もう一ヶ月以上も前のことになってしまうが、正月休暇、マイアミへ行ってきた。フロリダ州へ足を踏み入れるのは生まれて初めてで、前知識は小室哲哉の「South Beach Walk」と小沢健二の「涙は透明な血なのか?(サメが来ないうちに)」しかない。なみ、なみ、と振り付けの思い出し稽古をしながら、外気温氷点下が続くニューヨークでクローゼットの奥から夏服を引っ張り出してきて荷造りをする。こんなことならオーバーサイズのトレンチコートとか白いデッキシューズとか持っておくんだったわ。
そもそも「寒い冬のニューヨークを、どんなふうにしてしのいでいるんですか?」と訊いて、ロングジョンの重要性とかセーターのあるべき厚みとかおすすめの雪靴とかの情報が得られると思っていたのに「……マイアミ?」と返されたのが、渡米直前の夏のこと。最初が小沢さんで、他に「わいもわいも」という話を聞き続け、日本の芸能人が正月ハワイへ行くのと同じかそれ以上の規模で、真冬のニューヨークからマイアミへの民族大移動が起きていることを知った。そして三度目の冬、女友達から「LAかマイアミ、どっちか行こう」と誘われて、「行ったことないから、マイアミ!」と即答したわけだ。なお、もともとは女子三人旅の予定が二人旅になったのは、もう一人が「去年もまったく同じ日程で行ったから、私はパスだわ〜」と言ったから。みんな、どんだけマイアミ行ってんねんな。
元旦は初詣の代わりにセントラル・パークへ散歩に行って、池が凍りついている中を寒い寒いと大騒ぎしながら10分くらいで切り上げて帰ってきた。翌2日、朝5時半にマイナス15度の玄関先からUberでラガーディア空港へ。手荷物の中にペットボトルの水をぶちまけるなどのアクシデントに見舞われつつも、折りたたみ可能なダウンコートを早々に片付けてしまい、ぴょいと飛んで昼前には到着、マイアミ空港で気温を見たら15度。これは最高だなー、と宿へ向かうと、雨が……降ってきたね……。一天俄かにかき曇り、降りると空気が肌寒い。体感気温は明らかに10度切ってる。タクシー運転手から「マイアミは初めてか? それは気の毒だ、いいかい、例年のマイアミはこんなじゃないからね!」と慰められる。この慰めの言葉、その後、滞在中ほとんどすべてのタクシー運転手から聞くことになる。
宿は「VINTRO」という小さなホテルで、15時になるまでチェックインさせてもらえない。ブーツをスニーカーに履き替えてウィンドブレーカーを羽織り、荷物を預けて周辺散策する。小降りになったところで近所にある植物園を目指してみたのだが、ちょっと気を緩ませると熱帯風の横殴りの雨がまたブワーと行く手を阻むので、とてもじゃないが庭園散歩という天気ではない。近所の屋根付き駐車場などに緊急避難しながら、「Moreno’s Cuba」でキューバンサンドイッチの昼食。あとは部屋でまったりしていた。夕方、今回の旅の友であるSayaさん到着。「Sand by Saya」というサンダルブランドのオーナー兼デザイナー。ほぼ同時刻に現地入りするはずが、JFK空港で足止め食らって大変だったようだ。着替えて「Bodega Taqueria y Tequila」行ってトイレ奥のバーで飲んで「CEVICHE105」にハシゴして、隣の席に座ったブラジル人一家のかわいい女児をいじったりして、水と朝ごはん買って帰って、よく眠る。
二日目の3日、私はいきなり体調崩してダウン、昼過ぎまでSayaさんと別行動にしてよく眠る。ビーチの様子を見に行ったんだがやっぱり天候は芳しくない。これはハズレの年に来ちゃったかなー、と思いつつも、曇天の下にそびえ立つ白亜のビーチサイドホテル群は、それはそれで趣がある。1930年代当時から変わらぬ光景でありながらやっぱりちょっと寂れてしまった雰囲気もあり、でもまだ廃墟のようになっているわけでもなく現役バリバリ。外壁は塩害でヨレてるんだけど内装はドン引きするほど絢爛豪華だったりして。「今、一周回って熱海がアツい」みたいな、名状しがたい憩える雰囲気があった。そもそもアール・デコ様式の建築群が「クラシック」と呼ばれてしまうのはこの国の歴史がどれだけ浅いかという話でもある。「基本的に観光地だから、中心地はダサいものごとが大半だけど、それでもやっぱり、イイよ」と薦めてくれた人々の言わんとすることがよくわかる。
