ザ・インタビューズ転載日記(観る将)

見る将棋の魅力を教えてください。



こんなところで質問してないで梅田望夫さんの名著を読んでください。以上。

『シリコンバレーから将棋を観る』
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『どうして羽生さんだけが、そんなに強いんですか?』
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え? ダメなの? これで答えにならないの? せっかく読むだけで「観る将棋」の魅力がわかる本を作って、一冊目は英語版が無料公開までされたというのに……信じられるか、全世界でじつに数十億近い人間が、まだこの二冊を読んでもいないんだぜ……あたしゃ徒労感でいっぱいだよ……。もしかすると「読んでみたけどわからなかった」と言う人からの質問かもしれませんが、だったら尚更、どうして私がそんな人の世話まで焼かなきゃいけないんでしょうか……。ともあれ、質問は質問なので、答えます。

「観る将棋の魅力」は、将棋というボードゲームが本来持つ魅力をベースに、それを超越したところにあると考えています。将棋を指せる人たちに向かって「将棋の魅力を教えてください」と訊くと「取った駒が持ち駒として使えるところですね」「この有限の盤上に無限の可能性があるのですよ」云々と言われるのですが、そんなもの指せなきゃわからないし、負けりゃつまらないだけですよね……。

たとえば、自分では将棋が指せない私にとって「将棋を観る」ことの最大の魅力は、「幼い子供の頃から特異能力だけを鍛え上げてきた、一流の中の超一流の頭脳を持つ、個性豊かな天才の中の天才たちが、世界に六十億もいる人間の頂点に立つたった一人の勝者を決める過程で、答えの出ない問題について本気で悩んでいるときの、その無防備な苦悶の表情を、眼鏡を、手指を、余すところなく観放題」であるところです。それなんて少年漫画、と言いたくなるような、そんな姿を毎日のように人前に晒して戦い続けているのが、プロの将棋指しなのです。

皆さんは「羽生善治」という人名を聞いて、公文式のCMでニコニコしている笑顔を思い浮かべますか、それとも一瞥で人を射殺せそうな鬼神のごとき形相を思い浮かべますか。私は彼が七冠王を達成した頃にテレビで何度もこの二つを見比べて、「いやー、すごいなぁ、後者をもっともっと観たいなぁ」と思って、指したくもない将棋の駒の動かし方を憶えるところから始めました。ご自分で将棋を指す人ほど、私のような不純な動機で将棋を観はじめる女子がいることを理解しづらいのかもしれませんが、たとえ将棋を指せようが指せまいが、我々ホモサピエンス全般にとって「人間が命をかけて真剣に何かを思考する姿」は、大いなる魅力に満ちあふれていると思います。

まずは一度、毎週日曜日の午前中に放送される「NHK杯テレビ将棋トーナメント」を観ることからおすすめします。あれが一番、手軽でしょう。画面が静的で、音もなく、騒がしい民放のテレビ番組を見慣れている方々にはかなりの苦痛だと思いますが、一度でいいので、ナガラ視聴ではなく、録画早送りでもなく、当日その時間に全部、一局通して最後まで観てみてください。誰か贔屓の棋士を作って、他の誰かではなく彼に勝ち進んでほしいと願うまでなったら、たぶん私の回答の意味がわかっていただけると思います。まぁぶっちゃけ、次の時間帯にやってる囲碁トーナメントでもいいです。いやマジで。なぜ「将棋を」観るのが面白いのか、という話は、その次の段階ですからね。私は将棋も好きですけど、別に「将棋こそが至高にして究極のゲーム!」とか思ってるわけではないので……。そういう回答が欲しかったら、アマチュア有段者の方などに訊くといいんじゃないでしょうか。

ところで最近、「観る将棋」の魅力は、それを「言葉にする」ことと切っても切り離せないんだな、とつくづく感じています。だって、将棋指し同士って基本的に将棋でしか会話しないんですよ……ほっとくとずーっと「あのときの△6四桂がさーwww」「そこで▲2三馬だろwwwすごいwww」とかゆってキャッキャ盛り上がってるだけで、「え、何、今の何が面白いんですか?」というのは、こちらが一つ一つ言葉で質問しないと、言葉に翻訳して返してくれないのです。将棋の魅力をゲームの盤から剥離させ、新たに「言葉にする」ことで味わいなおすことができるのは、彼らの世界において部外者にも等しい、我々「観る将棋ファン」の特権なんじゃないかとすら思う、今日この頃です。Twitter将棋クラスタをはじめ、この数年で「観る将棋ファン」の層はじつに厚く豊かなものになりました。彼らが思い思いに綴る「言葉」の輝きに惹かれて、新しく将棋に興味を持つ人たちが増えていったら、それは本当にすごいことだなと思います。