2020-01-04 / 自己紹介

2017年の正月に、長めの自己紹介を書きました。これは2015年夏に渡米してからの環境変化を踏まえて書いたもので、執筆当時はまだ大学生。内容もずいぶん古くなってしまったので、2020年の正月に新バージョンを書きます。今回もまた「ゼロからの自己紹介」のつもり。そして、前回は「逆順」だったので、今回は趣向を変えて「正順」にしてみます。少し長いですが、読むほうもダラダラお付き合いください。


岡田育といいます。職業は「文筆家」です。私が先達に倣って名乗り始めたのは2012年からですが、近年、日本語圏でこの肩書きを使用する人が微増している気がして、心強いです。今までにエッセイの単著を四冊、文庫化もされた共著を一冊、刊行しています。ご依頼があれば、インタビュー取材、テーマコラム、書評や映画評なども手がけ、テレビやラジオの番組に出たり、イベントに登壇したりすることもあります。

1980年東京生まれ、東急電鉄沿線で育ちました。実家は親より古い一軒家で、五人家族にはあまりにも狭すぎる間取り。親元を離れるまで「自分ひとりの部屋」を持ったことがなく、二十歳過ぎても二段ベッドで寝起きしていました。結果、「孤独になれる」時間や空間を最高の贅沢と感じる子供になりました。往復一時間の電車通学では図書館で借りた本を読み、家族が寝静まった深夜は布団にもぐってラジカセで音楽を聴くか、手元の灯りで物を書く。立派なオタクの出来上がりです。

バブル好景気に沸く日本の狂騒を、幼心にギリギリ憶えている世代です。当時の私は、ジャパンこそがナンバーワン、東京こそが世界文化の中心地で、その恩恵をダイレクトに受けられる自分は大変幸運であり、大人になればただそれだけで薔薇色の未来が開けると信じていました。右肩上がりのその幻想が、泡とはじけたときに10代半ば。昇っていく予定だった梯子を突然外されて、社会から蹴り出されたような気分でした。

太宰治『人間失格』の手記は「恥の多い生涯」と始まりますが、私の一冊目の著書タイトルは『ハジの多い人生』。「ハジ」は、「ハジッコ」の「ハジ」です。教室の片隅、放課後の屋上、日記帳の余白、タイ焼きのミミ、カセットテープの終わった残り、繁華街の路地裏のちょうどいいくぼみ、あるいは、日本列島がド真ん中でなく東端に描かれている世界地図。なるほどなぁ、私がこの世の「中心」や「頂点」に辿り着くことは絶対ないんだろうけれど、それはそれで楽しく生きていくしかないな、と考えるに至った少女時代について書いた本です。

この本は2020年春、装いも新たに文春文庫に加わる予定です。現在市場に出回っている、新書館から刊行された親本のほうは入手困難となりますので、にほへさんの超絶かわいい装画や挿絵をお手元に置いておきたいという方は、急ぎお買い求めください!!


慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)に進学した理由は、「蘭学に触れるには、長崎へ行くしかない!」。これからの世界を大きく変えると噂されていた、インターネットというものに触れてみたい一心でした。合格が決まってから生まれて初めてパソコンを手に入れて、1998年頃からHTMLでホームページを制作し、ウェブ日記を書いたり、いわゆる二次創作同人サイトを作ったりしていました。1999年に先輩から「すごい検索エンジンができた」と初めてGoogleを見せてもらったのも、2002年に初めてはてなidを取得したのも、母校の特教だったと記憶しています。

1999年より佐藤雅彦研究室の一期生として、表現とメディア、教育方法論などの研究をしていました。ADC賞を受賞した『動け演算』や、NHKの教育番組『ピタゴラスイッチ』の制作に参加。学部生のときから企画立案と運営に携わっていた、携帯電話(i-mode)と新聞紙面を使った新しい社会調査プロジェクト『日本のスイッチ』で修士論文を書きました。

