2014-11-25 / 東京の賞味期限(仮)

日記。

朝から部屋の整理整頓。大量のカセットテープを処分する。iTunes Storeで手に入るものはそちらのウィッシュリストに放り込んでおく。幾つかは音源を買い直した。

20世紀末を代表する日本のミュージシャンでもアルバムがまるごとiTunes化されていないものが多くて驚く。大抵はレコード会社の移籍が境目になっていて、旧盤はどんなに名曲揃いでも「なかったこと」扱いで、よくわからないベスト盤に代表曲だけが収録されている。インタールードやB面曲こそデータ化して聴きたいのに。聴いている当時はまったく意識していなかった「大人の事情」にこんなかたちで行き当たるとは。

井上陽水はほとんど揃っているのに松任谷由実はまったくないとか、ライブ盤だけ抜けているとか、アルバムのごく一部しかiTunes化されていないとか、「みんな余計な思惑があるもんだなぁ」と驚く。

坂本龍一も過去作ほとんどなくて、楽曲一覧を見ると(最近のライブ盤やベスト盤ばかりなので)ただの陰鬱な流しのピアノ弾きみたいになってる。Kindle Storeで「安部公房」と検索すると本人の著作がほとんどなくて『安部公房とわたし』だけ出てくる状態など思い出す。全集の電子刊行が待たれる。

整理の途中、デューク・エリントン『MONEY JUNGLE』のテープが出てきた。1963年リリース、トリオの相手はチャールズ・ミンガスとマックス・ローチ。私にとって「高二病」という言葉から想起されるアルバム、ナンバーワンだ。

デュークの活動は、ビッグバンドやホーン入りのバンドが主で、ピアノ・トリオ作品はそれほど多くない。とりわけ本作は、デュークより20歳以上も若い有名プレイヤーとの共演ということで話題となった。(略)このセッションのために書き下ろされた新曲もある。チャールズにしてもマックスにしても、荒くれ男として有名であり、本作はチャールズによる過激なベース・プレイから始まる。デュークも、2人に対抗するかのようにピアノを弾きまくった。(略)音楽評論家のジョージ・ウェインは、本作のオリジナル・ライナーに、「A triumvirate, not a trio.(トリオではなく三頭政治だ)」という、本作の性格をよく表した賛辞を書いた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AB

私が本格的にジャズを聴きはじめたのは高校一年生のときだった。中学三年生まではヴィジュアル系と渋谷系が好きで、TMNの頃から好きだった小室哲哉のファミリーも全盛期で、共通の趣味を持つ友人も少なくなく、日本語ロック中心の音楽雑誌を切り抜いて交換し合いながら、国内のポップ&ロックを聴いていた。

高校一年生に進学して、何か生活が変わったというわけでもないのだけれど、クラス分けで親しい友人とはぐれ、ちょうど普段聴いている音楽の「元ネタ」を探す行為にハマッていった。たとえばTHE BOOM「中央線」の元ネタが知りたくて友部正人を聴きはじめる。新譜のプロデューサーだからと久保田麻琴と朝本浩文を同時に辿っていく。あるいはアシッドジャズを聴きこむのに知識が足りないなと思って区立図書館のCDコーナーで片っ端からジャズの名盤を借りる。そんな日々だ。

『マネー・ジャングル』はそのうちの一枚だ。通学鞄にしのばせたカセットウォークマンで、いつも聴いていた。本当はもっとベタにメジャーなビッグバンドジャズのほうが好きなんだけどな、と思いつつ、あんまり陽気で賑やかなものが気分に合わないときもある。放課後に学校を飛び出すときは東京スカパラダイスオーケストラの「スキャラバン」でも何でもいいんだけれども、朝まだ眠くてイライラしているのに退屈な学校へ向かわなくちゃいけないときなんかは、『マネー・ジャングル』の攻撃的な「キャラバン」がぴったりだった。

オタクとはいえ同好の士がいた中学時代と違って、一人で机に突っ伏して休み時間を寝て過ごすようになり、みるみる友達がいなくなり、存分に自分の殻に閉じこもれた時期だった。朗読詩人のように言葉の意味にまみれた日本語フォークシンガーと、歌詞やモチーフ曲にまったく意味のない洋モノのジャズばかり聴いていた。

ちなみに、もうしばらく経ってからの初恋の記憶といえば「Planet Queen」。しかもT.REXじゃなくてSPIRAL LIFEのほう。90年代っ子って感じですね。女子校育ちで、好きな男の子ができて初めて自分の性別を意識したように思う。『マネー・ジャングル』をよく聴いていたのはそれ以前のことで、このトリオの「一対一対一」という三者の関係性がすごく羨ましかったのを憶えている。

あと、アラニスモリセットとか買い直した。すごく懐かしい。最近観た、「Ironic」を冒頭に効果的に使ってる映画のこと思い出した。えーと、『インターンシップ』だ! 冴えない中年男二人がGoogleのインターンになってカルチャーギャップにドタバタするという、昔ならウォール街が舞台になったようなベッタクソなコメディ映画。なんだかんだゆって楽しかったし、アラニスの歌声であの映画を思い出すほどには印象に残ってる。


夕方からオフィスへ行って、いろいろと片付けをする。倉庫へしまってしまう本の箱が十数箱、とりあえず自宅へ引き取ることにした本の箱が五箱六箱。その他、雑誌や紙類の片付けも終わっていない。「二年前からずっと、箱に詰めたり出したりを繰り返しているね」とオットー氏に笑われる。本当に、人生でそれしかしていない気がする。そんなにべたべたモノを触り続けているのに、まだこんなに積ん読本があるのがとても不思議。いったい何やってるんだろう。

でも片付けと称してまたいろいろな本を読み返した。あんなに村上春樹のことバカにしてるのに『パン屋再襲撃』だけは手に取ると手元に残してしまう。書かれている小説そのものというよりは、未読の村上春樹を慌てて読んだ学生時代のことを思い出すトリガーとして残しておきたい。手元に置いてあるのはそんな本ばかりだ。それから資料。来たるべき半年間の間に、どんな仕事を受けて、どんな資料が必要になるのか、私には皆目見当がつかない。つかないことの不思議。パッと思い付いたらいきなり何かが必要になる。そんな仕事の仕方をしているのが、よいのだか悪いのだか。

久谷女子は次号を作成中なのだけど、もう次次号のテーマがかたまりつつある。寒い寒い雨の中を帰宅。北参道の冬は暖房がまったく効かなくて、いつも足元用にヒーターをつけていたのだ。ヒーターは先に自宅へ持って帰ってきてしまったので、到底長居はできなかった。

オットー氏、仕事帰りに日本酒の店で深酒していた模様。私は合流できず。