2015-05-20 / 石川禅ソロコンサート

当日の夜からずっと書いてたのですが、あまりに長すぎ、「せめて1万字に収めよう」と推敲しつつ、途中で放り出し、気づけば当日から1カ月経ってしまいました……。メモを取っていたわけじゃないので不正確ですが、すでにさらに記憶が朧げになっている部分もあるので、手を加えないほうがよいと思い、そのまま。1万2千字くらいですかね。どうやらやっぱりパッケージ化はないみたいだけど、少なくとも期間限定を謳っていた公式Twitterの存続が決まって嬉しいよ!(2015-6-20)


Twitterで書くと公言したので書きます。石川禅、活動25周年記念にして初のソロコンサート、行って参りました。我らが禅ちゃん、本当に素晴らしかった。贔屓として誇らしい気持ちでいっぱい、ただこの喜びを伝えたくて筆を執ります。まったく、こんなライブがあんな少ない席数でたった一夜限りだなんて、地球上全人類の大損失だと思うよ!! これを機にコンサート活動が定期化して初回の興行主の不手際が早晩笑い話となるのを祈りつつ、「よかったこと」のお裾分けを。


会場はよみうり大手町ホール、客席数500。私が座っていたのは後方中央の席で、やや押し気味での開演。客電が落ち、1曲目「何かがやってくる(Something’s Coming)」のイントロが流れ始め、誰もがドキドキしながら真っ暗な前方舞台に注視したそのとき、禅ちゃんは、ホール下手側後方の扉から、通路をダダダッと駆け下りてきた。

少し遅れてスポットライトが追いかけると、虚を突かれた客席から、失笑が起きる。やだ、サプライズ、そっちから出てきたのね、と張り詰めた緊張がほぐれる笑いだった。彼はちょうど私の席から真横くらいの位置で、青ラメのジャケット姿でハンドマイクを手に、まさに「来る〜♪」と歌いだすところだ。なるほど歌詞の通り、「禅’s Coming」「空の上から来るかもしれない」「恥ずかしがらず来いよ、用意はいいから」「それは、今宵か」というわけか、趣旨を理解した客席からまた小さな笑いが起きる。しかし彼は表情をまったく変えなかった。もう、トニーだったから。

「ああ、これだから、俺はあんたに惚れたんだよ!!」と思った。1曲目を「Something’s Coming」にして、歌詞にちなんでフェイントで後方から飛び出して来よう、という演出までは、誰でも思いつく。しかし実際にやると客席はまぁ間違いなく笑うし、演者のほうも普通は「もらい笑い」して、客席降りは単なるファンサービスと化し、アットホームな始まり方になるはずだ。しかし彼がやると、それはファンサービスでもウケ狙いでもなくなる。この演出を完璧にこなせるのは、禅ちゃんが禅ちゃんだからである。

「石川禅という役者がひとたび歌い始めると、彼は作中のキャラクターそのものになり、たとえ客席の狭い通路であろうとも、歌の力によって、その場所こそがミュージカルの舞台になる」

演劇用語でいう「第四の壁」が提示され、壊されたはずなのに、まだそこに在る、不思議さ。瞬時にそのことが会場全体に伝わり、身振り手振りで歌い始めた彼を笑う客はもう一人もいなかった。中央通路を横切って上手側通路へ到達するまでの間、くるりと一回転するのがやっとの狭い通路を駆使しての一人芝居。これは「歌手のガラコンサート」ではなく、「ミュージカル俳優の歌による一人芝居」なのだということが、他ならぬ演者自身がそこに強くこだわっているのだということが、1曲目からビシビシ伝わるナンバーだった。世界よ、これが私のぞっこん惚れ込んだ役者だぜ!! そう大声で叫びだしたくなる。こう来られると、ゲリラライブやフラッシュモブとか観てみたくなるよねー。

