“あの映画”“お芝居”などと呼ばれる、例のパフォーマンスのようなもの、『おばさんたちが案内する未来の世界』を私は東京と大阪で2度、共に体験した。
エリザベス・コールが、小沢健二とつくった、この作品について、書きたいことがたくさんあるのに、まだ言葉にまとまっていない。歯がゆい。この歯がゆさを挙手して語る場所を求めているので多分出向く。
刺激的なものには、人間いつか耐性がついてしまう。そのことに苛苛する。繰り返し書くけれど、私は<ひとつにはならない>世界へ歩いていきたい。
Change the view of looking.
人間がひとつになってしまうことが怖い。ほっといてくれない社会が怖い。ただ騒ぎたいだけの人たちは、どうかあっちへ行ってほしい。私が複数の視点を持って成長し続けることを、誰も妨げないでほしい。
この発言は何人もの親しい女友達を失うかもしれないけれど
「私はオバサンになりたい」
その気持ちを妨げるものをバッサバッサとなぎ倒して、けっしてひとつにならない<あれもこれもある>世界のほうへ歩いていきたい。
“あの映画”を動詞で表現するなら、「問いかける」というよりも「たしかめる」が似合うと思う。“あの映画”を見て、同じものを素晴らしいと思い、同じものを醜いと思い、同じ点について欠けているとか不満に感じ、環境問題の「か」の字も語らずに、同じように感想を述べ合えた人を、一緒に見た人々の輪の中で、いま1人だけ、見つけてある。
私は、その相手のことを、本当に信頼している。心から愛している。なぜならその人と私は同じ未来に行き着くだろうから。このへんはきちんと書けば先日の「神の愛」の話に続きそうだ。
時間切れ。
うーんリハビリが足りないな。