旅日記を上手に書けたためしが無いが、今度こそはと思って挑戦する。2024年初夏、夫婦で北欧を旅行した。もともとはコロナ禍以前に計画していたもので、手元にある紙書籍の『地球の歩き方』は2018年版。電子書籍版を買い直したものも2021年版で止まっており、大きく掲載されている店舗が跡形もなく消えていたり、各国の物価がずいぶん高くなっていたりした。嘆いても過去に戻れるわけでなし、行けるうちに行こう、と数年越しで決行した。
夫婦二人とも初めての北欧である。北極圏でオーロラを見たりサンタクロースに会ったりホルガ村で怖い目に遭ったりする旅にも憧れるが(どうかな?)、何しろ国土が広いのですべてを一度に回るのは不可能である。11泊13日かけて、主要四カ国の首都を周遊することにした。居住地ニューヨークからの利便性を考えると、ノルウェーのオスロを発着点に、フィンランドのヘルシンキ、スウェーデンのストックホルム、デンマークのコペンハーゲン、という順番で巡るのがよいようだ。ヘルシンキ−ストックホルム間を船旅とし、あとは国内線感覚の飛行機移動。夫の目的は、オスロに新しくオープンしたムンク美術館へ行くこと。私の目的は、正直さほどないのだけれど、ヘルシンキの滞在日数は他都市より増やしたいとリクエストした。月経と重なってサウナには行けなかったが、街歩きと美術館巡りを中心に北欧料理を堪能し、23時台まで明るく4時半になれば日が上る、ほとんど白夜と呼んでよい夏至の季節を堪能した。
6月10日、夕食を済ませて21時前に自宅を出て、JFK空港のターミナル7へ。初めて利用する、LCCがひしめき合っているようなターミナルで、小規模なせいか深夜帯のせいか、搭乗手続きも非常にスムース。ゲート前にあるレストランが家の近所にあるBrindle Roomの経営だった。ビールを飲み、水を買う。23:55発。
航空会社はNORSE、ノルスに乗るス。古い機体だが過不足無い感じ。NORSEのヘルシンキ便は、ニューヨークから大西洋をまたぐ直行便プレミアムエコノミーの最安値らしい。何のサービスも期待していなかったのでアイマスクと耳栓を配られて満足し、そうかレッドアイで7時間だから食事無しか、と勘違いして寝始めたところ、続けて機内食を配られる。食べてすぐ寝て、二度目の機内食に起こされて食べ、またぼんやりしていると、もう着くという。機長からのアナウンスで、山間部を見下ろす光景をさも珍しいもののように言われ、その後はずっと平坦な緑が続いた。オスロー空港、11日13:05着。
ガーデモエン国際空港は小綺麗で、警察の制服を着たガタイのいい女性の入国審査官と、免税店エリアがバゲージリクレイムとフラットに地続きになっているのが印象的だった。タクシー乗り場に「スマホアプリではなくどでかい電光掲示板タッチパネルで予約する配車サービス」があって、これがUBERの代わりとして機能している。行き先を入れ、料金のほか、電気自動車かエコカーか、など車種まで選べて、コンファームするとQRコードが表示され、読み込むとものの数分で配車される。これは便利。日本の空港のタクシー乗り場も、謎の天下り風老人など置かずに、この仕組みにすればいいのに。無事にテスラ車が迎えに来て、のどかな平地の緑を眺めながら40分くらいで市内のホテルに到着。
ノルウェーは人口の大半がオスローに集中している、と聞いて、もっと大都市を想像していたのだが、王宮とフィヨルドの港を中心にものすごくコンパクトにすべてがまとまっている街だった。多分この市街地を取り巻くように広大な住宅街が広がっているのだろうけど、そこからみんながさらにキュッと市街地に集まる感じだろうか。こぢんまりしていて開放的な王宮から、カールヨハン通りという大通りが伸びており、宿はその通り沿いにあるオスログランドホテル。1874年開業、会議や結婚式で連日賑わっているクラシックなホテルで、着くなり日本人の団体観光客に遭遇したりした。
運良く早めにチェックインできたので、軽く荷解きをして着替え、まずは散策してみることにする。カールヨハン大通りにはオノヨーコの「PEACE」バナーがはためいていて、ノーベル平和センターで展示を開催中とのことだった。初めての街ではまず中心となるモニュメントを詣でることにしている。日本の都市ならば鉄道駅に加えて城郭や庁舎、ヨーロッパの都市ならば大広場と教会、などなど。ここではやはり王宮だろうか、と目指して歩いていくと、あっという間に辿り着いて、地図の縮尺を見誤っていたことに気づかされる。本当に小さな小さな街なのだ。
