2015-12-30 / 一年の終わりに

2015年も、もう終わりですね。やっと冬休みになったのでサイトの手入れでもするかと重い腰を上げたら、「日記の再開と継続」と題したポストが5月末で止まっていて我がことながら震えた。どうしてこんなに締切のないことが苦手なんだろう(まるで締切があることが得意であるかのような言いよう)。

テーマを「Twenty Sixteen」に変えて、英語圏から飛んでくる人たちのために改装する。ちなみに「バイリンガル仕様のサイトは、両方からのアクセスが悪くなる」というのがインターネットの通説らしい。日本語は日本語、英語は英語、でページを作らないと、どっちか片方しか読めないや、という大多数の人々にとっては何か疎外されたような気分になるとのこと。たしかにその感覚もわからないではないが、英語圏向けに独立したサイトを作るほどの目立った活動はまだしていないので、問題は先送りにしておこう。思うところあって、今回はソーシャルブックマーク用機能ははずしてみる。


note.muで「東京の賞味期限(仮)」というマガジンを作っていて、これは中身がからっぽなのに売価が2000円もして購買者も4名しかいないというコンテンツなのだが、だからこそ好きに書けていたところもある。去年の今頃、つまり渡米のために日本の仕事をたたみはじめた頃のことが書いてあり、頭の中はTOEFLの試験結果と大学出願のことでいっぱいで、「来年の今頃は1ヶ月近い冬季休暇を迎えているだなんて信じられない」などと心境が綴られている。信じようが信じまいが時は過ぎる。

結局こちらも数件投稿しただけで更新が止まったままになっていた。続きを書いて新たな2000円の購読者を募ろうかとも思ったのだけれど、それもなんだか阿漕な気がして、この有料マガジンそのものを解体してしまうことに決めた。過去記事はこちらのサイトに転載しておく。カテゴライズしたあちこちの媒体をせっせと更新するという作業に向いていないわけで、noteに限らず、どの新サービスも試しに使ってみては飽きて更新が滞る、ということの繰り返し。だったら自分のサイトでやっていたほうがまだマシで、ログも管理しやすいよね。という毎度の結論に至る。

はてなブログとはてなダイアリーは、これを機に非公開とした。いろいろなサービスをフラフラ使い続けてはいるけれど、もう私は「はてな」に戻ることはないのだろうなと思って。現在の村民には何を言っているのかわからねーと思うが、今回、はてなグループもずいぶん整理したのである。美術部やTwitter部は退会、大変お世話になりました。まだ現役で使ってるグループもあるんだけど、本当、いつ予告なく全閉鎖されてもおかしくないのでバックアップ取っておおむね停めてしまった。一時期はグループばっかり使ってたのに。隔世の感あり。しかし、あちこちいじってみたら機能していない機能があって結構不安になったな。押しても反応のないボタンとか、数年前と同じ画像が使われているエラー画面とか。最後に残った問題は、ブックマーク。どこへ引っ越せばいいのかわからない。はてなアンテナから使い始めたユーザの一人として「はてなの肝は、人力検索だろ!」などと寝言を言ってきたのだが、アンテナもダイアリーもグループもフォトライフもハイクも別サービスでいいよね、モノリスとココにまで付き合ってやった俺はもっと感謝されるべき、などと総括しつつ、自分のアカウントで「最後まで残ってよそへ移せずにいるのが、はてなブックマーク」というのは、なかなか感慨深い。はてなの肝は、ブックマークだったのかなぁ。べ、別に、これだってそのうち引っ越すんだからねっ(ツンデレ)。


どうせ飽きたら何ヶ月も更新が止まってしまうことは目に見えているので、思い立ったそのうちに、いくつか投稿しておこうと思う。
「英語という障害」とInstagramのこと
バスを待つ黒い男

2015-08-16 / 渡米前後日記

これまた近藤聡乃さんが『ニューヨークで考え中』に描いていたことだけど、こっちの女子って、薄手のレギンスを一枚で履いていたりする。もちろん上半身も薄着で、ノーブラに背中のあいたキャミソールなんて日常茶飯事なんだけれども、その他にも、ミニスカワンピースを一枚で着て足元はビーチサンダルとか、ちょっとオシャレなトップスを着てるけどホットパンツとか、なんというか、「下半身が貧相」と形容したくなるような服装が多い。

