Menu

okadaic.net

文筆家・岡田育の近況と日記。

2018-12-04 / どこにいても

ご無沙汰しております。ただいまパリ滞在中。本日はサクレクール寺院まで足を伸ばした後、ホテルのラウンジで仕事しながら書いております。前回10月の日本出張から向こう、公式サイトをまったく更新していなくて申し訳ありませんでした。ずいぶんバタバタ過ごしてしまったな。反省。

まずは10月17日のいしいしんじさんとのトークイベントにお越し下さった皆様、本当に本当にありがとうございました! 今は細かな内容には触れませんが(※担当編集者がそのうちコンテンツ化すると言っていた)、体感として「ずっと大阪の話をしていた」という記憶が刻まれています。とても不思議。これからもあちこちへ出向いて、その土地についての話をしたいな、という気持ちになりました。そして、いしいしんじさんが私の新刊の話をたっぷり振ってくださった割に、私がいしいしんじさんの小説の話をまったくしなかったよね! 「『プラネタリウムのふたご』を読んであまりの素晴らしさに書きかけの自作小説草稿をドブに捨てた話」とか、準備していったのに、あっという間に時間切れでした。またの機会にご一緒したときは絶対この話をしますよ……。でも、いしいさんから教わった「朝、起き抜けに書く」の極意に励まされ、いずれはまた創作も、と考えている今日この頃です。

『天国飯と地獄耳』、おかげさまであちこちで書評などいただいて有難い限りです。引き続き、感想お待ちしております。先のイベントでは偽兄おはるさんことオケサドコーヒー&パブリッシングさんと初の飲食コラボができたのも嬉しかったですね。限定ドリップパック、ニューヨークでも配りまくって好評です。謹製コースターもまだまだあるので、また配り歩きに行きたいです。

さて、約一年間にわたり「大手小町」で連載していた『40歳までにコレをやめる』が、11月末で大団円の最終回を迎えました。もともとはずっと塩漬けになっていた書籍化企画で、「40歳になる前にどうにかして原稿を書き上げよう!」と始まった、初めての週刊連載。ずいぶんたくさんの反響をいただいて、翌週の内容をまるまる変更して感想へのアンサーを書いたりもして、リアルタイム感が楽しい連載となりました。毎回ギリギリの更新で編集部には大変ご迷惑をおかけしましたが、なんとかゴールテープを切ることができましたね。次の目標は「39歳までにコレを本にする」です。目下、鋭意改稿中。そして「大手小町」では来年から別のテーマで新連載が始まる予定です。引き続き楽しみにお待ちください。

新連載といえば、もう二つ、三つ。新しくローンチした「ナポレオン」という媒体で、「そのかねを」というタイトルの連載が始まります。「40歳までにコレをやめる」でも何かと話題になった、消費行動と金銭感覚にまつわる話。スマホでサクッと読めるような短めのコラムが続く予定です。また、とある紙の雑誌でもなかなかズッシリした連載の企画が立ち上がっていますので、こちらも続報をお待ちください。

長らく放置していた「note」では、コンテンツを整理整頓して、定額マガジン『夜半の月極』をスタートしました。月額500円で全記事が読み放題になる、という仕組みをトライアル中です。毎月500円ずつ払ったり、マガジンごとに課金したりせずとも、ワンタイム500円で一ヶ月間すべてを一気読みできるように、と考えて作ったモデルなので、気が向いたときに「文庫本を買う」「DVDをレンタルする」といった感覚で読んでいただければ幸いです。留学体験記「35歳でガールと呼ばれる」も読めるし、直近では、パリの話など書いています。まぁでも、商業原稿とはずいぶんノリが違うので、おやつ感覚でどうぞ。

最近では、『FIGARO』のニューヨーク特集に出たり、楽天「それどこ」で海外遠征オタクとしてコメントを寄せたり、あるいは「アパートメント」でアンニさんの連載をレビューしたり。「日本の外に暮らす者」として物を書かせていただく機会も増えてきました。三年前、渡米直後は多忙にも程がある学校生活に追われ、「もう二度と日本語を書く仕事になんて戻れなくなってしまうのでは!?」と思っていましたが、最近はむしろ「世界のどこにいても、英語より多く日本語を書いているよなぁ……」という状態。それがいいのか悪いのかわからないけれども、しばらくこの調子で続けてみます。