舞台に辿り着く前に1曲歌い終えてしまい、どう2曲目につなげるのかと思いきや、MCはせず、上手側の客をお辞儀のジェスチャーだけでいじって笑わせながら、「トゥモロー(Tomorrow)」。宝塚歌劇団トップ男役のディナーショーの客席降りってあんな感じですかね……? 心臓が幾つあっても足りんな。歌い始めは素に近かったのが、「寂しくて憂鬱な日には胸を張って歌うの」のところで完璧に8歳女児に入り込んでいた。青くて派手な衣装着た50歳のおっさんなのに、なんで赤毛に赤い服の女の子に見えるんだろ。移動しながらの歌唱とは思えない安定感でサッと舞台に上がり、最後はセンター張って、ご自慢のどこまでもどこまでも伸びていくロングトーン。

ここでようやくMC。のっけから「(本当に、本当に)……ありがとうございました!」をマイクオフしてホール全体に生の美声を響かせる。綺麗な光沢の青ジャケットにボウタイかな、歩くたびエナメルの靴がぴかぴか光って、おめかししてて超カッコイイのだが、まぁ喋り始めるといつもの禅ちゃんだった。セットリストは事前に配られており、曲順は本人が決め、「音楽で巡る世界一周の旅」といったコンセプト。ミュージカルナンバーの「場所」に注目して、順番に辿っていくことにした、という。現代ミュージカル発祥の地ニューヨークから2曲(ちょっと『ショウボート』の話に触れてた)、そしてお次はコニーアイランド、というわけで3曲目は『Love Never Dies』から「君の歌をもう一度(Till I Hear You Sing)」。

中央にマイクスタンドを自分で用意して、ハンドマイクをガコンとはめこむ、その直前の動作まではいつものコミカルな禅ちゃんなんだけど、低音から始まるあの曲の最初のフレーズからして、完璧にファントム。恋に恋する想いの強さだけで夜の闇までも包み込んでしまうのに、包容力があるようで実のところ微塵もない、人を深く愛する力には欠けた、独善的な不眠症患者のダメな感じがよく出ていた。あと、あんまり絶望がない。「消え去れ!」と歌いながら、希望も夢もまだ捨ててない感じ。まだ脈があるラブソング。たとえば市村ファントムが同じ歌詞を歌うと、本当に「我がものにならない存在は何もかもが忌々しい!」と憎しみも混ざってる感じなんだが、禅ファントムは、すでにして再会の手はずを整えた上で、「ただ会えただけでは、まだ心が救われない(私のために歌ってくれなきゃヤだ)」と自分のことばっか心配してる感じだった。いや、双方を褒めて言ってるんですよ! 本当にあの作品の登場人物は全員が全員、人として最低ですからね。ナイス表現力。

4曲目は、ジャケットを脱いで「ひとりごと(Soliloquy)」。舞台は上手に白いベンチ、中央に木のスツール、下手に紅いビロード張りの椅子があって、あーなるほど下手はウィーンになるのねー、と想像しつつ、まだアメリカ。ハンドマイクに持ち替え、白いベンチをふんだんに使った一人芝居。全然どうでもいいところ(「ぜったい、息子は、ビルはー!」かな?)で、エレクトーンが追いつかないほどのロングトーンを見せびらかしたりして、余裕綽々の「THE・持ち歌」ですね。『回転木馬』は主演作であり当時の録音盤もあるのでずっと聴いてるんだけど、「17の彼が見えるー」のところで声がまろやかになるのとか、おっさんくさい声音、若い声音、ヤクザ者の声音、「え、どうしよう、そいつが、もしも、娘だったら?」での白のナイトばりにヘタレた声音、一曲の中で何でも出せる。すごいよなー。歌唱に集中している過去のバージョンより、いい意味で雑音が多いというのかな、メロディを崩して、芝居重視で歌っている印象を受けた。当時の舞台を知らぬ身には、このくらい演技過剰な姿を観られるのが嬉しい。


