高橋徹也さんを好きになったきっかけを教えてください。また、彼のことを知らない人に彼の魅力を伝えるとき、どのように説明しますか?
私が高橋徹也さんの音楽と出会ったのは、表参道の河合楽器です。今ぐぐって調べてみて知りましたが、それはどうやら、高校二年の11月のことだったようです。
現在は「カワイ表参道」というグランドピアノなど扱う店となっていますが、昔はあの同じ場所が「カワイミュージックショップ青山」とかいうお店で、一階フロアでは楽器よりもCDをメインに扱うレコード店のような作りだったのですよ。ちょうどジャズやクラシックへの関心を高めていた時期で、よく行く渋谷の外資系レコードショップとは一味違う品揃えが面白く、原宿表参道界隈で買い物をしたついでに、たまに覗いていました。でもその日はたしか、スピッツの新譜が試聴機にかかっていないかと思って店に入ったのです。いま調べてみたら、時期からして同年10月下旬発売の『インディゴ地平線』ですね。渋谷のタワレコやHMVだと人気の試聴機はヘッドフォンの奪い合いも日常茶飯事でしたが、私以外にほとんど客がいないこの河合楽器でなら、ゆっくり試聴できるだろうと思いました。
店に入ると、たしかレジの右脇あたりに、白地を基調としたひときわ巨大なパネルが置かれた試聴コーナーがありました。ギターを構えた細身で背の高い男性、ジャケットスタイルで全身黒尽くめの写真を拡大コピーしたためほとんど影法師かシルエットのようになっているその姿が立体的なポップとして飾られていて、「なんだ、遠目に草野マサムネか田島貴男かと思ったけど、また渋谷系の新人が出てきたのか、まぁいいや、聴いてみるか」と試聴機に向かい、重たい通学カバンを床に置きました。店員の手描きPOPにはカラフルな字で「ポスト小沢健二!?」みたいなことが書かれており、小沢健二信者の私は、まず鼻で笑いました。ついで、積まれていた販促用のチラシの裏面を見てみると青木達之と川上つよしの推薦文が載っていて、スカパラ信者の私は、へえ、と唸って鼻で笑うのをやめました。再生ボタンを押すと、ちょうど発売されたばかりだという、その新人のデビューアルバムの一曲目が流れてきました。
それが高橋徹也『ポピュラー・ミュージック・アルバム』の一曲目「My Favorite Girl」です。そして私は他に客のいない昼下がりの河合楽器で、気づけばこのCDを全曲試聴していました。
ところが、財布を開いてみると手持ちの現金がまったくないことが判明し、結局その日は、チラシを三枚もらっただけで帰ります。資料用、保存用、ゆくゆくアルバムを買ってから人に勧めるときに一緒に渡す宣伝用、の三枚です。私はこの人を絶対に好きになるだろう、今現在好きな他のミュージシャンたちと同じように何十年もその活動を応援し続けるだろう。そうして、後からファンになった大勢の人たちに、「デビュー当時に試聴機で聴いて即惚れた」ことを、ずっとずっと誇らしげに自慢し続けるだろう。そんなふうに思いながら、小遣いを貯めるか蔵書を古本屋へ売り払うかして、後日、別の店でやっと買い、さんざん聴き、人に貸しまくり、反応が今一つで落胆し、それでもめげずに、たった一人で、彼のことを好きでいたのでした。
……ええはい、ファンの皆さん、そろそろツッコミ時ですよ、そう、……あの、1st『ポピュラー・ミュージック・アルバム』を、なんですよ!笑。最初は私、完全に「ポスト小沢健二」として高橋徹也を好きになっていたの!笑。そうなんです……そこから、彼がそんじょそこらのシンガーソングライターではなく、本物の天才であるということに気づくには、翌1997年に発売されるマキシシングル『新しい世界』まで、待たねばなりません。
