しばらく更新の間があいてしまった。まだ6日目! 全旅程の半分にも達していない……。だんだん日記の内容が適当になってきたのは、当日のうちに残したメモ書きも雑になってきているから。ほぼ日刊で数千字ずつある分量、これもはや誰も読んでないんじゃなかろうか。でも自分が読み返す用だからいいのである。
朝のうちにチェックアウトを済ませ、スーツケースを預けて宿を出る。朝食はヘルシンキ中央駅、駅舎の建築家に因んだ名の「Cafe Eliel」で、サンドイッチか何か適当に分け合う。やっと「石男たち」にも会えた。この日は17時半出航の船に乗るべく、15時半には埠頭に出向かなければならない。それまでに現代美術館キアズマとテンペリアウキオ教会へ足を伸ばして、ヘルシンキ観光の積み残しを消化することに。
10時半頃にキアズマで入館料を支払っている。「Feels Like Home」という題の収蔵作品コレクション。イラクからフィンランドへの移民が携えていた銀のフォーク(Ahmed Al-Nawas)、来場者の「改姓」体験を集めるインスタレーション(Titta Aaltonen)、トランスジェンダーカップルの愛の軌跡を描く映像作品(Samira Elagoz & Z Walsh)、ラジカセで作ったバベルの塔(Cildo Meireles)、バスタブに横たわる自画像(Sepideh Rahaa)、入れ子構造になったドールハウスのような作品(Elle Klarskov Jorgensen)、重ねられた毛布が穴だらけになった三つの寝台(Berlinde de Bruyckere)、などが印象深かった。
あと、カレリアンピーラッカだけでなく叙事詩「カレワラ」や「フィンランディア」が育まれたカレリア地方、フィンランド人の精神的な故郷であるとされているが、同時にロシアとの国境線を挟んだ地政学的に難しい土地で、少数民族の文化や言語が消滅しつつある、というドキュメンタリー形式の映像を観る。作家名をメモし忘れたが、いくら大切にしたいと願ってもどうにも食い止められない時の流れだってあるよなと思う。島国の都会育ちにはなかなかイメージしづらいが、地続きに融け合いつつ政治に分断される文化とは、そういうことなのだ。
二つの作家展、Nina Beier「Parts Osat Delar」と、Simon Fujiwara「It’s a Small World」も鑑賞。こちらは正直あんまり刺さらなかった。どちらも広い展示空間での大規模個展なので、作家本人が気合を込めているのは伝わってくるのだが、もともとファンだったわけでもない作家の現代美術、一度にたくさん観ればそれだけ好きになるというものでもないのが難しいところ。「これだけの作品、普段どこにどうやって保管してるんだろう?」とかのほうが気になってしまった。売店を見ていたら、以前はトムオブフィンランドの展覧会なども開催されたらしい。それは観たかったな。
テンペリアウキオ教会(Temppeliaukion kirkko)は日曜のミサが終わった12時半から一般開放される。少し前に辿り着くとすでにチケット購入のための行列が形成されていた。坂道の麓にあるサンタクロースグッズの専門店などひやかしながら、開門を待つ。同じようなトナカイやオーロラやサンタクロースのグッズを量産して、国旗をあしらったところだけ各国バージョンに差し替えたような北欧みやげが出回っているらしい。修学旅行で回った観光名所や、アメリカの国立公園の土産物屋でも、こうして似たような商品がどっさり置かれていたのを思い出す。
礼拝終わりの地元のおばあちゃん信者とすれ違い、大行列の一員として二名分の参拝料を16ユーロ支払い、ようやく念願の教会内へ。宗派はフィンランド福音ルター派。設計はティモ&トゥオモ・スオマライネン兄弟、完成は1969年。名前の意味はテンプル広場、別名「岩の教会」。
