ザ・インタビューズ転載日記(無報酬)

無報酬でも今の仕事を続けますか。



■無報酬でも今の仕事をやりますか?(If you wouldn’t do your job for FREE, then QUIT.)
http://www.lifehacker.jp/2011/09/110910quitpost.html

おそらくは、上記エントリーからの連想か何かでのご質問だと思います。こういうの、面白いですね。ここ(http://twitter.com/#!/okadaic/status/116160300746682368)にも書いたんですけれど、これって昨日今日のホッテントリ(ネットで話題の記事)で、「時事ネタ」をインタビューされているわけで、おそらくマルチポストで他の方にも質問しているのはアンケート調査っぽいし、自分がまったく関心のない記事に対してブコメ(ブックマークコメント)を付けてみろと言われたような気分もあります。いずれにせよ、ちょっと、取り組む姿勢が変わりますよね。他の質問は寝かせてあるけどこれは今日中に答えなきゃ、と思ったりとか。(※とはいえ、追い立てられるの嫌いなので、こういう質問ばかり来るのは嫌だなとも思います。あんまり頻繁には送ってこないでください。)

本題です。元記事は非常に示唆に富んだ、とてもいい記事だと思います。賛同します。とくに、記事中の「あなたが12歳のときに何をするのが好きだったかを探ること」というのには、ハッとさせられました。こういう考え方は私の中にもあって、でも、なんとなく14〜15歳くらいの思い出を探ればいいのかなともやもやイメージしていたのですが、「12歳」と言われると、かなり意識が変わりますね。うん、たしかに、12歳だ。いい記事を読みました。

おや、また回答する前に本題からズレました。この「質問」に対する私の回答は、しかしながら、「NO」です。はっきりと「NO」です。狭量な考えかもしれませんが、「無報酬」では「仕事(job)」にはならない、と思うからです。

たとえば私が突然、莫大な資産を手に入れて、お金を稼ぐことよりも何かに使うことを考えて生きなければならなくなったとして、アパートの家賃を払うための仕事をする必要がなくなり、その状態でも今と同じところに勤めたり、あるいはフリーランスになったりして、この好きな仕事を続けて、でも、莫大な資産があるからといってその対価をいっさい受け取らなかったら、……夢のような話ですが、おそらく、そうなった私は、今と同じ肩書を名乗れないと思います。いくら名乗る自由があったとしても、心情的に、名乗れないと思います。

子供の頃からさんざんボランティア活動をして(+させられて)きましたから、「無報酬で働く」ことがいかに尊いか、そして、いかにキモチイイか、その意味は十分わかっているつもりです。ほぼ無報酬に近いかたちで今の私と同じ仕事をしている人というのも幾例か思い浮かびますし、彼らを否定するつもりはありません。でもやっぱり、私は「今の仕事」を「仕事」としてやっているので、そうした根底をくつがえす質問には「NO」と答えざるをえません。これからの将来、異動や転職や失業で、私の仕事自体が別のものに変わることはあるかもしれません。ただ、これから先、無報酬で、あるいは自分のほうがお金を払って何かしたことを、自分の「仕事(job)」だと呼ぶことはないと思います。ねじれた回答で恐縮ですが、だから「NO」です。

ちなみに、同じ仕事を一緒にしている人たちから「俺たち、金のために働いてるんじゃないだろう!?」と訊かれることはあります。それは、本当にそう思います。そう、誤解なきよう、この質問への答えは、「YES」なのです、私も。でも一方で「無報酬でも今の仕事を続けるよな!?」と言われたら、その質問への答えは「NO」ですし、もし万が一、同じ職場にいる偉い人などからこんなふうに言われたら、即「出版労連 連絡先」とかでぐぐります、嫌です(昔、今はない某社でのアルバイト代が未払いになりかけて実際に相談に行きまして、「もう二度とここのご厄介にはなりたくない」と思ったものです)。

そんな話を訊いているのじゃないって? いや、報酬は大事ですよ。もし無報酬だったら、どんなに好きな仕事でも、確実に、ひどく手を抜くだろうし、私。12歳のときに一番好きだったことが何かはあらためて悩むとしても、12歳のときの自分だって、報酬あったほうがちゃんと仕事したと思う、それだけは確かです。そういう……プロフェッショナル意識養成ギプスと言いますか、孫悟空の頭の輪っか(緊箍)みたいな機能もあると思います。つまり、それがなくなると仕事を「続けられない」というのが、正確なところかもしれません。要するにダメ人間です。