冬になるといやでも厚着せざるを得ないわけで、そうなるとマフラーや小物で遊ぶ人も出てくるのだろうけれど、夏の間はありとあらゆる女の子の露出度の高さから「服なんかどうでもいいから、少しでも日光を浴びよう」という気概を感じる。とくに、下半身。もう、生足、生足、尻から下は無頓着、素、あるいはクロップドパンツかと思いきや涼感素材のレギンス一枚で紐パンのライン丸見え、みたいな感じのファッションが主流である。脚線美の人もそうでない人も、足元にいくにつれオシャレ意識が低くなっていくというか、上半身ばっちり決めている人も、足元は安物のぺたんこサンダルだったりする。ほとんど裸足みたいなペラッペラのやつ。道の舗装が悪いからハイヒールなんてそうそう履いていられないというのもあるんだが。

そこいくと、日本人は真夏でも靴をかっちり履くよなぁ、と思う。先日、日本人の留学仲間と出掛けることになって駅前で集まってみると、我々の集団は「足元で日本人とわかる」感じだった。目的地が同じ別の客たちとぞろぞろ歩いている道中、我々の足元だけがかっちりしている。他がほとんどビーチサンダル、あるいは華奢なミュールサンダルなど履いているなか、日本人集団だけ、つま先まですっぽり覆われるブーティとか、厚底のウェッジソールサンダルとか、スニーカーとか、ビルケンシュトックの布面積が多いモデルとか。私はとくに足元をごついブーツやサンダルでかためたりする大地に根を張った「足が太い」感じのファッションが好きなんだが(実際に足が太いからです)、そんな格好をしている女子は少ない。

それで、これは体型と関係あるのかな、などと考えていた。上半身をゴージャスに見せるスタイルは、上半身がでっぷりとグラマラスで脚は相対的にすらっとして見える、というこちらの人々の主流な体型にとてもよく似合っている。日本人女子の一般体型、すなわちこちらでは相対的に「小柄で痩せている」扱いの子が、彼女たちグラマラスと同じようにして薄布のキャミワンピを一枚で着て裸足で歩くと、それこそ本当に、ガリガリに痩せ細って見えてしまう。映画でよく見る「貧民街の売春婦」みたいな、そういう記号的意味合いが強いというか。セクシーでない生き物が無理矢理にセクシーな衣装を纏っている、裸同然の服を着させられている、そんな、病的で心配になる感じがある。だからというのでもないけれど、グローバル展開しているファッションブランドの同じ服を与えられても私たちは、カーディガンを合わせたり、編み上げのサンダルを合わせたりして、重ね着で全身のバランスを取っているんだなぁ、と。

逆に言うと、欧米標準体型以上のぽっちゃり女子たちは、布一枚で外を出歩いてても、全然そうは見えないのだ。太っている人ほど、堂々と肉をさらしている。でも、そのほうが健康的に見える。まぁ「デブは余計に暑い」みたいな彼女らなりの事情もあるのかもしれないが、レギンス一枚とかキャミワンピにビーサンとか、ああいうファッションは、肉体との絶妙なバランスありきのものだなと思う。この間、スーパーモデル体型といえばきこえはいいが、標準体型と並ぶと「ガリガリ」の域に相当する、超絶すらりとした黒人女子を見かけた。彼女は真夏の陽射しの中で全身を黒でかため、ゴワゴワした革パンを履いて、とても人目を引いていた。足元も、黒革のブーツ。季節感も無視、我関せず、という態度で痩せすぎの体型をカバーし、いついかなるときも自分に似合うオシャレを貫いている。一方で、意識高いデザイナー的な人々は、体型に関係なく、いつでもオシャレなジャケットを羽織っていたりする。あれはデザイン事務所の内勤仕事なんかだとクーラーがきついから、という事情があったりするんだろう。