また、2001年から沼田元氣事務所で編集助手のアルバイトを始め、紙の書籍という物理記録媒体を世に残すことに高い関心を抱くようになります。沼田さんにはその後、池袋コミュニティカレッジ「乙女美学校」の活動でもお世話になりました。

2004年に中央公論新社に入社。2012年まで8年半勤めていました。最初に配属されたのは中高年世代向けの女性雑誌『婦人公論』編集部で、主に巻頭特集の企画と、著名人のインタビュー記事を手がけました。小説や漫画、カルチャー欄の連載も担当して、サイトリニューアルや公式ブログ開設にも関わり、あちこち潜入取材してルポ記事を作ったこともあります。

次に配属されたのは単行本書籍を手がける編集部で、純文学から時代エンターテインメント小説、大型新聞連載から新人作家のデビュー作、エッセイや将棋の本まで、何でも担当しました。当時はあくまで会社の看板を背負って働いていたわけですが、どれも思い入れが深い仕事です。在職中に手掛けた作品の幾つかが賞を受賞したこと、また、独立後に樋口有介さんや富樫倫太郎さんの元担当編集者として文庫解説を書かせていただいたことなど、嬉しい思い出です。


2020年は、サラリーマンの「編集者」として勤めた時間を、自分の名を出す「文筆家」として働いた時間が上回る、節目のタイミングでもあります。そう考えると長いものですね。将来に悩む若い世代からはよく、「いつ、なぜ、どのように転職を決断したのか?」という質問を受けますが、そのあたりは昨年出した最新刊『40歳までにコレをやめる』に詳しく書きました。ちなみにこの本、出版社時代に川上未映子さんの本を一緒に担当していた読売新聞の方に連載枠をいただいて、ようやく書き上げたものです。ご縁は続きますね。今後、韓国語版の刊行が予定されています。

2013年に結婚した顛末については、『嫁へ行くつもりじゃなかった』という本に書きました。フリッパーズ・ギター『海へ行くつもりじゃなかった』が元ネタです。恋愛感情の無い相手と結婚する、いわゆる「交際0日婚」「いきなり婚」というやつです。「嫌になったら明日にでも離婚できるんだし」と軽率に決めた割に、気がつけば6年7年。これまた長い。おかげさまで夫のオットー氏(仮名)(※年齢性別国籍経歴いずれも非公表)とは、現在に至るまで、恋ナシ、愛アリ、魂の双子のように良好な関係を築けていると自負しております。

『オトコのカラダはキモチいい』というタイトルで、AV監督の二村ヒトシさんと、社会学者の金田淳子さんとの共著も出しました。アメリカで知り合った人には、「男性主導で発展してきたアダルトビデオやHENTAI的なポルノグラフィと、女性主導で発展してきたやおい・ボーイズラブ・腐女子の文化から、日本社会の性とジェンダーについて、はたまた『有害な男性性』からの解放について、考察した本である」と説明しています。英語圏で自己紹介するとき、最も食いつきがいいのはこの本ですね。海外翻訳出版のご提案、お待ちしております!

2013年からフジテレビ系の朝の情報番組『とくダネ!』にレギュラーコメンテーターとして出演していたのが、世間的に見て最も「目立つ」仕事だったと思います。ちょうど同時期に続けていた、cakesの座談会連載「ハジの多い腐女子会」や、雑誌『LaLaBegin』の連載「メガネに会いたくて」、また、文化系WEB女子同人『久谷女子便り』での活動なども、多くの方にご記憶いただいているようで有難いです。


2015年8月には、米国ニューヨークに転居しました。35歳にして初めての海外生活。それまで仕事で英語を使ったこともなく、収入も激減することが予想されました。非ネイティブの外国人が最短距離でキャリアを形成するには? と考えた結果、ニュースクール大学傘下のパーソンズ美術大学でグラフィックデザインの準学士号を取得。現在は広告代理店やデザイン事務所と個人契約を結び、デザイナー、ブランドコンサルタントとしても働いています。

