ザ・インタビューズ転載日記(自信)

自分に自信が持てない時、どうしますか?



たとえば一つ下の質問みたいな問いかけに、わざと長々と偉そうな上から目線の回答を書いたりして、今の立ち位置から見えるあらゆるものごとに対して「うん、だから、最低でも、与えられた分は、返そう」と思ったりします。そのことでふたたび自信が持てるわけではありませんが、いちいち自信を持てずにいる場合じゃないなと思って、少なくとも前へは進めます。それが、自分のことを棚に上げて何か偉そうなことを言いきることの、唯一の効能ではないでしょうか。ものすごい傍迷惑ですけど。

私は「自分に自信がない」のが常態化しているので、逆にあまり落ち込まないし、どうこうしようと焦ることが少ないのかもしれません。たとえば、これはあちこちで話している実体験なんですが、私とある別のうんとかわいい女の子とが二人で並んで立っていると、向こうから近づいて来た用事のある男性がことごとく、私ではなくもう一人の女の子のほうにばかり話しかける、たとえ私が彼らに向かって積極的に何かを話しかけても、彼らは私ではなく彼女の目を見ながらその返事をする……といったことが、よくあります。でも「まぁ世の中そんなもんだろうな、私が男でもそうなるわなぁー」と思いこそすれ、そうして、根に持ってあちこちでネタとして話しこそすれ、そのことでいきなり、男子に話しかけられにくい自分に自信が持てなくなるということは、あんまりないです。

要するに、もともと失くすほどの自信がないのです。そうして、何かで著しく失った自信をその場で早急に取り戻さなければならないとか、別の種目の競争で勝つなどして損失を補填しなくてはとか、そういう気持ちも、わりと希薄なのです。どうしてなんでしょうね。思春期に「踊るダメ人間」とか聴きすぎたせいでしょうか。歌詞は「鉄道少年の憩」のほうが好きなんだけど。

ちなみに、自分が嫌いになったときは、脳のスイッチを完全にオフにしてぐっすり寝るか、または献血へ行きます。なぜ献血へ行くのかは、Twitterの過去ログなどを読んでいただけるとわかると思います。このあたり(http://twitter.com/#!/okadaic/status/5291847672)かな、2007年頃にもっともっと長文の熱烈なpostもしたのだけど、さすがに古すぎてすぐには出てきませんね。持病などの理由や事情でできない人もいらっしゃるでしょうが、できる人は是非すればいいと思います、リストカット感覚で献血。だって自傷行為なんてただ自分が痛いだけじゃないですか……! 流れる血のあたたかさだけがアタシに生の実感をくれるの、とおっしゃるメンヘラさんがいますけど、献血ルームへ行けば、流れる血が生の実感を得るついでに歌舞伎揚やブルーシールアイスクリームもくれますし、漫画も読み放題ですよ。自分の肉体の組織が日々新しく勝手に生まれ変わっていて一度にごっそり抜かれてもへっちゃらで再生されていくことを思い知らされ、情緒不安定で号泣した後に喉渇いて水飲んでるときのような脱力をおぼえつつ、「俺がどんなに役立たずでもフレッシュな血液だけは他人様の役に立つ、くだらない命でも生きているだけで意味があるんだなぁ、人体だもの(みつを)」と思え、ただ横になって寝てるだけで看護師さんたちからいちいち大切に優しく扱われて、たとえ事前検査ではじかれたとしても「来てくれただけでありがとう」などと言われ、いっそ恐縮するくらい己の生命活動を維持することに社会的な自信が持てます。AB型の人なんかとくに呼び込みの看板を見ただけで毎日「いま私の存在が必要とされている……!」と悦に入れますので、軽度の自信喪失など待ち時間にジュースのお代わり汲んでる間に吹っ飛んでしまうと思います。