つまり、みんな体型や生活様式ごとにそれをカバーするような服装をしている。となると一番の主流ファッションは「下半身が裸同然」というあのスタイルになるんだけれど、まぁ一方で「全身黒革」や「真夏にジャケット」だっていることはいる。じっくり観察していると「下半身が裸同然」は、マジョリティではあるのだが、右へ倣えの「流行」ではない、ということがわかる。よくよく探せば、「かっちりした靴」を通り越し、真夏日にノースリーブ&ブーツでオシャレしてる人だっている。この「甘めの夏服にワイルドなブーツ」というオシャレは、逆に東京ではほとんど見かけない。90年代にガッと流行って廃れたせいもあるし、もっというと、高温多湿気候のせいなんだろう。こちらの気候下でなら、ああいうミックスが成り立つし、暑さと冷えとに同時に対策ができて機能的とも思う。

日本人にしては肉の付いたほうだが欧米標準に照らせばXSサイズで、超のつく冷え性だけど汗っかき、という私など、参考にするならああいうスタイルだろう。
なんともとりとめがない話だが、道行く人の格好を安易に真似しないほうがよさそう、というのがこの夏の感想。私とて、「下半身スースー」に憧れて、日本ではハーフパンツと合わせていたチュニックを一枚で着てみたりもしたのだが、そこであんまり無理するとお腹を冷やしてしまいそう。私は私、と夏でも長袖カーディガンやつま先のある靴で武装していようと思う。本当に、ニューヨークの夏は「寒い」。

2015-08-12 / 渡米前後日記

一昨日の夜は焼肉。いわゆるジャパニーズスタイルバーベキュー。日本語を勉強中だというガタイのいいアフリカンアメリカンの給仕がつく。「焼き方はわかるか?」と訊かれ、もちろんわかるんだけど、面白いので英語で焼き方を説明してもらう。隣の席では同じ焼き網でシーフードやソーセージやその他よくわからないものを一緒に焼いていて、あの調子で食べていたらずいぶん高くつく外食になるだろう。我々はほとんどカルビとサンチュだけで腹を満たす。これが本物のジャパニーズスタイルじゃ。

昨日は朝がコロンべ、昼はミンカラーメン。あちこち歩き回る。アルファベットシティ、数年前に散歩したときは「割れ窓理論」ここに極まれりというか、「いくら開発が進んだからといってここから先は女一人で歩いてはなんねぇ」という空気が漂っており、道にたむろする男たちからひっきりなしに「おまえここがどこだかわかって歩いてんのか」「お嬢ちゃん迷子か、ヨウヨウ」みたいに言われまくる界隈、という印象だったのだが、昼間に夫婦で歩いてみるとまったく印象が違うし、なんだか小綺麗な店が増えている。小さな通りごとに「オーセンティックなんちゃらキュイジーヌ」みたいなことを謳うエスニックレストランが乱立していて、ここでいうオーセンティックとは、つまり移民たちの「俺たち自身が食べたいもん作って出すぜ」「繁華街の店と違ってアメリカ風味になんかしないぜ、メニューだって英語訳より先に現地語を載せちゃうぜ」といった声なのだろう。インド人が食べに来るインド料理とか、ベトナム人が食べに来るベトナムサンドイッチとか。きっと美味しいだろうな。

旅行者でいるときはトイレの汚物入れを見てさえ「やだ、オシャレ〜」とか思っていたが、よく見るとほとんどのものに「simple human」のロゴが小さく入っていて、これはめっちゃオシャレというよりはそこそこオシャレ程度、どこでも売っているし、日用品の買い出しを続ける過程で、もう小売の値段だって知っている。日本でいうところの「なんだ、ここにもfranc francかー」みたいな感想。文房具なども、数年前おみやげにしようと買い込んでいたものが、コンビニでも売ってるような「コクヨの新しいライン」程度の存在だったことに気づいたりする。いや、でも、外国人が東京へ来たら「コクヨの新しいライン」のノートとか、「こっちでは売ってない無印良品の小物」とか、東急ハンズのような店をわざわざ訪ねて買い込んで帰るだろう。それと同じ。日々の驚きが減じていくのは哀しい気もするが、「住んでみると当たり前になること」の第一歩目というところ。

