2024-06-18 / 北欧旅日記(08)ストックホルム2日目

最初に謝っておきます。北欧旅日記、今までと同じ分量では書けなくなりました。というのも……なんと、今週末(8/18)から次の旅に出かけてしまうからなんですね! 二ヶ月も間が空いていればその間に北欧のことは書ききれるだろうと思っていたのに全然ダメだった。トホホ。とはいえ、単に写真整理が終わっていないだけなので、文章だけでもどうにかしたい。あと五日分。


朝起きて、前日から目をつけていたベーカリーカフェ「Stora Bageriet」で朝ごはん。シナモンロール、クロワッサンサンドと、ヨーグルトグラノーラを二人で分け合う。あとはフラットホワイトとカプチーノとで299sek。北欧全体の物価高にだんだん慣れてきたとはいえ、ユーロ払いのヘルシンキの直後だからか、ストックホルムはとくにさまざま割高に感じた。とはいえこのお店は立地と雰囲気だけでなく味も大変よかったので満足。

王冠のついた橋を渡り、10時40分にはシェップスホルメン島の現代美術館で入館料を支払っている。「SEVEN ROOMS AND A GARDEN : Rashid Johnson and The Moderna Museet collection」「THE THIRD HAND : Maurizio Cattelan and The Moderna Museet collection」「PINK SAILS : Swedish Modernism in the Moderna Museet collection」と三つのコレクション展を観て回る。特定の作家の個展と美術館のコレクションを組み合わせるのは興味深い試み。ただの常設展ではなく壁一面にびっしり収蔵作品を掲げていて、ちょっともったいない気もしつつ、コンテクストがほどよく狂うさまがよかった。俗に言う「持ってるからできる」並べ方、「あるもの全部見せる」って、最近の流行りの展示方法なんでしょうね。Maurizio Cattelanの作品群がとくに印象的。あれだけたくさんの「他者の作品」に囲まれながら、それを超えて個人名が記憶に刻まれるのはすごいことだ。

ところで、このあたりから夫婦揃って旅の疲れが出て体調を崩し始め、暑いとか寒いとか体温調節が難しくなり、喉が痛かったり胃腸が弱ったり、些細なことで気が立ったりするように。全館くまなく観ようと思っていた現代美術館も、メインの展示だけであえなく挫折。ニキドサンファルとカルダーの野外彫刻群とかゆっくり観たかったけども。オスロとヘルシンキとストックホルム初日までで街歩きを張り切りすぎたツケを、とうとう払う羽目になった感がある。鑑賞しながらスケジュールを組み直し、郊外へ出かけたりするハイカロリーな予定はすべてキャンセルすることにした。

12時には橋を渡ってエステルマルムに戻り、現代美術館と対をなすように建つ国立美術館へ。こちらも立派な美術館、エルグレコとかレンブラントとかハマスホイとか、さすが国立美術館というラインナップなのだが、だからこそ、鑑賞する我々に物量を迎え撃つ元気がなくなっていることを痛感する。彫刻が天窓のある明るい中庭にかためてあったり、時代ごとの展示が昇順にも降順にも巡れたり、どことなくメトロポリタン美術館を思わせるような作り。あちらに比べたら当然ずっとコンパクトなので、休み休み眺める分にはちょうどいい規模だった。長逗留することがあったらゆっくり再訪したいな。自分用の記念にちょっとしたミュージアムグッズを買う。

企画展は皆川明とHarriet Backer、どちらも行ってから開催されているのを知って驚く。きっと私は皆川明展を目当てに来たのだと思われているだろうな、と思いながら、北欧の人々がminaの展示を熱心に眺めているのを眺める日本人観光客となっていた。


13時半頃、王立公園の敷地内にある「Thelin」のテラスカフェでお茶とケーキの昼食を摂る。朝ごはんのクオリティに大満足していたからでもあるし、もはやレストランを選んでランチを食べる気力すら無くなっていたとも言える。道中ほとんど好きなことしかしていないはずなのに、一番好きな美術館巡りでこんなにぐったりするとは思わなかった。夫のオットー氏(仮名)はテラス席につっぷして仮眠をとる。ヤクをキメたりもしたかもしれない(※風邪薬と胃腸薬とアミノバイタルです、悪しからず)。王立公園には獅子像があるのだが、髭面サングラスのイケてるおじさんがその獅子にまたがっているという私好みのトンチキな幻覚まで視える。と思ってスマホで撮ったら写真に記録されたので、それは現実だったようだ。

