【旅日記】「三度目のパリ」(1)

note定期購読『夜半の月極』のためのノートより転載。

旅日記の今後についてまったくアイディアが浮かばなかったので、しばらくは「三度目のパリ」というテーマで更新します。過去の写真整理がまるで追いついていないので、順次更新通知が飛びます。普段は自分用に書いているようなメモ。実在の人物団体等が頻繁に登場し、いちいち許諾も取りようがないので、有料課金コンテンツ化がふさわしいだろうと考えました。感想をお寄せいただけると大変励みになりますが、購読後も具体的なエピソードについては口外無用でお願いできればと思います。


三度目っていつのことだよ、と訝る方もいらっしゃるだろうが、今のことである。2018年11月24日の深夜1時半、私以外に誰もいないスノッブホテルのラウンジでこれを書いている。フロントでは夜勤担当の気のいい兄ちゃんがヨーグルトか何か食べ終えたようで、プラスチックにこすりつけられるスプーンの音が止んだ後、プラスチックがゴミ箱に当たる音がして、そして静かになった。ソファは柔らかく照明も明るすぎず暗すぎず、小さなホテルなので人の往き来も少ない。

米国ではサンクスギビング休暇の真っ最中だが、私は諸般の事情で今現在の勤め先であるデザイン事務所に、この旅程の詳細を伝えていない。実際にはもっと出立の遅い、短い休暇であるかのように申請を通しているので、もしボスの知り合いが読んでいてもチクらないでくださいね! 日付を伏せているのはそのためであるし、こちらでも仕事は山積みだ。


11月22日(木祝)、サンクスギビング当日にJFK空港からパリへ向かう。米国のサンクスギビングは日本でいう正月のようなもので、多くの店舗は休業し、誰もが家族で過ごすため、街はいつもと違ってまるで静か、ガラガラに空いている。でも空港への道はそれなりに渋滞していたし、チェックインカウンターも大賑わい。とはいえ、昨日までの国内帰省ラッシュに比べたらかわいいものだろう。

そもそもこの日の飛行機を取ったのも、サンクスギビング前後のチケットは高騰するからで、当日はガクンと値段が下がるからだった。日本の感覚でいうと一月一日を移動日に当てるようなもの。空港職員の配置も目に見えて少ないので、行列がなかなか捌かれないだけだ。フランス語を話す黒人の大家族、フランス語を話す白人の若い観光客、英語を話すDINKS歴数十年といった風情の老夫婦、子供みたいに見える中国人カップル、日本語で「あー! 寝室でナイトスタンド用に使ってた変圧器、最後の最後で持ってくるの忘れたー!」と嘆いている私と呆れ果てている夫、この行列こそが「アメリカに居ながら七面鳥の丸焼きを食べるような祝い方でサンクスギビングを過ごす人生とは無縁の」人間たちの大博覧会だ。多様性。

夫のオットー氏(仮名)は以前、衣服の下に「蒸気の温熱シート」を貼ったままセキュリティチェックを抜けようとして盛大に引っかかり、「熱反応が!!」「爆発物か!?」と大騒ぎを起こし、緊迫した空気のなか私にだけゲラゲラ大爆笑されたことがある。今日も今日とて貼っており、靴を脱ぐ手前で気づいて大慌てで剥がし、また私に笑われていた。萌える夫ですね。

ちなみに今回の旅の第一目的は、日仏友好160周年記念「ジャポニスム2018」参加作品である、マームとジプシー『書を捨てよ街へ出よう』を観ること。今年1月の日本帰国時、公演後の打ち上げで「今秋はみんなでパリ行こうぜ!」と固く誓い合ったのだが、いつもの観劇仲間はみな多忙を極めて一人減り二人減り、日本から行くのは『書捨て』に直接参加している穂村弘さんと名久井直子さんくらいらしい、としか聞いていなかった。

搭乗時刻までゲート前の飲食店でスローをつまみビールを飲みながら、日本から先にパリへ着いているらしき穂村さん御一行に連絡……してみたら、「初日観て、もう日本帰ってきてるよ!」と即答され、残念がられ、ポンヌフに佇む写真が送られてきて、また爆笑。連休前はバタバタして各方面へまったく連絡しておらず、東京時代の感覚で「ま、行ったら現地で会えるでしょ」と高を括っていたら、見事なすれ違い。といっても、先方の旅程を知っていたからって日程を合わせられたわけでもない。私も夫もだいたい10年ぶりのパリで、一緒に来るのは初めて。今回は名実ともに夫婦水入らずの旅程となりそう。


レッドアイ(深夜発早朝着)のデルタ航空便を買ったのだが、コードシェアの都合だか何だか、窓口も搭乗口も完全にエールフランス。そして、機体もエールフランス! つまり食事もエールフランス! やったね。例のめちゃくちゃかわいい機内安全ビデオを観ながら胸が弾む。

出発直後の夕食は、枝豆とトウモロコシの中東風サラダ、チキンのクリーム煮とバジルライス、グラニースミスのコンポート、ブラウニー。チキンはさておきクリーム部分と、あとブラウニーが案の定めちゃくちゃ美味くて、普段は残すのに完食してしまう。米国内で作られているとは思えない……普段あちこちで食べるアメリカのブラウニーもこのくらい頑張ってほしい。地上なんだから。到着直前の朝食にはヨーグルトとホットチョコレート。個包装のマフィン、これは非常食用にキープ。

各社とも空の上という条件は同じはずなのに、エールフランスの機内食だけどうしてあんなに美味しいのだろうか。こんなに違うなら他社もエールフランスに外注してほしいわけだが、やはり国を揚げての美食への飽くなきこだわり、絶対にコストカットしないぞという鉄の意思が他の追随を許さないのだろうか。サラダがむき出しのまま盛られていたり、残飯がまるごと豪快にゴミ箱へ捨てられていたりするのがコストカットなのだろうか。JALに「あれを見習って」と頼むのは酷なのか。いやJALも頑張ってるけど。

機内映画のセレクションは外国映画もずいぶん充実していて、カンヌ受賞作という項目があるのがフランスっぽい。見逃していたウェスアンダーソン監督の『犬ヶ島』を日本語吹替で観る。あの映画なら初見は日本語吹替でもいいだろう、と思っていたけど、この映画だからこそオリジナルでも観なくちゃいけないですね。あと画面が小さすぎてスピード感についていけないシーンが多かったので大画面で観たい。素晴らしかった。


11月23日(金祝)、すっかりきれいになったシャルルドゴール空港、ロゴがかわいい。つつがなく入国して定額タクシー50ユーロで、一つ目の宿へ。リヴドロワ(右岸)、マレ地区の外れにある「スノッブ・ホテル・パリ・バイ・エレガンシア」、今のところ大変快適。持ってくるのを忘れた変圧器も、フロントで滞在中ずっと借りられることになった。

これまた幸運な事情が重なって、午前中到着にもかかわらずすぐ部屋へ入れることになり、夜の予定のために夕方までたっぷり仮眠をとる。三度目ともなれば、宿で過ごす時間を惜しいとは思わない。あるいは加齢のせいか。学生時代、一度目のパリだったら、スーツケースを置くやいなや外へ飛び出していただろうな。あのとき泊まった小さなホテルの一つもマレ地区だったけれど、驚くべきことにもう15年の歳月が流れていて、宿屋のおじいちゃんはおそらくもう亡くなっているかと思う。