2020-01-04 / 自己紹介

2017年の正月に、長めの自己紹介を書きました。これは2015年夏に渡米してからの環境変化を踏まえて書いたもので、執筆当時はまだ大学生。内容もずいぶん古くなってしまったので、2020年の正月に新バージョンを書きます。今回もまた「ゼロからの自己紹介」のつもり。そして、前回は「逆順」だったので、今回は趣向を変えて「正順」にしてみます。少し長いですが、読むほうもダラダラお付き合いください。


岡田育といいます。職業は「文筆家」です。私が先達に倣って名乗り始めたのは2012年からですが、近年、日本語圏でこの肩書きを使用する人が微増している気がして、心強いです。今までにエッセイの単著を四冊、文庫化もされた共著を一冊、刊行しています。ご依頼があれば、インタビュー取材、テーマコラム、書評や映画評なども手がけ、テレビやラジオの番組に出たり、イベントに登壇したりすることもあります。

1980年東京生まれ、東急電鉄沿線で育ちました。実家は親より古い一軒家で、五人家族にはあまりにも狭すぎる間取り。親元を離れるまで「自分ひとりの部屋」を持ったことがなく、二十歳過ぎても二段ベッドで寝起きしていました。結果、「孤独になれる」時間や空間を最高の贅沢と感じる子供になりました。往復一時間の電車通学では図書館で借りた本を読み、家族が寝静まった深夜は布団にもぐってラジカセで音楽を聴くか、手元の灯りで物を書く。立派なオタクの出来上がりです。

バブル好景気に沸く日本の狂騒を、幼心にギリギリ憶えている世代です。当時の私は、ジャパンこそがナンバーワン、東京こそが世界文化の中心地で、その恩恵をダイレクトに受けられる自分は大変幸運であり、大人になればただそれだけで薔薇色の未来が開けると信じていました。右肩上がりのその幻想が、泡とはじけたときに10代半ば。昇っていく予定だった梯子を突然外されて、社会から蹴り出されたような気分でした。

太宰治『人間失格』の手記は「恥の多い生涯」と始まりますが、私の一冊目の著書タイトルは『ハジの多い人生』。「ハジ」は、「ハジッコ」の「ハジ」です。教室の片隅、放課後の屋上、日記帳の余白、タイ焼きのミミ、カセットテープの終わった残り、繁華街の路地裏のちょうどいいくぼみ、あるいは、日本列島がド真ん中でなく東端に描かれている世界地図。なるほどなぁ、私がこの世の「中心」や「頂点」に辿り着くことは絶対ないんだろうけれど、それはそれで楽しく生きていくしかないな、と考えるに至った少女時代について書いた本です。

『ハジの多い人生』(2014)

この本は2020年春、装いも新たに文春文庫に加わる予定です。現在市場に出回っている、新書館から刊行された親本のほうは入手困難となりますので、にほへさんの超絶かわいい装画や挿絵をお手元に置いておきたいという方は、急ぎお買い求めください!!


慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)に進学した理由は、「蘭学に触れるには、長崎へ行くしかない!」。これからの世界を大きく変えると噂されていた、インターネットというものに触れてみたい一心でした。合格が決まってから生まれて初めてパソコンを手に入れて、1998年頃からHTMLでホームページを制作し、ウェブ日記を書いたり、いわゆる二次創作同人サイトを作ったりしていました。1999年に先輩から「すごい検索エンジンができた」と初めてGoogleを見せてもらったのも、2002年に初めてはてなidを取得したのも、母校の特教だったと記憶しています。

1999年より佐藤雅彦研究室の一期生として、表現とメディア、教育方法論などの研究をしていました。ADC賞を受賞した『動け演算』や、NHKの教育番組『ピタゴラスイッチ』の制作に参加。学部生のときから企画立案と運営に携わっていた、携帯電話(i-mode)と新聞紙面を使った新しい社会調査プロジェクト『日本のスイッチ』で修士論文を書きました。

また、2001年から沼田元氣事務所で編集助手のアルバイトを始め、紙の書籍という物理記録媒体を世に残すことに高い関心を抱くようになります。沼田さんにはその後、池袋コミュニティカレッジ「乙女美学校」の活動でもお世話になりました。

2004年に中央公論新社に入社。2012年まで8年半勤めていました。最初に配属されたのは中高年世代向けの女性雑誌『婦人公論』編集部で、主に巻頭特集の企画と、著名人のインタビュー記事を手がけました。小説や漫画、カルチャー欄の連載も担当して、サイトリニューアルや公式ブログ開設にも関わり、あちこち潜入取材してルポ記事を作ったこともあります。

次に配属されたのは単行本書籍を手がける編集部で、純文学から時代エンターテインメント小説、大型新聞連載から新人作家のデビュー作、エッセイや将棋の本まで、何でも担当しました。当時はあくまで会社の看板を背負って働いていたわけですが、どれも思い入れが深い仕事です。在職中に手掛けた作品の幾つかが賞を受賞したこと、また、独立後に樋口有介さんや富樫倫太郎さんの元担当編集者として文庫解説を書かせていただいたことなど、嬉しい思い出です。


2020年は、サラリーマンの「編集者」として勤めた時間を、自分の名を出す「文筆家」として働いた時間が上回る、節目のタイミングでもあります。そう考えると長いものですね。将来に悩む若い世代からはよく、「いつ、なぜ、どのように転職を決断したのか?」という質問を受けますが、そのあたりは昨年出した最新刊『40歳までにコレをやめる』に詳しく書きました。ちなみにこの本、出版社時代に川上未映子さんの本を一緒に担当していた読売新聞の方に連載枠をいただいて、ようやく書き上げたものです。ご縁は続きますね。今後、韓国語版の刊行が予定されています。

『40歳までにコレをやめる』(2019)

2013年に結婚した顛末については、『嫁へ行くつもりじゃなかった』という本に書きました。フリッパーズ・ギター『海へ行くつもりじゃなかった』が元ネタです。恋愛感情の無い相手と結婚する、いわゆる「交際0日婚」「いきなり婚」というやつです。「嫌になったら明日にでも離婚できるんだし」と軽率に決めた割に、気がつけば6年7年。これまた長い。おかげさまで夫のオットー氏(仮名)(※年齢性別国籍経歴いずれも非公表)とは、現在に至るまで、恋ナシ、愛アリ、魂の双子のように良好な関係を築けていると自負しております。

『嫁へ行くつもりじゃなかった』(2014)

『オトコのカラダはキモチいい』というタイトルで、AV監督の二村ヒトシさんと、社会学者の金田淳子さんとの共著も出しました。アメリカで知り合った人には、「男性主導で発展してきたアダルトビデオやHENTAI的なポルノグラフィと、女性主導で発展してきたやおい・ボーイズラブ・腐女子の文化から、日本社会の性とジェンダーについて、はたまた『有害な男性性』からの解放について、考察した本である」と説明しています。英語圏で自己紹介するとき、最も食いつきがいいのはこの本ですね。海外翻訳出版のご提案、お待ちしております!

