2025-11-12
朝一番からJFK空港へ。今回のミッションは「日本のトランクルームに預けている冬物衣料を可能な限り持ち帰る」なので、大量に転がしていくスーツケースはほとんどカラである。
またグリニッジラウンジに通されて、またファラフェルとタヒニとクリスプを食べる。ラウンジの持ち主はブリティッシュエアなので、ポテトチップスの表記は頑なにクリスプ。昔は味に文句をつけていたはずが、こうも高頻度で食べるとだんだん好物になってきた。JALラウンジのカレーと同じだ。なんだかんだ半年で数回は同じもの食べている計算になる。どうしてそんな特別待遇なのかと言われても私には仕組みを答えることができない。家族マイルのおかげとしか言いようがない。
以後は数ヶ月経ってからの覚書なので抜けもある。思い出したら足す。
2025-11-13
夕方に羽田空港着。勝手知ったる仮住まい、無言で生活環境を整える。無の荷解き。近所の蕎麦屋で一杯やってナチュラルローソン寄って爆買いして帰るのも、いつもと同じ。
2025-11-14
時差のため4時頃には起きてしまい、朝定食を出す店「A」があるのでそこを目指す。昼酒どころか朝定食でビールをばんばんおかわりしている声と存在感のデカい壮年の男女がいた。おそらくは仕事の徹夜明けである。
我々はというと、勝手知ったる同じ道を徒歩でNEWoMan高輪ゲートウェイへ向かう。完成してから来るのは初めて。買い物する気はないのだが、だいたい全館を踏破して次回以降に備える。品川へ移動してトランクルーム作業。夜は仮住まいの近所にある居酒屋で九州料理を堪能。だいたい、いつもと同じ。
2025-11-21
一週間ほど、まったく記録がない。ほとんど内勤で、だいたい朝まで徹夜作業していた。きっと思い出して後から書いても楽しいこと一つも無いんじゃないかな。毎日のように隙あらば刺身を食べている。弁当屋で買ってきた弁当(豚茄子炒め+メンチカツ)さえ美味いという感激のメモだけが残っている。息つく間も無い多忙のように見えて、久しぶりのバスタブ付き生活で毎日のように長風呂に浸かっているし、ジャイロトニックと合気道稽古にも通い始めている。合気道の稽古日数をためることも日本滞在の大きな大きな目的の一つである。今回は本当に推しと同人誌即売会と合気道のための帰国みたいなとこある。物理的に国内にいないとできないような仕事なんか、一件もお呼びがかかっていない。誰からも求められていない。

2025-11-22
仮住まいのアパートメント前で、デフリンピック帰りと思しき団体と行き合う。ケニアの国旗をつけた揃いのウエアに身を包んだ、視覚的にものすごく存在感がある、そうとしか形容しようがないアスリートたち。そういう団体って普通は聴覚的にも騒がしいことがほとんどなのだけど、彼らは推定日本人の引率コーディネーターと手話で会話しながら、口話についてはアァとかウーとか控えめに声を出すだけで極めて静か、しかしそのぶん、表情と身振り手振りは豊かなので、やっぱり視覚的には存在感がある、という形容になる。
私はまったく手話ができない(女子校時代のボランティア活動で一通り教わったのにきれいに忘れた)のだけど、それでも、居合わせたその場で「ここの電子開錠の操作方法、何度教わっても忘れちゃうんだよね」「わかる〜、私もだよ〜、一緒にやろ!」くらいのコミュニケーションは、アイコンタクトと笑顔とジェスチャーだけで何とかなり、しばし談笑に加わり、「Have a good one」とともに手を振って別れたが、日本語ならまだしも英語なんて読唇してもらえる自信がない。ニューヨークの日常生活だって、大半のコミュニケーションは言語より先に身振り手振りである。それでも、エレベーターに乗り合わせたような相手と、互いに敵意がないことを示す。これが何より大事。だけどやっぱり手話もちょっとはできたほうがいいよなー、と反省した。英語と同じ意味でもう一つの世界公用語だからね。
2025-11-23
文学フリマ当日。詳細は「リネンコ日誌」参照のこと。
2025-11-24
振替休日、近所の店で夫婦二人で一皿を分け合ってハラミステーキを食べたらしい。ここからしばらくは文学フリマでたくさんもらった差し入れのおやつで朝食を食い繋いでいた。
2025-11-25