5曲目「雨に唄えば(Singin’ In The Rain)」は英語詞で。降りしきる雨を簡単に表現したような照明もつく。劇中の流れでは素敵なんだが、いきなり歌うとノリのチューニングが難しい歌なんだよね、最初はドゥビドゥビとスキャットから入るし。でも心配御無用、「I’m happy again」の超絶ハッピーなこと! これから自分の身に何かハッピーなことが起きるたび、このときの全身をバーッと大きく開いて気持ちよさそうに「はーーーっぴあっげぇぇーん♪」と歌ってる禅ちゃんを思い出すだろうなぁ。

シカゴに移動して、6曲目「愛こそすべて(All I Care About)」。すごくよかった! 初めてこの曲をいいと思ったかもしれない、私。とくに「サテンパンツ♪」のとこがめっちゃかわいかったし、「囁くアイニージュー」のとこで客席にウィンク飛ばさんばかりの勢いだったし。「その笑顔がギャランティー」「君を不幸にする奴は俺が黙っちゃいないさ」のところで「あ、そうか、これって白のナイトが(キャラは違えど)同じこと歌ってたんだなぁ」と気づく。一応おっさん声を作ってるのに当然ちゃんとキュートで、なんとなく宝塚歌劇団の男役っぽかった。ダンディズムを表現しようとすると男性のくせにヅカっぽくなる、そんな禅ちゃんが好きです。男性として男性のままカッコイイ役をやればやるほど、その解釈に透けて見える、演者の乙女心。

「ここからヨーロッパへ行く前に、寄り道してサイゴンへ」というMCを挟み、7曲目「神よ、何故?(Why God Why)」。もうずっと言ってますけど、本当にむせるようなオレンジの匂いと湿度がただよってくるんだよね、禅ちゃんの「神よ、何故?」は。これもスタジオ録音のある持ち歌ですが、CD収録のクリスは実年齢を忘れるほどの若い声で、ちょっと童貞みたいにも聴こえる。今夜の禅ちゃんは、もう少し老いた男、つまり本国に戻ったクリスが、ベトナムを思い出して歌ってるような感じがした。「国のために戦ったがー!」以降がとくに、現在完了形じゃなくて過去完了形の、捨て鉢な唄い方でね。CD版とは違う表情を見せてくれて、きっと「あの歌唱を超えてもっといいもん聴かせるぜ」って想いがあるんだろうな、などと思う。「まだ気楽さー」のところで力なく自嘲して見せるのもよかったなー。実際にクリスを演じたのを観たことがないからこそ、その都度、自由に禅クリスを思い浮かべられる。

8曲目、なんだっけこのイントロ? と思ったら、まさかの「君住む街角(On The Street Where You Live)」でびびった。ものすごくアップテンポなジャズアレンジ風の編曲で、舞台を縦横無尽に踊りながら歌っていた。「雨に唄えば」同様すっごい嬉しそうに歌ってるので最初はニコニコ聴いてたんだけど……こ、怖いわ……!! 「いつか僕も移り住もうか」って歌詞を、こんなにガチで歌うフレディ、初めて見たわ!! 想い人の家の前に押しかけてきた男が舞い上がってる様子を描いたストーカーソングなんだけど、「いっつっかっぼっくっもっうっつっりっすもーうかーっ!!」が、夢物語や仮定や可能性の話じゃなく断言してる。なんならもう、すでに引っ越してきてる。「ぼくフレディ、いま君の後ろにいるの(はぁと)」って、狂気しかない。禅マリがプリュメ街で「くるーいそーうさー!!」と全力疾走フェードアウトして行ったときの、「いや、もう十分に狂ってるだろ貴様、これ以上まだどれだけ狂えるっていうの……」って感想とまったく同じ。ああ、石川禅にとって恋とは狂気の一形態か、ってまたしても思った。