デザイナーとしては、今秋から冬にかけての契約で、小さな広告制作会社で働いています。クライアントワークなのであんまり詳細語れませんが、現在のボスはロシア人、クライアントはお堅い米国法人、日本支社向けに翻訳の仕事なども手がけていて、これはこれで面白い。おかげで英語圏での個人制作プロジェクトはずいぶん塩漬けになってしまっているけれど、まずは日本語の新刊を頑張りたいと思います。それもこれも、2019年の課題だな……。あっという間に師走ですね。

ちなみに1月下旬にはまた日本一時帰国予定です。今回は、全日程ほとんど東京のはず。本当は郊外の温泉とか行きたいけどね……日比谷のマンダレイ優先だね……。短い期間ではありますが、お声がけいただけたら嬉しいです。

【告知】大阪でもまれる女。(10/17@ロフトプラスワンWEST)

来たる10月17日(水)夜、大阪ロフトプラスワンWESTでトークイベントを開催することになりました。拙著『天国飯と地獄耳』の帯に素晴らしい推薦文をくださった、作家・いしいしんじさんと、初めての顔合わせとなります。かたやニューヨーク在住、かたや京都在住。中間地点の大阪で待ち合わせ、といったところでしょうか。町歩きの名手とご一緒に、世界のあちこちのオモロイ人々の噂話ができればと思います。

そもそもは5月に東京で実施した「天国飯と地獄耳オフ」が非常に楽しかったので、また似たことを企画したいなと考えていたのでした。そして私、今回の日本帰国の第一目的は、第二の故郷こと三重県伊賀市のユネスコ無形文化遺産上野天神祭へ参加することなんですよ(なんだこの一、二、三のリズム)。まぁそしてついでに、推しの舞台も西で観る。せっかくなので大阪の地で何かしたいと思っていたところ、ご縁がつながり、いつもお世話になっているロフトプラスワンの、初めましてのWEST店からお声がけいただいた次第です。

仕事でも、遠征でも、何度も訪れている大阪。親しい友達を頼って毎春のように国内最高の野外フェスこと「春一番」に通ったりもしていました。降り立つたびに「大阪へやって来た!」と言わずにおれない友部正人勢である。前回滞在時はフォロワーさんたちから、梅田芸術劇場近くで観劇後に一人飲みできる素敵なワインバーをたくさん教えてもらいました。今回も行くぜ。勝手に勝手知ったる気分、とはいえ、自分がメインのイベント開催は初めてなのです。その意味ではめちゃくちゃアウェイ感があるのですが、どうぞお手柔らかによろしくお願いいたします!

岡田育×いしいしんじ「盗み聞きと妄想の悦楽」

『天国飯と地獄耳』(キノブックス)刊行記念

居酒屋、カフェ、大相撲の桝席、飛行機のビジネスクラス――。美味しいごはんを食べながら、隣席の会話を盗み聞きして、妄想をふくらませるというエッセイ集『天国飯と地獄耳』を刊行された、岡田育さん。『いしいしんじのごはん日記』シリーズをはじめ、軽妙な文体のエッセイに定評のある、いしいしんじさん。最新刊『きんじよ』では、京都に暮らす人々の姿を温かく、ユーモラスに描いています。隣人の様子を観察し、あれこれ妄想を膨らませる歓びを、岡田育さんといしいしんじさんがたっぷりと語り合います。ぜひご期待ください。

【出演】岡田育、いしいしんじ
2018年10月17日(水) OPEN 18:30 / START 19:30
前売り ¥2,300 / 当日 ¥2,800(飲食代別)※要1オーダー¥500以上
前売券はイープラス、ロフトプラスワンウエスト電話予約にて9/22(土)発売開始!
■購入ページURL(パソコン/スマートフォン/携帯共通)
http://sort.eplus.jp/sys/T1U14P0010843P006001P002273773P0030001
ロフトプラスワンウエスト電話→0662115592(16~24時)
※ご入場はプレイガイド整理番号順→ロフトプラスワンウエスト電話予約→当日の順となります。

https://www.loft-prj.co.jp/schedule/west/99243

なお、タイトルの元ネタが全然まったく通じないと思いますので、神アクトの動画を貼っておきます。きゃー、B’zのミヤザワさんカッコイー。この曲にも歌われている通り、大阪圏外からあの街へ出向く人間が抱くすさまじいアウェイ感、お邪魔させていただきます感というのは、もう「Englishman In New York」並みのアレがあるのじゃよ!! って、大阪在住の長い友達たちには、何度言っても伝わらないんだよなー。ちなみにニューヨークびとの間では「ハーレムは大阪、大阪はハーレム」というアナロジーがよく使われております。そんな話も、また。

