2020-01-04 / 自己紹介

2017年の正月に、長めの自己紹介を書きました。これは2015年夏に渡米してからの環境変化を踏まえて書いたもので、執筆当時はまだ大学生。内容もずいぶん古くなってしまったので、2020年の正月に新バージョンを書きます。今回もまた「ゼロからの自己紹介」のつもり。そして、前回は「逆順」だったので、今回は趣向を変えて「正順」にしてみます。少し長いですが、読むほうもダラダラお付き合いください。


岡田育といいます。職業は「文筆家」です。私が先達に倣って名乗り始めたのは2012年からですが、近年、日本語圏でこの肩書きを使用する人が微増している気がして、心強いです。今までにエッセイの単著を四冊、文庫化もされた共著を一冊、刊行しています。ご依頼があれば、インタビュー取材、テーマコラム、書評や映画評なども手がけ、テレビやラジオの番組に出たり、イベントに登壇したりすることもあります。

1980年東京生まれ、東急電鉄沿線で育ちました。実家は親より古い一軒家で、五人家族にはあまりにも狭すぎる間取り。親元を離れるまで「自分ひとりの部屋」を持ったことがなく、二十歳過ぎても二段ベッドで寝起きしていました。結果、「孤独になれる」時間や空間を最高の贅沢と感じる子供になりました。往復一時間の電車通学では図書館で借りた本を読み、家族が寝静まった深夜は布団にもぐってラジカセで音楽を聴くか、手元の灯りで物を書く。立派なオタクの出来上がりです。

バブル好景気に沸く日本の狂騒を、幼心にギリギリ憶えている世代です。当時の私は、ジャパンこそがナンバーワン、東京こそが世界文化の中心地で、その恩恵をダイレクトに受けられる自分は大変幸運であり、大人になればただそれだけで薔薇色の未来が開けると信じていました。右肩上がりのその幻想が、泡とはじけたときに10代半ば。昇っていく予定だった梯子を突然外されて、社会から蹴り出されたような気分でした。

太宰治『人間失格』の手記は「恥の多い生涯」と始まりますが、私の一冊目の著書タイトルは『ハジの多い人生』。「ハジ」は、「ハジッコ」の「ハジ」です。教室の片隅、放課後の屋上、日記帳の余白、タイ焼きのミミ、カセットテープの終わった残り、繁華街の路地裏のちょうどいいくぼみ、あるいは、日本列島がド真ん中でなく東端に描かれている世界地図。なるほどなぁ、私がこの世の「中心」や「頂点」に辿り着くことは絶対ないんだろうけれど、それはそれで楽しく生きていくしかないな、と考えるに至った少女時代について書いた本です。

『ハジの多い人生』(2014)

この本は2020年春、装いも新たに文春文庫に加わる予定です。現在市場に出回っている、新書館から刊行された親本のほうは入手困難となりますので、にほへさんの超絶かわいい装画や挿絵をお手元に置いておきたいという方は、急ぎお買い求めください!!


慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)に進学した理由は、「蘭学に触れるには、長崎へ行くしかない!」。これからの世界を大きく変えると噂されていた、インターネットというものに触れてみたい一心でした。合格が決まってから生まれて初めてパソコンを手に入れて、1998年頃からHTMLでホームページを制作し、ウェブ日記を書いたり、いわゆる二次創作同人サイトを作ったりしていました。1999年に先輩から「すごい検索エンジンができた」と初めてGoogleを見せてもらったのも、2002年に初めてはてなidを取得したのも、母校の特教だったと記憶しています。

1999年より佐藤雅彦研究室の一期生として、表現とメディア、教育方法論などの研究をしていました。ADC賞を受賞した『動け演算』や、NHKの教育番組『ピタゴラスイッチ』の制作に参加。学部生のときから企画立案と運営に携わっていた、携帯電話(i-mode)と新聞紙面を使った新しい社会調査プロジェクト『日本のスイッチ』で修士論文を書きました。

また、2001年から沼田元氣事務所で編集助手のアルバイトを始め、紙の書籍という物理記録媒体を世に残すことに高い関心を抱くようになります。沼田さんにはその後、池袋コミュニティカレッジ「乙女美学校」の活動でもお世話になりました。

2004年に中央公論新社に入社。2012年まで8年半勤めていました。最初に配属されたのは中高年世代向けの女性雑誌『婦人公論』編集部で、主に巻頭特集の企画と、著名人のインタビュー記事を手がけました。小説や漫画、カルチャー欄の連載も担当して、サイトリニューアルや公式ブログ開設にも関わり、あちこち潜入取材してルポ記事を作ったこともあります。