『オトコのカラダはキモチいい』(2017)

2013年からフジテレビ系の朝の情報番組『とくダネ!』にレギュラーコメンテーターとして出演していたのが、世間的に見て最も「目立つ」仕事だったと思います。ちょうど同時期に続けていた、cakesの座談会連載「ハジの多い腐女子会」や、雑誌『LaLaBegin』の連載「メガネに会いたくて」、また、文化系WEB女子同人『久谷女子便り』での活動なども、多くの方にご記憶いただいているようで有難いです。


2015年8月には、米国ニューヨークに転居しました。35歳にして初めての海外生活。それまで仕事で英語を使ったこともなく、収入も激減することが予想されました。非ネイティブの外国人が最短距離でキャリアを形成するには? と考えた結果、ニュースクール大学傘下のパーソンズ美術大学でグラフィックデザインの準学士号を取得。現在は広告代理店やデザイン事務所と個人契約を結び、デザイナー、ブランドコンサルタントとしても働いています。

新商品のパッケージ開発、企業ロゴやウェブサイトのリニューアル、グローバル市場に向けた広告戦略など、広義のブランディング業務が主軸となりつつあります。クライアントワークなので私の名前が表に出ることはありませんが、編集者として培ってきたスキルを言葉の壁を超えて活かすことができ、とてもやりがいを感じています。

とはいえ実態はさんざんなものです……。昨年はとくに、納期がずれ込みやすいプロジェクトを幾つも請けてしまい、事務処理も倍以上に膨れあがり、スケジュール管理がガタガタになってしまいました。多方面にご迷惑をおかけしましたこと、猛省しております。2020年以降は、なんとしても働き方を改善せねば、というのが正月の抱負です。

『天国飯と地獄耳』(2018)

三冊目の著書『天国飯と地獄耳』は、東京時代に雑誌連載していた前半部分と、ニューヨーク留学中の空白期間を経て書き上げた後半部分からなる、ハイブリッドなエッセイ集です。こちらについては台湾での翻訳出版が予定されています。楽しみ楽しみ。

世界中から社会人留学生が集まるアートスクールでの「二度目の大学生活」は大変有意義なものでした。米国は日本とはまた違う意味での学歴社会で、何歳になっても、何度でも、大学へ通い直して新たな専門性を身につける大人がたくさんいます。就職活動の仕組みも違い、働き方もずっと自由なので、実力を示せば誰でも新しい分野に挑戦することができるのです。在学中に書き殴っていた暗号のような日記やメモを整理して、いずれちゃんとした留学体験記をものしたいと思っています。

現在は、集英社の文芸誌『すばる』での連載「我は、おばさん」と、読売新聞大手小町での連載「気になるフツウの女たち」を進めています。その他、まだ言えない進行中のプロジェクトがいくつか。年に数回は日本に一時帰国して、東京に限らずあちこちへ出かけ、こつこつ仕込みを続けております。


最新の近況については Twitter を参照していただくのが一番よいと思います。英語圏ではTwitterの代わりに Instagram で日記をつけていて、ごくごくたまに、Mediumでも書いています。三日坊主の私が12年以上、毎日欠かさず続けているのはtweetだけですね。ほとんどゴミ捨て場のような使い方ではありますが、あれもまた一つの「活動拠点」と捉えています。

もともと新しもの好きで、新サービスを見つけるととりあえずアカウントを作ってしまうのが悪い癖。今年、長年愛用してきたはてなグループが終了してしまうこともあり、これを機に発信チャンネルも縮小傾向でと考えています。ここ数年、何もかも盛り沢山だったので、公私ともにスッキリさせる、というのが今年の目標ですね。2020年も、どうぞよろしくお願いいたします。

活動履歴(2018年)

書籍

キノノキ連載「天国飯と地獄耳」

OTEKOMACHI(大手小町)連載「40歳までにコレをやめる」

ナポレオン連載「そのかねを」

cakes連載「#夫に読ませたいBL」

ランウェイウォーカーズ短期集中連載

その他の記事

解説&レビュー

イベント登壇&番組出演

note連載

Medium連載

その他

 

2018-05-15 / トークイベントのお知らせ、装幀のことなど

5月末新刊『天国飯と地獄耳』着々と進んでおりまして、これはカバーの色校、印刷がちゃんと出ているかチェックするための試し刷り。私は直接見ていないのだが、担当編集者さんが写真に撮って送ってくれました。モックアップ(見本)よりも落ち着いた色合いで、紙の具合も良さそうですね。

じつは当初、「せっかくグラフィックデザイナーなんだから『著者自装』でどうですか?」と言われたのだが、今回は本当に、名久井直子さんとタダジュンさん、そして担当編集の渡邉さんにお任せしてよかった……。自分でやるとなると、装画の打ち合わせも、紙材選びや試算や業者とのやりとりも、全部リモートで指示を飛ばさないといけない。ニューヨークで印刷製本するならまだしも、これは厳しい。自分一人で書いて送ればよい原稿とは全然違うのだ。『オトコのカラダはキモチいい』文庫版に引き続き遠隔地からのやりとりだが、東京にいるとついつい何にでも口を挟んでしまう私は、やはりこのくらいの距離感がよいのかもしれないなと再認識した……餅は餅屋ですよ。

で、この感じ、何かに似ているなと思ったら、テレビ番組に出ていた頃の衣装合わせだった。最初はすべて私物で行くつもりだったのが、いろいろあってテレビ業界を知り尽くしたプロのスタイリストさんがついてくださり、自分では絶対に選ばないようなブランドの、でも着てみると非常にしっくりくる服やアクセサリーで、毎回ガラッとまるで違う人間に変身させてもらっていた。スタジオセットと喧嘩しない色味、年齢や性別や肩書きを視聴者に誤認させない情報操作、あるいは個別具体的な容姿外見のアラ隠し、などなど、私一人では到底御しきれない、TPOや細かなルールがたくさんある。しかも、CM中に着衣の乱れを整えてくれたりもするんだぜ(本人は話すのに夢中で服のことなんか考えていられない)。既製服を着ているだけでも、役割期待ありきという意味では、舞台衣装などと同じ。

「なんでも口を挟めばいいってもんでもないなー」と痛感した。自分にヴィジョンがあったとしても、それが最適かどうかなんてわからない。むしろ、私自身ではない誰かプロに提案してもらうほうが、ずっと斬新で、そして、私自身ではない誰か視聴者や読者の目に、しっくりくるものが完成するに違いないのだ。しかも書籍の装幀ともなれば、スタイリングや舞台衣装ともまた違う、いわばオートクチュールの一点物である。手放しで絶賛するけど、この表紙、かわいくて怖くて、禍々しいなかにも食欲がそそられて、罪深くもイノセントで、最高じゃない!? 雑誌連載ともウェブ連載とも違う新しい自分、誰より楽しみにしているのは著者本人です。


と、ファッションの話に引きずられているのはなぜかというと、下記トークショーへの登壇が決まったからでもある。大手小町連載『40歳までにコレをやめる』に多大なる影響を与えた「先輩」の一人、トミヤマユキコさん『40歳までにオシャレになりたい!』の刊行記念イベントで、奇しくも発売日が同じ『天国飯と地獄耳』も先行販売していただけることに! やったー! 5/27の「待ち合わせ密売会」とハシゴしてくださるもよし、日曜日に予定がある方はこちらへ駆けつけていただくもよし。併せてよろしくお願いいたします!