2018-09-27 / 閉じてゆく

「私はこんなことしている場合じゃないんじゃないか」という気持ちに襲われたときには、今も大学図書館の自習室へ行く。たとえ世界で、窓の外のすぐ下で、何が起きていようとも、みんな机に向かって自分の研究や勉強だけに集中している空間。それが最良の選択であり、それがいずれは世界で起きている問題の一つ一つを解決するだろうと信じて、スマホの音量を切り、食べ物も排し、物音を立てないようにそろそろ動いて静寂を保ち、同じ部屋にいる人々と目で会釈だけを交わして、時間が来たらバラバラに帰る。修道院のようでもある。先日「Anchorite/Anchoress」について知ってからそのイメージも重なる。ぶっちゃけ、みんな実際にやってることは授業と授業の合間のメールチェックだったりするかもしれないけど、とてもそんな雰囲気ではないし、自分がそんなふうに時間を浪費すると、自宅で作業するのと違って、ものすごく気が咎める。そんな空間である。

今日もやっぱり氷系能力者の推定英国紳士のヌシが居て、8階のカフェでカプチーノを買って自習室へ向かう私とすれ違いざま、にっこり微笑みかけてくる。眼鏡はクリアフレームに変わり、濃青のピンストライプシャツに黄色いネクタイ、今日はパリッとしているな。本当に何者なんだろう彼は。パソコンと本と筆記具と、ものすごく立派な樹木の枝をかたどった柄のついた、椿か何か花柄のマグカップを持ち込んでお茶を淹れ、論文か何かを書いている。これで校舎内に教官室を持ってるのでなかったらビックリだけど、自分の教官室があるならそこで書けよとも思う。何者なんだ。ここまで来ると訊くのも癪だ。名前も知らない、学生か講師か教授か卒業生かもわからない、ほとんど言葉を交わしたことさえないのだが、お互いを認知している。私は認知してるなんてもんじゃない、ほとんど恋である。

大学へ通った二年間で、私にとって彼は「会いに行ける学問の神様」に昇華した。図書館へ行かない日でも彼のことを考える。今日も明日もずっとそこに居る。自分より華々しい成功を収めた人、自分より大きな課題に取り組んで成果を上げている人、自分より勇敢に巨悪に立ち向かっている人、そんな他人の活躍を見て「私はこんなことしている場合じゃないんじゃないか」という気持ちに襲われたとき、いつも自習室のことを思い出す。あそこへ行こう、ヌシが支配している聖域へ。俗世の邪念にまみれた心を浄めるために。すべきこととすべきでないことを見誤らないように。私ができることは無限にあるようで、じつはこれきりしかないのだ、という行いを、いつかちゃんと見つけられるように。

ニューヨークタイムズのアプリの通知が鳴り止まず、それはカヴァノー連邦最高裁判事候補者への性暴力告発、フォード教授出席の公聴会のニュース。今書いている原稿のテーマについて考えるならば、本当はこっちをちゃんと観るべきではないか、と思いつつ、ここは自習室なので画面を伏せる。

筆が滞りがちである。単に日本からの細かな、その場その場で片付けるような仕事が減っているだけではなく、もっと大型の長い呼吸の必要な仕事に取りかかる方法がわからなくて、途方に暮れている。私自身、何処へ向けて何を書けばよいのかを見失っている感じがする。しかしきっとそんな時間も必要なのだろうと思う。もっとがんがん書けばいいのに、書かなきゃ始まらないのにな、と思いつつ、うろうろと「やらない言い訳」を考えてしまう、たとえばこんなふうに。しかし本当に「私は私でしかない」と思い知る三年だった。水も遣っていないはずなのに、傲慢さと謙虚さとが同時にすくすく育っていて、まるで枝ぶりが変わってしまった。

そんななか、ガメユベール氏の書いた「日本語」にまつわるブログ記事がとても素晴らしく、つらつらと感想を書いていた。ね、「日本語で書く」なんて、世の中の激しい動きの中で追いつき追い抜き追い越したかったら、究極的に「こんなことしている場合じゃないんじゃないか」と感じられる行為である。でもそれが必要な時もあり、それが必要な人もいて、要不要は自分で選べるものではなかったりもするのかもしれない。スレッドにある通り、「詩人」を名乗れたら楽なんだろうけど、私は「詩人」ではない。と、この日記も自習室で書いている。本当は別の原稿を書かないといけない。画面をまた一つ閉じる。