次に配属されたのは単行本書籍を手がける編集部で、純文学から時代エンターテインメント小説、大型新聞連載から新人作家のデビュー作、エッセイや将棋の本まで、何でも担当しました。当時はあくまで会社の看板を背負って働いていたわけですが、どれも思い入れが深い仕事です。在職中に手掛けた作品の幾つかが賞を受賞したこと、また、独立後に樋口有介さんや富樫倫太郎さんの元担当編集者として文庫解説を書かせていただいたことなど、嬉しい思い出です。


2020年は、サラリーマンの「編集者」として勤めた時間を、自分の名を出す「文筆家」として働いた時間が上回る、節目のタイミングでもあります。そう考えると長いものですね。将来に悩む若い世代からはよく、「いつ、なぜ、どのように転職を決断したのか?」という質問を受けますが、そのあたりは昨年出した最新刊『40歳までにコレをやめる』に詳しく書きました。ちなみにこの本、出版社時代に川上未映子さんの本を一緒に担当していた読売新聞の方に連載枠をいただいて、ようやく書き上げたものです。ご縁は続きますね。今後、韓国語版の刊行が予定されています。

『40歳までにコレをやめる』(2019)

2013年に結婚した顛末については、『嫁へ行くつもりじゃなかった』という本に書きました。フリッパーズ・ギター『海へ行くつもりじゃなかった』が元ネタです。恋愛感情の無い相手と結婚する、いわゆる「交際0日婚」「いきなり婚」というやつです。「嫌になったら明日にでも離婚できるんだし」と軽率に決めた割に、気がつけば6年7年。これまた長い。おかげさまで夫のオットー氏(仮名)(※年齢性別国籍経歴いずれも非公表)とは、現在に至るまで、恋ナシ、愛アリ、魂の双子のように良好な関係を築けていると自負しております。

『嫁へ行くつもりじゃなかった』(2014)

『オトコのカラダはキモチいい』というタイトルで、AV監督の二村ヒトシさんと、社会学者の金田淳子さんとの共著も出しました。アメリカで知り合った人には、「男性主導で発展してきたアダルトビデオやHENTAI的なポルノグラフィと、女性主導で発展してきたやおい・ボーイズラブ・腐女子の文化から、日本社会の性とジェンダーについて、はたまた『有害な男性性』からの解放について、考察した本である」と説明しています。英語圏で自己紹介するとき、最も食いつきがいいのはこの本ですね。海外翻訳出版のご提案、お待ちしております!

『オトコのカラダはキモチいい』(2017)

2013年からフジテレビ系の朝の情報番組『とくダネ!』にレギュラーコメンテーターとして出演していたのが、世間的に見て最も「目立つ」仕事だったと思います。ちょうど同時期に続けていた、cakesの座談会連載「ハジの多い腐女子会」や、雑誌『LaLaBegin』の連載「メガネに会いたくて」、また、文化系WEB女子同人『久谷女子便り』での活動なども、多くの方にご記憶いただいているようで有難いです。


2015年8月には、米国ニューヨークに転居しました。35歳にして初めての海外生活。それまで仕事で英語を使ったこともなく、収入も激減することが予想されました。非ネイティブの外国人が最短距離でキャリアを形成するには? と考えた結果、ニュースクール大学傘下のパーソンズ美術大学でグラフィックデザインの準学士号を取得。現在は広告代理店やデザイン事務所と個人契約を結び、デザイナー、ブランドコンサルタントとしても働いています。

新商品のパッケージ開発、企業ロゴやウェブサイトのリニューアル、グローバル市場に向けた広告戦略など、広義のブランディング業務が主軸となりつつあります。クライアントワークなので私の名前が表に出ることはありませんが、編集者として培ってきたスキルを言葉の壁を超えて活かすことができ、とてもやりがいを感じています。

とはいえ実態はさんざんなものです……。昨年はとくに、納期がずれ込みやすいプロジェクトを幾つも請けてしまい、事務処理も倍以上に膨れあがり、スケジュール管理がガタガタになってしまいました。多方面にご迷惑をおかけしましたこと、猛省しております。2020年以降は、なんとしても働き方を改善せねば、というのが正月の抱負です。

『天国飯と地獄耳』(2018)

