過日は10周年の結婚記念日、手持ちのうち一番トンチキな着物を着て外食。浴衣ならかわいいかもねという柄行きだが冬の五弁花が描かれた袷の小紋、何をどうしても派手でうまく着こなせず、いっそのこと真っ赤な襦袢を合わせる。横に並んだ夫のオットー氏(仮名)は黄色い薔薇が無数にちりばめられたお気に入りのシャツ、見るたびあまりの乙女ぶりに「黄薔薇さま(ロサフェティダ)……」とひとりごちるが、我が夫は『マリア様がみてる』を読まない。まぁ結婚記念日だから「ウォルフガングミッターマイヤー……」のほうがしっくりくるが、我が夫は『銀河英雄伝説』も読まない。花まみれトンチキ夫婦。
初めて行った英国料理の店は、コロナ禍に閉業してしまった大好きなフレンチビストロを居抜きでそのまま改装したところ。前の店舗は一名掛けの席があっておひとりさま大歓迎、ティータイムに行くと無限に差し湯してくれて、ラップトップで仕事しながらペストリーで糖分補給しているうちハッピーアワーにもつれ込んでそのままワインが飲めてパテドカンパーニュを一皿頼んで晩飯代わりにできる、隣にも同じように働くおひとりさまが並んでて半日動かずに過ごしてる、享楽的な名店だった。マカロンみたいなパステルカラーだったその店の壁が、今や英国伝統色パレットそのままのブリティッシュグリーンに塗り替えられ、階段裏には全面ウィリアムモリス「いちご泥棒」が貼り付けてある。まぁ鮨屋に赤提灯が下がっているようなものだが、私が内装家でも「壁がマカロンすぎるから英国っぽい緑に塗りましょ!」と言うだろう。
前の店と同じく、個人的に「暗い店」と総称し分類する系統だった。オシャレのつもりかアラ隠しか、照明がひたすら暗い。けど接客も価格帯もカジュアルで高級すぎない。あとなんかニューヨーカーが自宅用には絶対買わなさそうなアンティークっぽい小花柄の皿とか使ってて、米国人が「まるでヨーロッパを旅行してるみた〜い」と喜ぶような雰囲気の店。日本の欧州料理の店ともちょっと違うんだよな。暗くて落ち着く。カレー風味のスコッチエッグ、ベニソン(鹿肉)タルタル、ステーキ&チップス。「イギリスの飯は不味いっていうのは、あれは嘘だと思ってる」と熱く語る我が家の黄薔薇さまと、肉尽くしトンチキ夫婦。
いやぁ四月も終わるねえ、あれ、YouTubeの岩井俊二映画祭チャンネルで映画『四月物語』限定公開中だってよ、これは見返さなくちゃね! と話しかけたら、我が夫は、な、な、なんと、『四月物語』も!! 一度も!! 観たことがない!! し、し、信じられない!! 観て!! 今すぐに観て!! というわけで、26日は夕飯の開始を一時間遅らせて強制的に映画鑑賞会とする。松たか子ーッ!! 俺だーッ!! 加藤和彦でも田辺誠一でもないけど俺の傘も受け取ってくれーーーッ!!!
あのねえ、私はねえ、1998年4月に大学入学したんですよ!! つまりこの『四月物語』(1998年3月)の公開年に大学一年生だったんです!! わかりますか、ねえ、ちょっと信じられますか!? 俺の岩井俊二が、私の大学入学祝いに、俺の松たか子を主演に据えて映画撮ってくれたんですよ!?(※違うよ。)
https://www.youtube.com/watch?v=WfzbzVTDFDE
リアルタイムで観たときには「いやいやいや松さんはもっとずっとかわいく撮れるだろ、なんでこんなダサい家具を配置してこんなダサいロングスカートなんか履かせてこんなダサい男に片想いさせるんだ? 北海道から国立に上京してきた女学生なんて野暮ったい設定やめてもっとハイパースタイリッシュオシャンティ全編海外ロケにしろ、ブエノスアイレスとかで撮れ!」くらいに思っていたが(あちらは1997年の映画)、今となっては18歳の自分の発想のほうが貧困だったなと思う。この映画のよさを、まるで理解できていなかった、同時代では。
私が人生最高にダサかった1998年、すべての書きかけの日記や小説、すべてのイケてない写真やプリクラを燃して、高校時代から地続きの己の恥ずかしさ、そのいっさいの記録を抹消したいと願っていた同時期に、岩井俊二が「1998年春のどこにでもいた女の子」の映画を撮っといてくれたおかげで、私はこの映画を観るたびに何度でも、1998年春、どこにでもいる女の子だった自分のモッサい記憶を、この世で最も美しく最も愛おしい映像として、松たか子主演で、この桜吹雪で、上書きしていくことができる。あの頃の私だってきっと傍目にはこんなふうにかわいかったんだ、きっとそうだよ、自分ではまだそれがわからなかっただけなんだよ、18歳なんてそんなもんだよ、と反芻することができる。え、泣きそう。
