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文筆家・岡田育の近況と日記。

2018-09-24 / 三階から名月

「いや、これもうフルムーンでしょ?」「え、端っこぼやけてるから、まだじゃね?」と話している西洋人の女の子たちとすれ違ったのが二日ほど前。今日は中秋の名月、今のところ晴れ、夜にはどうだかまだ不明。中国人は月餅食べるのかな、私はおだんご食べたいね、見渡す限りススキらしいものはどこにもないニューヨーク。東京医科大の女子受験生差別発覚からこちら、捕鯨問題絡みやら、USオープン絡みやら何やら、日本語圏から届くさまざまなニュースを眺めては気が滅入り、アウトプットよりはインプットの時期というのを口実に、家に引き籠もってぐんにゃり過ごすことが増えてしまった。今は『新潮45』の、というか杉田水脈議員のLGBT差別寄稿問題が噴き上がっていて、これまた中てられる。ひとつひとつ清算していくしかない。土曜日は、フェミニズムをテーマに活動しているというアートプロジェクト「FEM FACTORY」のポップアップへお邪魔して、ネイルアーティストに爪を銀色に塗ってもらう。小さな宇宙服を身に纏った気分。ちょうど一週間前、SpaceXの世界初民間月観光旅行が前澤友作氏と契約したというニュースもあったな。これは少しだけ明るく照らされる話題。ま、そんなことはTwitterで書いていればよい。

暑すぎる夏、我が家のリビングは二面窓でブラインドがまったくの役立たず、セントラルヒーティングのオマケみたいな冷房もバカになってしまって温風を吐き出すばかり。室内の体感気温が40度近くまで跳ね上がって、朝夕の時間帯は積極的に外へ出て頭を冷やしたりしていた。遮光カーテンとりつければよいのだろうが、日本でもあんなに高価だったもの、これだけの面積買って設置する勇気がない。同じアパートメントのどの部屋もそんな特別なことはしておらず、みんなどうやってしのいでいるのだろうと不思議でならない。夫婦揃って在宅仕事という我々のほうが珍しいのかもしれない。

とか言ってるうちに、最後の真夏日の後で幾度か冷たい雨が降り、キャミソールに短パンにビーチサンダルで出歩いていた女の子たちがいっせいにヘソ出しTシャツとジーンズとスニーカーに切り替え、痩せた老人から順番にダウンベストを着始めて(さすがに気が早い)、オシャレな人だけが秋色の服を着ている、という、いつものあの季節が到来した。毎年同じことを言っているけれど、半袖にブーツを履く服装がちょうどよく、どこまで散歩してもまったく汗をかかなくなり、といってウィンドブレーカーより厚いコートは着なくてもよい、このくらいの気候がとても過ごしやすい。ずーっとこんな天気ならいいのに、と思うけど、ほんの二週間くらいで終わってしまい、そこから先は「念のため防寒のコートを持っていく」という急変しやすい気候の始まり、後はひたすら寒さとの戦いだ。

英語圏の仕事はほとんどせずに、日本語漬けの毎日を送っている。久しぶりに真面目に文芸誌など読んだり。世界のベストセラーを母語で読めるのがどれだけ貴重で稀少で、そして「当たり前ではない」ことか、について考え続けている。1999年にノストラダムスの予言が的中して地球人類は滅びると信じている子供だった。ここ十年は、きっと日本語は、日本語を軸とした文化は亡びるのだろう、という予感が確信に変わる時間であった。小さなパイをさらに細かく細かく区分けして、友と敵とに分かたれて、最後にはもうどっちがどんな味だかわからないし、誰も手を伸ばして食べたがらない。ではなぜ日本語で書いているのか。「日本語で書いている状態」と「英語で発信することをサボッている状態」との違いは何なのか。そんなふうに、ぐんにゃり過ごしている。岡本綺堂は二階から、私は温室のように熱の籠もる三階から、分厚いガラスで英語の世界と隔たって、本当に、どうして日本語で日記なんか書いているんだろうね。最近はすっかり諦めてしまい、君の書いているものは何なんだ、と問われたら「平安時代に清少納言という人がいて〜、」から説明するようになった。千年紀で殴る。