リンカーンロード界隈でちょっと買い物、外は大嵐の様相。吹き付ける雨が冷たくて手足が痺れる。トイレを借りにメイシーズに入ると暖房が効いている。撮影のための下見をしていたSayaさんと合流しようにも、「視界不明瞭でワンブロックも歩けない」と電話が入る。マイアミ初体験の私は、沖縄でスコールに遭ったようなもんだと楽観して「ずぶ濡れだねー!www」と笑っていたのだが、何度も遊びに来たことのある彼女がすっかり真顔に返って「こんなのは初めてだ」「物とか飛んで来たら怪我するから出歩かないほうがいい、予定変更しよう」と言うので事の重大さを思い知る。よくよく見ると、舗道脇に植わったヤシの木が激しくしなって巨大な枝がもげていたりするし、信号のない車道でタイヤをとられた自家用車がスリップしながら歩行者スレスレのところで急停止したりしている。台風慣れした沖縄ならそのあたりの被害対策ちゃんとしてるだろうけど、ここ、アメリカだからな……飛来する凶器に当たって死んでも自己責任とか言われかねない。
とにかく暴れ狂う海風から少しでも遠くへ、というわけでLyft呼んでダウンタウンへ。名前を失念したイタリアンで昼酒。地元の人々がビジネスランチしてる一方でほどよく観光客仕様でもあり、パスタが美味しかった。この界隈は昔は大層治安が悪かったそうだがすっかりジェントリフィケーションされている。歴史的景観保存地区になっているサウスビーチと違って新築高層ビルがにょきにょき立ち、かと思えば広大な空き地やシャッター通りもあり、なんか都市博が流れた直後のお台場みたいだなという感想(なんでも日本に変換するのよくない)。ウィンウッドへ向かうべく相乗りのLyftを呼ぶと、道すがら大柄な男性を拾い上げた、彼もニューヨークから来ているアーティストだという。名刺をもらって雑談しながら見所など教えてもらう。このLyftの相乗りがとにかく安くて、その後も使い倒した。狭い街だからどんな客でもだいたい目的地が近く、別の客を拾うために迂回することが極端に少ないため、ニューヨーク市内よりずっとお得な感じがする。
さて、アートディストリクトとして栄えているウィンウッドは、たしかにオシャレで賑わっているのだけど、一言で言うと「あ、ブルックリンだね……」という感じ。今きっと、全米のちょっとした都市部の、あらゆる土地の余った郊外に、こうやって、旧時代的な旧市街にはまるでないカルチャーを新しく作り出そうと、ヒップなムーブメントが起きているのであろうね、と、そういう感想。地元の人たちは口々に「サウスビーチとかリトルハバナなんてイケてないよ、ウィンウッド行きなよー!」と言うのだけど、ニューヨークから来ると「あっはい、コレね、把握」といった気分にもなる、正直。とはいえ、グラフィティで埋め尽くされたウォールを堪能し、あちこちのアートギャラリーでちょっとイイけどもだいぶ既視感がありしかも法外な値段の付いている作品を指差して「ビジネスビジネス!」と野次を飛ばし、セレクトショップで高い買い物したくなるのをグッとこらえ、意識高い感じのアイスクリーム屋やコーヒーショップを尻目に、ちょっと離れたところにある醸造所で地ビールを飲む。平日16時台に満席。こんな土地柄でまともに働ける気がしない。
またLyftでピャッと「SUGARCANE」まで行ってバーカウンターでハッピーアワーを堪能して帰る。モヒートでシシトウと巻き寿司を食べる不思議、もう慣れた。隣のカップルがファースト・ブラインド・デートという様相だったのだが、ボタンダウンシャツを着た大学講師風の真面目な白人メガネ男子と、気合い入れまくった露出高めのブラックドレスを着たラテン系イケイケ女子とで、あんまり釣り合っていない。私が男のほうを40代前半くらいと見立てたら、在住長いSayaさんから「全ッ然わかってないね! あれは下手すると50代後半だよー!」と笑われる。白人男性の年齢を見分けるの本当に難しい。
