相変わらずそんなに具合はよくない。日本の友人から連絡があり、少し深刻なやりとりが続いてそちらに気を取られる。午前中の飛行機に乗るべく、早めに宿を出て空港へ。SASのチェックインカウンターは預け荷物を送るための台がずらりと並んでいるが、搭乗客が自分でその手続きをする仕組み。なるほどたしかに、旅券の読み取り装置さえ発達していれば、搭乗手続きだけでなく荷物預けのカウンターだってこんなふうに省力化できるのである。タッチパネルにパスポートをかざすとバーコードタグが印刷されて出てくる。スーツケースを置くと重さが計られて、規定範囲内ならそのままベルトコンベアで運ばれていく……って、え、ちょっと待って、いま印刷したタグまだ巻いてないよ!!
目に飛び込んだ緊急停止ボタンをばちんと叩き押してベルトコンベアを止めるが、持ち主情報の貼られていない私の荷物は、カウンターを超えて奥の搬送路へ流れて行ってしまった。咄嗟に押したボタンはベルトコンベア全体を強制的に非常停止させるもので、SASのカウンターすべてが機能麻痺してしまう。搭乗客、地上職係員、その場にいる全台の全員が、「あいつが止めやがった」と白い目で見てくる。でもだって、タッチパネルの手順が「タグを印刷する」「荷物を置く」2ステップだけだったんだもの。私は忠実に行動しただけだよ、間に「印刷したタグを荷物に貼り付ける」という指示手順も表示してくれなくちゃダメだろ……。
というわけで、係員を呼んで「私がシステムを止めた、タグは手元にあって、今すぐそこの目の前の奥のところに私の荷物が引っかかってるはずだから、押し戻してくれるだけでいい」と説明するも、ハイヒールを履いたごついグランドホステスは「この奥のことは私たちの管轄外なので動けない」「おまえがちゃんと指示画面を読まなかったのが悪い」と言う。結果、航空会社の制服でなく空港のポロシャツを着たテックガイが来るまで待ち、大掛かりな修理案件だと思って工具片手に来たその男が「え? ここの荷物を? 手前に戻すだけ?」と拍子抜けした表情でその指示に従ってくれるまで、カウンター全体が機能停止し続けた。私も悪かったけど、地上係員だってこのくらい融通してくれてもいいのにな。セルフサービスカウンターで操作にまごつく搭乗客の管理監督をするのがあなたがたの仕事でしょ、とぐったりする。
その後の保安検査場などはつつがなく通過し、搭乗口の近くにGateauがあったので朝食を摂る。土産物屋などひやかすが、ここにもフィンランド産のムーミンが食い込んでいるのに、スウェーデンの国民的作家であるはずのリンドグレーン関連グッズは全然無い。ガムラスタンの土産物屋でいくつか『長くつ下のピッピ』『やかまし村の子どもたち』のグッズを見かけて、まぁ滞在中どこででも買えるだろうと思っていたら、結局それきりになってしまった。リンドグレーン財団が何かダメだというよりは、ムーミンオフィシャルのキャラクターグッズ開発が有能すぎる、という明暗の分かれ方なのだろう。
10時55分発のフライトでコペンハーゲンへ向かう。小ぶりな飛行機で、久しぶりに地上からタラップを使って乗り込んだ。すぐ着くので、他に感想は無し。タラップは気分が上がりますね。原始的なアクセス方法だと「こんな鉄の塊がどうやって飛ぶんだ」と何度でも不思議に思えるのがいい。逆に言うとジャンボジェットは、そういう不安を拭う効果もあって、真横から地続きかのように錯覚させるアクセス方法を採るのかもしれない。
コペンハーゲンのCopenhagenという綴りは英語表記で、デンマーク語ではKobenhavn(ケブンハウン)となる。という豆知識を日記帳にメモしてあるのだが、実際には英語表記だけでもさほど困らなかった。空港からタクシーで25分ほど、中心部のサンクトペトリへ向かう。タクシーの運転手は肌色の濃い中東風のおじさんで、「この街は初めてか、北欧でも最高の街だ、電車なんか使うな、小さい街だから徒歩か自転車で回るもんだ」「あれがチボリ公園、こっちがストロイエ、すごくいい位置の宿を取ったな」と即席ガイドツアーをしてくれる。オスロでもストックホルムでも似たような移民のタクシー運転手に当たったし、だいたいみんな同じことを言う。移り住んだ人間が胸を張って自慢する街はいい街。