今晩も外食、ココナッツジンジャーチキンヌードル。レモンクリームパスタとグリーンカレーの混ざったような味で超うまい。レモングラスが効いている。何料理の店かは最後までよくわからなかった。

2015-08-10 / 渡米前後日記

「フレンドオブファーマー」でカボチャのパンケーキ、ブロッコリーの入ったオムレツ。窓辺の席に体格がまるで違う素敵なゲイカップルがいて、詳細は省くが、かわいくてずっと見惚れていた。

とうとうホテルをチェックアウト。荷解き、片付け、洗濯。服がスパイシーになる問題、自分で洗濯するようになるとそんなに感じなくなった。いちいちなんでも背が高いので、風呂場のシャワーカーテンレールに干した洗濯物を取り込んでるときにも、なんだか「果実の収穫」みたいな感じになる。

そういえばJFK空港に飛行機が着くと同時に「くさい」と気づくことはある。でも、子供の頃に一番最初にアメリカ旅行をしたときは、街の匂いなんてまったく記憶にない。大自然の中でのキャンプから、いろいろなアメリカ人の家を点々とし、地方都市と大都市を行き来したのに、ニューヨークのゴミゴミした匂いについてはよく覚えてない。他に驚くことが多すぎたのかな。渋谷の街は湿気の多い日などドブの匂いがして、ああ、ここは谷なんだなと実感するが、ニューヨークはどこもかしこも、ごっちゃになった食べ物の匂いがしてくる。そしてまるまる太ったネズミがリスのように走り回っている。言われてみれば道とかも得体の知れないゴミが溜まっていて非常に汚いわけだが、慣れると気にしなくなる。日本の道が清潔すぎるのだろう。

午後3時に買い物へ出かけ、無印良品で本棚を買う。クレート&バレルでは買うものなし。エイリアンカフェでジュースを飲む。ここのスムージーは美味い。オレンジラインに乗って23丁目へ。いや、うっかり34丁目まで行きすぎて戻ったんだが。コンテナストアとBBBで買い物。最初は「こんな店のチープな品物にこんな値段を出すなんて嫌!」と暴れていたが、一週間も経つと「もうこのカゴでいいや、9.99ドル? まぁ安いじゃん。どうせ流しの下に置くだけなんだし」という気分に。魂の劣化。「どうでもいいものが高い」というこの街の物価に、いちいち憤るのに疲れ果ててしまった。そういえば、東京の引越だってそんな感じだったよなと思う。転居先のすぐ近くにある雑貨屋で、どうでもいいものを「これでいいや」と思いきって買い込まないと、本来の生活がスタートしない。スポンジとか、洗剤とか、カゴとか、物干し竿とか、値段を見ないでガンガン買って、「おうちに置く素敵なものが欲しいわ」という余裕が生まれるのはずっと後のこと。

月曜日、街中には観光客が目立つ。普通の人々はみんな働きに出てるからだろう。でも、子連れのお父さんがコンテナで普通に買い物してたりもする。自営業なのか、平日休みの勤め人なのか、じろじろ観察してしまう。あるいは、昨日は日曜日でそもそもの人出が多かったからかもしれない。交差点で、日本語のカタカナで大きく「ニューヨーク」と書かれた大判のガイドブックを抱えて歩いてる女の子を見かけた。手回品をコンパクトにまとめて旅慣れた様子なのだけど、詰めが甘いというか、「住んでいる」目線から見るといかにも観光客風である。私がスリなら彼女を狙うな。危ないよ。と思ったけど、旅慣れた様子でサッと通り過ぎていった。

大きな荷物を抱えた買い物の帰りは、混み合う地下鉄に乗るのも煩わしく、10ドル以下で済むならタクシーを使う。自宅までの道案内をするとき、通りの名前を幾つか言わないといけないのだが、どんなに長い複雑な通りの名前よりも、いくらLとRを含んだ地名を告げるよりも、「Fourth」という単語が、聞き取ってもらえない。これは結構な衝撃。言われてみれば、小学生でもわかるこの頻出単語、「F」で始まって「th」で終わるのだ。とくに「F」がカタカナの「フォ」では全然ダメみたいで、4本指を顔の前に突き出して「(プ)フォーーッ(ト)ス!」と必死で舌を動かしても、発音ではなく指を見て数秒後に「あ、Fourth」とようやく判断してもらえる有様。