わざとダサい服を選んで着せているのは監督の性癖なのか? と訝っていたが、実際にああいう小花柄のワンピースは当時どこででも普通に一般的に流行っており、そして松たか子は、あの当時流行っていたリアルクローズの中では一番かわいい部類のアイテムを着せられて着こなしているのである。18歳の私は、映画の中の登場人物にはもっと自分には手の届かない、『装苑』や『ZOLA』に載ってるような「特別な服」を着ててほしいと考えていたが、43歳の私が見返すと、この少女像が真空パックされて日本映画史に刻まれていることこそが「二度と手の届かない」特別な宝物である。
こんなに同時代の大学生活のディテールにこだわるなら携帯電話の最新機種の一つも持たせてやれよ、とも思っていた。バカじゃねーの。携帯電話なんか持たせたら台無しだろ。クセの強い書店に足繁く通って一度に5000円分くらい平気で本買ってた(そしてそれが一條裕子の漫画とかだった)自分の学生時代を思い出せ。その書店の客の忘れ物の中にELLEの傘があって、それだけは今もめちゃくちゃダサく感じるけど、あれは公開当時の10年前、小学生くらいの私にとってはとびきりオシャレに思えた柄で、そのあたりの「考証」に隙が無く、何十年経っても「あの頃」を思い出せるようにと繊細に作られた絵であるなとしみじみ感じ入る。
あと劇中、菅野美穂が満面の笑顔を咲かせる立て看板の横で、松たか子が張り合うように「笑顔の練習」をする短い場面がいい。25年言い続けてるけど、本当にいい。当時「きれい」「かわいい」「美少女」と評されていたのは圧倒的に菅野美穂だろうが、松たか子は所作や表情すなわち演技によって(どこへ出してもお父様そっくりねと評される)容姿のポテンシャルを上回る魅力を放ち、それが『オイル』『贋作・罪と罰』などを経て先日書いた『ジェーンエア』にも繋がっていくんだよ、引っ込み思案、目立つのが嫌いな少女も演じられる美人の俳優だけど、「女がブスと呼ばれるとき」の強さ美しさかっこよさを演じて俺たちのこと醜いと笑う奴らをブッ飛ばせるのが松たか子なんだよ、一方で音楽家としては佐橋佳幸とゴールデンコンビも組んでるんだよ最高じゃない!? と、また松たか子について熱く語ってしまう、やめられないの。
みなさんも観てください。私は三十過ぎるまで人前では「や、私が好きな岩井俊二は『PiCNiC』や『スワロウテイル』や『ニットキャップマン』であって、『四月物語』みたいなのは、ちょっと、あんまり……」とか言ってましたけど、あれは嘘です、18歳当時の自意識の失調です。普通に大好きです『四月物語』も。
そして昔は「好きな本も好きな音楽も好きな映画も同じ、好きなものがなんでも同じ人とでないと、長く一緒に居ることなんて到底不可能だな」と考えていたものだが、四半世紀の時を経た今は、「2023年にもなって配偶者に『四月物語』を布教して、『えーッ、いきなり高麗屋が勢揃いじゃない!?』『新大学生の引っ越しにしては荷物多すぎじゃない?』『松本幸四郎(当時)が旭川にこんなメルヘンな外観の家建てるか?』『釣り部、さすがにオタクすぎでは?』『は? うちの妻が大好きそうすぎるビジュアルの加藤和彦が出てきたのですが? 何これ君の書いた妄想を見せられているのではなく実在する映画?』『かわえええええええ!』などという新鮮な悲鳴が家庭内で聞き放題だなんて、それはそれで最高の結婚生活だなぁ」と思う。好きなものは違ってもいいよ、楽しいから。
婚活プロフィールに好きな映画は『四月物語』と書いたところでこんな伴侶は得られまい。そもそも岩井俊二の映画を自発的に鑑賞して好きになるような男たちは私と結婚しようなどとは思わんだろう。それでいいんだよ。もう、学生時代から続けていた一人暮らしの期間よりも、夫と二人暮らししている期間のほうが長くなってしまった。そんなエッセイを「きずな」という雑誌に書きました。 掲載誌を受け取るのが遅れて告知しそびれたけど、また。