サンクトペトリというのは、有名な聖母教会の斜向かいにあるもう少し小ぶりな教会の名前であり、通りの名前であり、それがそのまま、古い百貨店を改装したデザインホテル「Skt. Petri」の名前にもなっている。お向かいはコペンハーゲン大学のキャンパスで、裏通りには朝飯も出すし深夜帯からはバーになるようなカフェがひしめいていて、派手さは無いが雰囲気がよい。ストックホルムで「次はセーデルマルムに滞在しよう」と言っていたノリに近い。
13時頃にチェックインすると、今ちょうどスイートならば準備ができているから部屋を無料アップブレードしてやると言われる。それでスイートに泊まったのだが、ちょっと変わった間取りで、二人で泊まるにはやや広すぎて使いづらかった。街区の雰囲気はいいのに、館内インテリアはオーバーデザインでちょっと浮いてる。壁面に巨大なスパンコール石仮面(説明略)とか飾ってあるし……。とはいえ、早々に荷物を置いて着替えて寝転がって休息が取れたので文句は言えまい。態勢を整えて、ヤクなどキメて(※総合感冒薬です)、街歩きへ出る。
コペンハーゲンにも二日しか滞在しないし、相変わらず本調子ではないので、ストックホルムと似たフォーメーションを組むことにする。一日目の本日、狭い市内で巡りたいところをすべて雑に回り、二日目は電車で行くクロンボー城とルイジアナ美術館に専念して、無理しない。あちこちでお茶してカフェインを摂り過ぎるのはよくないので、夕方からビール飲んで夜ふかしはせず早めに寝てしまう。私が聖地巡礼したいところはチボリ公園くらいだが、この遊園地はなんと夏季は23時まで開園しているので後回し。北東方面へ進んでニューハウンから人魚像へ抜け、一服してからデザイン博物館をひやかすルートを組んで、淡々と歩く。
旅から帰って、コペンハーゲンに住んでいたという友人たちと話すと、口々に「ええっ、人魚像わざわざ見に行ったの!?」と驚かれてしまった。や、見るでしょ。私はこう見えて、初訪問の土地ではベタベタにベタな観光スポットを押さえるんだよ。東京へ来て東京タワーに上ろうとせず雷門にもハチ公前交差点にも行かない奴にはめちゃくちゃうるさく「行け」と言うタイプだよ。なぜなら住民になってしまうと足が遠のくからです。ニューヨークにおける自由の女神と同じだ。行けるときに行け。二度目は無い。
目抜通りのストロイエと並行したもう少し狭い街路を行きながら、ガンメルトーゥ広場、アマートーゥ広場、コンゲンスニュートーゥ広場、と辿って行って、運河沿いの木造建築群ニューハウンを見物してものすごい人混みに揉まれ、クリスチャンハウンへ渡るのは断念して川越しにオペラハウスを眺めつつアメリエンボー宮殿の広場をつっきり、フレデリクス教会は中まで入って軽く涼む。教会裏の「Black Swan」という地ビール屋の店が15時から開いているので小休憩、屈強な男性たちが乳飲み子を連れて哺乳瓶とジョッキを交互に持ち替えながら男子会しているのを眺める。その後、星型のカステレット要塞をのしのし歩いて、「世界三大ガッカリ」で名高い人魚像まで辿り着く。ここまでの心理状態、割と「無」である。
楽しくないわけじゃないのだけど、到着初日の街歩きは、地形や都市設計を把握して「土地勘を養う」ために行う。そして北欧四都市を巡って気づいたこととして、どの街もみんなそこがスムーズに行きすぎる。自動車交通網が発達する以前から綿密に設計図を引かれてきたことが窺える古都、現在も街歩きや自転車に最適化されて大変コンパクトに計算し尽くされており、観光客が観たいものが狭いエリアの一直線上に並んでいる。効率よく回ろうと思うほどに水辺をだらだら歩かざるを得ず、疲れたあたりにちょうどよく広場や緑地がひらけていて、ついついCO2削減に協力して健康になってしまう。フィーカもいいけど、ビールも捗る。
素晴らしい、素晴らしいが、さすがに四箇所目ともなると「またこの感じな!」と脳死周回っぽさが出てしまうのも否めない。ガイドブックがあれば必ず表紙になるカラフルなニューハウンの街並みも、「なるほどコペンハーゲンのガムラスタンね」と思ってしまうし、王室御用達のあれやこれやが買えるショッピングエリアのストロイエも「コペンハーゲンのエスプラナーディだ」と思ってしまう。たぶん観光客みんなこの心理に到達するのだろう、そこでこの街ならではの独自性を求めてみんながわざわざ押し寄せるのが……ちょっと離れた場所にあるアンデルセンの「人魚像」!! という流れまで、だいたい想定の範囲内だった。他の観光客たちと押し合いへし合いしながら人魚像の写真を撮ると必ず、対岸の工業地帯を悲しげに眺める構図となってしまう。