途中、間奏があって、本当ならバックダンサーがつくべきところ、たった一人なので仕方なく一人で場つなぎのステップを踏んでいて、そのステップの場つなぎ感というのがめっちゃんこかわゆかったので、後世に語り継ぎたい。ああ、このコンサート、低予算でありがとう。低予算もたまにはいい仕事する。唸るほど予算があったら超一流ダンサーが雇われて、禅ちゃんのあのステップは見られなかったわけですよ。はい、雇われダンサーまったく要らないです。今後とも全部セルフでお願いします。マイクスタンド運びも給水もお着替えも、場つなぎも全部、いつまででも見守るよ。真面目な話、へんに共演者がいないほうが「間」や緊張感が保つ感じがあったのかもしれない。客席のみんなが、たった一人の一挙手一投足を見守っている連帯感。

9曲目は「時がきた(This Is The Moment)」。これはセンターでマイクスタンドだったかな、持ちマイクかな。いずれにせよ、ベストに白シャツといういでたちで、袖をまくらんばかりにジキル。ジキルきゃわいいよジキル。「がんばるぞー」「実験だいせいこうだぞー」「いのち、かけるぞー」「すばらしいぞー」って、よいこ、よいこ。そして「最後だぞ、運命の試練!」「逃すな!」のとこだけ、急に漢字表記、一瞬だけジャベールみたいになる、あれがきっと禅ジキルの背後に垣間見える、イヴィルな禅ハイドなんだろう。禅ちゃんを観ていると私の大好きなもう一人のミュージカル俳優、アンソニーウォーロウを思い出すことが多々あるのだが、禅ジキルはとくにアンソニーを思い出す。そしてもう一人、朝日カルチャーセンターで「なんでミュージカルって、the moment(瞬間)について5分間も引き伸ばして歌ったりするんだろうね?」と言い放った皮肉屋ジョンケアードのことも思い出す。それがいいんだろうがッ!笑。


10曲目「メモリー(Memory)」。入り込みすぎて本人が泣いちゃった曲です。「トゥモロー」と同じく、最初の歌い出しはきっと禅ちゃんの素にすごく近く、途中から娼婦猫グリザベラがふわっと見えてきて、一番の盛り上がりのところで、役と本人が一体化していった。「お願い、私に触って、私を抱いて」の気迫が壮絶。こんなふうに誰かに求められたこと、私はないよ、一度も。ここの表現はグリザベラの役解釈によって変わる。客に語りかける系の人もいれば、もっと天上の誰かへ訴えるように歌う人もいて、長老猫や若い猫たちに歌いかける人もいるだろう。禅ちゃんは本当に、我々、目の前にいる500人の観客にだけ、触ってもらうこと、抱いてもらうことを、求めていたよなぁ。このテンション保ったまま歌いきるのはさすがに難しいんじゃないかと思ってはいたが。永遠にも思える静寂、ずーーーーっとためた後、「わかるわ、幸せの姿が」のところで完璧に裏返り、「明日がーーー」まで、今にも消えそうなか細くて高い声。どこにも実体を持たない女の人の声が下りてきたようだった。

思い出したのは帝劇『レ・ミゼラブル』2011年の千秋楽挨拶。「画家は後世に絵を残す、作家は書物を残す。役者は、なんっっにも残せません。我々は、お客様の胸の中にだけ、存在し続けることができる」といった発言のこと。グリザベラの言葉を通じて彼自身の「お願い、私を、忘れないで」なる声が伝わってくるようだった。この役者は舞台に立っているときでも、一人だけ「僕を観て、僕だけを愛してちょうだい」ってオーラが異様に際立つときがある。それは私が彼のファンだから、実際以上に過剰に受信している怪電波だと思い込んでいたけど。やっぱり、才能や技量とは別にそれを「持ってる」人なんだな、と思った。今にして思えばケアード版『十二夜』のサーアンドルーとか、この「愛してオーラ」を買われて指名キャスティングされたんじゃねーのってくらいの役だもんな……。

「びっくりしたぁー、びっくりしたなぁー、入り込みすぎちゃった〜!」とか言って、「ヴォアー」つっていつもの低い声を出しながら、おどけたふうにMCを続けるのだが、途中で辛抱たまらず「ちょっとすいませんね!?」と小首傾げながら奥へタオルを取りに行き、本格的に涙だか鼻水だかを拭いていた。あまりの愛おしさに、いろいろ長く話してたと思うんだけどMCの内容忘れちゃいました。オーディションで「メモリー」歌ったとか、そんな話だっけ?