夫のオットー氏(仮名)が「よし、王宮博物館へ行こう!」と立ち上がる。俺は君主制や王室になんか全然興味が無いし、他人の居城の中がどうなってるかなんて心底どうでもいい、わざわざ金を払ってまで王冠なんか拝んで何が楽しいんだ気が知れないね、と豪語していたはずだが……。しかし、郊外にある王室の居城ドロットニングホルム宮殿にも行かず、ユールゴーデン島のABBA美術館へ行こうかと笑っていたシャレを実行する元気もなく、必須と言われた観光スポットの市庁舎すら遠く感じるとなると、たしかにガムラスタン界隈では他にすることがない。「王宮ひやかして、16時開店の旧市街ブルワリーでビール飲んで、余力があればセーデルマルム島まで行って夕飯食べて、今日は終わりにしよう」との鶴の一声に従い、ふらふら橋を渡る。

ガムラスタンにある王宮は、入口で入場料を払って王族の居室や宝物の間や礼拝堂など、建物内をぐるりと観て回れるようになっている。まぁとにかく豪華でしたね。言われてみれば私だって、そんなに王室や王族に興味無いのだけど、しかし、日本の城を史跡として巡るのが面白いように、そこには居ない王族の威光に触れるのも面白い。この「スウェーデン王国なめんなよ」感には、きちんと触れておいてよかったと思う。まぁでもオスロのノルウェー王宮の開放的な作りのほうが好感度は高いです。あと、デンマークで行ったクロンボー城もすごくよかったので、今回の北欧旅の総括としては「城はクロンボー」となります。


天気雨が降るなか、もはや勝手知ったるといった風情のガムラスタンを突っ切って、通りの名を冠したマンクブロンブルワリー(Bryggeri Munkbron)へ。16時の開店前から待ち行列ができているほどの人気店。雰囲気もよく、ビールも美味しく、ソーセージ盛りも最高で、かつ、天気雨がゲリラ豪雨へと切り替わってしまったので、一番客みんな1時間半くらい雨宿りしていた。ずっとカラッとした気候だと思っていたが、こんなに亜熱帯ぽい雨も降るんだな。これはこれで夏の風物詩と言えるかも知れない。夫婦二人それぞれ旅とまったく関係無い読書などしながら、無言で延々とビールを飲み、ソーセージをつつく。うーん、いい店。だいぶ元気を回復した。

会計を終えるまでにあれこれ調べて、雨が上がった18時前からセーデルハイム島を目指す。もともとは僻地とされていたのが今では再開発によりストックホルムで一番イケてる旬のエリアに生まれ変わったということで、要するにニューヨークにおけるブルックリンである。電車で一駅二駅くらいの距離なのだが、せっかく晴れたし、だいぶ元気になったので、地下鉄駅構内をくぐって徒歩で橋を渡る。

結論から言うと、夕暮れのセーデルハイムを歩くのはとても素敵な体験だった。我々が宿を取って拠点にしたのは、東京で言うなら銀座や丸の内の一等地、ニューヨークで言うならセントラルパークに面したプラザホテル近辺みたいなエリアだ。それはそれで素晴らしいけど、我々は住むとなれば四谷荒木町やノーホーを選ぶ人間なのである。ちょっと散歩しただけでも、セーデルハイムが見せてくれる首都のもう一つの顔がすっかり気に入ってしまった。交通量の多い都会でありながら街並みがゆるく空が高くのんびりした雰囲気で、国立美術館や王宮博物館でぐったりした身体にしみわたる……。ギャラリーやカフェはもう閉まる時間帯でろくな観光はできなかったものの、飲み屋はどこも賑わっていて美味しそう。「この街に住むならセーデルハイム一択だね!」と即断即決。

口コミで評判の飲食店が大通り沿いにずらりと並ぶわかりやすい作りの島で、あれこれ目移りしてしまう。最終的にはNOFOという四つ星ブティックホテルの一階にあるレストランに落ち着いた。ここもすごくよかった。「次にストックホルム来るときはこの宿に泊まろう」と合意する。セビッチェなど小皿タパスをつついてワイン、二人で795sekくらい。