ちょっと! これだけはどうしても未来の自分用に追記しておきたいんだけど、ヌシ、上着が淡いモスグリーンのウールジャケットだったよー! 苔色ではなくて、抹茶ラテの飲み残しみたいな、もっと白っぽい色。焦茶のパンツと茶色い革靴と最高に合うよ、萌え殺す気か(死んだ)。ものすごくオシャレというわけではないんだけど、めちゃくちゃ徹底されたトーン管理の中で服を選んでいることが窺えて素晴らしい。これはルックスの話をしているのではなくて、人となりの話なのである、完全に。日本の出版社とかには結構いるタイプだけど、この大学では非常に珍しい人種。形容が追いつかない語彙の乏しさが恨めしい。周囲はみんな寮の部屋着みたいなイージーパンツとか、タンクトップにアーミージャケットとか、ネルシャツインとかなので。察してほしい、このヌシの聖性を。

2018-09-26 / 雨乞い

中秋の月は見事に雲隠れ、ぐずついた天気が続く。そういえば渡米後初めて、ニューヨークアートブックフェアへ行かない秋だった。家の近所にPrinted Matterの分家ができたので、しばらくしたら覗きに行く予定。こういうの、コミケでもあるよな、現場には行けなかったけど落ち着いたらまんだらけの出物を漁ろうみたいな。よくない。


26日はSting&Shaggyのライブを観に、銀の靴履いてPier17のルーフトップへ。最新アルバムが近年稀に見る素晴らしい出来だったので、これは是非ともサブスクリプション以上の課金がしたいと思っていたのと、あと「いつかニューヨークで生でEnglishman In New Yorkを聴きたいものだが、こういうミーハーな願いほど、いずれそのうちと思っているうちに薨られてしまうかもしれない」という恐れがあったので。「推しの高齢化問題」がここでも起きている……。案外あっさり実現し、なんと一曲目から「Englishman In New York」 だった、じじいサービス精神旺盛過ぎだろ。

Sting&Shaggyの新譜の素晴らしさは基本的にMIYA&YAMIのソレと同じであるが(雑だな)、セットリストも配慮が行き届いており、新譜、ポリス、新譜、ブルータートル、新譜、新譜、ポリス、フィールズオブゴールド、アンコールがEvery Breath You Take、といった驚きのベタさで、ニューヨークが特別というよりこれで全世界ツアー組んでるんだろうな、という臆面の無さ、そして安定感。場内ほとんどイントロドン状態である。これも完全に、THE BOOM、GANGA ZUMBA、THE BOOM、GANGA ZUMBA、THE BOOM、シンカヌチャー、アンコールが島唄、みたいな話で……いや、いいと思う。シャギーが大変よい仕事ぶりで、出しゃばらずやりすぎず欠けたものを補い合いつつ両雄並び立っており、マジで観に来てよかった。やはり、じじい一人ではちょっとな。盛り上がりがな。若い衆とのシンメ売りって本当に素晴らしいよな。

客層で圧倒的に多かったのはいかにも意識高そうな、意識で聴く音楽を選んでそうな、東海岸風ちょいダサ中高年白人夫婦。それより若めのチャラッとした層は聞き耳を立てるとヨーロッパ系やヒスパニックなど非英語での私語が多く、ああきっと私と同世代で幼少期にラジオの洋楽で英語を憶えたんだろうなー、などと妄想たくましくなる。だからリアルタイムより一世代ズレるのに違いない。私も歌詞対訳とかやったよ、うんうん。彼ら推定Legal Aliensが、新曲「Dreaming In The USA」でまぁ盛り上がること盛り上がること。私もですけど。常時シンガロング+スマホ撮影の会場にものすごい苦手意識があって、こちらであんまりこの手のライブ行ってなかったのだけど、来ると毎回、悪くないなと思う。

ずっと涼しくて風の吹き抜ける心地よい天気だったのに、アンコールだけ大豪雨となり、あれはもう絶対にシャギーの下半身駆動な雨乞いが天に届いたのだ。周囲の客たちとビショ濡れで大笑いしながらハイタッチして別れた。たぶん、前座DJが「甥っ子」を自称してたのと同じで、私も周囲のおねえさまがたに「姪っ子」みたいに思われていたんだろうな。おまえ小娘の割によくやった、みたいな。結構よい位置から動画たくさん撮ったのでいずれ投稿したい。びしょびしょになってTシャツ貼り付いてめくれたスティングの腹の線、エロかったわー。いやアンコールはあまりの雨に指でスマホのロック解除もできないほどだったので撮れていないのであるが。