本人曰く「思いのほかダメージを引きずって」の11曲目は『モーツァルト!』から「僕こそ音楽(Ich Bin Musik)」。私じつは「メモリー」よりこちらのほうが響いてしまって、歌い出しと同時に号泣。それまではただひたすらに嬉しくて楽しくて幸福なコンサート体験だったのに、「歌の持つ力」以上に、石川禅という演者、そのものの気持ちまでも受け止めてしまったというか……。それまでずっと「芝居」として、うんうんさすが俺の贔屓役者は上手いぜーと冷静に評価していたものを、この曲だけは、「この石川さんとかいう人、どんなふうに25年生きてきたのかな?」ということまで重ねながら観ていた。喩えはアレですが、本当、酒場のカウンターで初めて知り合った人の仕事哲学を聞いて、その人のこと何も知らないのに、語り口だけで真摯な人柄が窺えて好きになってしまう、とか、そんな感じ。恋だろ、恋。

だって「このままの僕を愛してほしい」ですからね!! 役柄は天才音楽家モーツァルトだけれども、歌詞の運びは王道ポップス。あれもできないこれもできない、ダメな僕、でも、一つだけ自信を持てることがある、だから君に僕の気持ちのすべてを伝えられる、そんな僕を君も愛してほしい、という、ラブソングによくあるパターン。神の子と名づけられたモーツァルトが、人の子らに愛を乞う歌。新しい歌詞をぶつけられるたび、「うんうん、愛するよー、愛するよー」と語りかけながら聴いていた。私はこの俳優の私生活とかには全然興味がなくて、年齢も出身地も経歴も飼い犬の名前も調べないとすぐ忘れる有様だけど(ファン失格では……?)、それでも、大好きなんですよ。舞台に立っているこの人が。それを彼が「このままの僕」だというのなら、何も知らぬまま、それをひたすらに愛せますよ、私は。どこまでもどこまでも伸びていく歌声がじつに気持ち良さそうで、涙が出てきた。出たら止まらなかった。

ヴォルフガングになりきるときに緋色のロングジャケットを羽織り、そこから舞台もウィーンへ。次は12曲目「私だけに(Ich Gehor Nur Mir)」。宮廷に入ってからの歌だけど、木登りしてる幼い頃のおてんばシシィが目に浮かぶよう。女役だって容易く演じられる禅ちゃんですが、もう10曲以上いろんな役柄を観てきたせいかな、「禅シシィでありながら、背後に(この彼女を王家に嫁がせたいと思った)禅フランツが見え、何なら(その彼女に横恋慕した、というかフランツ以前からずっと想ってた)禅トートも見える」そんな感じ。以前に別のところで聴いた禅シシィは、なんとなく女子力高い乙女って感じだったけど、今回は単なる女歌というだけでなく、何層にも深みがあるのが良かった。舞台が大きければ大きいほど、歌も凄くなるんだと思うよなぁ。次は帝劇でやろうぜ禅シシィ……。

たぶんここで、緋色のジャケットを脱いで黒いジャケットに着替え、なんかシャンデリア風の照明も出てきましたかね、13曲目は「ミュージックオブザナイト(Music Of The Night)」。さっきまでコニーアイランドと思ってたらもうパリ!? ってことはもうバリケード築かれちゃうじゃん!? と心穏やかでない状態で聴く。やっぱりファントムよりレミゼ派なんだな、私。そういえば「よっ!」という掛け声とともに全体重かけてマイクはめこんでたのもこの辺ですか? あれ、すっげー萌えたんですけど何なのこの50歳。さておき。