夕方から、ビルボード東京でGANGA ZUMBAのライブ。詳細はBlueskyに書いた。誰に話してもドン引きされるが、二公演あって二公演とも観たし、その合間に汗だくになりすぎて同じミッドタウンの建物内にあるユニクロと無印良品に着替えを買いに行った。全身から流れるこれは涙だ。青春ってこんなふうにプレイバックするものなんだな。GANGA ZUMBAは人生。着替えた上でまた汗だくになったまま長岡さんと合流、マルコススザーノと会う約束が楽屋で果たされたついでに宮沢和史とも軽くご挨拶できたのだが、目の前を通った搬出作業中の高野寛には声をかけられなかった。面識あるのに。いや、面識があるからこそ、関係者以外立入禁止の楽屋にいきなり私が来てたら怖がるだろうと思って……。どんな推しに対してもマイルドにストーカーっぽい挙動を取ってしまう。
2025-11-26
水道橋でミュージカル『ATOM』を観た。これも詳細はBlueskyに。合気道で受け身の着地に失敗して左肩を傷め、この後、ずっとこの負傷と付き合う羽目になる。この日に限らず、特記無き日はだいたい毎日のように合気道に通っているのだが、あまりに特記されてなくて何も思い出せない。やっぱり復習メモは大事。
2025-11-27
銀座での用事を済ませる合間に強引に捩じ込んで、東劇で松竹ブロードウェイシネマ『インディセント』観る。渡米時期にブロードウェイ上演していた作品だが日本語字幕付き映像というかたちで観られてよかった。
2025-11-28
文学フリマが終わるまではほとんど家に籠もって仕事するか同人誌作るかだったので、年季が明けて文化活動が捗っている。この日の午後は夫婦二人でSOMPO美術館「モーリス・ユトリロ展」から「Nagi」でアフォガードをつついてのち東京国立博物館「運慶展」をハシゴ、私はその足で鍼灸接骨院へ行く。
仮住まいの近所には整体や美容鍼や巻爪治療や骨盤矯正みたいな謎サロンが異様に多いのだが、行くとガッカリすることのほうが多い。そしてスポーツ傷害でかかって保険が適用されるような柔道整復師がいる「骨接ぎ」のクリニックは案外少ない。かなり広範囲で検索かけて最も口コミの高い諸条件揃った鍼灸接骨院をようやく探し当てたら、案外と道場近くにあった。おそろしく若く見える院長がなかなかのゴッドハンドだったのでこの後も何度かお世話になることに。
2025-11-29
夫のオットー氏(仮名)がお気に入りの広尾「はしづめ」のランチに、私は初めて行く。私は広尾に来る用事があるとほぼ必ず自動的に「さ和長」に吸い込まれてしまうか、でなければ「太楼」「ふるはし」「福田屋」のどれかに引きずり込まれるので、今まで全然知らなかった。「太楼」は2020年に目黒に移転したんですね。美味しい担々麺だった。後日、朝日新聞の連載にも書いた。「nem」にハシゴして課題読書などやっつけて帰宅、夜は二村ヒトシさんの「代々木駅前の人生ご相談会」へ。客として行ったのだが、滞在中にゲスト出演もしてほしいと言われ、だったら金田淳子さんも呼んで『オトコのカラダはキモチいい』の同窓会企画みたいにしたらどうか、とトントン拍子に話がまとまる。
相席になったお客さんが休憩中に「えっ、もしかして、岡田育さんですか!? なんでこんなところに、『我は、おばさん』読みました!!」と熱く熱く語りかけてきてくださって嬉しかった。ニューヨークではまず絶対に起こらないことである(じつは実際には起こったことあるのだが、発生件数が違いすぎる)。猫町倶楽部の方だそうだ。拙著も読書会されたーいなー(書くだけタダの営業活動)。
2025-11-30
下北沢BONUSTRUCKで第7回「日記祭」が開催されており、滝口悠生 × 富田ララフネ × pha「日々の書き方——日記と小説の間」というトークイベントを現地客として観覧に行く。ついでに玉置標本さんや植本一子さんの出展ブース、日記屋月日などで買い物をして、下北沢B&Bに『そのかねを』『紙日記』を納品。ZINEを売ったゲンナマで頂戴した売上の茶封筒をその場でビリビリ破いて小銭を出してZINEを買う、という我ながら見事な循環型経済の体現を遂行した。本売ったカネが入ると本買うカネをケチらなくなる。これがしたくて同人活動してるとこある。あなたがたもしてみればきっとわかります。