『40歳までにオシャレになりたい!』刊行記念
「40歳までに身につけたいこと、手放したいもの」
トミヤマユキコ × 岡田育 トークイベント
2018/05/30 @青山ブックセンター本店
http://www.aoyamabc.jp/event/40/

トミヤマユキコさんの新刊『40歳までにオシャレになりたい!』発売を記念して、著者のトミヤマユキコさんと文筆家の岡田育さんがトークショーを実施します。
好き勝手に服を着て生きてきたせいで、大人のオシャレがわからない。グレーのパーカーばかり着てADにまちがわれていたトミヤマユキコさんが、自分のコンプレックスと向き合い、オシャレする喜びを再発見していく本書。
現在ウェブメディア『OTEKOMACHI』にて「40歳までにコレをやめる」を連載し、「下着の上下を揃えるのをやめる」「敬語は使わず不遜に生きる」など、自分を縛っていたさまざまな価値観を見直している岡田育さんをゲストに迎えて、アラフォー女性が自由に生きるために身につけていきたいもの、手放したいものについて考えていきます。
後半は、岡田育さんの新刊『天国飯と地獄耳』(キノブックス)の制作裏話も! 普段はニューヨーク在住の岡田さんとトミヤマさんのレア対談、必聴です!
※来場者にはオリジナルステッカーをプレゼント!
※トークショー後、対象書籍購入者様を対象にサイン会を実施します。
対象書籍『40歳までにオシャレになりたい!』(扶桑社)、『天国飯と地獄耳』(キノブックス)

2018-01-31 / 正月帰省日記

1/21、朝一番でJFK空港へ。荷物が多いので大型のUberを呼んだら、オンボロ車のトランクに孫の私物を載せているようなおじいさん運転手が来る。ほんの数年前までいつどこで誰を呼びつけてもピカピカに美しい車と最高のサービスが受けられて「タクシー価格でリムジン気分!」と大興奮していた、あの感動を返してほしいよ。スーツケースを運ぶにも「俺、too oldだからtoo heavyなの無理」と言われて、仕方ないので三人がかりで積み込む。かわいく言えば許されると思うなよ、じじい(許した)。チェックインカウンターでは「到着地の天候不良のため午後便は遅延」とアナウンスが出ていて、我々の便までがギリギリ飛ぶらしい。
セキュリティゲートに滑り込むと、夫のオットー氏(仮名)が通ったゲートでビービー警報が鳴っていて、何かと思ったら冷え対策で肩に貼っていた「蒸気の温熱シート」だった。金属探知機めっちゃ反応してるし、若くて無知な警備員たちみんな「この一見温厚そうな東洋人男性の左肩におかしな反応が」「ワッ、熱いぞ! ほら、触ってみろ!」「おお、衣服の下に奇妙な白い極薄のパッドを装着している、なんだこれは、剥がせ! 今すぐ!」と大慌てで、他の客まで騒然、先にくぐって靴履きながら振り返った私だけ瞬時に事態を把握して大爆笑。言われてみれば、使い捨てカイロって、こちらの人はあまり使わないよね。一応英語では「heat pad」と言うそうだが、鉄粉含有発熱体なんか服の下に貼りつけて持ち込もうとしたら、そりゃ爆発物と思われて当然である。公衆の面前で諸肌ひんむかれたオットー氏、覿面に弱っていた。乙女だからな。
今回もまた「夫の出張で貯まった家族マイルを利用しておJAL様に乗る」のだが、昨年は11月に乗って12月に帰り、今年は1月に乗って2月に帰るので、つまり、『スカイワード』のみんな大好き浅田次郎連載「つばさよつばさ」が、四回連続で読めてしまう……! これはさすがに我ながらブルジョワ旅すぎるのではないか……と震えつつ、前号の記憶が鮮明なうちに持ち主不明の革製スーツケースの話やら「ティファニーで朝食を」の話やらを読み、いたく豊かな気持ちになる。なお松浦弥太郎の連載は四号連続で読んでも毎号必ず「おい、これユニクロから莫大な広告料もらって、JALから膨大な原稿料もらって、その上まさか『服にまつわる私小説』みたいな書籍化して印税まで発生させるつもり!? すげーなおい、やっぱ発想が違うよね弥太郎は!!」しか感想がない。小西康陽の音楽連載は、空の上だとすぐポチれないのがつらい、か、買わせて。
機内では『キングスマン:ゴールデンサークル』と『バトルオブセクシーズ』を観る。どちらも素晴らしい映画なのでおすすめです。どうでもいいんだけど、あまりにも書評が苦手な自分に嫌気がさして、数年前に一度アカウント全削除した「MediaMarker」を復活させました。買ったもの、観た映画、読んだ本、ちゃんと記録つけるようにしたい。とか言ってるそばから『スカイワード』は除外。やっぱり雑誌パラパラめくるのなんか読んだうちにカウントしませんよね。腰を据えた読書の時間をとるぞ。
羽田空港に着くと22日夕方。滑走路除雪作業のため到着30分遅れ、と言われて窓の外を見るが、ニューヨークの降雪に慣れきっている私は、さほどの大雪とは思わずにいた。外に出てタクシーを拾い、東京都心へ向かうさなか、事の重大さを思い知る。そう、東京の民は、除雪をしないのだ。ロードヒーティングもないのに、融雪剤を撒かないのだ。そして、今夜は雪が降るかもと言われても、朝、傘を持たずハイヒールで出勤したりするのだ……「真っ白に埋もれた歩道を、軽装でヨチヨチ歩くサラリーマンやOLや高齢者」を見て心底ゾッとする。雪靴、履いてください。宿にチェックインして軽く夕食を摂り、事前に予約を入れていた徒歩圏内のネイルサロンへ行くと客が私しかいない。そりゃそうか。
23日、検便と採尿から始まる38歳の誕生日。今回の帰省の主たる目的は、人間ドック。会社勤めの頃はまだ若かったし定期健康診断で済ませていた。数年前から人間ドックに移行したけれど、今までのは健診の代替みたいなやつで、いわゆるフルコースでの受診は今回が初めて。自分の身体のことなのに「副脾」とか「遊走腎」とか初めて知ったよ。生まれて初めて内視鏡を呑むも、強力な麻酔が効いてスヤ〜と眠っているうちに終わってしまった。というか、MRIや胸部CTでも、別に麻酔はしていないのに薄暗い空間で横になっているだけで心地良くてスヤ〜と眠ってしまう。この時点で精密検査の結果を待つまでもなく健康優良児っぽい。これを書いている2月上旬にはもう結果が出ていて、だいたいA(異常なし)かB(軽度所見)。次のフルコース受診は何年後になるだろうか。
夜は実家に帰省、先日亡くなった伊賀の祖母への香典を渡し、秘技「香典その場返し」として伊賀肉すき焼きをご馳走になる。訃報だけを聞いて神妙な気持ちになっていたのだが、家族でせーので忌引を取得し、曽孫を連れての弾丸関西家族旅行、義務を果たした後はうまいもん食って観光名所回って、ずいぶん楽しかったようだ。故人も浮かばれるであろう。石川禅主演の音楽座ミュージカル『メトロに乗って』TV放送も無事に録画されていたのでDVDで受け取る。超のつく個人主義で互いの領域を侵さない我が家、普段はこうした依頼をしないのがルールだが、今回ばかりは拝み倒してゲットした……我ながら最高の誕生日プレゼントじゃない……?(自画自賛) 定番中の定番、トップスのチョコレートケーキに「38」の蝋燭が立ち(さまざまな意味で重い)、人間ドック直後だというのにべろんべろんに酔っ払い、時差ボケで夫婦二人ぐらんぐらんに船を漕ぎながら、メトロに乗って、宿へ帰投。治安のいい街って素敵ね。
 