三冊目の著書『天国飯と地獄耳』は、東京時代に雑誌連載していた前半部分と、ニューヨーク留学中の空白期間を経て書き上げた後半部分からなる、ハイブリッドなエッセイ集です。こちらについては台湾での翻訳出版が予定されています。楽しみ楽しみ。

世界中から社会人留学生が集まるアートスクールでの「二度目の大学生活」は大変有意義なものでした。米国は日本とはまた違う意味での学歴社会で、何歳になっても、何度でも、大学へ通い直して新たな専門性を身につける大人がたくさんいます。就職活動の仕組みも違い、働き方もずっと自由なので、実力を示せば誰でも新しい分野に挑戦することができるのです。在学中に書き殴っていた暗号のような日記やメモを整理して、いずれちゃんとした留学体験記をものしたいと思っています。

現在は、集英社の文芸誌『すばる』での連載「我は、おばさん」と、読売新聞大手小町での連載「気になるフツウの女たち」を進めています。その他、まだ言えない進行中のプロジェクトがいくつか。年に数回は日本に一時帰国して、東京に限らずあちこちへ出かけ、こつこつ仕込みを続けております。


最新の近況については Twitter を参照していただくのが一番よいと思います。英語圏ではTwitterの代わりに Instagram で日記をつけていて、ごくごくたまに、Mediumでも書いています。三日坊主の私が12年以上、毎日欠かさず続けているのはtweetだけですね。ほとんどゴミ捨て場のような使い方ではありますが、あれもまた一つの「活動拠点」と捉えています。

もともと新しもの好きで、新サービスを見つけるととりあえずアカウントを作ってしまうのが悪い癖。今年、長年愛用してきたはてなグループが終了してしまうこともあり、これを機に発信チャンネルも縮小傾向でと考えています。ここ数年、何もかも盛り沢山だったので、公私ともにスッキリさせる、というのが今年の目標ですね。2020年も、どうぞよろしくお願いいたします。

NEWS

2019-11-09 / わたしの好きな街と仕事

大変ご無沙汰しております。公式サイトのブログはもちろん、Instagramまで投稿が滞ってしまいました。Twitterだけは「いつ寝てるんですか?」と真顔で訊かれるほど更新していますが、あれはね、寝ながら寝言をつぶやいてるんですよ。意識してSNSと距離を置いているとか、とくに深遠な意図があるわけではなくて、9月の日本出張からこちら……まったく慌ただしく過ごしており……文字通り、涙目で起床してはそれを拭う間もなくベッドに倒れ込む繰り返し、時間的余裕がなく、精神的な余裕もなくなり、さすがに無理、と思っているうちに10月が終わってしまいました。ちょこちょこ遊びに出かけたりはしていたけど、誰とどこで会って何をして楽しんだのか時系列がまったく思い出せない。

そんな合間にも、各種新プロジェクトが続々進行中です。一冊目の本『ハジの多い人生』の文庫化が正式に決まりました。今からどんなふうになるのか楽しみ。そして、立て続けに既刊の海外翻訳出版も決まっています。早く現地の友人に自慢したいのだが、グッと我慢……。

解禁できる情報としては、12月にポプラ社から刊行される、SUUMOタウン編集部のアンソロジー『わたしの好きな街』に参加しています。「SUUMOタウン」はリクルート住まいカンパニーが運営するオウンドメディアで、以前書かせていただいた「四谷」にまつわる思い出語りに加えて、2019年に再訪したときの追記をちょこっと書きました。入稿は無事に片付いたけど、この本のためだけの書き下ろし語り下ろしもたっぷりなので、私もまだ全容を知らないんですよね……。手に取るのが楽しみです。

 



『わたしの好きな街 独断と偏愛の東京』
SUUMOタウン編集部(監修)

発行:ポプラ社
四六判 256ページ
定価 1,400円+税
ISBN:9784591164822


青春という言葉は嫌いだけど、
語るべきことはあの街にあった。
酸いも甘いも詰め込んで、
総勢20名が本音で書き、語る。
東京で暮らすこと、働くことのすべて。
住めば都? 実際どうなの?
あなたの「住みたい」を後押しする極上のエッセイ集。