この曲は私、アンソニーウォーロウの歌唱が至高にして究極だと思ってまして(YouTubeで観られます)。甘く優しく強くワガママで、自分が見初めた娘っ子の人生を台無しにする「紳士の仮面を被った誘惑者」としてのファントムを見事に表現しているから。夜の精(←卑猥)そのものというエロさ、音楽の天使の名に恥じない正確無比な歌唱力。かたや、禅ファントムは、先ほどの「メモリー」「僕こそ音楽」と同じく、歌詞の盛り上がりが後半の「私に委ねてほしい、私に触ってほしい」という一点の欲望にガーッと向かっていく。美しいだけでなく、ちゃんと醜い。己の醜さをしっかり自覚した上で山より高くプライドを築いてきたという、ブスカワ系ファントムで、これがなかなかに良い。誤解をおそれず書くならば、たしかちょっと音程をはずしていて、最後の長く伸ばすところも少しフラつきがあり、それがよかったんだよなー。私は普段、ファントム役者にはクリスティーヌ役者以上の完璧な歌唱を求めてしまうのだが、「声楽的にはクリスティーヌに劣るけど表現力でカバーするファントム」ってのも悪くないなと(初めて)思った。


14曲目、いよいよ「カフェソング(Empty Chairs at Empty Tables)」。15曲目は「星よ(Stars)」で、2曲続けて二十歳の青年マリウスから強面の警部殿ジャベールへと「歌の力」だけで変貌を遂げる趣向です。まずは、みんなの園児、みんなの天使、待ちに待った禅マリ。……でも、今日に至るまであんまりしょっちゅう話題に上って二言目には思い出話をしていたせいか、正直、あんまり久しぶりって感じがしなかった(笑)。

私が初めて舞台上の石川禅を観たのは、1997年くらいの『レ・ミゼラブル』だと思う、たぶん。理由は「石井一孝以外のマリウスも観ておくか」で、当時マリウスはまったく印象に残らなかった。その後も別の芝居で何度か観ているはずなのに全然記憶にない。2011年5月の『レ・ミゼラブル』で禅ジャベールの楽日を取ったのも、「岡幸二郎ジャベールの回が取れなかったから」だ。スペシャルキャスト公演でこの二人が年甲斐もなくアンジョルラス&マリウスを演じるというので、通常公演でどちらかのジャベールを事前に観ておけば面白いだろうと思った。果たして禅ジャベールは面白かった。他の方の感想を借りると、生活指導の体育教師みたいなジャベール。寸詰まりでモミアゲが暑苦しく、警棒が竹刀に見える昭和日本男児風ジャベール。そしてカーテンコールではマントの裾をヒラッヒラさせながら、嬉々として千秋楽の挨拶をするかわいいおっさんジャベール。

笑って観ていられたのは、そこまでだった。ほんの数日後、同じ帝国劇場で私は、二十年近く唯一神と崇めてきた鹿賀丈史がセンター張って私の大好きな「ミミズ蛆虫〜♪」を歌い上げている真っ最中にもかかわらず、後ろでうろちょろ消えたコゼット探してる禅マリばかりを目で追うような観客になってしまったのだから。禅マリが……禅マリが、この世のものとは思えないほど輝いていたのだから仕方ないよ……! 46歳の役者が童貞を通り越してほとんど幼稚園児にしか見えない、神田沙也加が姐さん女房に見えてくるマリウス。御心でしょうかまるで我が子です、中の人、私より15歳以上も上だけど。鹿賀丈史が地球、いや銀河系という名の舞台でセンターに君臨し続ける神なら、禅マリは俺のため地上に舞い降りた天使……。すなわち禅マリは天使。

何度訊かれようともまったく同じことしか書けないので、何度でも書いておく。私は禅ジャベールと禅マリウスをほんの数日違いで観たという衝撃体験により、このミュージカル俳優に惚れ込んだのだ。つまりもう、曲の感想とか、とくにない……。「二人とも、おかえり」って、そんな感慨しかない。