24日、新書館の吉野さんと打ち合わせと称して「洋菓子舗ウエスト」でお茶。敏腕漫画編集者から「岡田さんは、漫画は描かないんですか?」と言われたので笑った。買うか、クリスタ……。あとこれは単なる耳寄り情報なんですけど、バレエと韓流とフィギュアスケートとBLでおなじみの新書館が、「その他」カテゴリにおいて洋画DVDの販売を始めたのだそうで、「へえ、どんなジャンルですか?」「平たく言うと、若き日のマッツミケルセンとかです」「御社編集長の模索する趣味と実益、歪みねえな……!!!」というのに大変感銘を受けたので記しておきます。ブツも有難く頂戴したので拝見してから感想など書きます。
午後は「Twiggy」で髪を切る。かかるのは2ヶ月ぶり、次はいつになるかわからないのでなるべくキープしやすい髪型にしてもらう。夜は永世七冠達成のお祝いで羽生善治さんと会食。ワインを飲んでエゾジカを食べる。何を話したかはナイショなのさ。改めましておめでとうございます。
25日、乙女美肌室、世界堂、焼魚定食、歯科健診、読売新聞社大手小町編集部で打ち合わせして、同じ建物の中央公論新社へ顔を出す。軽い気持ちで「『手酌』の元上司にもご挨拶できたら……」と言ったら、新聞社の厳重なセキュリティの都合上、各方面へものすごく手間をかけてしまった。ともかく大変お世話になりました。夜は森内俊之さん&佐藤康光さんの紫綬褒章受章記念パーティ、だがもろもろ雑事を片付けているうちに移動時間的に断念せざるを得なくなる。12月にお目にかかれたからよいか、と思いつつ、トークショー聴きたかったよ……。本や雑貨など買い物。長宗我部で鰹のたたき。カウンターに女一人客で座ったら、全ての皿をハーフで出してくれた。神対応か。未来の自分のためにメモしておく。
26日、午前中はkobeniさんとお茶。海を越えてはるばるやって来て、堺雅人と石川禅と小沢健二とそれぞれのファンコミュニティの話しかしていない。虎屋の羊羹、玉木屋のふりかけ、その他ツボを心得た日本土産を頂戴する。海外在住者へ贈る食品は何がいいか? とわざわざリサーチしてくれたのだそうだ、有難い。基本的に「羊羹、ふりかけ、だしパック」を与えておけば間違いがない。地域によると思うけど、NYは割とスナック菓子は入手できてしまうし、包装の凝ったものや嵩のあるものは、帰国時の荷造りで取り回しに困ったりもするので。あと「便利な文房具」と「小ぶりなコスメ」ですかね、これは自分でも大量に買って帰るんですけど。
午後、担当医の都合で二日制になってしまった人間ドックの後半を済ませる。夜は中村太地新王座と会食。またワインを飲んでまたエゾジカを食べる。一日置きにタイトルホルダーとごはんしてしまった……こっちも何を話したかはナイショ。北海道産か何かの百合根がめちゃくちゃ美味しかった。こんなもの英語圏にはないわな、と辞書を開いたら「lily bulb」と書いてあって、何なの、そのまるで食指をそそられない直訳は。しかしこりゃちょっと贅沢すぎ、前日のパーティーは遠慮して大正解でしたよね、と帰国後いつまでも「1月」のまま壁にかけてある日本将棋連盟カレンダーのみっくん会長に語りかける。
27日、資生堂フォトスタジオで写真を撮る。昼食は油そばのようなもの。GINZA SIXの「蔦屋書店」へ行ったら必要な買い物にやたら時間を奪われてキレる、キレた様子をつぶやいたら、バズる。東京在住の頃に内蔵されていたジャイロコンパスをすっかり失った感じ、と言おうか、一日のうちにもっとあれこれ予定を詰め込めるのにな、と思いつつも、こうやってちょっとしたトラップに嵌まってしまって、あれもしたいこれもしたいと思うToDoリストをまるで消化できない。角川書店(といまだに言ってしまう)の編集者Kさん、二村ヒトシさんと『オトコのカラダはキモチいい』関連、その他、今後の打ち合わせ。帰投、爆睡。
28日、夫のオットー氏(仮名)体調不良につき、鎌倉行きをキャンセルする。沼田元氣伯父とはまた今度。安静にホテル朝食。その後も安静に、本当に何をしていたのかまったく記憶にない一日だった。たぶん、NHKオンデマンドでプルカレーテ版『リチャード三世』を観たのはここ。傑作すぎる。あと、このほどめでたく再入会させていただいた石川禅後援会「Z-Angle」から届いた会報をまとめて受け取り咽び泣きながら読んだのもここ。推しに萌え転がりながら肌ツヤがよくなり、下手な『通販生活』よりいろんな商品を購入したくなるこのシステムすごい、読む麻薬か。みんなで健康になろう。ちなみに届けてくれた人が郵送物の差出人を「ゼット・エンジェル」と読んだね。すなわち天使。
夕方、受け月で本間拓也くんと「MOFi」の三谷匠衡くんと会う。夫のオットー氏(仮名)がちょっとケヴィンスペイシーに似ているという話になり、「そんなん人類を二種類に分けたら私だってロビンライトに激似だわ!」とキレる。本当に惜しい人を亡くしましたよね、死んでないけど……。で、『攻殻機動隊』の次にハリウッド実写映画化すべき日本漫画は? という話になって「そこは『ファイブスター物語』だろ! あと私、『ワールドトリガー』同時上映『あげくの果てのカノン』、というセットもいいと思うんだよね!」など無責任発言を多々。その後、米代恭さんと金城さん、たらればさんと四人で飲む。いったいどういう取り合わせだ、何が目的の会合なんだ、とみなさま不思議に思われるでしょうが、とくに他意はなく、たまに一時帰国をするとスケジュールの都合で二つの宴会が一つにドッキングしたり、一つの宴会が三つに分裂したり、ということが起こるのです、あるある。というわけで、二次会はたらればさんとハトコさんと三人で飲む。たっぷり小室哲哉と永野護の話をした。あと、前世に高僧だったというTwitter民の話を信じるか信じないかとか。婚外恋愛は有罪だがかのんは無罪だみたいな話とか。新連載の、話とか。いやー、これもナイショですね、ナイショ!
