2016-04-05 / 春にして秋を想う

朝4時半に目覚ましをかけたのに、まったく起きられず、ベッドを這い出したのが6時半を過ぎてから。慌てて着替えて、7時過ぎにはSkypeをつないでニコニコ生放送「オトコのカラダはキモチいい」チャンネルの打ち合わせ、そのままつなぎっぱなしで生放送本番に突入。今回はゲストに『俺たちのBL論』のサンキュータツオさん、春日太一さんをお招きして5人編成でトーク。「BL戦隊・路地裏ファイブ」という新ユニットが結成された。オカキモチ生放送、仕事一覧にページ作ってないですよね、これも整理整頓しないと。
朝昼兼用の食事(昨日持ち帰ったタイ風ダック)をとりながら、8時からすでに開始していた、夏学期と秋学期の履修登録を済ませる。3学期目ともなればみんなの志望もバラバラになるので、新入生時のような人気講座の座席の奪い合いはなく、ほとんどがすんなり取れる。週末のうちに考えたのと、昨日のESL中に内職したので、だいぶ心がかたまった。
細かな説明は省くけど、「9単位以下に抑えて3学期目で卒業する(早くて安い最短距離)」か、「12単位以上取って4学期目まで残る(学生でいられる期間の最大化)」か、という選択で、留学生には「もらえるものだけもらったら、無駄金を遣ってないでとっとと帰国するよ!」と前者を選ぶ子も多いのだが、私はやはり、案の定、後者を選んだのだった。そして、12単位以上は19単位以下まで学費が同じ値段なので、だったら迷わず、たくさん授業を詰め込む。必修単位的にはあと数コマで、3学期目で卒業することも可能ではあるのだが、ここで学生証を返上してしまうと大学が使えなくなる。使うというのは何も校舎内に設置してある大型プリンターやプレス機やレーザーカッターのことだけではない。少しでも長くこの街に残って何かを始めたいと考える外国人にとって、どこか大学に所属しているという状態は絶好のチャンスやビギナーズラックの連続で、限りなく「オールマイティ」に近い。まだまだ助走期間のうちはなるべく手放したくないものなのだ。
1学期目には学科長のジュリアから「Ikuは他の子と違って母国に帰らないんだから、大学に残りなさいよ、卒業単位の最短経路の計算なんか忘れて、いられるだけいて、とりたいだけ講義をとって、なんならオンキャンパスジョブにでも就いて、すべてを吸収し尽くしなさいよ。ずーっといてくれていいのよ」と言われ、「おま、簡単に言ってくれるな、おまかせパックをはずれてアラカルト履修なんか始めたら学期1コマにつき何十万もかかるねんぞ、そんなカルチャースクールみたいに気軽にホイホイ取れるかっつの、そこらの高等遊民の子女と違ってこちとら自腹で来とるんじゃ、おとなしい日本人からカモろうったってそうはいかんぞ、アホかー!!」と思ったわけだ。でも今は、彼女の言う意味も少しはわかる。
ひとたび大学の門を出てしまうと、今度はまったく別のもっとくだらないことにべらぼうにコストがかかり、そのためにものすごい勢いで働き続けなくてはいけない。それに比べたら最小限の学費を払いながらオールマイティのパスをかざして自由時間を確保しつつ次の道を見つけるモラトリアム期間は「安くつく」勘定になる。この街に「よそもの」として滞在していると、なおさら感じる。「ずるずる学生でいられたら最強」ってのは日本も同じだけど、うちら転職志望の社会人学生だから新卒一括採用ルート出世コースに乗る乗らないで焦ることないし、っていうか、こちらはそもそも新卒採用という概念がないし、働いてる子はもう学校通いながら時短で働いてるけど私はマジで英語がネックで、とにかく、英語圏で「社会人実績」がないなら「作品実績(ポートフォリオ)」で勝負するしかなく、必修単位だけこなして3学期で卒業すると、そんなもの全然足りないのだ。
卒業証書さえあれば採ってくれる受入先が決まってるなら一秒でも早く出ろ、アテがないなら長くいてポートフォリオ作って仕事取れ、みたいな煽られ方。帰るところも行くあてもない人間は、そりゃあ、学校に身を寄せさせてもらいますよね。ここはマジで学費が高すぎるので、もうちょっと賢く「学生」でいられる方法を模索中。同じく社会人学生のアメリカ人の友達の一人は、「私は秋学期は1コマしか取らないの、この1年、学校の課題に追われていたから、ちょっとゆっくり人生を見つめ直したくて。この秋は次のキャリアをどうするか決める期間と定めて、来年春学期に残りの必修サクサクとって卒業するわ」とのこと。(ビザの関係で同じことはできないが)私も彼女の考え方に近い。人生を見つめ直すために大学へ来たのだから、授業料も、実質それにかかる値段なのである。ギャップイヤーとか、ジョブチェンジ再入学とか、人生における「宙ぶらりん期間」の選択肢が豊富なので、「そうだよなー、この先も人生長いんだしなぁ」と考えるようになる。年嵩の私たちはもう「卒業証書さえもらえれば何者かになれる」という段階ではなくて(若者がそうやって社会に出ることを否定するわけではないが)、「死ぬまでに何をするか」とか考えるようになる。
Helen様の授業はつつがなく終わる。提出した2つともプリンターによって仕上がりが全然変わるのが問題で、「色味を最初のカンプに戻せ」との指令。のついでに、「あなたはなんで毎週毎週ちょこまか細部を変えてくるの! ムキー!」と笑いながら怒られる。変えなくていいんだったら一週目で一発OKくれよ! ダメ出しばかりで「OK」的な言及がもらえないから、直すついでに新しいこと試したくなるんだろ! という。初期にはさんざん胃を痛めていたやりとりにも、すっかり慣れた。平和平和。
Mattのウェブデザインはサービスのネーミングを複数考えてきてどれかに決めるという自習だったのだけど、「うーん、すまない、Ikuのやつだけはこれといった名案がサジェストできない……けど、君が一番お気に入りでずっと使ってるその仮名称でないことだけは確かだ」みたいなこと言われる。たぶん私のネーミングがどれも既存の英単語のもじりでダジャレ由来、かつ、それがいかにも非ネイティブ的にダサいのが、お気に召さないのだろう。ネイティブでも「ウマいウマい、もうそれでいいじゃん」と言ってくれる子もいるのだが。別の授業で中国人の子が、もちクリーム屋のブランド名を「YOI-KI-MOCHI」としていて、これは日本語でgood feelingって意味なのよ、mochiと掛詞なのよ、と頑張ってロゴとか作ってるんだけど、みんながその発想を絶賛するなか私だけ「うーん、そ、そうねー? 地方銘菓とかにありそうねー?」ってなってるのに、似た話なんだと思う。悪くはないんだ、悪くは。