【エッセイ】
雨宮まみ『都会と下町、まるで違う二つの顔を持つ街「西新宿」』
岡田育『昼はコドモ、夜はオトナのものとなる「四谷」――飲んで飲まれて歩いて帰れる街で暮らした日々』
ひらりさ『「実家脱出ゲーム」を成功させるために――三十歳おひとりさまライターが語る「東新宿」』
枝優花『「高田馬場」ゴミロータリーで過ごしたかけがえのない時間』
九龍ジョー『社員(シャイン)オンユー東中野』
夏目知幸『先行きなくともただひたすら楽しかった 東高円寺でのその日暮らし』
カツセマサヒコ『何者にもなれない僕が「荻窪」にいた』
美村里江『世田谷代田の秘密基地――「役者の色」に染め直してくれた夕日と住宅街の景色』
山田ルイ53世『一発屋であることを呑み込んだ「中目黒」』
ヨッピー『渋谷のヤクザマンションの話――僕が繁華街に住むことをおすすめする理由』
山内マリコ『吉祥寺で過ごした二十代は悲惨だった』
もぐもぐ『自由とカオスと町田』
pato『僕には八王子という“距離”が必要だ』
小野寺史宜『ノー銀座、ノーライフ――この街に住むことをあきらめない』
pha『東京に住んでいるのは嘘なんじゃないかって今でもときどき思ってしまう』

【上京物語】
みうらじゅん『東京で暮らすなら、いつも心に「不真面目」を』
東村アキコ『家賃を稼がなくちゃいけないから、ここまで描いてこられた』
鈴木敏夫『ジブリの秘密は“4階”にあった――「時間と空間」をめぐる五十年』
他、加藤一二三、赤江珠緒へのインタビューも収録。

https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784591164822

 


忙しいのは別にネガティブな話ではなく、おかげさまで日米の二重生活が調子良く軌道に乗ってしまった、というだけのことです。今夏はグラフィックデザイナーとしては実質無職で、その空き時間を使って文芸誌で月刊連載を始めたのですが、これも「隔月じゃないと絶対に無理です!」と訴えていたのを敏腕編集者が「まぁ、時々休んでもいいですよ〜」と笑いながら言う口車に乗せられているうち、あれよあれよと月刊進行が定着してしまい、落とすわけにはいかない空気に。なんで今月号にも無事に載っているんだろう。不思議。編集部に信じられない負荷をかけているはずだし絶対無理だと今なお思ってる。でも有難いことです(ごめんなさい)。

で、そこに突然、通常の倍くらいの回転速度で進行する上に思ったより長引く新規クライアントの仕事が入ったと。そりゃあ首が回らなくもなります。9月に日本で会った人たちの大半に「秋冬はめちゃくちゃ暇なので〜」と言っていた、あれは何だったんだ。ただの嘘でした。思い返せば本当の意味で暇になったことなど一度もない人生である。一週間の九割九分を狭い自宅でパジャマ着たままPCに向かって作業しているうちにメールの返事を10日止める、みたいなことを繰り返していたらあっという間に二ヶ月。まるで褒められた働き方ではないが、なかなかに充実している。

現在進行形で具体的に何をしているのかは秘密保持契約の都合で書けないことが多いけれど、大学で勉強したデザインスキルを活かし、引き続き「何でも屋」を続けている感じです。最初は下請け臨時雇いのデザイナーとして採用され、途中からバイリンガルのコピーライター職や、イラストレーターの役割も任されるようになり、そのうち決裁権を持つ人の相談役のようになって、自分が作ってないものにまで口出してブランドコンサルタントとして報酬が出るようになる……という流れを幾筋か経験して、だいぶ自信がついた。取引先はもっぱらスモールビジネス。フルタイムで雇うより安くつくし、先方も「何でも屋」に頼めたほうがラクだよね。我ながら便利よ。とくに営業をかけていないのに、似たような問題を抱えた依頼主がやって来るのが面白い。それで一人称に「we」を使いながら、自分が所属していない会社組織のことを渾渾と考え続ける、探偵や傭兵や軍配者のような暮らし。

ちなみにこれ、日本においては多分、いつまで経っても最下層のジュニアレベルデザイナーとしての給料しか出ないですよ。職場における茶飲み話でどれだけ画期的なアイディア出そうとも、誰か前任者のマズい仕事ぶりにメスを入れてゼロからクリエイティブをまるごと作り直してやっても、気の良い上司が自腹で一杯奢ってくれたらいいほうで、考課査定の範囲外。そういう目で見ると私は「経験二年のパート」だし「35歳以上」だから雇い止め一直線。日本ではできなかった働き方だ。何故なんだろうな。