29日、朝8時台の新幹線に乗って新大阪経由で宝塚大劇場へ、花組公演『ポーの一族』観劇。素晴らしかったです。ちょっと言葉がない。ただの原作信者なのに、ここまで幸福な気持ちになっていいんだろうか、とさえ思った。そのうち別項目を立てて感想を書く。隣に座った客にちょっと不快な目に遭わされたりもしたのだが、それを差し引いても夢心地のまま、終演と同時にサッと電車に乗って帰京。車中で何があったかとかもよく思い出せない、気がついたら東京に着いていた、これ『レディ・ベス』遠征のときも同じこと書いたな私。東京駅から直行で、夜は新しくなった井雪へ。着々と次世代が育っていた。
30日、「腐女子座談会」の編集Rことひらりささんの新しい職場へ訪ねてランチをごちそうになる。彼女にとっては新しい職場だが、私はじつは以前にも伺ったことがあり、行くととてもよく見知った顔とばったり会ったりして、なんだか不思議な気持ちに。そそくさと移動して、次は金田淳子さんたちと打ち合わせ。「おみやげが!」と言われて渡されたのがカレー沢薫メシアの日めくりと、『HIGH&LOW』シリーズのファンムックだった。仕事の話の五倍くらいの尺を取って「ハイローにも中高年俳優は出ている」という貴重な情報を伝授される。そ、そ、それを先に言え!! おっさんが出てるなら話は別だ、と勢い込んでみたものの、我が家の環境では日本版「Hulu」観られなかったよ……私はいつハイローの民になれるのだろうか。こちらからは「鹿賀丈史が『アカギ』に出ている」「大竹まことの在籍するシティボーイズは三人組なので、実質T・M・Nですよ!!!(※男二人組の性的関係性を意味するBLに対抗して編み出された、男三人組の萌えを指す言葉、特定の人物団体等には関係ない)」という貴重な情報を伝授したところで時間切れ。のち、文藝春秋で武田さんと、こちらは真面目な仕事の打ち合わせ。気持ちが穏やかになる。うまくいくといいな。
夜はジョーリノイエさんを訪ね、鮨と麦焼酎をごちそうになる。ジョーさんと私の馴れ初めを語ると三日三晩では足りないが、早い話、サシのファンミーティングですね。「切手を貼らないファンレターを所属事務所まで徒歩で届けて関係各位を震撼ドン引きさせた中学生ストーカー」が25年後にはこうなる、ということで……自分で書いてて自分が怖いわ……。何が怖いって対象こそ変わりつつ25年後も「美声の男に目が眩むと常軌を逸した行動力を発揮する」という己の本質が全然変わっていない点であるよ。近況報告がてら、時には仕事の話も、と思ったのだが、若き日の無茶苦茶な武勇伝を聞いてるだけで面白くていけない。出てくる出てくる、書けない話。いつも通り、遊んでるだけで時間切れ。
31日、キノノキの担当編集Wさんと打ち合わせ、明月庵と樹の花。この後も何をしていたか記憶がない、宿に戻って帰りの荷造りなどしていただろうか。あちこちに本を抱えていって合間の時間に読んでいると、行く先々でまた紙の書籍をいただく、ということが重なって興味深い。わらしべ長者みたいな気分になる。反対に、どういうわけだか今回は、ミラーレスカメラをほとんど持ち歩かなかった。写真を撮りたくないわけではないのだけど、本を読んでいる時間のほうが長かった。書店もあちこち覗いてみたのだが、リアル書店のいったいどこに自分の新刊が置かれるのか、まるでイメージが湧かない。最近はKindleで電子書籍をポチッてばかりなのだから当然である。しかし、ほんの数年前まで、企画に悩んだときも私生活に行き詰まったときも、本屋にさえ行けば解決策が見つかると、そんな暮らしをしていたはずなのにな。あっという間に変わってしまったな。件の「蔦屋書店」ショックもまだまだ抜けず、新しく本を書くという行為、何か途方も無い世間からズレたことをしようとしているんじゃないかと錯覚してはそれを振り切る。
夜はマームとジプシー&川上未映子「みえるわ」@渋谷WWW、初日。これまた本当にとても良くて、二年半ぶりに観たマーム、いろいろ込み上げてしまった。生着替えと、第四の壁と、まっすぐ届く音と、まるで翻訳文学のような再演。また書くね。打ち上げで手持ちの『オカキモチ』を献本し尽くし、藤田くんに「今なら刺されても大丈夫」と言われたのが可笑しかった。焼肉食べてカラオケ行って深夜にべろんべろんで帰宅。気がつくとずっと肉を焼き続けている私。音声をオフにして一人静かにエロい映像を撮り続けている森さん。ちょっと信じられないくらい歌が上手い斎藤さん。未映子さんがジムで一曲目に何聴いて気分アゲるか、という話。誕生日の晩にワイングラスを割ってしまったのを思い出す光景。私がいない間も東京はずっと続いていて、今夜も充さんの手元のビールはちょっと目を離した隙に瞬殺されている。からげたドレスの裾、上下するジッパー、内側から発光する雪螢。なんだこの喜ばしい気持ちは。
1日、二日酔いに苦しみながらもつつがなく帰国。そういえば取り置きまで頼んでいたのに穂村さんと名久井さんの本を買いそびれた、と気づいたのは空港で。帰りの機内で観たのは『スリービルボード』、あとはずっと寝ていた。そこから一週間以上ずっと時差ボケに苦しむことになる。ほとんどめったに家から出ずに、東京の電源をオンにするのは一瞬で、オフにするのは大変で、でもだから遠くから眺める渦中にいてはわからないあの光が綺麗なのよね、と考えたりする。同じような感傷が、時差ボケに苦しみながら一気見した『マスターオブゼロ』の中ではニューヨークを舞台に描かれていた。日がなカウチでドラマ観る気力しかない……いや、これ優雅に聞こえるけど本当に苦しんでいるんですよ! 翌日からスッキリ元気なときもあるのに、今回は気圧のせいもあるのだろうか、今まだ出力40%くらい。
最近「短く要点を書く」ことを求められてそればかりしていたので、今回は「10000字くらいだらだら長く書いてあるのだが、中身がないから、誰も読まない」というのを目指してみた。といってもまだ8000字もない。前回は「何をしに来たんですか?」「なんにも」という会話を繰り返していた。今回は「元気で生きてる?」「ぼちぼち」という会話が何度も何度も続いた気がする。実際に言われた回数じゃなくて、自分自身の胸に刺さった回数なんでしょうな、こういうものは。