私はこのノルウェー王宮公園のありようが大変気に入ってしまった。建物内を見学するツアーは夏至過ぎからの開催で中には入れなかったし、スウェーデンとデンマークでもっとずっと立派な威厳ある王宮も拝んだのだけれど、大通りのドンツキにあって一般市民に広大な緑地が開放されている、すぐ脇にあるオスロ大学の附属図書館か何かかと思って近づいたら宮殿だった、というノリが、地味に極めて好印象である。衛兵が番をしているすぐ前の平たい舗装路を、通行人や自転車やシェアバイクが行き交っている。そしてカモメが低空飛行している。ゆるい。一般人の豪邸が立ち並ぶお屋敷街でももうちょっとは排他的だろう。中央の銅像がスウェーデン王カール・ヨハンだというのにもズッコケる(というより、連合王国の複雑な歴史的経緯があるわけだが、割愛)。「公」で「象徴」で「特別」だが「権威」は感じない。このつるんとした開放感、ヘルシンキ大聖堂にも似た好感を持った。
VIKATERRASSENというショッピングモールのようなところを抜け、コンサートホールを抜け、デンマークの百貨店ILLUMSのオスロ支店をひやかし、翌日以降に回るつもりだった国立美術館、ノーベル平和センターのあたりまで辿り着いたので軽く下見をする。フィヨルド、という言葉の響きになんとなく寒々しいイメージを抱いていたが、街の南側にひらけたオスロフィヨルドは、穏やかで小さな港という様相。地上を頻繁に行き交うトラムとバス停感覚で並ぶフェリー乗り場、明るい陽射しが降り注ぐ水辺のテラス席で憩う人たちが集まる様子を見ていたら、すぐに回りきれてしまった。
ボードウォークにVarsityという帽子のブランドがおしゃれなポップアップストアを出していて、何気なく覗き込んだら、ちょうど夫のオットー氏(仮名)がその日に被っていた帽子のメーカーでびっくりする。えー、これたしかノーホーのWesterlindで買ったよね? ノルウェー産だなんて知らなかったわー、と話していたら、あどけない顔の女性店員が「ええー、うちの帽子を、に、ニューヨークでお買い求めでしたか! すっごい!」と頬を染めて感激していた。いわゆる北ヨーロッパ系白人のお若い方々、顔は大人びていたり身長はうんと高かったりするのに、リアクションは子供みたいに朴訥としていて全体的にかわいい印象。ニューヨークのように雑多な街では区別がつきづらいが、似たテイストの人々ばかり集まっているとそれが御国柄なのだとわかってくる。
とにかくカモメが我が物顔である。街中のありとあらゆる銅像や彫刻の頭にカモメがとまっており、偉人たち誰も彼もが糞まみれにされている。帽子か何かをさらわれたと大騒ぎで笑う観光客がいて、地元民が冷ややかにその脇を通り過ぎる。SPRELLというオモチャ屋のセールの看板に、伝統的な夏至の花冠を載せた子供たちが雄大な緑を背に最新式のトランシーバーで遊ぶ写真が使われていた。日本で言うなら、浴衣姿の子供たちが縁側でたまごっちで遊んでいる絵みたいなものか。外国から来た観光客の私には珍しく感じられるけど、現地の人にはこれこそがありふれた「夏休み」の光景なのだろう。
目立つ建物であるはずの市庁舎が見つからないな、と思ったら、ツインタワーの片側が改装工事中だった。北欧13日間の旅で感銘を受けたのは、ランドマークになるような建物がどこへ行っても必ずどこかしら工事中であったこと。せっかく来たのに全容が見えないなんて、とガッカリする気持ちもあるのだけど、歴史的建造物を観光資源としながら動態保存することにはちゃめちゃにお金をかけている証左なのである。もしかしたら、冬より夏のほうが工事しやすいからまとめて片付けてる、とかもあるのかもしれない。あまりに明るく夏らしい街並みから、真冬の気候の厳しさや生活の実態を想像するのは難しい。
そろそろ電池切れ(我が家では体力を消耗して休憩が必要なタイミングをこう表現する)、というので「A」のロゴを探し当ててAmundsen Bryggeriでビールを一杯ずつ。これもまた、各地でよく名前を聞くから馴染みがあったが、ノルウェーのブルワリーだとは知らなかった。南極点到達を果たした探検家アムンゼンもノルウェーなんだな。いや、もちろん知ってはいたのかもしれないが、記憶に定着させるにはすごく時間がかかるし、こうやって旅先で触れ直して調べ直すのが一番だ。夫のオットー氏(仮名)に至っては、準備期間中に「北欧楽しみだなぁ、ノキアの家具とか!」という迷言を残している。IKEAはスウェーデンでNOKIAはフィンランドだよ。