「新しい世界を瞼に描いて」と歌う手前のところから、悲痛な表情をふわっと和らげて懐かしい過去へ笑顔をこぼす禅マリが大好きだ。エポニーヌに髪をいじられて「なっっははんだよぉ、ふざけてぇー」と笑う禅マリや、「それは将軍ラマルク!」のところでウンウンと嬉しそうにアンジョルラスを見上げる禅マリや、「見ろ、ジャベール、死にかけてる!」と歌われて、ふにゃーっとだらしない顔で死にかけてる禅マリや、その他いろんな姿を思い出すから。どれもこれも昨日のことのように瞼に思い浮かんで、全然久しぶりって感じがしない。禅ジャベールは今日も「スターズ♪」の手前を溜めすぎて「……っスタぁズッ、」って慌てて走ってるしさ。おっまえ、マジで全然変わんねーのなー、どうせまだあのダボダボの制服着てるんだろ、肩幅に合わせたら袖がブカブカになるやつをよぉー、ポニーテールってガラじゃねーだろー。と、絡みに行きたくなるジャベール。私が初めて好きになったあの二人が、ちっとも色褪せてなくて、嬉しかった。

16曲目は最後のナンバー、「見果てぬ夢(Impossible Dream)」。直前の二曲で何かをすっかり燃やし尽くしたのか、「憑き物が落ちたよう」という表現がぴったりの歌い方だった。あの『ラ・マンチャの男』作中のドン・キホーテでもセルバンテスでもなく、その姿を追いかけていく一人の若者、みたいな。直前に聴いたのが扮装した松本幸四郎のではなく、同じくコンサートでの歌唱披露だったコルムウィルキンソンだったせいもあるのか、こういう歌い方も悪くないなぁと思った。

アンコール、17曲目は『マンマミーア!』から英語詞で「サンキューフォーザミュージック(Thank You For The Music)」。最後どうするのかなと思ったら超絶ぴったりの選曲だな!! 前段では「高校演劇科の同期生のうち、今も役者を続けているのは僕を入れて三人」なんて話もしていて、最後のMCでは「音楽があるからミュージカルが生まれ、ミュージカルがあるから、今の僕がある」と感謝を述べ、その気持ちを全身で歌っていた。「雨に唄えば」の「I’m happy again!」同様、日本語詞ではないからこそ感情が乗せやすいってこと、あるのかもしれない。作品によって録音盤があったりなかったりで、我々ファンが普段CDで聴いてる禅ちゃんの歌ってどうしても「娘よ」とか「ベスを消せ」とか「欲望は底なし」になってしまうわけで……こういう明るく元気になれる歌をたくさん吹き込んでほしいと思った、切実に……。

歌い終えてから一度か二度はカーテンコールがあったかな、お作法的に一度はこらえて、次こそ立って拍手しようと思っていたのに、スタンディングオベーションする間も無く終演となってしまった。あっという間の1時間半で、途中から時間の感覚がおかしくなり、体感は15分くらい。えっ、もう終わりなの? と思う一方で、密度は三日三晩分くらいあった。アンケート書いてたら立ち上がれなくなって、追い出されるまでずいぶん長いこと呆然と客席に座っていた気がする。


私のファン歴は、彼の役者人生25周年のうち、たった4年だけである。この間、彼の出演作はほとんどすべて観て通い詰めたし、過去の映像やインタビュー記事なども可能な限り蒐集してきたが、それでも足りない。全然足りない。もっともっと彼の芝居が観たいのに、助演男優として大活躍するばかりで、主演作さえ観たことがない。本当は、幕が開いてから下ろされるまで、ずーっと禅ちゃんだけを観ていたい。そんな公演があったら、このクッソ退屈な芝居のチケット代の何倍でも払っていい。そう思ってじっと耐えながらクッソ退屈な芝居(二度言った)を観続けたこともある。もっと若手、もっと無銘、ソロナンバーもないような役者を必死で後援する人たちからすれば贅沢な悩みだと怒られるかもしれないが、たとえ数曲スポットライトを浴びたって、我々の渇望は、まったく同じなのだ。

