2023-05-22 / 皐月あれこれサイプレス

一週間ほど更新しなかったのでランダムに生活の記録を。ものすごく長い時が経ったようにも感じられるが、本来なら5月8日に到着するはずの新しいウォーターサーバが6月2日まで遅配となり、まだ届いていないので、アメリカ時間では一瞬にも等しい。納期に厳しい夫のオットー氏(仮名)がしょんぼりしている。オペラを観に行ったのが9日。

11日、髪を切りに行く。TikTokだかInstagramだかのインフルエンサーがこのサロンのスカルプトリートメントを絶賛したために、春から急に予約システムがパンクしたそうだ。製造業と違って増産などできないサービス業では、一時的に満席になってもメリットは薄く、むしろ定期的に通うレギュラー客を断らざるを得ない打撃のほうが大きい。捌ききれなくなったので、そのインフルエンサーに頼み込んで店情報のタグを削除してもらったのだ、という話を聞く。スモールビジネスはバズりすぎても全然いいことがない。昔から言われていることだが、極めて2020年代らしい話題とも思う。スタイリストの昇進とコロナ明けのインフレに伴ってカット料金が爆値上げされていた。ぴえん。

夜はガリシア料理店のカウンターで、白身魚の開き定食。見事なジェネリック和食だった。ジェネリック和食とは、海外生活者が和食の代替として命を繋ぐために摂る、和食に似た食材や調理法を味わえる世界各国の料理である。オリーブ油と醤油は大体似たようなもの、シンプルな味付けで新鮮な魚の旨味を引き出して食べる文化圏とは仲良くやれる。店名はガリシアの地名からとって「Tomiño(トミーニョ)」というのだが、こんなのもはや「酒と肴 定食とみの」である。前菜のコロッケと豚じゃがも美味しかった。いや、クロケタスと、アドバードのマッシュポテト添えだけど。また、サングリアを置く代わりにご当地ジンを使ったジントニックが何種類も用意されている。ジョッキで出てくる酎ハイ感覚だ。これも嘘です、巨大なサングリアグラスですね。定食とみの

13日、『イニシェリン島の精霊』が素晴らしかったので、マーティンマクドナー祭りとして『スリービルボード』を久しぶりに見返す。「独り歩きするだけで死の危険を伴うド田舎」「暴力を振るう警官」「暴力を振るうバカ」「暴力を振るう匿名の隣人」「暴力を振るおうとして返り討ちに遭うモブ」「鬱病かもしれないniceな男」「押され弱いがniceな男」「魅力的ではないが悪い奴でもない男」「信頼できない主人公」「形勢が傾いた途端サッと掌を返す周囲」「画面に映るだけで不穏なババア」「空が高すぎるせいで深まるドン詰まり感」「それでも生きていかざるを得ない(by大槻ケンヂ)という結末」、言われてみれば共通点はある。そして『スリービルボード』もかなり演劇的な展開の映画であることを改めて思い知った。暗転してないのに暗転が見える。ああ、昨年観た演劇集団円『ピローマン』もう一度くらい観たかったな、あれも本当によかった。そして、11日に切ったばかりの私の髪型が、フランシスマクドーマンド演じるミルドレッドそっくりだと家人から指摘を受けて、後頭部で雑に結んで刈り上げを出してみたら本当にその通りだった。

16日、藤本由香里さんと近藤聡乃さんとRuss&Daughters Cafeでランチ。久しぶりの再会に盛り上がり、昼酒に加えてデザートまでキメて呆れ顔の店員に追い出されるまで長居してしまった。藤本さんは5月20日から「はじめてのBL展」が開幕するところ、近藤さんも夏に展示があるという。私はどちらも伺えず残念だが、あれこれお話が聞けて楽しかった。日本と距離を置きながら、といって外国人になるわけではなく、母語で発信しつつ、異文化に倣いつつ、この街のどこにでもいるありふれた移民として淡々と生活する。華やかな側面ばかりではなく、苦労も尽きないが、これを健やかに長く続けたい、という気分になる。

17日、前日夜に治部煮を食べたあと別腹でたまたまNetflix『Taco Chronicles(タコスのすべて)』を流していて、気づいたら一気に全話観てしまい、これはもう仕方ないということで、タコス屋で昼ビール。仕方ない。仕方ないよ。それぞれの具の調理法について解像度が高まった後だと一層おいしく感じる。NYUの周囲はもうすっかり夏休みムードで、卒業袴ならぬ卒業ケープをまとった学生たちが写真を撮りながらキャッキャはしゃいでいる。夜は味噌煮込みうどん。

18日は午後からメトロポリタン美術館の会員限定プレビュー初日で『Cypresses』(ゴッホの糸杉)展を観に行く。耳を削ぎ落とした後、アルルから転院した療養先のサンレミであの有名な「星月夜」(※この展示のためにMoMAから召喚中)を描く1889年前後、ゴッホがどれだけ同じ糸杉を描きまくっていたか示す企画展示。面白かった。穏やかな四月の野原を描いた絵がじつに美しく、点描や二次元塗りや素描の輪郭タッチなど自然描写をさまざま模索する過程は理知的で、傑作と呼ばれる作品の影にある試行錯誤がわかりやすい。そのぶん糸杉と「出会ってしまった」「のめり込んでしまった」様子も伝わる。私は「星月夜」のあの闇の明るさは、ずっと精神を病んだ画家の妄想的な誇張表現だと思っていた。しかし一連の作品とともに鑑賞すると、あれは真昼間のサンレミドプロヴァンスを描き続けた画家が、その陽光に眩んだままの目で描いた「同じ場所」であり、夜の間だけ出現する星と月が太陽と同じだけ目に焼き付くとこう描かれるのか、と考えたりもした。そして「星月夜」と「二本の糸杉」を掛け合わせてヒトならざるような人物が配置された最後の作品「糸杉と星の見える道」(1890年)が、まさに「最期」であることもよくわかる。他の画家の作品に紛れて一作だけ架かっていたのではまるで違う鑑賞体験となるだろう。長年「最高値がつくひまわりとそこまででもないひまわりとの区別が全然つかねえ」くらいに思っていたが(我ながらひどい)、この「糸杉」展のように「ひまわり」展をキュレーションしてくれる学芸員がいたら私も「知る」ことができそうだ。グッゲンハイム美術館を回って『GEGO』展と『Young Picasso』展も観て帰る。こちらもよかった。

メープルシロップが余っているという理由で毎週日曜日はホットケーキを焼くのが習慣となり、『極道の妻たち』のシリーズ視聴が習慣になり(さすがにそろそろ終わる)、冷蔵庫に死蔵されていたシーズニングソースが甘口醤油の代替として万能なことがわかったので何にでもかけて調理するようになった。ナポリタンに入れるといいよ。私のナポリタンは「日本の喫茶店に行ったことがなく和風のナポリタンを一度も食べたことのない異文化圏人が、レシピだけ読んで、ベーコンかウィンナーとあるのを冷蔵庫のイタリアンソーセージに置き換えたりしながら、おっかなびっくりケチャップを入れて作ったスパゲティ」といった味である。これもまたジェネリック和食。