新卒サラリーマンとして働いていた編集者時代、別の業界にいる目上の社会人から「ちょっと君の意見を聞かせてよ」と喫茶店に呼び出されて、新商品やサービスのプロトタイプについて相談に乗ることがよくあった。こちらへ来て初めて、「あれ、コンサルティングの仕事じゃん! ミーティングについても分刻みで時給百ドル単位の請求書を立ててよかったんだ!」と知りました。ようやく。遅いよ。なくそう時間泥棒。もぎ取ろう副業収入。減らそう実働時間。脳味噌は毎日フル稼働だし、加齢に伴って徹夜作業はきかなくなってきているけど、でも、昔と違って身体は壊さずに済みそうですね。引き続きうまく回せるようになりたい。

活動履歴(2017年)

本年もお世話になりました。怒涛の大学生活からもやっと解放されたことだし本格的に活動再開、と思っていたのですが、やはりまだまだ二足の草鞋を履きこなして一足に束ねるところまでは至らず、という一年でした。前半はデザインの仕事に追われて疲れ果て、後半は『オカキモチ』文庫化を中心として日本時間で昼夜逆転の打ち合わせをすることが増え、なかなかまとまりがつきませんでしたね。

でも、よかったこともたくさん。英文tweetをきっかけに書いた英語記事「Otaku Girl And Proud」を結構な数の人に読んでもらえたので、今後もサボらずにMediumを続けていきたいと思います。パーソンズの教授と始めた「 #日本の漫画とファッション 」勉強会のようなことは、まだまだやっている人が少ない。今のところ一銭にもならないけど、2018年は軽く日英併記のZINEを出すくらいの活動につなげていきたいと思います。デザイン仕事の副産物も増えてきたし、とにかくモノを作って売ってみたい! という気持ち。

『ユリイカ』の志村貴子特集では論考とは名ばかりの自分語りエッセイをたっぷり書かせていただいて、20代の頃にメインフィールドの一つだった「女子校出身こじらせ」ネタについて、なんだか憑き物が落ちたような気分です。時を同じくして、長年愛読していた「SUUMOタウン」に母校のある街・四谷について寄稿できたこと、それで2017年人気記事ランキングに載ったことも光栄でした。本当はあの三倍くらい書きたかったんだけど、またの機会に。例のマンション建設問題も年内に落着したようで何よりですね。

一時はどうなることかと思った『オトコのカラダはキモチいい』増補完全版も無事に年内刊行されました。私にとって初めての文庫本です。共著者の連名なので、五十音順だと二村ヒトシさん扱いで「に」の棚に置かれるようです、チェックしてみてください。『ハジの多い人生』『嫁へ行くつもりじゃなかった』も、そろそろ廉価版になってもいい時期なんですが、有難いことに親本価格のままの電子書籍が今も動いてはいるので、一時代前のようには簡単に文庫版になったりはしないものなのかもしれない。というわけで、貴重な機会でした。

来年は『天国飯と地獄耳』の書籍化が控えています。これも最初の連載開始からはおそろしく長い時間が経ちました。正月からは新連載も始まります、こちらも……企画段階から紆余曲折して五年越しくらいになるのか……? なんとか年内に着地点を見つけたいところです。大人の事情により『女の節目』の書籍化が宙ぶらりんになってしまっているのもどうにかしたいですね。

過去に書いたものがどんどん自分の手を離れていっているように感じられる一年でもありました。生活環境の変化によって文体もずいぶん変わり、「書かないこと」のほうに意識的になる一年でもありました。エッセイストとして依頼を受けるようになって五年、「ひたすら自分自身の内面についてノンフィクションを書く」(評論やデータ分析の手法からは距離を置く)ことを厳しく自分に課していたのですが、来年はその辺りも少し柔軟に捉え直しつつ、一方で、ものすごく久しぶりにフィクションを書くことに手を出してみてもよいかな、と考えたりしております。まぁ、考えるだけならタダなんですけれども! ご意見ご感想、こんなものを書くと面白いんじゃないか、といったご提案もお待ちしております。2018年もよろしくお願いいたします!