三日目の4日、この日も朝は別行動にして、ジョギングでビーチへ行ったSayaさんと別れ、近所のダイナーで朝食。ホテル街のごはんは美味しくない上に高価い、というのを痛感する。宿泊先、部屋はかわいいんだけど水回りの配管がよろしくなく、起きたらバスルームが水浸しだとか頭洗ってる最中にお湯が水になるとか、トラブルもある。技術者を呼びつけて文句言っても「君たちがチェックアウトするまで工事できないよ」という調子で、安いだけあるなー。きっと全宿泊客に言い続けて何年も修理していないのだろう。で、徒歩圏にあるWホテルのプールサイドへiPadを持ち込んで原稿書き。ここは一応、宿泊客専用なのだけど、うまいことモニョモニョ言ったら普通に通されてしまった。空いている時間帯ならお目こぼしにあずかれるのかもしれない。Wifiも飛んでるし、「The Dutch」は朝食時間帯コーヒー無料だし、さすがWホテルですね、フリーライダーに甘い。細かいことを気にしない豊かさを感じる。乗っかっていきたい。いろいろなインスタグラマーたちがプールサイドでもロビーでもどこでもガンガンにそれっぽいインスタ映えする写真を撮っていたけど、あいつら私と一緒で、一銭も払わずにラグジュアリーな旅してるフリしてるだけですからね、本当にチャッカリしてるよね、あーもう二度と騙されないぞ貴様らには。という記念写真がこちらです。
昼はキューバ料理の人気店「Puerto Sagua」でランチ。定食屋という雰囲気で、恵比寿の「こづち」など思い出す、本当にあそこのキューバ版という感じだ。カウンターでオックステールシチューとローストチキンを分け、軽く周辺のファッションブティックを流し見る。別行動のSayaさんが何をしているかというと、「Sand By Saya」の新作カタログのための撮影準備なのだった。大量の新作サンプルを運び込み、着いて早々に現地でオーディションとテストショットをしてモデルと契約し、遊ぶ合間に彼女のサイズに見合った洋服を選んで買い揃え、小物のスタイリングとロケーションハンティングまで終えている。当初「私が全部一人でやるから、あなたは遊んでて!」と宣言されていたのだが、事前準備を見るだけで相当に大掛かりなシューティングであり、カメラマン兼ディレクター兼スタイリストがたった一人では、荷物持ちさえままならない様子。下手すると日が暮れても合流できない可能性がある。こちらもだいぶ遠慮が無くなってきて、「いやー、雑誌編集者としての経験上、言わせてもらうと、悪いけどこれ絶対に半日で終わりっこないよ。私も手伝うから、とっとと終えて、早いとこ飲みに行こうぜ!」という話になる。あとは当日、晴れることを祈るばかり。
夜はこれまた徒歩圏の「Sweet Liberty」でワカモレ食べてハッピーアワー、三歩歩くと注文忘れるかわい子ちゃんウエイトレスに「ああいうのが男ウケすんだよな」と悪態をつきつつ(でも本当にかわいかった)、Lyftでピャッと「Garcia’s Seafood Grille」。この二箇所、どちらもyelpで評判を調べて行ったのだが、大正解だった。「Garcia’s」では奥の大テーブルで大家族のおばあちゃんの誕生日パーティーが開催されていて、白装束ソンブレロ楽団がドンチャカやってて賑やか。一方こちらは、やっぱり旅行で来ているという隣席の60代の黒人女性二人組と異様に盛り上がる。向こうから積極的にガンガン話しかけてきて、お孫ちゃん自慢からスキンケア相談から恋愛遍歴披露まで、最後ちょっとスピリチュアルっていうのかジュビリーっていうのか、「あたしたち、女、どこへ行っても傷だらけ、でも、どっこい生きてる、愛の力!」「ほんとだよ姐さん!」「わかるかシスター!」って感じで得も言われぬエモの祝祭、魂の大合唱みたいな状態に。普段、夫と男女二人で旅行しているときには、絶対こんなふうに盛り上がることは、ないわけです。酒と泪と女と女と女と女、男抜き女子二人旅のケミストリーの二乗、どんな男からナンパされるより「ここまで来てよかった」感が強い夜であった。途中まで丁寧に接客してくれていた初老の男性バーテンダーが途中から我々にいっさい話しかけなくなり、接客も放棄し、閉店間際に最後の客になったべろんべろんの私たちに「早く帰れ」ジェスチャーをした。推して知るべし。