新商品のパッケージ開発、企業ロゴやウェブサイトのリニューアル、グローバル市場に向けた広告戦略など、広義のブランディング業務が主軸となりつつあります。クライアントワークなので私の名前が表に出ることはありませんが、編集者として培ってきたスキルを言葉の壁を超えて活かすことができ、とてもやりがいを感じています。

とはいえ実態はさんざんなものです……。昨年はとくに、納期がずれ込みやすいプロジェクトを幾つも請けてしまい、事務処理も倍以上に膨れあがり、スケジュール管理がガタガタになってしまいました。多方面にご迷惑をおかけしましたこと、猛省しております。2020年以降は、なんとしても働き方を改善せねば、というのが正月の抱負です。

三冊目の著書『天国飯と地獄耳』は、東京時代に雑誌連載していた前半部分と、ニューヨーク留学中の空白期間を経て書き上げた後半部分からなる、ハイブリッドなエッセイ集です。こちらについては台湾での翻訳出版が予定されています。楽しみ楽しみ。

世界中から社会人留学生が集まるアートスクールでの「二度目の大学生活」は大変有意義なものでした。米国は日本とはまた違う意味での学歴社会で、何歳になっても、何度でも、大学へ通い直して新たな専門性を身につける大人がたくさんいます。就職活動の仕組みも違い、働き方もずっと自由なので、実力を示せば誰でも新しい分野に挑戦することができるのです。在学中に書き殴っていた暗号のような日記やメモを整理して、いずれちゃんとした留学体験記をものしたいと思っています。

現在は、集英社の文芸誌『すばる』での連載「我は、おばさん」と、読売新聞大手小町での連載「気になるフツウの女たち」を進めています。その他、まだ言えない進行中のプロジェクトがいくつか。年に数回は日本に一時帰国して、東京に限らずあちこちへ出かけ、こつこつ仕込みを続けております。


最新の近況については Twitter を参照していただくのが一番よいと思います。英語圏ではTwitterの代わりに Instagram で日記をつけていて、ごくごくたまに、Mediumでも書いています。三日坊主の私が12年以上、毎日欠かさず続けているのはtweetだけですね。ほとんどゴミ捨て場のような使い方ではありますが、あれもまた一つの「活動拠点」と捉えています。

もともと新しもの好きで、新サービスを見つけるととりあえずアカウントを作ってしまうのが悪い癖。今年、長年愛用してきたはてなグループが終了してしまうこともあり、これを機に発信チャンネルも縮小傾向でと考えています。ここ数年、何もかも盛り沢山だったので、公私ともにスッキリさせる、というのが今年の目標ですね。2020年も、どうぞよろしくお願いいたします。

2019-07-13 / きっと知ってる

大変ご無沙汰しております、日記です。日記……とは……? という感じですが今に始まった話ではないのでご容赦ください。5ヶ月以上も放置するって我ながらすごいね。もちろんその間もTwitterやInstagramは廃人になりかけるほどの頻度で更新していたわけですが。皆さんはもうGutenbergに慣れましたか? 私はさっぱりです。

さて、この間にもいろいろな出来事がありましたので、得意のダイジェストで振り返ってみたいと思います。

■とうとう新刊が出ました

新刊『40歳までにコレをやめる』が発売となりました。「大手小町」の人気連載(と編集部に毎回書いてもらえるのが地味に嬉しかった)に大幅加筆、書き下ろし章なども含めた圧巻256ページとなっております。私にとって「20代の宿題」は学費ローンの完済で、34歳までの返済計画を立てていたのを29歳で払い終えました。そして「30代の宿題」は、この本です。32歳で最初のエッセイ執筆依頼を受けてからずっと、なぜか需要の赴くがまま、「自分のことを語る」スタイルで物を書いてきましたが、その集大成と呼んでいいと思います。たぶんもう二度とこんな本は書かないんじゃないか、と感じるような一冊になりました。是非、お手にとっていただければと思います。

6月には東京出張して著者インタビューはじめ各媒体の取材をたくさん受けました。以下、「what’s new」からのコピペですが、その「what’s new」もついさっき5ヶ月ぶりに更新したからな、初耳だよって方のほうが多いはず、併せてご覧いただければ幸いです。