*  *  *

書籍

キノノキ連載「天国飯と地獄耳」

cakes連載

その他の記事

解説&レビュー

  • 2017-03-30 webDICE「骰子の眼」に上記映画評が転載されています。→ 記事へ
  • 2017-04-05 映画『作家、本当のJ.T.リロイ』パンフレット寄稿
  • 2017-07-27 『本の旅人』8月号に書評を寄稿(二村ヒトシ『僕たちは愛されることを教わってきたはずだったのに』)
  • 2017-08-22 「カドブン」に下記書評が転載されています。→ 記事へ

note連載「35歳で、ガールと呼ばれる(仮)」

Medium連載「Otaku Girl And Proud」

イベント登壇&番組出演

その他

  • 2017-05-20 前野ウルド浩太郎『バッタを倒しにアフリカへ』(光文社新書)の文中に名前が出てました。名著に名を刻めて嬉しい。
  • 2017-10-07 趣味のInstagramアカウントをもう一つ作りました。のら数字の蒐集。 → Wild Numbers

2017-11-20 / 四谷、もつ鍋、時差のない暮らし

ちょっと日本行って帰ってきました、今は12月5日。また日記をためていたので思い出せる範囲のことを書いておく。
11月のサンクスギビング前、時事的な需要もあり、久しぶりに『日の名残り』や『美女と野獣』など昔懐かしい映画を観る。それぞれ感想はTwitterに書いたりしたので割愛。初見の夫の感想が面白い。夫はずっと『HOMELAND』の二匹目のドジョウを狙ったような、精神を病んだ腕っぷしの強い女主人公が謎を解くような新作ドラマばかり観ている。どの女も同じように精神を病んでいるので私には区別がつかない。最近の流行りなんだと思うが、「精神を病んでいても、病んでいるからこそ、物語の主人公になれる」というストーリーが一般視聴者にもてはやされるのは現代社会の闇っぽくもある。
はてな編集部からお声がけいただき「SUUMOタウン」に寄稿した〈昼はコドモ、夜はオトナのものとなる「四谷」 飲んで飲まれて歩いて帰れる街で暮らした日々〉という記事、あっと言う間に300以上のブックマークがついて驚く。あんまり大した内容じゃない……というと謙遜が過ぎるかもしれないが、もっとずっと実用性の高い記事が多いなか、ごくごく私的な体験だけを書いてこれだけ多くの人に読んでもらえるというのは驚きとともに嬉しい気持ち。そして断言できる、バズッたのは、はてな編集の「編集」の力です。打ち合わせや下調べから校閲、遠隔指示での写真撮影、クライアントチェックに至るまで、ものすごく質の高い編集を手がけてくださって、久しぶりに大船に乗った気持ちで原稿の手直しができた。そういうことを感じるのが、紙の雑誌媒体ではなくウェブ媒体、しかも、はてな!! ということに隔世の感がある。
ちなみに通っていた女子校の所在地について書いたのは今回が初めて。『ユリイカ』志村貴子特集と併せてお読みいただければ、だいたいどんな雰囲気の中で思春期を過ごしたのかおわかりいただけるのではないだろうか。ずっと出身校名を伏せているのは、基本的に学園内情についての取材禁止という校風が続いていて、私が何か書くことで現役の在校生たちに迷惑がかかってはいけないから、というだけのことなんだけれども、さすがにそろそろ時効なんじゃないかと思って書いてみた。こういう機会があると吹っ切れて、『ハジの多い人生』とか、今から全部書き直したくなるね。
その他には、渡辺千賀さんの米国養子事情についての記事から、あれこれ考えたり
17日は、佐久間裕美子さんと唐木元さんとランチ、ブルックリン「NORMAN」にて。食について意識高くならざるを得ない事情のこと、ニューヨークのまだ知らない場所について、女子校生活が人生に落とした影について、などなど。日が傾くまでしゃべっていた。のち、友人宅で餃子ともつ鍋を食べる会。しこたま酔った。もつ鍋は「博多トントン」のテイクアウト。夕方、店内へ引き取りに行ったら待ち行列のできる満席、もうもうと湯気の上がるなかどのテーブルももつ鍋に舌鼓を打っており、「えっ、換気……うわ、カナダグースとかモヘアとか着てる人いますけど……」と心配になったのだが、翌日の匂いが怖くてもつ鍋が食えるか、というあの日本人と同じ感覚をニューヨーカーもとっくに身につけているのかもしれない。いや服装は考えたほうがいいと思うけどね。
19日から20日にかけて、『オトコのカラダはキモチいい』文庫版の入稿責了を終えて、すっかり日本語脳に。昼夜逆転でSkype会議をしていたりもしたので、これでは、ほとんど日本にいるようなもの。21日の朝便で出発してからもまったく時差に悩まされることはなかった。むしろ帰ってきた今がキツいです。というわけで次回は日本滞在記。