2018-01-07 / 冬の日のマイアミ

もう一ヶ月以上も前のことになってしまうが、正月休暇、マイアミへ行ってきた。フロリダ州へ足を踏み入れるのは生まれて初めてで、前知識は小室哲哉の「South Beach Walk」と小沢健二の「涙は透明な血なのか?(サメが来ないうちに)」しかない。なみ、なみ、と振り付けの思い出し稽古をしながら、外気温氷点下が続くニューヨークでクローゼットの奥から夏服を引っ張り出してきて荷造りをする。こんなことならオーバーサイズのトレンチコートとか白いデッキシューズとか持っておくんだったわ。


そもそも「寒い冬のニューヨークを、どんなふうにしてしのいでいるんですか?」と訊いて、ロングジョンの重要性とかセーターのあるべき厚みとかおすすめの雪靴とかの情報が得られると思っていたのに「……マイアミ?」と返されたのが、渡米直前の夏のこと。最初が小沢さんで、他に「わいもわいも」という話を聞き続け、日本の芸能人が正月ハワイへ行くのと同じかそれ以上の規模で、真冬のニューヨークからマイアミへの民族大移動が起きていることを知った。そして三度目の冬、女友達から「LAかマイアミ、どっちか行こう」と誘われて、「行ったことないから、マイアミ!」と即答したわけだ。なお、もともとは女子三人旅の予定が二人旅になったのは、もう一人が「去年もまったく同じ日程で行ったから、私はパスだわ〜」と言ったから。みんな、どんだけマイアミ行ってんねんな。
元旦は初詣の代わりにセントラル・パークへ散歩に行って、池が凍りついている中を寒い寒いと大騒ぎしながら10分くらいで切り上げて帰ってきた。翌2日、朝5時半にマイナス15度の玄関先からUberでラガーディア空港へ。手荷物の中にペットボトルの水をぶちまけるなどのアクシデントに見舞われつつも、折りたたみ可能なダウンコートを早々に片付けてしまい、ぴょいと飛んで昼前には到着、マイアミ空港で気温を見たら15度。これは最高だなー、と宿へ向かうと、雨が……降ってきたね……。一天俄かにかき曇り、降りると空気が肌寒い。体感気温は明らかに10度切ってる。タクシー運転手から「マイアミは初めてか? それは気の毒だ、いいかい、例年のマイアミはこんなじゃないからね!」と慰められる。この慰めの言葉、その後、滞在中ほとんどすべてのタクシー運転手から聞くことになる。
宿は「VINTRO」という小さなホテルで、15時になるまでチェックインさせてもらえない。ブーツをスニーカーに履き替えてウィンドブレーカーを羽織り、荷物を預けて周辺散策する。小降りになったところで近所にある植物園を目指してみたのだが、ちょっと気を緩ませると熱帯風の横殴りの雨がまたブワーと行く手を阻むので、とてもじゃないが庭園散歩という天気ではない。近所の屋根付き駐車場などに緊急避難しながら、「Moreno’s Cuba」でキューバンサンドイッチの昼食。あとは部屋でまったりしていた。夕方、今回の旅の友であるSayaさん到着。「Sand by Saya」というサンダルブランドのオーナー兼デザイナー。ほぼ同時刻に現地入りするはずが、JFK空港で足止め食らって大変だったようだ。着替えて「Bodega Taqueria y Tequila」行ってトイレ奥のバーで飲んで「CEVICHE105」にハシゴして、隣の席に座ったブラジル人一家のかわいい女児をいじったりして、水と朝ごはん買って帰って、よく眠る。
二日目の3日、私はいきなり体調崩してダウン、昼過ぎまでSayaさんと別行動にしてよく眠る。ビーチの様子を見に行ったんだがやっぱり天候は芳しくない。これはハズレの年に来ちゃったかなー、と思いつつも、曇天の下にそびえ立つ白亜のビーチサイドホテル群は、それはそれで趣がある。1930年代当時から変わらぬ光景でありながらやっぱりちょっと寂れてしまった雰囲気もあり、でもまだ廃墟のようになっているわけでもなく現役バリバリ。外壁は塩害でヨレてるんだけど内装はドン引きするほど絢爛豪華だったりして。「今、一周回って熱海がアツい」みたいな、名状しがたい憩える雰囲気があった。そもそもアール・デコ様式の建築群が「クラシック」と呼ばれてしまうのはこの国の歴史がどれだけ浅いかという話でもある。「基本的に観光地だから、中心地はダサいものごとが大半だけど、それでもやっぱり、イイよ」と薦めてくれた人々の言わんとすることがよくわかる。
リンカーンロード界隈でちょっと買い物、外は大嵐の様相。吹き付ける雨が冷たくて手足が痺れる。トイレを借りにメイシーズに入ると暖房が効いている。撮影のための下見をしていたSayaさんと合流しようにも、「視界不明瞭でワンブロックも歩けない」と電話が入る。マイアミ初体験の私は、沖縄でスコールに遭ったようなもんだと楽観して「ずぶ濡れだねー!www」と笑っていたのだが、何度も遊びに来たことのある彼女がすっかり真顔に返って「こんなのは初めてだ」「物とか飛んで来たら怪我するから出歩かないほうがいい、予定変更しよう」と言うので事の重大さを思い知る。よくよく見ると、舗道脇に植わったヤシの木が激しくしなって巨大な枝がもげていたりするし、信号のない車道でタイヤをとられた自家用車がスリップしながら歩行者スレスレのところで急停止したりしている。台風慣れした沖縄ならそのあたりの被害対策ちゃんとしてるだろうけど、ここ、アメリカだからな……飛来する凶器に当たって死んでも自己責任とか言われかねない。
とにかく暴れ狂う海風から少しでも遠くへ、というわけでLyft呼んでダウンタウンへ。名前を失念したイタリアンで昼酒。地元の人々がビジネスランチしてる一方でほどよく観光客仕様でもあり、パスタが美味しかった。この界隈は昔は大層治安が悪かったそうだがすっかりジェントリフィケーションされている。歴史的景観保存地区になっているサウスビーチと違って新築高層ビルがにょきにょき立ち、かと思えば広大な空き地やシャッター通りもあり、なんか都市博が流れた直後のお台場みたいだなという感想(なんでも日本に変換するのよくない)。ウィンウッドへ向かうべく相乗りのLyftを呼ぶと、道すがら大柄な男性を拾い上げた、彼もニューヨークから来ているアーティストだという。名刺をもらって雑談しながら見所など教えてもらう。このLyftの相乗りがとにかく安くて、その後も使い倒した。狭い街だからどんな客でもだいたい目的地が近く、別の客を拾うために迂回することが極端に少ないため、ニューヨーク市内よりずっとお得な感じがする。
