「今は口を噤んでいるべきだ」と言われたので日記を書く。日本国内で起きた痛ましい事件について書くのではなく、日記を書く。まだ賢さが残っているのならばインターネットに余計なことを書き込むな、と言われたので日記を書く。このようなときに誰かを何かをさしおいて自己主張を我慢できないなんて浅ましく愚かしいことだ、と言われたので、日記を書く。
今日は呆然としてまったく何も手につかなかった、ということを書く。私が住んでいる街は日本との時差があるので、Twitter経由で衝撃的な速報を目にしていくつかのニュースを拾い読みした後、深追いをやめて気を落ち着けてどうにかして就寝したことを書く。そうして起きたら誰もがよく知る一人の人間が殺されて亡くなっていたのだが、そのことについて書きたいのではない。「あってはならないことだ」と言ったところで「死なないでほしかった」と言ったところで、そのすべてに「おまえらのせいだ、おまえらが殺したんだ」と見ず知らずの相手から憎悪が返ってくるような状況では、たしかに書くべきことなんか何もないのかもしれない。生まれ育った国で大切な何かが終わってしまった日であり、我々の一人一人がもっとずっと簡単に「裁き」と称して殺されゆくような時代の、そのとば口に立っているのかもしれないとは思うが、しかし私はあなたは誰も殺してなどいない。殺されてもいない。少なくとも今はまだ。寝て起きて、そのことを日記に書く。
「こんなときにどうして寝ていられたんだ」と言われたので、東京五輪招致の晩を思い出す。祈願成就のために徹夜で行く末を見守った人たちが大勢いた夜だった。願掛けのために皇居の周りをマラソンする人までいたが、まだ東京に住んでいた私は、たまたま友人たちとカラオケでオールしていた。「日本国民が一丸となっている」ときに「遊んでいた」なんて、きっと全体主義者どもからは非国民だと思われちゃうね、とは『ハジの多い人生』にも書いた。当時は割とこまめに日記を書いていたから、それをもとにエッセイにおこした。2022年現在はまったく日記を書いておらず、ただタイムラインに流れてきた鹿賀丈史の写真をRTする。ハイブランドの靴についてつぶやく。発達障害についてつぶやく。合間に世界各国の要人から届く哀悼メッセージに目を通す。「俺たちと同じ最大級の礼を尽くして喪に服していないのはこいつとこいつとこいつだ」といったつぶやきを見かけて、辛抱たまらずこうも書く。
この一年ろくに日記を書いていなかったので、今日から日記を書く。書かなくなったことに大きな理由はない。TwitterやInstagramへの投稿は毎日のように続けているし、他に依頼を受ければ原稿も書いて本も出したりする。それ以上の私の「日常」なんて誰も知りたくないだろうし、ただ長いだけの読まれない文章にさほど価値なんてないと思っているので次第に書かなくなった。いつもそうで、年に数度このブログの存在を思い出しては、日記形式でものを書かなくなった言い訳ばかりを日記と称して書いていた。だが今日は寝る前に日記を書く。あんなことが起きたのに昨晩は何も書かずに寝た、と今夜の日記に書く。徹夜で犯人の卒業アルバムを漁ったり願掛けのために祈祷したりはしなかった、夜だから寝たが、そこに意味はなかった、続報は朝起きて家族から聞いてショックを受けた、と書いておく。後から自分で自分の記憶を捏造しないように。
「今は口を噤んでいるべきだ」と言われたので日記を書く。他人から一度も口を塞がれたことのない強い立場の人たち、挙手すればいつでも指されて発言権を得られるのが当然だと思って生きている人たちにとっては、「たとえ思うところあってもみだりな発言は控える」その沈黙は黄金であろう。言うべきときが来れば言いたいことが言えるし、その順番は必ず平等に回ってくるのだから、ただ静かに待っていればよい。私だって「言論の自由」「表現の自由」とはそういうものだと教わって育ち、そのように信じて生きてきた。だから、どれだけ意見を異にする相手と話しているときでも、他人のマイクを強引に奪ってまで発言することは避けて静聴に徹した。会話の掛け合いに失敗して発言を遮ったことはあるかもしれないが、国会議員じゃあるまいし、対立政党の質問中に野次を飛ばすなんて下劣な真似は絶対しない。
そうして信じ続けていたものが、最悪の暴力によって信じられないほどあっさりと奪われてしまった日なので、日記を書く。とても黙っていられないので日記を書くが、亡くなった政治家個人について書きたいわけではない。私は私の日記を書く。もしかして「言論の自由」や「インターネット時代の平等」なんて大嘘で、このままおとなしくあいつらの横でニコニコ黙っているだけでは永遠に「わたしの番」なんて回ってこないんじゃないか、と焦っていた10代を思い出す。そうやって誰にも読まれないHTML日記を書き始めたのだった。金になるようなバリューのあるコンテンツなんて持ち合わせがなかったから「日常」を綴っていた。またあれと同じことをすればいいのだと悟ったので、時事ネタへのコメントで大荒れのTwitterのタブは閉じて、すでに在外公館投票を終えた参院選の報道も遮断して、日記を書く。いつだって誰だって何かを振りかざして私たちの口を塞ぐことはできない、と確かめるために書く。自分で自分の発言する順番を「今」だと決めるために書く。たった一人でもう一度、日記を書く。そしてもう寝る。