私はずっと石川禅に飢えている。彼が出るどんな芝居を観に行っても、真の意味で満たされたことは一度もない。彼の、彼による、彼のためのステージが観たい。ずっとそう思っていた。それが叶った夜だった。

所属事務所の運営する後援会「Z-Angle」では、会員限定イベントも催されている。彼が彼だけでトークをし、ファンからの質問に答え、生伴奏で何曲か歌って、握手会もあり、直接に言葉を交わすこともできる小規模な集いで、すごく中毒性が高い。しかし、そこではまた新たなモヤモヤが生まれる。本当は握手なんかできなくていい、「髪切った?」なんて会話も要らない。舞台上と客席とに完全に隔てられていたって構わないから、普通のコンサート公演が観たい。普通の会場で普通にチケットを買った客が普通に観る、普通のライブパフォーマンス。知り合いを連れて行って、「ほらね、私の贔屓役者、何をどれだけ歌ってもこんなに上手で、どんな役でも歌と芝居だけで表現できて、そのどれもが、最高でしょ?」とドヤ顔で自慢できる場所。そんなステージにみんなを連れて行けたら、あるいはせめてDVDなど見せることができたら、彼の魅力を他者に伝えるのは、どれだけ容易いことだろう。
チケット争奪戦があまりにも熾烈で誰も同伴できなかったし、たぶんパッケージ化もされないけど、5月20日はだから、私の大きな夢が一つ叶えられた夜だった。たった4年でもこんなに待ちわびた感慨がある、長年応援し続けていたファンの方にとってはどれほどのことだろう。是非ともシリーズ化してほしいし、もっと公演回数を増やし、座席数も確保してほしいと思う。

ぶっちゃけ音響とかひどかったッスよ。オーケストラ仕様のコンサートホールで、客席後方中央席で聴いてて、伴奏のエレクトーンの音が割れまくって肝心のボーカルが聴こえないとか、ありえないだろ。そして平日ソワレ公演1回で500席ってアンタ……。所属事務所が完全に禅ちゃんの人気を過小評価していることがよくわかった。百歩譲って我々ガチヲタ層がこの世に500人しかいなかったとしても、その人数分のハコを用意して、ただ満席にしたのじゃ、全然意味がない。我々ガチヲタが家族や友人を巻き込んで「布教」をする機会が完全に失われてしまった。当日券の発売方法もかなり杜撰だったと聞くし、いろいろ不手際が目立ったことは否定できまい。どこまでが織り込み済みでどこからが想定外だったのかは依然として謎のままだが、すべてのマイナス要素を補って余りあるのは当日の本人の素晴らしいパフォーマンスだけ、という、その意味ではとてつもなく不憫な興行だった。

だからこそ「次」はもっといい環境で、「次」こそはもっとたくさんの観客に、もっともっと素晴らしいコンサートを届けてほしいと思う。一報を聞いたときには「そりゃ、やって当然だよな」くらいに思っていたのだが、実際に観た後となれば、自分がどれだけ奇跡的な場に居合わせたのか、よくわかる。純粋に石川禅の歌声を堪能した。ずっと追い続けてきたその役者が、出ずっぱりで全身全霊を傾けたパフォーマンスを、すべて見届けた。この満足感は他ではなかなか得られない。そして、内輪の集いとは全然違う一般公演としてフェアに評価しても、やっぱり「最高」の一夜だったと思うのだ。

で、最終的には、日本武道館ですよね!? その前に帝国劇場でもいいのよ!? まだまだ若いモンには負けてらんねーぜ!! というわけで、これからもご活躍に期待しております。今夏を境にしばらくは思うように追っかけができなくなるけど、まずは『貴婦人の訪問』を楽しみに。