街場に戻ると夕方16時半頃、18時閉館のデザイン博物館に入り、駆け足でひととおり観る。江戸時代の美人画と春画と明治初期の戦争画を集めた浮世絵の展示を開催中だった。北欧モダンデザインや現代アート展示の合間に、根付と鍔のコレクションを集めた部屋もある。これも、ストックホルムで皆川明展に出迎えられたのに近い何かを感じる。日本と北欧、相思相愛だね。
圧巻はやはり椅子のアーカイブ展示。実家の居間で使われている椅子、初代がトーネットで二代目がYチェア、この二脚が隣同士に並んでいるのがエモかった。私にとって人間の親以上に「両親」みたいな二脚だ。自宅には置こうと思わない、親が常駐してるみたいでウザいから。ただ展示してあるだけでなく、ミュージアムカフェにばらばらの椅子がおしゃれに置かれて「実際に座れる」ようになっているのもよかった。元気なときならのんびりしたかった。
デンマークに来たのにデニッシュペストリーを食べてないじゃないじゃないか、というので、近所で評判のパン屋に行ってみるも、閉店前に棚のものがすべて完売している。デニッシュの本場なめんなよ。仕方なく並びにあるチェーンのパン屋で適当に朝ごはんになりそうなものを買う。ところがビニールの手提げ袋の用意が無いというので、みるみる油染みが出てくる小さな紙袋を手に持って移動する羽目に。環境大国なめんなよ。ストロイエをぶらぶらするも、デニッシュ片手だし、ロイヤルコペンハーゲンなどそうそう買う気も起きない。HAYの旗艦店でおみやげのキャンドルを100個くらい両腕に抱えた女の子を横目に「若いなぁ」と溜息をつく。消費行為にだって体力は要るのだ。結局、何も買わず。
18時台、コンゲンスではないほうのニュートーゥ(Nytorv)駅前の老舗レストラン「Nytorv」に入る。トーゥは広場、フィンランド語のアウキオと同じ。Nytorvは「新広場」という意味だが、ここで言う「新」とは1600年代である。半地下になった店内は、観光客にやさしい昔ながらの古い食堂という風情。シルクハットにフロックコートでキメた老紳士が店員と話し込んでいる。観光客を喜ばせるコスプレの人か何かと思ったらガチで礼装してるだけの一般客だった。日本でいう着物男子のようなものか。20時からの小さな宴会の幹事であるようだ。三々五々集まってくる他のお客さんは平服だった。私の和服姿もあのくらい周囲から浮いているのかね。
シャンパンとワイン、スープとサラダ、ステクトフレスク(Stegt flaesk)を分け合う。デンマークへ来たらこれを食えと言われる郷土料理、「カリカリの揚げ豚」である。肉の脂で肉を焼き、出てきた脂でイモを食う……完全にノルウェーのraspeballと同じ発想だよ! 不味いはずがない。けど、私はさておき夫のオットー氏(仮名)は胃腸に来ているので完食できず。思えばトナカイシチューは胃にやさしかった(相対評価)。
19時過ぎにはチボリ公園のチケットを買っている。私はここに特別な思い入れがある、というよりは、長年にわたり「チボリ公園を見るまでは死ねない」との強烈な刷り込みがあった、というほうが正しいだろう。たしか高校生くらいのとき、親の同僚にあたるスイス人が都市計画の専門家で、自分はチボリ公園の研究から始めて論文も書いたのだ、というような話を聞かされた。当時の私はちょうどたまたまディズニーランド(の新興宗教性)に強い興味関心を寄せていた頃で、イエスキリストの次に成功したカルト教祖にしか見えないあのウォルトディズニーの、地上に楽園を築かんとするかのようなあのテーマパーク構想に、多大な影響を与えた前世紀の遊園地があることを知ったばかりだった。それで異様に盛り上がり、酒の席で「私もいつかそのチボリ公園とやらを訪れてみたいものだ!」と目を輝かせて宣言したことだけは憶えている。そして横で同じく親の同僚にあたる別の日本人が「いや育ちゃん、俺は行ったことあるけど、実物は浅草花やしきだぜ……?」とツッコミを入れてきたのも憶えている。
