きみは、自分の年齢や国籍、Japaneseだってことだけは、はっきりと英語で即答できるのに、所属学部のEnvironmental Informationがどんな専攻分野であるかとか、将来目指す職業がEditorial Writerの類に属するということについては、全く十分な説明をしてくれないね。日本の英語教育では、年齢や国籍や住所の答え方ばかり教えるのだと聞いたが、それって、諸外国では全く通用しない、無意味なことなんだよ?……と言われた。
彼はイスラエル出身のヨーロッパ人とかで、東京に来てからつくったフランス人のガールフレンドを連れ、巻き舌のくせに鼻に抜ける何やら怪しげな訛りの英語で話した。彫金アクセサリーで店を開きたい、今は独立を前提にアメリカ人経営者の下で働いているのだと言った。親元を離れてからは年齢を数えていない。自分が何物であるかを紹介するときには、そんな順番で話をするのだ、と説教を垂れた。
人の出自を指すときに、果たしてイスラエル系という言葉があるのかどうかは知らない。実はイスラエルという言葉は好きじゃない。Judeaは日本語で何と言うのか、と訊ねてきた。そういえば子供の頃ずっと「Hey,Jude」をユダヤ人の唄だと思っていたよ、私。
しばらく日本における宗教観の話をした後で、私は誤解を招かぬように、「イスカリオテのユダ」という言葉が好きなんだ、と言ってみた。What?!……いや、違うんだ。日本では外来語や外国の人名地名は全て、子音と母音を交互に発音するカタカナというものに組み換える。McDonaldは、マ・ク・ド・ナ・ル・ドになる。この発音でいくと、私にはイ・ス・カ・リ・オ・テ、という言葉がとても美しいものに感じられる。後に続くユ・ダ、が二文字なのもいい。言葉の持つ意味を超えて、「ガリラヤ」や「ゴルゴダ」よりも「イスカリオテ」という響きが好きだ。
不謹慎だろうか。彼は怒らず真剣に私の主張を聞いてくれていたが、漢字を読めず、ひらがなとカタカナの区別もつかない男に、「イグドラシル」「インテグラル」「イスカリオテ」といった語が共通にもつあの心地良さは、全くわからないようだった。
しばらく噛みあわない会話を続けた後、急に彼は「ああ、それじゃあ、俺はアミタイツが好きだ」と言い出した。思わず傍らのガールフレンドの脚を見ると、ケミカルウォッシュのジーンズを穿いていた。
フランス語で、mon amieはmy friendの意味なんだ。ああ、知っていたか。amieとtightsという二つの言葉が重なっているのは、なんだかいいだろう。とってもsteadyな感じがするだろう。日本ではああいうsexyなものの名前にそんなsteadyな言葉が付いているんだって、面白いな、と思ったんだよ。
外国語を母語に置き換えて、別の連想をしてしまうのが面白い。きみが言うのは、そういうことだろう? 後日、別の知人に聞いてみると「そいつは実は在日歴がうんと長いんじゃないか」と一蹴された。一般的なネイティブの発想ではありえないのだそうだ。確かめようにも、はや5年以上、彼に会っていない。
彫金職人のイスラエル系ヨーロッパ人は、革命の闘士と遊び人の優男を同時に演じているような、もしゃもしゃの黒髭をたくわえていた。あの日から私にとっても「アミタイツ」はsteadyな感じの言葉、健康美とsexyをいったりきたりする、なんとも怪しげな響きを持っている。
2023-04-10 追記:この日付でどこかに小説として発表した記憶があるが、実態は1999年1月の実際に起きた出来事を書いただけの日記である。フランス人ガールフレンドが一番好きな映画は『攻殻機動隊』。