観光客から拝観料を取る宗教施設全般にうっすら抵抗感があるため、なんぼのもんじゃい、と身構えていたが、やはり素晴らしかった。いや、環境保全維持のために入場料の徴収が必要だという事情は、もちろん大変よくわかる。特定の美術品などを目当てに赴くような教会では、タダ見が申し訳なくて極力売店でお金を落として帰るようにもしている。けど、たとえば日本のお寺で来場者管理のために拝観順路が厳格に定められていたり、建物が立派でも境内の聖性が曖昧にぼやけていたりするのは、いたく萎える。宗教施設ってのはそうじゃねえだろ、と思ってしまうのだ。
その点ここは、入口でお金を払った後は中でいくらでも好きなだけ過ごせるし、こう見ろとか、ここを読めとか、何も言われず、ただ完全に放任されるのがよい。そうそう、宗教施設はこうでないと、と思う。
他宗派だろうと異教徒だろうと、祭壇に向かって腰掛けていくらでも光を眺めて過ごしてよいのは本当に有難い。門扉こそガバガバに開いていても、ちらっと内観を見回したら信者たちを慮ってそそくさ去らねばならないような古い教会の真逆にあたる。あるいは、主人のいなくなった茶室から日本庭園だけを見せてもらう感じにも近い。ガチの機材を携えてじっくり撮影に励む建築マニアもいれば、信者と思しき団体客もいて、自撮りしたらとっとと帰るバックパッカーもいる。そして、信仰の篤さに関係なく、ただぼんやりと「上」のほうを見上げて「天」から注ぐ「光」が地上の岩肌を撫でていくのを眺め、無宗教なら無宗教なりに静かに瞑想する、我々のような来場者もいる。ミサが終わった後の時間帯、神を持たぬ者たちのための祈りの場として開放しているとも言える。正しく機能的だし、実質無料の贅沢な時間だった。
コンサートホールとして使用されることもあるそうで、二階席に上がるとガラス張りのモニター室の様子もよく見えた。推しミュージカル俳優のソロコンサート、次ここでやってくれないかな、などと思いました。何でもない礼拝席にまで光と影がくっきり落ちてくるのがよい。
レシートの打刻を見ると、13時43分にはミコンカツのBASTARD BURGERSで昼食を摂っている。そう、そうなんです、ヘルシンキ到着初日の晩にフラレてしまったBASTARD BURGERSに、行きましたとも、ネタを完遂ですよ。NewYorkとHelsinkiにオニオンリングつけて、ラガーとIPAを一杯ずつ。何度も言うけど、フィンランドではなくスウェーデンのハンバーガーチェーンです。いいんだよ、これからそのスウェーデンに乗り込む前の腹ごしらえなんだからな! 宿へ戻って荷物を受け取り、15時半前には埠頭に到着。
タリンク・シリヤラインのセレナーデ号に搭乗する。17時出航、バルト海をゆっくり西へ横切って、翌朝10時には隣国スウェーデンのストックホルムに到着するワンナイトクルーズ。予約ミスでエストニア国籍として登録されており、埠頭の窓口で旅券エラーが出たりした。手続き自体は国をまたぐ飛行機に搭乗するのと変わらない感覚だが、国をまたぐ豪華客船なんて初めての体験なので、いちいちまごまごしてしまう。
ちょうど帰国後にNYCC版『TITANIC』のチケットを取ってあり、何を見ても新しい語彙ではなくミュージカル『TITANIC』から刷り込まれた歌詞の数々が思い浮かぶ。停泊してる船体があまりにもデカいので、脳内で機関士バレットがずっと「すーごいぞー、タイターニーック!(How did they build Titanic?)」と歌っていたし、本当に、三人ケイトが言う通り、高層ビルみたいな不動の建造物の外壁としか思えない。これが動くのか。普段は船に乗るといえばマンハッタン島発着のフェリーくらいで、あれは陸上のバスとそう変わらない。あとは数年前に新潟から佐渡へ渡るジェットフォイルに1時間乗った程度かな。子供の頃になら日本国内でカーフェリーで雑魚寝するような家族旅行もしたはずだが、今や目的地がどこだったも思い出せないほど昔のこと。いずれにせよ、こんな大型客船に泊まるのは初めてである。