■あれこれ連載が始まりました

まずは『40歳までにコレをやめる』でも大変お世話になった「大手小町」で、隔週の新連載「気になるフツウの女たち」がスタートしています。どこかに明言しているわけではないけれど、これは『天国飯と地獄耳』 の続編のような位置付けです。ルールは「見ず知らずの女性を通りすがりに観察して、いっさい答え合わせ的な行為をせずに、妄想だけでその人となりについて書く」というもの。「人を見かけだけで判断する」なんて、なんと失礼な奴だ、と思われるかもしれませんが、「その人なりのスタイルや魅力を、視覚情報だけで言祝ぐ」というのは、私としては安直なルッキズムへのアンチテーゼのつもりです。

また、青山メインランドが運営していたオウンドメディア「ナポレオン」でのお金にまつわる連載「そのかねを」 は、サイト閉鎖に伴い6月末までで終了となりました。ほぼ週刊で、だいぶ好き勝手に書かせていただいたコラムが、結構たくさん溜まっています。秋頃には閲覧できなくなってしまうそうですが、転載許可をいただいているので、どこかで続きを書けたりするといいなぁと思っております。ここでnoteか……。

そう、もう一つ、連載するよと意気込んでいたnoteの月額課金マガジン「夜半の月極」については、思うところあってお休みさせていただくことにしました。やっぱり、紙媒体以外のクローズドなところへ何か書くというのは、うまく続けられないものですね……。大好きな高野寛さんの例のやばい連載のような活用っぷりを見るだに、向いてねえ、向いてねえよ私、とどんどんモチベーションが下がっていってしまった。今後また編成を見直して、シリーズ「wkgk」のような「過去に書いたものの再掲」を中心に、ラインナップを組み直したいと思います。

そしてもう一つの大型新連載、集英社の月刊文芸誌『すばる』で「我は、おばさん」がスタートしました。こちらが 紙面の様子 、コンセプトを説明するよりも読んでいただくのが早いかと思います、私なりの「おばさん宣言」です。月刊誌連載という意味では『天国飯と地獄耳』以来ですが、一回の枚数は数倍ですし、かかるコストも未曾有、自分史上最大級の大型連載となっております。『40歳までにコレをやめる』のその先へ、ということで、いま苦吟しているこの原稿が、40代をどう生きるかの最初の道標になってくれるといいなぁと願いつつ、天の星々のような先輩「おばさん」たちについて思いを馳せる毎日です。

■あちこち旅をしています

1月末に日本一時帰国して、5月下旬からまた日本一時帰国していました。だって推しミュージカル俳優こと俺の俺たちの石川禅が北九州で『笑う男』日本初演に出ていたので……あとカーネーションと高橋徹也のツーマンライブもあったので……。気がついたら手が勝手に家族マイルを消費していた。いや、嘘です、新刊のね、新刊のプロモーションに行ったという話ですよ。

ものすごく久しぶりに京都にも行けて嬉しかったな。あまりにも弾丸すぎて、書店周りして、レイチェルソーンさんと学食ランチして、いしいしんじさんとすっぽん食べて、丹所千佳さんと蛍を見たという以外の記憶が飛んでいるけど。でも、あんなに何度も訪れている街なのにどこへ行っても初訪問だというのが、奥深くおそろしく嬉しく恥ずかしく、不思議な気持ちでした。

ついでに6月上旬にはシンガポールにも行ってきました。楽しかったなぁ。今住んでいるニューヨークからはアジア圏はとても遠いので、日本一時帰国にくっつけてあちこち回るのがよさそうです。昨年まではベトナムや台湾へ行っていたけど、シンガポールといえば俺の俺たちの王子様ことディックリーの聖地。巡礼してきましたよ、いろいろと。日本文化との親和性が大変高く、住環境的には「ほぼ日本」というノリで生活できて、それであれだけ他の条件が好いのなら、そりゃあ移住して子供をこちらの学校へやろうという人が出てくるのも頷ける。でもちょっと難しさも感じたりして、ここをユートピアと見做すことは私にはできないかもしれないなと思った。百聞は一見に如かず。