へべれけになってしまい車を呼んで宿に戻る。ずっと徒歩移動していたのだが、車で移動してみると、それはそれで「島から島へ橋で渡る」という都市の構造がわかりやすい。自転車移動する人が多い印象の街だったが、夏ならとても気持ちよさそう。へべれけなのに部屋でアクアヴィットも飲む。まだ明るい20時台にもう寝てしまったようだ。セーデルハイムは再訪したいな。実質二日しかない滞在日程の、本調子ではない後半一日だったが、ストックホルムの街をぐっと身近に感じられてよかった。


以下はBlueskyに書いていた日記をそのまま貼る。だいぶ弱っていますね。

日記です。「初めての土地ばかりを巡る長い旅」を続け、一応は仕事をはじめとする日常を引きずってきたはずが、だんだん荷解きとか荷造りとか翌日の出発時刻とか眼前のことしか考えられなくなり、普段ならあるはずの曜日感覚も無くなって旅程◯日目としか数えられなくなり、あまつさえ、夏至どきで滞在先すべて白夜で実質日没が無いためとうとう時間感覚も無くなって、まだ朝10時なのにもう夕方な気がしたり、「別に食後の昼寝をするほど疲れてはいないよな」と思ったら夜22時過ぎで夕食後の就寝時刻だったりして、なんか怖くなってきましたね。でも、長旅好きで世界何周もするような人たちって、きっとこの怖さをこそ味わいたいんだろうな。

続)怖くなるほどの長旅、というジャンルがある。小学生の頃、母と妹と三人で回った北米旅行がそうだった。予算が尽きて旅程がこなせなくなったと言われ(9歳の子に冗談でもそんなこと言うか? と思うがこの親は平気で言う)、ああ多分このまま東京には帰らず学校にも戻れず、レンタカーのガソリンが尽きたアメリカの田舎で皿洗いとかしながら食い繋いで不法滞在者として生きていくことになるんだ、と覚悟を決めたものだ。我ながら諦めがよすぎて切り替えが潔すぎるが、その狂った感覚ってランナーズハイならぬ「旅ハイ」みたいなもの由来なんだよな。コロナ禍で日本滞在を月単位で延長する羽目になったときも「旅ハイ」入ってたなと思い出す。

続)いうてまだ一週間だけど、白夜はやはり何かを狂わせる、長い長い冬の間に閉ざされて失われていた日照を取り戻そうとする現地の人々が平然とした振る舞いの中にも隠しきれないおかしなテンションをまとっているため、通りすがりの旅行者である我々も一度に三倍か四倍の体験をさせられてるような印象がある。どっと疲れて宿に戻るんだけど、遮光カーテンぴったり閉めて寝ようとしても窓辺に立てば外がずっと夕方みたいな明るさなので調子狂う。私は「人類も冬は冬眠したほうがいいよね」が持論だったが、冬ずっと冬眠すると翌夏をこんな濃密なテンションで過ごすことになるのかと思うと、一年中だらだら覚醒してるほうがいいかもと思えてきた。

続)数年前に夏のベルリンへ行ったときは、まだ明るい青空の下に真っ暗な緑が広がって早々に街灯が灯る中を人が行き交うのを見て「マグリットの『光の帝国』ってこういう光景だったのか〜!」と感心したものであるが(ツッコミ入る前に書いとくと画家はベルギーの人です)、北欧の都市、緑も豊かだけど基本的には水辺の都であり、しかもその水辺に王宮やら博物館やら貴重な建造物が建ってて(高温多湿で何にでもカビが生えて台風被害とかもある日本育ちの身には)ちょっと信じられない感覚である。

続)別に現地の人が奇行を働いてるとかは無いけど、公園行くとビキニの水着で寝そべって日光浴してたりはする。その同じ公園をGoogleマップで表示させると、真冬に曇天の下で積雪に閉ざされた画像など出てきて、あまりの寒そうさにヒッッッと声出そうになる。そんなのセントラルパークでも新宿御苑でも同じなんだけど、いや、同じでは、ないのよな……。日本でも似た経験はある。雪の無い季節に豪雪地帯を旅すると道幅が広くて驚き、しかし雪の有る季節に再訪すると除雪の具合で「ちょうどいい」道幅になっている、つまり私が最初に見たほうが「常ならざる」状態の広い道だったのか、と気づかされる。ああいうやつの話。

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