へろへろになってタクシーを降りると、家の前の車道をまたいで、ゴム製の羽根つきボールでキャッチボールしている、そう若くもない男二人組がいた。駐車車両もたくさんあって、人も車も頻繁に行き交っている通りを挟んで、である。何やってんだよ、と思ったその瞬間、私が降りたばかりのタクシーのボンネットにゴムボールが直撃。ボヨンボヨンと跳ねて車道へ転がっていった。「でも平気、ゴムだから、傷つかないし傷つけない」という麦わらのルフィっぷり。驚きに固まっている私に仏頂面で「sorry about that.」とだけ言って、二人はそのままキャッチボールを続けていた。うーん、その神経、信じられない。

トランクに詰めて手荷物で持ってきた=到着してすぐ着ようと思っていた服を、そういえばほとんど着ていない。「ニューヨーク」を小脇に抱えた日本人観光客が街中から浮いて見えるほどオシャレだったので、そのことに気づく。この一週間、日本でいうとコンビニとマツモトキヨシとジャスコとビックカメラみたいなとこしか行ってないし、咄嗟に重いものを自力で運んだりもしないといけないので、部屋着のような格好で街をうろついている。しかしそれでも、色柄もののサンダルやパーカーを羽織っているだけで十分オシャレしてるように見える、それがダウンタウン。もちろんミッドタウン以北にはもっとOLっぽい格好の人なんかもいるのだろうけど、みんなカジュアルで、みんなシンプルシックで、色柄がプリントされた服を着ている人を滅多に見かけない。黒か白かベージュの無地の服を着なければ死ぬ、みたいな法律でもあるのだろうか、この地区は。たまにおそろしく派手かつオシャレな格好の人がいて「そうそう新宿や原宿はこんな格好が普通じゃん」と見ると、大抵は若い韓国人観光客である。

2015-08-09 / 渡米前後日記

ちょっとしか着ていなくても、外を出歩いただけで、服がスパイシーになる。着ている間は気づかないのだが、脱いでから嗅いでみると、ニューヨークの匂いになっている。屋台から漂う食べ物の香りや、埃や、下水や、いろいろなもののまざった匂い。6月に大学前でばったり会った年若い留学仲間が、初めて来たニューヨークの感想を答えて「くさい!」と言ったことなど思い出す。「鼻が曲がりそう、こんなの嗅いだことない。これからずっとこんな匂いの中で過ごすんですか、私たち……」と呆れる彼女に、旅行で何度もこの地を訪れている私は「いやぁ、すぐに慣れて全然気にしなくなるよー、私なんかこの臭さが懐かしいくらいだよ」と笑った。……のだけど、やっぱり、東京で無味無臭だった服がすごい匂いになっているのを嗅ぐと、「とんでもないところへ来てしまった」という彼女の表情をどうしたって思い出す。ちなみにうんこもくさい。トイレに行くたび排泄するたび、俺はさっきまで体内にこんな匂いのものを抱えて歩いていたのかと驚く。

家具の到着が遅れて、まだホテル暮らし。体調不良が続いているが、腹巻と長袖シャツに厚手の靴下を着用したら元気になった。昨晩はヒートテックを着て寝た。とにかくあちこちの冷房がデフォルトで寒すぎるのがいけない。この冷房設定に負けないようになったときは、私の皮下脂肪がアメリカ人並みになった証拠なのであろう。いつぞや見かけた銀髪マダムのように、真夏でも真冬のようにがっつり着込もうと思う。「どうせアメリカ、予定通りになんていかないだろうから、のんびりやろう」と構えていたところ、なんでもかんでも東京みたいにトントン拍子に進んでしまい、我々のほうがスピードに追いつけなかったのだと思う。ゆっくり休むことにする。