とにかく金欠だったため、続くマキシシングル『真夜中のドライブイン』『チャイナ・カフェ』は、中古屋で新品を安く入手したように思います。それで、そのまた次の新譜『新しい世界』を初めて聴いたのは、今度はタワレコ渋谷店の二階の試聴機でした。今にして思うと恐ろしい話ですが、私、その頃まで「チャイナ・カフェ」のことをネタ曲だと思ってたんですね。ああいう実験的な通好みの曲を発表して芸風の幅広さを見せた後、また「My Favorite Girl」路線に戻るのだろうと思って、あんまり聴き込んでいなかった。そこに彼が「怒りを込めて」いるのだと気づけなかった。だから、「新しい世界」がどうしてこんなに不可解な、大長編ともいえる曲になったのかが全然わからなくて、その場で三回くらい試聴して買って帰ってずーっと聴いていたと思います。そうして「ああ、この人、もう1stアルバムの路線には、二度と戻らないんだ」とやっと気づき、「ちょっと他にいない感じの才能だな……」と絶句しました。
それでもやっぱり、私が高橋徹也を最初に好きになったきっかけは、表参道の河合楽器で最初に聴いたデビューアルバムの、「CALL ME」における「やっと出会えたお昼ごはん味わいもせず文句ばっかり/そんな君を眺めてると不思議と気分が晴れるんだ」というフレーズと、「真夜中のドライブイン」における「泳ぎ疲れたら、君はそれまでさ」というフレーズです。彼の才能は、あの頃から今と変わらずに光っていたんです。だから、誰が何と言おうと私は『ポピュラー・ミュージック・アルバム』「も」大好き。そのことを、ずっとずっと、こそばゆい気持ちで自慢し続けるよ、何十年経っても。
ここまで読んできた、彼のことを知らない人たちにおかれましては、さて彼のことを魅力的だと感じていただけたでしょうか? ちょっと自信がないですね……。でも、「彼の魅力を伝えるとき、どのように説明しますか?」なんて質問されても、私だって困ってしまいます。たとえば、DJとして活躍する高橋徹也ファンの友人たちは、どんなクラブイベントでもほとんど必ず「新しい世界」「Blue Song」他の曲を爆音でかけて「聴け!!」っつってお客たちに布教して、洗脳しています。また私も同じように、夏の終わりは毎年必ず「SUMMER SOFT SOUL」やなんかをTwitterに貼って「聴け!!」とやっています。それ以外何かできることがあるんでしょうか。彼の音楽を使わずに、他者の言葉だけで、彼の魅力を伝える、だなんて……。いや、しかし、ここでYouTubeにあがってる「新しい世界」やその他の音源のURLを貼り付けるのは、なんだか負けた気がするので、しませんよ。
彼の音楽を奏でられるのは彼しかいない。それがどんなにすごいことか、あなたがたに、どうすればわかっていただけるのでしょう。これはきっと、すべてのシンガーソングライターにとって本来は当たり前のことであるはずなのに、この世の中には誰にでも歌える曲ばかり歌うシンガーのなんと多いことか。高橋徹也の作品において、いろいろなものに旋律そっくりの曲があるとか、詞のモチーフがなんとなくいつも似てるとか、そんなことは全然どうだっていいのですよ。いや、どうでもよくない。つまり彼は、私小説を音楽に載せて世に放っているようなもので、モチーフなんて繰り返し繰り返しすりきれるまで使われるほうが自然……いっそ、そのことが浮かび上がらせる純粋性があるのだと……。そんなふうに考えています。初版数千部で増刷のかからない純文学作品とまったく同じことで、彼の創るものが世の中すべての人に突き刺さることはないのかもしれません。しかし、そうした世間一般の流れとはまったく関係無いところで、私は彼の音楽を愛しています。「ま、聴きたい人だけ聴けばいいよ、私は世間の評価が低すぎると思うけどね」。私が彼の魅力について何か説明できるとしたら、ただ、それだけです。
「言葉を持たないのはすべての力、力を持たないのはすべての言葉」、だけど僕だってたまには長文な気分になる、君だって本当はそんな僕を見たいと望んでるんだろーう、ヘイ、ヘイ! というわけで、ムードに流されてまた長くなってしまいました。学生時代は「関東圏でやるライブは全部観に行く」と豪語してたんですが、最近なかなか予定が合わず、禁断症状がひどいです。新譜を! あれだけ新曲あるんだから、早く新譜をお願いします!