7月にはドイツ・ベルリンにも行ってきました。こちらも楽しかったよなぁ。ベルリンの地図はばっちり頭に入り、ドイツの地理感覚も少しは培われたので、また何度でも行きたい。シンガポールとベルリン、昨秋パリで試した「短期集中で観光するのではなく、合間に働きながら長めに逗留する」形式を採用してみたのだが、これが結構、性に合っているようでした。どのみち自宅にいても日本の仕事相手とは時差があるし、アメリカの仕事のほうも、同僚が時差のある西海岸などからリモートワークしていたりする。だったら別に、ニューヨーク以外の場所にいてもいいんだよな。と思い至って、新しい旅の形態を模索しているところです。

シンガポールに5日、ベルリンには復路便欠航もあって9日くらい滞在して、これは、それぞれの市内の観光名所をぐるりと見て回るのに必要な日数の、だいたい倍くらいかと思う。詰め込み型の旅が好きな人たちからは「そんなに長く一箇所に留まって、他にどこにも行かなかったの!? マレーシアとか、ゲーテ街道とか、いくらでも足を伸ばせるのにもったいない!」と驚かれるのだが、私はむしろ「平日昼間に淡々と仕事して、アフターファイブは初めて訪れる街で酒が飲める、最高では?」という感じで、ホテルのラウンジとかコーヒーショップとかでPCを広げているのが嫌いじゃない。どっちが優雅でどっちが野暮か、どっちがリーズナブルでどっちがもったいないかは、永遠の謎だし、人それぞれじゃないかなと思う。

私は根が貧乏性なので、ガチの旅行をしようとするとあれもこれもと予定を詰め込んで「観光貧乏」になってしまいがち。そうすると帰宅してからドッと疲れて、旅行日程と同じくらいの日数を、現実に戻るための体力回復に使う羽目になったりする。あんまり人の世話になると緊張が解けないし、リゾートへ行くと頭のネジが緩みすぎちゃうし、いい塩梅を探すのが難しかった。半分のエネルギーで倍滞在して、夫と一緒に出かけたり、独りの時間を楽しんだり、がっつり観光したり、宿でゴロゴロしたり、働いたり、というのが今のところはいいみたいだ。そういえば去年の冬に行ったマイアミもそんな旅でしたね。

9月にはまた東京へ行きます。だって推しミュージカル俳優こと俺の俺たちの石川禅が、初のテレビドラマレギュラーとして現在はTBS日曜劇場『ノーサイドゲーム』出演中の石川禅が(しつこい)、5回目のソロコンサートを、開催するので……。そして津田大介芸術監督の「あいちトリエンナーレ」も観に行く予定です。いやぁ、旅すれば旅するほどマイルが溜まるって、素晴らしいことですよね。

■きっと知ってる

以上、TwitterとInstagramを見てくださっている方たちなら、きっとみんな知ってることばかりでしょう。この「きっと知ってる」を前提に、何か新しいことを更新し続けるモチベーションって、なかなか続かないですよね。引き続き、日常的なことはSNSでつぶやいていくつもりです。ここの扱いをどうしようかなぁ、過去記事の再掲をして一覧性を高めたい気もするし、一方で、この開店休業中の様子が自分らしい気もしているし。

取り急ぎ、ずっと愛用していた「はてなグループ」終了のお知らせが悲しくて悲しくてやりきれないなか、「はてなダイアリー」ともども大量のログの中からこちらへ転載できるものを見繕っていきたいと思います。同じコンテンツの墓場なら、自分の手元で管理できたほうがよい。これだってもう十数年前からいろいろなブロガーに教え諭されてきたことなんですけどね。わかっていても、知ってても、「やる」のが難しいことって、あるんだよ。もうちょっと考えます。ではまた。