窓口で「お部屋は11420号室です」と言われて「け、桁が万!?」とびびるも、平静を装う。船は13階建になっていて、5階以下は駐車場と付属設備、6階7階にレストランや免税店がひしめき、8階から11階までが客室。各階の船首部分にはスイートと銘打った広めの一等客室があり、あとは海に面した部屋と内側の吹き抜けに面した部屋とが細かくびっしり割られて並んでいる。うちは11階のユニットシャワー付きダブルだから、強いて言えば二等客室か。日本の都市部のビジネスホテルやラブホテルに慣れていると「案外広いじゃん?」と思う程度の窮屈さ、一晩過ごすには快適な部屋だった。部屋番号を諳んじていてもひとたび通路に出た途端すぐ迷子になるほどで、「いやぁ本当にFloating Cityだな〜!」「ストラウス夫妻の『パンくず撒いたら?』ってこれのことか〜!」とはしゃぐ(いいかげん『TITANIC』から離れてください)(トムサザーランド演出版のBlu-rayが出たよ!)。
両国の時差を示すために二つ並べられた船舶時計、特別料金を支払った客だけが入れて他は閉め出されるエリア、カプセルホテルや寝台列車などと同じ知恵を使いつつもそれより上質な宿泊体験を提供せんと随所に凝らされた工夫、はしゃぐ乗客と冷ややかな従業員たち、船尾甲板にものものしく置かれたペット用の砂トイレ、時折すごい音量で流される館内放送、ゆるく決められた食事の時間帯と、その前後に各船室から展望デッキなどへ人流が形成される様子、どこへも行けない乗客たちが暗に天から行動を操作されているような独特の不文律、優美さと家畜っぽさが相反しながら両立する高速移動体……船内で何か初めての感覚に触れて、しかし「お、この感じは知ってるぞ、何なら懐かしいぞ」と思うと、その大抵が、古いSFの宇宙船の描写なのだった。
幼少、小説や漫画などを読むたびに「作者の人たち、どうしてまだ実現していない近未来の宇宙旅行の営みをこんな精緻に生々しく描けるんだろう? すごい想像力だな」と不思議に思っていたが、何のことはない、あれらは全部、船旅を宙に置き換えていたのだ。民間船と軍艦や潜水艦の違いを考えれば、宇宙戦艦と宇宙遊覧船の描き分けもできる、こういうの、頭でわかってはいても、実際に乗ってみないとなかなか実感が持てないものだ。あと「銀河鉄道」って本当に意味わからん着想ですごいなと改めて思う。さておき。飛行機や新幹線と違い「時間がかかって当たり前」の旅のしつらえ、20世紀に編み出された最新鋭の贅沢旅行、もはやレトロフューチャーの味わい深さがある。たとえあと数十年で民間宇宙旅行が実現するとしても、私の目が黒いうちには、宙ではまだまだ「この感じ」の踏襲には到達できないはずだから、地球上ならではの愉しみとも言える。そして「この感じ」って何だろう、と考えると、一番似ているのは「老舗旅館」の佇まいなのだった。
今年の正月休み、夫婦で三重県の賢島へ無目的に遊びに行って、久しぶりに「日本の老舗の温泉旅館」のサービスを大満喫して帰ってきたのを思い出す。一泊きりの豪華で短い船旅は、あの体験とも、非常によく似ている。贅沢といえば贅沢だけど献立選択の余地はまるで無い郷土料理の晩餐。部屋に籠もって寝るよりはマシかと思って、浴衣にスリッパ姿ならぬ寝間着みたいな格好でフラフラしながら、館内で完結する娯楽に耽る夜ふかし。日本の温泉旅館にあるひなびたボウリング場やカラオケルームや卓球台などの代わりに、クルーズ船にはしょぼいカジノやダンスパフォーマンスショー、ニューヨークの夜景の写真を壁紙として貼り付けた展望バーなどがあり、参加型カラオケナイトが繰り広げられている。地酒や赤福が買える売店の代わりに香水と煙草だらけの免税店がある。海を眺める露天温泉がない? 海を眺めるジャグジー風呂とフィンランド式サウナはある。退屈といえば退屈、でも楽しもうと思えばいくらでも酩酊できる、オシャレではないけど妙に嬉しくなっちゃう、このパッケージ感、完全に同じである。
