシア』など見習ってほしい。あと、ヨルさんの職場周りの戦後昭和臭や、シスコンの弟が「夫婦でキスしてみせろ」と騒ぐ展開、原作を改変しろとまでは言わんけど、あんな忠実に脚本に書き起こす必要もないだろう。ああいうのこそ、ミュージカルならではのドタバタギャグに振り切った混声合唱ソングにするとか、舞台化で見せ方をアップデートする余地があったんじゃないのか。そのへんは『フィストオブノーススター』や『生きる』の緩急など見習ってほしい。

ツッコミが長くなってしまったけれど、今までG2作品に猛烈な苦手意識があった人間がまったく気にせず楽しめたのだから、十分な高評価である。ここ数年ずいぶんいろんな(広義の)2.5次元ミュージカルを観てきたので、漫画原作の調理法について自分の好みもだんだんわかってきて、合うところと合わんところが両方ある作品だったなと思う。あとは好みの違い。そういえば、森崎ウィンは原作のロイドフォージャーとは全然似ておらず寄せる気もない感じだが、そのぶん「マンガちっくなツッコミ」の間合いが信じられんほど上手くて、とくに子役と呼吸を合わせる掛け合いにいっさいズレが無いのがお見事な主演だった。ふうかちゃんや壮麻さんももっと役者本来の味を出してよかった気もする。鈴木拡樹版も観たかったけど時間切れでした。


NHK連続テレビ小説『らんまん』

こちらに移動。→ 2023-05-26 / 『らんまん』視聴日記(随時更新)


『波よ聞いてくれ』

https://www.tv-asahi.co.jp/namiyo/

『unknown』についてはBlueskyにぶつぶつ感想書いてましたけど、ここまで来たらもう最終回を観てから書くのでいいかなと思っています。そんなことより実写ドラマ版『波よ聞いてくれ』が終わってしまうのが悲しい……私の周囲ではまったく観てる人がいないけど、あれもっと評価されたほうがよくない!? TVerで無料で観られるので、本編第3話と、あとスピンオフ『荒波よ揉んでくれ』の2話だけでも観てくれ……何これすごい、茅代まどかじゃん……平野綾だけど……平野綾だけど茅代まどかじゃん!!(語彙喪失)

いやね、私だってそりゃ原作漫画至上主義ですよ。沙村広明作品がアニメだの実写だのそんなに簡単にホイホイ映像化されてたまるかよと思うし、そう思ってるから放送開始直後は怖くて観られなかったわけですよ。しかも平野綾が出ると耳にして「え、カメに餌やる南波瑞穂ちゃん役?」と訊いたら「いや、カップ酒片手の茅代まどか役!」と返ってきたら「はああああああああ!?」となるだろ。ところが、沙村先生のあの独特の性癖の発露が程よくウォッシュされた結果、何なら下手すると漫画版よりもキャラクターが掴みやすいんだよねドラマ版。ほうほうほうそうかなるほど、女子アナより女子アナっぽい声音の超人気ラジオパーソナリティ、FM局なのに番組に寄せられる相談内容はTBSラジオ『生活は踊る』寄り、いったいどんな熱烈支持者がついてるんだよと思ったら女は真面目ちゃんで男は厄介なストーカー、回想に一瞬出てきた学生時代は綾波レイ風、今現在は仕事の鬼にしてオフの日は酒乱かつ頼りないオッサンどもを玉座の下に従えた美しきうら若き「おばさん」、なるほど茅代まどかじゃん……そしてここに、顔だけ原作に似てても腹から発声できてないようなそこらの女優ではなく、今現在の平野綾をキャスティングした人、神じゃん……!?

つくづく思い知ったんですけど、原作漫画もう10年続いてるんですよね。連載開始当初、アラサー設定だった主人公・鼓田ミナレについて「うちらみたいな女じゃ〜ん」とキャッキャ喜んでいた当時30代前半のうちらも現在は40代前半。まじまじ見返したら鼓田ミナレの年齢設定は25、26歳。いつの間にか全然うちらじゃねーのよ。そりゃ今実写化するなら小芝風花なのよ。そして平野綾だっていつまでも南波瑞穂の年齢ではないし、我々中年は「年下の南雲しのぶ」や「年下の柚木草平」に続いて「年下の茅代まどか」という概念に萌える新境地に達さねばならないのよ。観ながら第1話にしてそれを悟りまして、以後は原作漫画へのニチャァッとねばついた個人的な思い入れとは完全に別腹で楽しめるようになった。

いうてそもそも、あんなひどい内容の漫画をそのままドラマ化なんてできるわけないじゃないですか(暴言)。その割に、かなりマイルドにしてるとはいえ案外ちゃんと大真面目にあのアホみたいな原作エピソードやってるのでむしろ視聴者のこっちがビビるのよ(暴言)。ミナレからしてミナレっぽくはないけど、第1話から元彼・光雄のくだりを全部やるので(やるんだよ……)、観終えた頃には「小芝風花のミナレ」がどういうだめんずなのかがわかってすっかり好きになる。あと、濃いめのメイクや服のスタイリングが2023年風なのは当然ながら「寝起きのすっぴん」みたいな場面で「ミナレだなぁ」となるのはお見事。階下の住人もあまりにも階下の住人で噴いた。VOYAGERのメンツはみんなビジュアルが原作とかけ離れているが、似せたところでどうなるのか(真顔)、店長だけはマジで忠実に店長なので、中原忠也&城華マキエが普通の容姿なのが救いでもあり深刻なバグのようでもあり可笑しい。麻藤役の北村一輝は北村一輝なのに原作よりも麻藤、具体的には、あんなにラジオびとっぽいのにテレビマン時代のシセル光明との回想ではちゃんと若いチャラチャラしたテレビマンを演じていて凄い。そして原作再現度という意味では南波瑞穂役の原菜乃華も凄い。かわいい。けど『すずめの戸締まり』主演の直後にこの仕事を持ってくる事務所は正気か。みんな狂っている。

寄せるところは徹底的に原作テイストに寄せる、振り切るしかないところは全無視して振り切る、その匙加減がすごく上手いなぁと思って楽しく観てました。小芝風花のタイトルコール「波よー、聞いてくれっヘェーッ!」と平野綾のタイトルコール「茅代まどかのセプテンバーブルームーン」だけでもいいから聞いてくれっへェーッ!