footer_image

2022-09-01 / 名も無き仕事

日記を書く。と宣言してからまたサボッているうちに8月が過ぎて行った。近所に住む友人から会わないかと誘われて、ちょっと忙しいので来週以降にしてほしいと答えると「新作の執筆?」と訊ねられる。いや、違うんだけどね、と返信しながら、何がそんなに忙しいのか自分でも呆れてしまった。

仕事Aが日本語圏での文筆家としての活動、仕事Bは大学の専攻と地続きになった英語圏での雇われ仕事、そこに加えて昨年から、日米二拠点を往き来しながらの仕事C、というのが加わった。BとCとはいわゆる「表に出ない」仕事で、別に隠す必要も無いのだけど、今のところは分人化を楽しんでいる。30代の頃はありとあらゆる請負仕事をなんでもかんでも「Aの人」として打ち返そうと頑張っていたが、そのためには「Aの人」を「演じる」ような振る舞いも求められる。スタイリストに貸し与えられたいかにも「Aの人」っぽい洋服を着て人前に出る、とかね。40代に突入して、それが日々の疲弊の原因なんじゃないかと考えるようになった。


「Aの人」はやたらとスロースターターで、「Bの人」は最近まるでやる気がない、かたや「Cの人」は今のところ結構チャキチャキ働いている、ように見える。学生時代、複数のバイトを同時に掛け持ちしながら、家庭教師だったりウエイトレスだったりADだったりプログラマだったり飛び込み営業だったり野菜の叩き売りだったりする自分を楽しんでいたことなど思い出す。日によって服装も違えば口調も違う。貧乏だけど器用で、何にでもなれる。毎日ずっと「Aの人」を演じ続けるのには耐えられないが、「Bの人」や「Cの人」として目の前のことに集中していると、今日の失敗を明日に持ち越さずに済む。そのほうが全部の職種のパフォーマンスも高まる。Cの仕事は週に何十時間も拘束されるような業務内容ではないのだが、最近はついついCのことばかり考えていて楽しい。

一生を一つのジャンルの仕事に捧げる人たちからしてみれば信じられない働き方だろうが、結局そういうのが向いているんだなと思いつつ、文章を書き、絵を描き、写真を撮り、コードを書き、打ち合わせやプレゼンをして、合間にシーツを洗濯したり、冷蔵庫をさらったり、風呂場の換気扇の掃除……をすると言ったまま何週間もそのままなのに気づいたり、ToDoリストの未完を数十個ためながら、気づいたら一歩も家から出ずに数日経っていた。私は勝手にデカい扇風機を買ってACをあんまりつけずに寝苦しい夏をしのぐ一方、夫は「部屋が汚いのが耐えられない!」と新しい小型掃除機をポチッてガーガーかけて回っている。終わらないと思われた夏が終わりかけていて、しかし「Aで忙しかったの?」と訊かれたら、まったくNOなのだ。8月、ほとんどTwitterしか更新していない。

そうこうするうち、8月末で「cakes」がサービス終了した。2012年9月11日、ローンチと同時にデビュー連載『ハジの多い人生』が始まってからちょうど10年。当サイトの連載情報のページには「休載中ですが、そのうち再開します」と書いてある。もう再開しませんね。書籍未収録分はいずれブログに転載しようと思います。あとは本で読んでくれ。

ハジの多い人生

Mine Has Been A Life of Much Margin
2014/2020 _ JP

『我は、おばさん』は届けたい人たちの手元には届いたし、高校の入試問題になったりして、今までとはまるで違う反響が得られた。有難いことに刊行から一年以上経ってもまだ、熱くて新鮮な感想つきの取材依頼が来る。いい本が書けたな、と思っている。初めての転職を経験して、兼業で文筆家を名乗ることにびくびく尻込みしていた10年前の自分に、将来なかなかのもんを書くぞ、と自慢してやりたい。しかし、そのぶん「燃え尽き」も大きい。もともと5億冊売れるような本だとは思っていなかったけど、日本語を読み書きする人口の約4分の1が「おばさん」である割には、まだまだ読んでもらえていない人たちが多く、そのことを思い悩むと気落ちしてしまう。同時に、私は今後とも「狭くて深くて濃い層に向けて書く」ことを続けるんだな、という確信も得た。どんな仕事も10年やったら先が見える。AでもBでもCでも。

コロナ禍いろいろと環境と心境の変化が続き、休載したままのシリーズを再開させたり私家版にまとめたりする力も無く、もしかして『我は、おばさん』の後、このまま二度ともう紙の本を商業出版することはないのかもしれない……、とさえ思っていた。とはいえ、有難いことにまた「Aの人」として新しくお声がけいただいたので、ゆるゆると重い腰を上げて次の本の仕込みにも取りかかっているところ。換気扇を掃除して、夏のシャツしまう前にアイロンかけてからね。

我は、おばさん

Becoming Obasan
2021 _ JP