さて、アートディストリクトとして栄えているウィンウッドは、たしかにオシャレで賑わっているのだけど、一言で言うと「あ、ブルックリンだね……」という感じ。今きっと、全米のちょっとした都市部の、あらゆる土地の余った郊外に、こうやって、旧時代的な旧市街にはまるでないカルチャーを新しく作り出そうと、ヒップなムーブメントが起きているのであろうね、と、そういう感想。地元の人たちは口々に「サウスビーチとかリトルハバナなんてイケてないよ、ウィンウッド行きなよー!」と言うのだけど、ニューヨークから来ると「あっはい、コレね、把握」といった気分にもなる、正直。とはいえ、グラフィティで埋め尽くされたウォールを堪能し、あちこちのアートギャラリーでちょっとイイけどもだいぶ既視感がありしかも法外な値段の付いている作品を指差して「ビジネスビジネス!」と野次を飛ばし、セレクトショップで高い買い物したくなるのをグッとこらえ、意識高い感じのアイスクリーム屋やコーヒーショップを尻目に、ちょっと離れたところにある醸造所で地ビールを飲む。平日16時台に満席。こんな土地柄でまともに働ける気がしない。
またLyftでピャッと「SUGARCANE」まで行ってバーカウンターでハッピーアワーを堪能して帰る。モヒートでシシトウと巻き寿司を食べる不思議、もう慣れた。隣のカップルがファースト・ブラインド・デートという様相だったのだが、ボタンダウンシャツを着た大学講師風の真面目な白人メガネ男子と、気合い入れまくった露出高めのブラックドレスを着たラテン系イケイケ女子とで、あんまり釣り合っていない。私が男のほうを40代前半くらいと見立てたら、在住長いSayaさんから「全ッ然わかってないね! あれは下手すると50代後半だよー!」と笑われる。白人男性の年齢を見分けるの本当に難しい。
三日目の4日、この日も朝は別行動にして、ジョギングでビーチへ行ったSayaさんと別れ、近所のダイナーで朝食。ホテル街のごはんは美味しくない上に高価い、というのを痛感する。宿泊先、部屋はかわいいんだけど水回りの配管がよろしくなく、起きたらバスルームが水浸しだとか頭洗ってる最中にお湯が水になるとか、トラブルもある。技術者を呼びつけて文句言っても「君たちがチェックアウトするまで工事できないよ」という調子で、安いだけあるなー。きっと全宿泊客に言い続けて何年も修理していないのだろう。で、徒歩圏にあるWホテルのプールサイドへiPadを持ち込んで原稿書き。ここは一応、宿泊客専用なのだけど、うまいことモニョモニョ言ったら普通に通されてしまった。空いている時間帯ならお目こぼしにあずかれるのかもしれない。Wifiも飛んでるし、「The Dutch」は朝食時間帯コーヒー無料だし、さすがWホテルですね、フリーライダーに甘い。細かいことを気にしない豊かさを感じる。乗っかっていきたい。いろいろなインスタグラマーたちがプールサイドでもロビーでもどこでもガンガンにそれっぽいインスタ映えする写真を撮っていたけど、あいつら私と一緒で、一銭も払わずにラグジュアリーな旅してるフリしてるだけですからね、本当にチャッカリしてるよね、あーもう二度と騙されないぞ貴様らには。という記念写真がこちらです。
昼はキューバ料理の人気店「Puerto Sagua」でランチ。定食屋という雰囲気で、恵比寿の「こづち」など思い出す、本当にあそこのキューバ版という感じだ。カウンターでオックステールシチューとローストチキンを分け、軽く周辺のファッションブティックを流し見る。別行動のSayaさんが何をしているかというと、「Sand By Saya」の新作カタログのための撮影準備なのだった。大量の新作サンプルを運び込み、着いて早々に現地でオーディションとテストショットをしてモデルと契約し、遊ぶ合間に彼女のサイズに見合った洋服を選んで買い揃え、小物のスタイリングとロケーションハンティングまで終えている。当初「私が全部一人でやるから、あなたは遊んでて!」と宣言されていたのだが、事前準備を見るだけで相当に大掛かりなシューティングであり、カメラマン兼ディレクター兼スタイリストがたった一人では、荷物持ちさえままならない様子。下手すると日が暮れても合流できない可能性がある。こちらもだいぶ遠慮が無くなってきて、「いやー、雑誌編集者としての経験上、言わせてもらうと、悪いけどこれ絶対に半日で終わりっこないよ。私も手伝うから、とっとと終えて、早いとこ飲みに行こうぜ!」という話になる。あとは当日、晴れることを祈るばかり。
夜はこれまた徒歩圏の「Sweet Liberty」でワカモレ食べてハッピーアワー、三歩歩くと注文忘れるかわい子ちゃんウエイトレスに「ああいうのが男ウケすんだよな」と悪態をつきつつ(でも本当にかわいかった)、Lyftでピャッと「Garcia’s Seafood Grille」。この二箇所、どちらもyelpで評判を調べて行ったのだが、大正解だった。「Garcia’s」では奥の大テーブルで大家族のおばあちゃんの誕生日パーティーが開催されていて、白装束ソンブレロ楽団がドンチャカやってて賑やか。一方こちらは、やっぱり旅行で来ているという隣席の60代の黒人女性二人組と異様に盛り上がる。向こうから積極的にガンガン話しかけてきて、お孫ちゃん自慢からスキンケア相談から恋愛遍歴披露まで、最後ちょっとスピリチュアルっていうのかジュビリーっていうのか、「あたしたち、女、どこへ行っても傷だらけ、でも、どっこい生きてる、愛の力!」「ほんとだよ姐さん!」「わかるかシスター!」って感じで得も言われぬエモの祝祭、魂の大合唱みたいな状態に。普段、夫と男女二人で旅行しているときには、絶対こんなふうに盛り上がることは、ないわけです。酒と泪と女と女と女と女、男抜き女子二人旅のケミストリーの二乗、どんな男からナンパされるより「ここまで来てよかった」感が強い夜であった。途中まで丁寧に接客してくれていた初老の男性バーテンダーが途中から我々にいっさい話しかけなくなり、接客も放棄し、閉店間際に最後の客になったべろんべろんの私たちに「早く帰れ」ジェスチャーをした。推して知るべし。
四日目の5日、天候に恵まれて、朝から撮影。できあがりの写真は順次「Sand By Saya」のInstagramに上がるのではないだろうか。私って本当に「雑用係のプロ」だなぁ、と思った。去年のCM撮影現場でも感じましたけども、ええはい、自慢じゃないけど、ディレクターをやるよりアシスタントをやるほうがイキイキしているというか、せせこましい小回り得意だなっていうか、どこまで行っても悲しいくらい「美は細部に宿る」「かゆいところに手がとどく」担当だよな、と……。いや、いいんですけどね。『オトコのカラダはキモチいい』文庫化のときだって、著者なのになぜか嬉々として赤字整理とかやってたもんね。私くらい有能で気のつくアシスタントが私自身についていてくれたら、今頃どんなビッグプロジェクトでもこなせていたはずだと思いつつ、自分で自分のアシスタントをすることはできないので、自分自身のなすべき個人プロジェクトが暗礁に乗り上げて停滞してしまうのだ、ということも、大変よくわかった。というか、単身渡米してゼロから成功をおさめた有能な会社経営者であるSayaさんと連日連夜飲み明かしながら、自分にもできるはずのことと、自分に圧倒的に足りていないもの、今すぐマネタイズできることと、これから獲得せねばならないことを、たくさん教わるマイアミ旅行でしたよ。ありがとう。おつかれさまでした。