四日目の5日、天候に恵まれて、朝から撮影。できあがりの写真は順次「Sand By Saya」のInstagramに上がるのではないだろうか。私って本当に「雑用係のプロ」だなぁ、と思った。去年のCM撮影現場でも感じましたけども、ええはい、自慢じゃないけど、ディレクターをやるよりアシスタントをやるほうがイキイキしているというか、せせこましい小回り得意だなっていうか、どこまで行っても悲しいくらい「美は細部に宿る」「かゆいところに手がとどく」担当だよな、と……。いや、いいんですけどね。『オトコのカラダはキモチいい』文庫化のときだって、著者なのになぜか嬉々として赤字整理とかやってたもんね。私くらい有能で気のつくアシスタントが私自身についていてくれたら、今頃どんなビッグプロジェクトでもこなせていたはずだと思いつつ、自分で自分のアシスタントをすることはできないので、自分自身のなすべき個人プロジェクトが暗礁に乗り上げて停滞してしまうのだ、ということも、大変よくわかった。というか、単身渡米してゼロから成功をおさめた有能な会社経営者であるSayaさんと連日連夜飲み明かしながら、自分にもできるはずのことと、自分に圧倒的に足りていないもの、今すぐマネタイズできることと、これから獲得せねばならないことを、たくさん教わるマイアミ旅行でしたよ。ありがとう。おつかれさまでした。
で、予定より一時間も早く全撮影がつつがなく終了し、「一杯奢らせてー!!」「おま、次からはちゃんと請求書起こしてカネ取るからなー!!」とワイワイやりながら、二軒目のホテル「Julia」へ移動、ホットチョコレート飲んで、ビーチに出てホテル提携のデッキチェア借りてまったりして、またホテル戻ってハッピーアワー(チェックイン業務を終えた後のフロントカウンターでワインとチーズと軽食が無料で振る舞われる)を堪能し、エスパニョーラウェイの「Tapas & Tintos」へ。適当に済ませてハシゴしようと言っていたのに、接客係のおねえさんが美人なのと、フラメンコ生演奏のクオリティが観光客向けとは思えないほど高かったのと(ニューヨークの店はしょぼいのが多い)、周囲の客たちとも盛り上がってしまったのとで、相当長居した。疲れているのもあったと思う、踊りながら宿へ戻り、ぐっすり快眠。
五日目の6日、やっぱり天候は思わしくなく、5日に撮影を済ませてよかったよね、と言いながら、スタイリング小物の返却などしてから、キューバ亡命移民の街・リトルハバナへ。繁華街の中心に1935年開業の老舗「Ball&Chain」があり、名だたる有名ミュージシャンがライブをしてきた歴史を誇り、観光バスツアーの団体客などが乗りつけている。ちょっと思っていたのと違ったかなー、と話しつつも、雨もひどいので隠れ家的な穴場を探してうろつくわけにもいかず、一番ベタなこの店でテーブル席を確保できたのを上出来として、14時からモヒートで乾杯。最後の最後まで天気に振り回されてしまった。とはいえ、ここのハコバンも若手のリズム隊にバックグラウンド演奏を任せてワルい感じのやんちゃなおじいちゃんフロントメンズが自由奔放に暴れまくるという最高に楽しい楽団で、さすが街の中心になるだけある。観光客向けのパフォーマンスはもちろんなのだが、客として来ている人たちの一部も異様にダンスが上手く、踊らにゃ損損、という雰囲気がとてもよかった。風采上がらない普通のおじさんでも、音楽かかるとぱっとサルサ踊れる、それだけでめちゃくちゃセクシーに見えますね、やっぱり。途中、客として来ていたダウン症の子が楽器を渡されてセッションが始まり、おじいちゃんたちにぐりぐりかわいがられながらその場でリズム習得してあっという間に白熱セッション、めちゃくちゃエキサイトしたのもよかった。で、結局フライトの時間ギリギリまで、まったり過ごしてしまった。最終日にふさわしいチルアウト。