吹き抜けになったショッピングモールを見渡すガラス張りのエレベーターに乗ってぼんやり眺めていると、海側ではなく内側へ向いた出窓がある船室の窓辺に、袋菓子やジュースや化粧ポーチや手鏡をずらりと並べて個室のようにしている少女がいた。おそらくは家族旅行中で、きょうだいと分け合う段ベッドでも到底プライバシーが保てないから、カーテンで区切られた窓辺に「籠城」しているのだろう。慣れてんなぁ、と思う。きっと毎夏、夏至の前後に何度もこの同じクルーズラインで家族旅行していて、この船旅に必要不可欠なものを完璧にわかっているのだろう。
そう、とにかく軽装の家族客が多い。大きなスーツケースを転がしているのは11泊かけた北欧周遊中の我々くらいだ。推定中国人のものすごい人数の団体客もいたけれど、そちらは入船時に見かけただけで後はすぐ消えて、いっさい見えなくなった。おそらく1フロア1区画の船室をすべて押さえ、ビュッフェ形式のレストランを時間決めでブロックして食事を摂ったりして、船内でも完璧な団体行動をしていたのですれ違ったのだろう。我々が行動を共にしたのは、複数名の子供たちを連れてそれぞれがリュック一つ程度の荷物しか持たない白人家族客が大半だ。中年の母親はもれなく何かしらマリメッコのアイテムを身につけている。マジでみんなマリメッコ着てる。しかも大柄の中年の父親がスティンキーのポシェットをさげていたりする。
そんなことってある!? と二度見三度見してしまうのだが、観察の結果、みんな「週末を使って隣国フィンランドを満喫し、月曜朝10時到着でストックホルムに帰る、スウェーデン人の家族」なのであろうと理解した。国籍の区別なんてつかないけど、フィンランド人が外国へ出かけるのにあんなに自国ブランドで身をかためるとは考えづらい。ところで私も船内のムーミンショップでまたムーミンパパのTシャツを買ってしまった。今買わなかったら一生買わない、一生のうち、フィンランド生まれの推しキャラが海でウィスキーの箱拾う場面の刷られたTシャツを買う瞬間があるなら、船に乗ってフィンランドから離れつつ空明るいうちからべろべろに酔っ払ってる今しかないから! というわけで、追いムーミンである。
夕飯は7階にある飲食店の中から総合評価で選んで「bon vivant」というワインバーに。空港や劇場で食事するのと同じで、一般の飲食店よりは割高。ホワイトフィッシュという淡水魚の冷菜、トナカイのカルパッチョ、タラとムール貝のメインディッシュで、グラスワインを何杯か。食後、密かに楽しみにしていたナイトショーとやらを観に行ったら、ユーロビジョンのあの独特に絶妙なノリをさらにトンチキにした感じで超絶しょぼかったので、数分で退散。もっと深夜ならもっと玄人好みの演目もやっていたのかな。
甲板で夕景を堪能して、割と早めに部屋へ戻る。出発当初は湾内で複雑に入り組んだ湾や島々の間をするする滑る様子が面白く、どれが無人島でどれが私有島でどれが集落のある島だろう、などと「陸地に人の痕跡を探す」遊びに興じていたのだが、就寝時にはもう、見渡す限り水平線と沈みそうで沈まない西日しか見えない、というようなまるで別の風景に変わっている。それでもまったく孤立するわけではなく、シリヤラインと似たような規模の大型客船が複数、同じように遠くを航行しているのがずっと見えている。どれだけ速くて安い輸送技術が発達しても、それはそれとして船旅もなくならないだろうな、楽しいから。と考えながら、眩しくて眠れないので船窓のカーテンを閉め切る。