で、感想ですが、実際、花やしきでした。これで心置きなく死ねる。何も花やしきをバカにしてるわけではなく、やっぱりこういうテーマパークは、大都会のド真ン中に建てるのが正解だなぁ、とつくづく思った。私が昔から浦安のディズニーランドとか海岸脇のコニーアイランドみたいな「半端に遠くてわざわざ出かける」系遊園地に今ひとつ惹かれない理由をひしひし理解した。小石川後楽園は行くたびアガるのに後楽園ゆうえんちには毎回ガッカリする理由、昭和期までの映画やドラマに描かれる遊園地やサーカスが好きなのに現実世界で実際行くと楽しみ方が全然わからずこれだったらミュージカル観てるほうがいいわと思う理由なども、だんだん掴みかけてきた。結局すべてはコンセプトなんですよ。実業の中心たる首都がいくら発展しようとも、その心臓部に古くからの「虚構」「夢」「祈り/希い」が抱え込まれている、という構造それ自体が好きなのであって、アトラクションの出来不出来とか入場料に対するコスパなどには全然興味が無い。
私は郊外に作られて不人気で打ち捨てられて廃墟になった遊園地の写真集なども大好きで、万博跡地であるフラッシングメドウコロナパークが現在ものすごく寂れているのにも大変グッとくる、つまり、遊園地や万博が好きというより(現実世界に夢を移植するともれなく朽ち果てるという)頽廃が好きなのかな、と仮説を立てていた時期もあるのだが、それもちょっと違う。チボリ公園の「未来永劫、絶対に廃墟にならない、させない」という強固な矜持は、すごかった。開園当初に張られた「結界」が今も有効なのだ。お化け屋敷も射的場もジェットコースターも庭園部分も、全部が全部徹底してちょっとダサいんだけど、しかしきちんとメンテナンスされていて、打ち捨てられる気配がない。このダサさをこのまま錆びさせないぜ、という鋼の意志、コンセプトを感じる。
そしてその中においては、東洋人目線では明らかに差別的と感じられる謎のオリエンタル装飾が現役バリバリで稼働しているのも、なんとなく許せてしまうところがある。というかあれ、別のエキゾチック表象(たとえば黒人や中東系への蔑視など)が現代にかけてことごとく猛抗議を受けて一つずつ潰され(てあのアラビア宮殿とかだけが残っ)た結果、比較的抗議の少ない東洋パートだけが昔のままのケレン味で遺ってしまっている状態なのじゃなかろうか? と想像する。どうなんだろう? 私がデンマーク在住の中華系移民とかだったら抗議活動に加りそうだけど、しかしその似非チャイニーズエリアを普通に楽しんでいる地元民と思しきアジア系の家族連れなどもおり、それはそれで非白人の少ない文化圏でアイデンティティ強化の一助となっているんだろうかね、と考えたりもした。このあたり難しいところだなぁ。
ちょっと調べたらNordic Orientalismというタイトルの本など出てきて、あれこれ読んでみたくなった。欧州の北の果てに時差付きで届いたジャポニズムと、モダンデザイン分野において日本と北欧が(ドイツあたりを挟んで?)相思相愛に響き合うさまとの関係性も、気になる。いずれにせよ、ヘルシンキで日本人として抱いた親近感とはまったく別の「接点」を、コペンハーゲンに動態保存されるエキゾチシズムに感じた。国によって全然違うものだなぁ。こういうの、来てみないとわからない。
夫のオットー氏(仮名)は、絶叫マシンの類を怖がっている。というか、見た目から穏便なアトラクションだと思っていたものが、動き始めるとかなり激しく動くので、私もびびってしまう。何か一つくらい乗ろうと思っていたがメリーゴーラウンドさえもアップダウンの激しいやつで、「ち、ち、チボリ公園はおそろしいところです……」と震える夫が不憫なので見て回るだけにする。
敷地内のレストランへ酒を飲みに集まる大人たち、幼い子連れでもないのにぶらぶら歩いてアトラクションをひやかしている友達同士と思しき大人たちなどもいて、それがまたよい。もっとずっとお子さま仕様だと思っていたのがいい意味で裏切られた。仕事帰りに駅ビルの屋上ビアガーデンに行くとか、そんなふうに利用しているのかもしれないし、我々が知らないだけで年間パスポートのような仕組みがあって、無料同然で気晴らしの散歩ができるのかもしれない。便宜上は遊園地と呼ぶしかないけれど、「入場料を払うと中で憩える公園」という趣がある。児童遊園や動物園のエリアと美術館などある大人向けのエリアとがきれいに分かれたパークのほうが後発で、もともとはこんなふうに渾然一体としているものだったんだろうな、と考える。というか、言われてみれば80年代半ばまでのディズニーランドも今とはまるで違うそんな雰囲気があって、楽しみ方がはっきり決まらずに(子供を連れていたり連れていなかったりする)大人たちの手に委ねられている様子だったことを、くっきり思い出したりもした。