okadaic: 中学のとき演劇部にスカウトされた。「いま低学年で男役を張れる子が足りず困っている、文芸部と掛け持ちでいいから」。でも演劇部は上下関係も学年内抗争も激しいことで知られ、人気男役の先輩に声かけられただけでも同学年の部員から何されるかわかったものではなく、怖くて辞退した。 [http://twitter.com/okadaic/statuses/788225804]
okadaic: (承前)でも、辞退した理由は他にもある。当時私は、声をかけてくれた男役先輩Aではなく、委員会で一緒だった別の男役先輩Bのことが好きで、「憧れのBさんに部活でシゴかれるなんて耐えられない」と思ったのだ。演劇部公演自体はBさん目当てに通いつめており、だからスカウトされたんだけど。 [http://twitter.com/okadaic/statuses/788227061]
okadaic: (承前)「いつも公演見に来てくれるじゃん!演劇に興味ないわけじゃないんでしょ?」「いや、あの……その……(タキシードと司祭服が似合いすぎるB先輩の雄姿が見たくて、なんて言えねえ)(つうか廊下で2人きりで話してるとA先輩ファンの嫉妬光線で背中が焼けそうです)」 [http://twitter.com/okadaic/statuses/788228612]
okadaic: (承前)話を聞きつけた文芸部の先輩Cが「よし岡田、今からワシと宝塚歌劇団を目指そう! 陰から逐一プロデュースしてやる代わりに御贔屓筋から贈られる高級外車や不動産は山分けだぞ」と言うので、やっぱりこの光画部みたいな文芸部が最高だなと思った。ワシッ娘のC先輩は元気かなー。 [http://twitter.com/okadaic/statuses/788231186]
okadaic: 女子校の百合話。私の事例が標準的かどうかは知らんが、とても面白い心理なのでみんなに話したい。中学一年生の私は先に挙げたB先輩のことが本当に純粋に好きだった。恋していたと思う。男性芸能人(小室哲哉など)への気持ちを「擬似恋愛」と呼ぶなら、それとまったく同じものだ。 [http://twitter.com/okadaic/statuses/788235441]
okadaic: (承前)男の恋人のどこに惚れたかなんて、いざ挙げようとすると全然思い当たらないが、中学生のとき女性であるB先輩のどこに惚れていたかは、今でもすらすら語ることができる。まぁそのわかりやすさが「擬似」であって本物の恋愛でないことの何よりの証拠だけどね。 [http://twitter.com/okadaic/statuses/788236330]
okadaic: (承前)B先輩は図抜けて背が高く、色白で、黒髪をなびかせながら無駄のない動きでノシノシ歩く。今思えば演劇人の重心だ。私がいた委員会の長を務めており、まるく組んだ机の中心に彼女が座ると大変な迫力と安心感があった。女性相手に大変失礼だが、今思えばジョン・クリーズに似ている(笑)。 [http://twitter.com/okadaic/statuses/788238585]
okadaic: (承前)冷静に考えれば私とB先輩は<同じ制服を着たそう年齢の違わない10代の女子同士>なのだが、私は、性別も年齢も超越した「一個の人間」として彼女に見惚れた。これこそが<女子だけの集団>に独特の感覚だと思う。巷の百合モノはこの辺りを性に直結させて描くので少々違和感がある。 [http://twitter.com/okadaic/statuses/788240705]
okadaic: (承前)「女子校に擬似百合が蔓延る」ことは、単性集団に生じる歪な一体感、音のしないヒステリーのようなものだ。でも、少なくとも私の体験上は「刑務所でカマ掘られる」といった現象とは全然違う。同じ<異性の代替物>だけど<恋心の捌け口>であって<性の捌け口>ではない、というのかな。 [http://twitter.com/okadaic/statuses/788242259]
okadaic: (承前)女子校だったわが母校で「第二ボタン」にあたるものが、学年色の靴紐と、最上級生が運動会で使う紙製の花だった。普段は遠くから見ているだけの先輩に意を決して話しかけ、使い終えた靴紐と花を譲ってもらうことが「告白」の代わり。擬似恋愛の絶頂にして終焉だ。 [http://twitter.com/okadaic/statuses/788244639]
okadaic: (承前)靴紐(≒第二ボタン)は「それ以上望まない」ことの証でもあったと思う。後輩とてそこから同性愛的関係を要求するわけではない。あくまで学園生活の中でのみ、憧れる私/憧れられる貴女、を承認してもらう儀式。卒業する先輩は「私のでいいの?もらってくれてありがとね」と微笑むのが礼儀。 [http://twitter.com/okadaic/statuses/788246059]
okadaic: (承前)で、私は委員会でも数回しか話したことのないB先輩の靴紐(≒第二ボタン)を、顔を真っ赤にしながら譲っていただき、御礼の手紙を書いた。「いつも遠くからお姿を拝見し、貴女のようになりたいと憧れていた。卒業で離れ離れになっても、貴女に恥じない人間でありたい」というラブレターだ。 [http://twitter.com/okadaic/statuses/788247597]