2018-09-24 / 三階から名月

「いや、これもうフルムーンでしょ?」「え、端っこぼやけてるから、まだじゃね?」と話している西洋人の女の子たちとすれ違ったのが二日ほど前。今日は中秋の名月、今のところ晴れ、夜にはどうだかまだ不明。中国人は月餅食べるのかな、私はおだんご食べたいね、見渡す限りススキらしいものはどこにもないニューヨーク。東京医科大の女子受験生差別発覚からこちら、捕鯨問題絡みやら、USオープン絡みやら何やら、日本語圏から届くさまざまなニュースを眺めては気が滅入り、アウトプットよりはインプットの時期というのを口実に、家に引き籠もってぐんにゃり過ごすことが増えてしまった。今は『新潮45』の、というか杉田水脈議員のLGBT差別寄稿問題が噴き上がっていて、これまた中てられる。ひとつひとつ清算していくしかない。土曜日は、フェミニズムをテーマに活動しているというアートプロジェクト「FEM FACTORY」のポップアップへお邪魔して、ネイルアーティストに爪を銀色に塗ってもらう。小さな宇宙服を身に纏った気分。ちょうど一週間前、SpaceXの世界初民間月観光旅行が前澤友作氏と契約したというニュースもあったな。これは少しだけ明るく照らされる話題。ま、そんなことはTwitterで書いていればよい。

暑すぎる夏、我が家のリビングは二面窓でブラインドがまったくの役立たず、セントラルヒーティングのオマケみたいな冷房もバカになってしまって温風を吐き出すばかり。室内の体感気温が40度近くまで跳ね上がって、朝夕の時間帯は積極的に外へ出て頭を冷やしたりしていた。遮光カーテンとりつければよいのだろうが、日本でもあんなに高価だったもの、これだけの面積買って設置する勇気がない。同じアパートメントのどの部屋もそんな特別なことはしておらず、みんなどうやってしのいでいるのだろうと不思議でならない。夫婦揃って在宅仕事という我々のほうが珍しいのかもしれない。

とか言ってるうちに、最後の真夏日の後で幾度か冷たい雨が降り、キャミソールに短パンにビーチサンダルで出歩いていた女の子たちがいっせいにヘソ出しTシャツとジーンズとスニーカーに切り替え、痩せた老人から順番にダウンベストを着始めて(さすがに気が早い)、オシャレな人だけが秋色の服を着ている、という、いつものあの季節が到来した。毎年同じことを言っているけれど、半袖にブーツを履く服装がちょうどよく、どこまで散歩してもまったく汗をかかなくなり、といってウィンドブレーカーより厚いコートは着なくてもよい、このくらいの気候がとても過ごしやすい。ずーっとこんな天気ならいいのに、と思うけど、ほんの二週間くらいで終わってしまい、そこから先は「念のため防寒のコートを持っていく」という急変しやすい気候の始まり、後はひたすら寒さとの戦いだ。

英語圏の仕事はほとんどせずに、日本語漬けの毎日を送っている。久しぶりに真面目に文芸誌など読んだり。世界のベストセラーを母語で読めるのがどれだけ貴重で稀少で、そして「当たり前ではない」ことか、について考え続けている。1999年にノストラダムスの予言が的中して地球人類は滅びると信じている子供だった。ここ十年は、きっと日本語は、日本語を軸とした文化は亡びるのだろう、という予感が確信に変わる時間であった。小さなパイをさらに細かく細かく区分けして、友と敵とに分かたれて、最後にはもうどっちがどんな味だかわからないし、誰も手を伸ばして食べたがらない。ではなぜ日本語で書いているのか。「日本語で書いている状態」と「英語で発信することをサボッている状態」との違いは何なのか。そんなふうに、ぐんにゃり過ごしている。岡本綺堂は二階から、私は温室のように熱の籠もる三階から、分厚いガラスで英語の世界と隔たって、本当に、どうして日本語で日記なんか書いているんだろうね。最近はすっかり諦めてしまい、君の書いているものは何なんだ、と問われたら「平安時代に清少納言という人がいて〜、」から説明するようになった。千年紀で殴る。