どんな学生時代でしたか? 思い出話などを聞かせてください
母娘揃って小学校の入学式に遅刻しました。他の新入生全員が教室の前で出席番号順にキチッと二列に並んで隣の子とペアを組んで手を繋いでいるところに、すいませんすいませんと言いながら割り込んで、一人で待たされている名前も知らない相方の子に謝って手を繋いでもらった。私が到着すると同時に式場へ向かって列が動き出した。先生も生徒も、みんなが私にうんざりしていた。というのを、今でもよく思い出します。思えば私の人生は、ここから先もいつもそんな調子でした。
半数の子が付属幼稚園から上がってくる学校で、入学と同時に内部生たちから何かにつけて「よそもの」扱いされ、自分こそが世界の中心だと思っていた六歳児は激しくカルチャーショックを受けました。一年生のとき、雪の積もった日に校庭で遊んでいたら始業の時間が過ぎ、教室の後ろに立たされました。二年生になると図書室に出入りできるようになり、最初に借りて帰ったのは江戸川乱歩『青銅の魔人』。親に「血は争えないわね……」と嗤われました。書店でうっかり『メイドイン☆星矢』を立ち読みして初潮より早くやおいに目覚め、『あしながおじさん』でオッサン萌えに目覚めました。三年生のとき、級友のお兄さんからTM NETWORKをカセットにダビングしてもらい、『海底二万海里』や『ルパン全集』を読んで「なんで私は19世紀末のフランスに生まれなかったの!」と地団駄を踏みました。四年生のとき英語会で「Penny Lane」の歌詞を対訳したプリントを配られてポール派になりましたが、「日本人でアカデミー賞獲った教授のほうがすごいよな!」と思ってました。五年生のとき、学芸会の劇で照明や装置などの裏方を希望したのに人数合わせでキャストにさせられ、もう一生、表舞台には立ちたくないと思いました。六年生のとき、なぜか突然「小説家になろう」と思い立って文房具屋で変形サイズの原稿用紙を買い込みましたが、祖父にワープロを譲ってもらい活字を印刷することにハマッていたので、結局、肉筆では一行も書きませんでした。
そんなこんなの間に昭和が終わってベルリンの壁が崩壊して東西冷戦が終結して深夜に湾岸戦争が茶の間に生中継されて、なんかものすごい時代に生まれちゃったな、2000年に20歳だけど成人する前に恐怖の大王だって来ちゃうしな、と思いつつ、テレビのドキュメンタリー番組を作ったりするジャーナリストの仕事に憧れていました。
部活動は囲碁クラブと一輪車クラブとバスケットボールクラブに一期ずつ所属、あとは図書委員会に入っていました。習い事は、嫌々ながら続けていたピアノと、好きで始めたフルート、それからDTM教室。低学年の頃はスイミングクラブや習字教室にも通っていました。この頃から運動は苦手で、とくに短距離走は学年最下位。何をやっても妹に敵わないのが癪でスポーツが嫌いになり、身体を動かさなくてすむ囲碁、一人で走れる家でも陰練の可能な一輪車、技の精度さえ磨けば鈍足を補えるバスケを戦略的に選択する、イヤな子供でした。習字教室は、抜け出して裏庭で少年探偵団ごっこや秘境探検隊ごっこをしていた記憶しかありません。組織的な権力を巧みに利用し極めて私的な目的を達成するムスカ大佐に憧れて、何のゴッコ遊びでも参謀を志望し、責任の重いリーダー役は固辞していました。
低学年においては、アニメや漫画や音楽や、その他、子供の知らない大人の世界について博識な子が尊敬を集めるので、クラスの中心人物とはいわぬまでも、そこそこ人気者だったと思います。男の子でいう博士キャラですね。教室では友達と一緒に自由帳に漫画を描いたり、妹と一緒に親戚に配るタブロイド新聞を作ったりしていました。ところが、四年生の夏に連続幼女誘拐殺人事件で宮﨑勤が逮捕され、被害者である「幼女」の側として集団下校などしていたのが一転、教室でも肉親からも「二次元に夢中で不気味なほど物知り=オタク=犯罪者予備軍」扱いされるようになり、周囲の大人たちが「いつかあの子に殺されるかもしれない」と話していたのを盗み聞きして胸を痛めるなどしていました。
そうした時代の流れに乗って級友が次々と脱オタ宣言していく中、アメリカ旅行で買った自由の女神のポストカード(台座の碑文が書いてある)を眺めながら『アンネの日記』や『ひょっこりひょうたん島』に読みふけり、「私は最後まで闘う……それこそがアンデパンダン……!」と間違った方向へ熱意を燃やしたため、お望み通りのオタク迫害に遭っては、「これは自由のための試練……フランス……ばん……ざい!」と極東の島国で悲劇のヒロインを気取っておりました。平たく言うと、いじめられッ子のオタクです。うすうす気づいていた「私は社会におけるマイノリティなのだ」ということを強く自覚しはじめて、「だから何だ」と開き直ったのは、この頃だったと思います。
中学生時代も高校生時代も大学生時代も大学院生時代も、だいたいこんな感じなので割愛します。