okadaic: (承前)靴紐の御礼は、手紙とともにアクセサリーを渡した。これが面白い!つまり私は<性を超えて>B先輩に憧れたが、<告白>の儀式を終えた後は<同じ女性>と見なし、擬似恋愛に幕を下ろしたのだ。「大学で素敵な彼氏ができてデートのとき身につけても遜色ないもの」を選んだのを憶えている。 [http://twitter.com/okadaic/statuses/788249547]
okadaic: (承前)憧れの先輩の卒業とほぼ同時期に、今度は私が、顔を真っ赤にした後輩から「靴紐(≒第二ボタン)をください」と言われるようになった。歴史は繰り返す。私もまたチョコをもらい、ラブレターに「ありがとね」と返事を書き、「彼女たちに幻滅されるような先輩にはなるまい」と身を引き締めた。 [http://twitter.com/okadaic/statuses/788250833]
okadaic: (承前)まぁ結論として、当時の私(たち)の異様な気持ちの昂ぶりは、どう考えても「レズ」でも「百合」でもない。少なくとも私は、ジョン・クリーズ似のB先輩に、性的なものはまったく感じていなかった。単なる<私淑>である。でもその気持ちを<恋愛の手順>を模して告白するところが、ミソ。 [http://twitter.com/okadaic/statuses/788252714]
okadaic: (承前)思春期始まったばかりの女子にとって一番やってみたいことはガチの恋愛でも本番のセックスでもなく<恋愛の手順を踏む>ことなのですよ!! 恋文とか第二ボタンとか隠し撮り写真とか、恋の歌に歌われるあれらのギミックが欲しいだけ。自分が得て満足したら、今度は次世代に提供してあげる。 [http://twitter.com/okadaic/statuses/788254459]
okadaic: (承前)女子校時代の擬似百合体験は、まぁざっとこんな感じ。ちなみに「ジョン・クリーズ似」は、あくまで「背が高く色白」で「性を超えた存在に見えた」ことを示す誇張表現ですよ(笑)。実際のB先輩は16~17歳の女子高生。たぶん客観的に見れば天海祐希みたいな雰囲気だったはず。 [http://twitter.com/okadaic/statuses/788257830]
okadaic: ここらで筆を置き、timelineをさかのぼって現役10代男子どもが盛り上がる様子を肴にニヨニヨしたい。抱きついた感触は女より男のほうがいい、とな!? おねーさんに早く続きを。 http://twitter.com/tnzk/statuses/788256398 [http://twitter.com/okadaic/statuses/788259551]
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本人降臨!本人降臨! (←自分で言ってみたかった)
何度読んでも女性相手に「クリーズ似」はひどい。もっと似てるのはk.d.langです。
もっと冷静になって読み返すと、
母校名は即バレ、公演内容から年代も特定可能、
どの先輩のことをクリーズ似と言った私が誰なのか、まで
簡単に突き止められる内容に、今更ながら青ざめた。軽率だった。
ご本人には秘密にしておいてね、先輩諸姉。
誰のことかわかっても内緒にしておいてね、同窓生諸姉。
【とても大事な追記☆2009/01】
いまだにこの「櫻の園」を辿って此処へ来る人が多いようなのだが
何度見返しても「ジョン・クリーズ似」はあまりにもひどい比喩だと思う。
ので、当時、件の先輩にそっくり! と一目惚れした人物の動画を貼っとく。
k.d.lang姐さん。
自分が男役だった頃は服装とかよく真似していたよなぁ。男物のシャツとか着て。
ま、この動画のイメージで読み返してみてくださいね。うん。
あと、盛り上がってるところ大変申し訳ないのですが
私はかつて『櫻の園』を女子校の同級生に超薦められて借りてみて
読んでみたけど全然ピンと来ず、その理由を分析するのも面倒で
ずっと自分の中で「読まなかったこと」にしていました。
いや、じつは『BANANA FISH』も読めなかったんですよなー……。
超リアル!とか褒められても、こちとら先に『PALM』シリーズ読んでるし
そもそも萩尾望都信者なので海外舞台作品にリアリティとか求めてない。
たまに男性で「僕は『BANANA FISH』好きだから、やおいにも理解あるYO!」
と豪語している人などを見るたびに鼻白んで、読み返す気が起きない。
(そういう奴に限って「リボーンと銀魂は少年漫画じゃない」とか言うよね・笑)
というわけで私の『櫻の園』へ抱いてる感想は、
多分ここの考察に近いように思う。(何せ内容をよく憶えてないので)
▼吉田秋生への違和感
http://d.hatena.ne.jp/akio71/20061215#1166159381
「男性読者にうまく媚びて受けてる少女漫画がイヤ!」と発語するとき
そうやって誰より一番、読者の性差を意識しちゃうのは、漫画読みの性だなと思う。
媚びてても何でも面白ければいいよ、てなかなか言えないのよね。
24年組以降の少女漫画の歴史によってジェンダー学んできた漫画読みは。
とほほほ