Lyft相乗りで、おばあちゃんと孫娘と一緒になったのはこのときだったかな。栄えているけど電車網はなくて、ないならないで困らないんだけど、車を運転するほどでもない、という小さな市街地のなか、夕飯の買い出しをしたショッピングバッグ抱えた地元の女性なんかが、歩くにはちょっと遠い程度の距離を2ドル3ドル払ってLyftを使っている。目新しい光景だった。ニューヨーク市内だったらとりあえず地下鉄乗っちゃったり、または本当に急ぎならまどろっこしいから直行のタクシーを呼んでしまうところだが、マイアミは時間がゆったり流れているし、目的地もだいたい同じだから、「生活の足」としても乗合が効率がいい。そういう街での低価格競争なら、そりゃあLyftが勝つだろう。日常的にタクシーを使う彼らが乗り合わせるのは、私たちみたいな、よそから来てお金を落とす観光客。判で捺したようにおすすめの店を訊かれるから、みんな判で捺したように同じ流行りの店(CEVICHE105とか)を教える。ドライバーにもスペイン語話者が多くて、キューバ系二世三世とか、あるいは現政権になってベネズエラから逃げてきたなんて人までいた。男は口数少なく、女はおしゃべり。おばあちゃんと孫娘は乗り合わせた私たちアジア人とはきっぱり会話しようとしなかったけど、女性ドライバーはしょっちゅう呼んでる顔見知りのようで、スペイン語で話しているけど、孫娘との会話はフランス語だったような? キチキチに編み込んだドレッドの孫娘のほうは幼稚園児くらいか、黒い肌に似合うピンクのドレスで着飾って人形を抱え、英語の会話も耳では聴いていて、私の調光サングラスの色が変わるのを、こっそりじっと見つめていた。彼女はアメリカでどんなふうに育つのだろう。
ところで我々がマイアミ入りした2日から4日あたりまで、ニューヨークでは大寒波の大雪で大変な騒ぎになっていたのですね。正月休みでマイアミに来ていたニューヨーカーのうち、JFK空港発着の復路便を取っていた人々は大打撃を受けたようで、友人は3泊の滞在予定の後に欠航振替待ちで4連泊の延泊を余儀なくされたとか。フロリダ州北部で30年ぶりに積雪があったというのも大きなニュースになっていて、そりゃあマイアミでも冷たい冬の雨が降りもするわ、という話。とにかく飛行機に乗れなくなるのだけは勘弁してほしい、というわけで神経質なくらい定刻通りに空港入り。我々の便は無事に飛ぶようだと安心していたら、なんと「座席故障」という天候まったく関係ないトラブルのために足止めをくらい(関係ないけど私の真後ろの席だった!)、修理のためいったん搭乗した機内から降ろされて待たされたりして、一時間半遅れで出発。LGA空港に到着する頃には深夜も深夜、雪が降りしきるなか、タクシー相乗りする気力も失せてSayaさんとも現地解散、日付変わって1時か2時くらいに帰宅してそこからぐったり倒れるように爆睡してしまった。
ま、楽しい休暇でした。旅支度をしている頃にはマイアミの気温は日中28度とかだったので、浮かれてアホみたいに薄い真夏仕様のサマードレスなど詰め込んで行ったのだけど、もちろん一度も着なかった。真冬から真夏へ旅するつもりでいたけれど、10度前後を上下して20度を超えることはない「春先」くらいの涼しさ。加えて熱帯風だけどしっかり体温を奪う雨にあおられまくり、日向はたしかに暑いくらいだが木陰や海辺へ行くと震えが走る、という調子で、ずっとセーター着ていたな。市街地の観光はだいぶこなしたと思うが、アクティビティはほとんど楽しめなかったので、もっと天気のいいときに再訪したいと思います。