で、予定より一時間も早く全撮影がつつがなく終了し、「一杯奢らせてー!!」「おま、次からはちゃんと請求書起こしてカネ取るからなー!!」とワイワイやりながら、二軒目のホテル「Julia」へ移動、ホットチョコレート飲んで、ビーチに出てホテル提携のデッキチェア借りてまったりして、またホテル戻ってハッピーアワー(チェックイン業務を終えた後のフロントカウンターでワインとチーズと軽食が無料で振る舞われる)を堪能し、エスパニョーラウェイの「Tapas & Tintos」へ。適当に済ませてハシゴしようと言っていたのに、接客係のおねえさんが美人なのと、フラメンコ生演奏のクオリティが観光客向けとは思えないほど高かったのと(ニューヨークの店はしょぼいのが多い)、周囲の客たちとも盛り上がってしまったのとで、相当長居した。疲れているのもあったと思う、踊りながら宿へ戻り、ぐっすり快眠。
五日目の6日、やっぱり天候は思わしくなく、5日に撮影を済ませてよかったよね、と言いながら、スタイリング小物の返却などしてから、キューバ亡命移民の街・リトルハバナへ。繁華街の中心に1935年開業の老舗「Ball&Chain」があり、名だたる有名ミュージシャンがライブをしてきた歴史を誇り、観光バスツアーの団体客などが乗りつけている。ちょっと思っていたのと違ったかなー、と話しつつも、雨もひどいので隠れ家的な穴場を探してうろつくわけにもいかず、一番ベタなこの店でテーブル席を確保できたのを上出来として、14時からモヒートで乾杯。最後の最後まで天気に振り回されてしまった。とはいえ、ここのハコバンも若手のリズム隊にバックグラウンド演奏を任せてワルい感じのやんちゃなおじいちゃんフロントメンズが自由奔放に暴れまくるという最高に楽しい楽団で、さすが街の中心になるだけある。観光客向けのパフォーマンスはもちろんなのだが、客として来ている人たちの一部も異様にダンスが上手く、踊らにゃ損損、という雰囲気がとてもよかった。風采上がらない普通のおじさんでも、音楽かかるとぱっとサルサ踊れる、それだけでめちゃくちゃセクシーに見えますね、やっぱり。途中、客として来ていたダウン症の子が楽器を渡されてセッションが始まり、おじいちゃんたちにぐりぐりかわいがられながらその場でリズム習得してあっという間に白熱セッション、めちゃくちゃエキサイトしたのもよかった。で、結局フライトの時間ギリギリまで、まったり過ごしてしまった。最終日にふさわしいチルアウト。
Lyft相乗りで、おばあちゃんと孫娘と一緒になったのはこのときだったかな。栄えているけど電車網はなくて、ないならないで困らないんだけど、車を運転するほどでもない、という小さな市街地のなか、夕飯の買い出しをしたショッピングバッグ抱えた地元の女性なんかが、歩くにはちょっと遠い程度の距離を2ドル3ドル払ってLyftを使っている。目新しい光景だった。ニューヨーク市内だったらとりあえず地下鉄乗っちゃったり、または本当に急ぎならまどろっこしいから直行のタクシーを呼んでしまうところだが、マイアミは時間がゆったり流れているし、目的地もだいたい同じだから、「生活の足」としても乗合が効率がいい。そういう街での低価格競争なら、そりゃあLyftが勝つだろう。日常的にタクシーを使う彼らが乗り合わせるのは、私たちみたいな、よそから来てお金を落とす観光客。判で捺したようにおすすめの店を訊かれるから、みんな判で捺したように同じ流行りの店(CEVICHE105とか)を教える。ドライバーにもスペイン語話者が多くて、キューバ系二世三世とか、あるいは現政権になってベネズエラから逃げてきたなんて人までいた。男は口数少なく、女はおしゃべり。おばあちゃんと孫娘は乗り合わせた私たちアジア人とはきっぱり会話しようとしなかったけど、女性ドライバーはしょっちゅう呼んでる顔見知りのようで、スペイン語で話しているけど、孫娘との会話はフランス語だったような? キチキチに編み込んだドレッドの孫娘のほうは幼稚園児くらいか、黒い肌に似合うピンクのドレスで着飾って人形を抱え、英語の会話も耳では聴いていて、私の調光サングラスの色が変わるのを、こっそりじっと見つめていた。彼女はアメリカでどんなふうに育つのだろう。
ところで我々がマイアミ入りした2日から4日あたりまで、ニューヨークでは大寒波の大雪で大変な騒ぎになっていたのですね。正月休みでマイアミに来ていたニューヨーカーのうち、JFK空港発着の復路便を取っていた人々は大打撃を受けたようで、友人は3泊の滞在予定の後に欠航振替待ちで4連泊の延泊を余儀なくされたとか。フロリダ州北部で30年ぶりに積雪があったというのも大きなニュースになっていて、そりゃあマイアミでも冷たい冬の雨が降りもするわ、という話。とにかく飛行機に乗れなくなるのだけは勘弁してほしい、というわけで神経質なくらい定刻通りに空港入り。我々の便は無事に飛ぶようだと安心していたら、なんと「座席故障」という天候まったく関係ないトラブルのために足止めをくらい(関係ないけど私の真後ろの席だった!)、修理のためいったん搭乗した機内から降ろされて待たされたりして、一時間半遅れで出発。LGA空港に到着する頃には深夜も深夜、雪が降りしきるなか、タクシー相乗りする気力も失せてSayaさんとも現地解散、日付変わって1時か2時くらいに帰宅してそこからぐったり倒れるように爆睡してしまった。
ま、楽しい休暇でした。旅支度をしている頃にはマイアミの気温は日中28度とかだったので、浮かれてアホみたいに薄い真夏仕様のサマードレスなど詰め込んで行ったのだけど、もちろん一度も着なかった。真冬から真夏へ旅するつもりでいたけれど、10度前後を上下して20度を超えることはない「春先」くらいの涼しさ。加えて熱帯風だけどしっかり体温を奪う雨にあおられまくり、日向はたしかに暑いくらいだが木陰や海辺へ行くと震えが走る、という調子で、ずっとセーター着ていたな。市街地の観光はだいぶこなしたと思うが、アクティビティはほとんど楽しめなかったので、もっと天気のいいときに再訪したいと思います。
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