休憩しながらあれこれ調べていたのだが、優先事項をかためていくと、巡りきれない観光スポットも多い。真夏しか開いていない施設や、改装休館中の博物館など。おそらくは国策として順番にあちこちに手を入れていて、今のところは新築のムンク美術館を見てくれ、という感じなのじゃないかな、などと話していた。夕飯までもう少し時間が取れるので、カールヨハン大通り沿いの国立劇場と、大型書店のNorliもひやかす。どの国も中心地に複数ある国立劇場が荘厳で感心してしまう。広場で楽隊が生演奏などしていた。ちょうどプライド月間なので、書店でもLGBTQ関連書籍がディスプレイされている。日本文学のラインナップをチェック。どこでも公用語のように不自由なく英語が通じるが、書店の売場も分かれているのかと思いきや、さすがに棚にはノルウェー語が多い。空港の書店などは英語書籍もかなり置いてあり、他に英語の児童書専門店なども見かけた。
夕飯は「Elias mat & sånt」という店。今回の旅行、飲食店については自分たちで街中を歩きながらぐぐった評判を調べて選んだつもりでも、後から見ると『地球の歩き方』にでかでかと載っていた、というのが多かった。日本人好みの店はだいたい『地球の歩き方』編集部に把握されているのだ。超人気店で、予約で満席だが20時までならテーブルに通してやるというので、エルクのカルパッチョ、ビーツのサラダ、トナカイのシチューを分け合う。エルクの刺身、ものすごく美味しい。なお、ここから約二週間ひたすらトナカイ肉とリンゴンベリーとマッシュポテトを食い続けることになるが、それもまったく飽きなかった。
給仕の店員が「俺、来月ちょうど初めて日本に行くんだよ! 東京と、京都と、大阪と……ねえねえ暑い? 暑い?」と訊いてくるので、「我々は絶対に帰省しない季節である、オスロの気候のほうがいいに決まっている、アジアの湿度の洗礼を受けてくるがよい、グッドラックやで……」と正直に答えて「Oh……」と無の表情を返される。こういうとき嘘は吐かないほうがいい。変にやさしいことを言って間違った旅装を選ばせたりするほうが気の毒だ。
初日で浮かれていたこともあり、せっかくの白夜を満喫しようということで、グランドホテルのルーフトップバー「EIGHT」に上がってカクテルを飲む。観光で訪れた宿泊客が中心なのだろう、ほぼ満席状態の大賑わいで、サングラス必須の晴天、真昼間から酒盛りしているような錯覚をおぼえるが、もうすでに時刻は21時近いのだった。ちなみに以後「白夜」と書くときはすべて「白夜(仮)」である。厳密な定義では0時過ぎまで日没しない夜を指すようだが、「毎晩、就寝時刻まで日が高い」くらいのニュアンスで使わせていただく。
オスロは北緯55度で、コペンハーゲンと大体同じ。ストックホルムが北緯59度、ヘルシンキは北緯60度。私が慣れ親しんだ東京(北緯35度)の夏は「宵闇が長い」感じだが、今住んでいるニューヨーク(北緯40度)はそれより緯度が高いので、夏場は昼下がりから20時台まで、宵闇未満の「夕方」の明るさがずっと続くような気持ちよさが味わえる。当地の「白夜(仮)」は、要するにあの明るさがさらに数時間は延びる、というような状態だった。以前旅したベルリン(北緯52度)の夏に近いかと想像していたが、あちらは「街が暗くなっても空は明るい」感じでまた違っていた。文化も都市計画も地形や植生も違うから当然か。
小説などで白夜について「眩しくて寝られない」といった形容があり、いくらなんでも外がそんなに眩しいことあるかいな、と長年疑問に思っていたのが、現地に着いて一日目で氷解した。オスロの夏が持つ不思議な開放感、私なら「深夜まで王宮公園で日向ぼっこできちゃいそう」と表現する。北極圏の雄大な大自然の中ならいざしらず、南側の都市部においては、戸外の光景が特別に幻想的だというよりは、長い冬が明けた喜びに酔いしれて「明るい夜ふかし」を満喫する人々の、その朗らかさが眩しい、という形容になる。ホテルの部屋は当然ながらどこも遮光カーテンが完備されており、ぴっちり閉めてぐっすり眠った。