自分の服装や髪形について、こだわりはあるが、関心はまったくないので、周囲の人々に「とても似合うよ」「こういう場ではこういう格好がいいよ」と言われたら、ヴァカの一つ覚えのようにそればかり着続ける。みだりに服を褒めると次回もその服を着て会いにくるので、褒めないほうがいいかもね。
女子校時代は男役だったので、1年365日パンツルックだった。友達たちから「女装キモイ」「制服以外のスカート穿くの禁止」と言われており、それを忠実に守った。高校卒業して10年経つ現在でも、口にこそ出さないが、スカートを穿いた日は鏡の前で「うわぁ、わたし女の子みたい!」と思うことがたまにある。
うちの伯父などははっきりと「ぼくと会うときはスカートを穿くように」と言うので、なるべくご希望に沿っている。仕事相手にも「今日は例のワンピース着てこい」と指示されると、超らくちん。世の男性が皆こうだったら便利でいいのに……。持ち合わせがない服を指定する場合は全部買い揃えてくれるとなお良いのに。(とってもタイムリーな話題、@anisopter のこんな発見を再発見した。いっくいくにしてやんよ。プロデューサー随時募集中です。)
女の子の服装は、半分くらいは自分で自分を愛でるためだけれど、残りの半分近くは、誰かに愛でてもらうためのものだ。残念ながら絶版となっている、女優・中村メイコの自伝的傑作小品集『ママ横をむいてて』に、おじさまとデートする日は、おじさまの望む姿で会いに行く、それで一日上機嫌でいてくださるのならメイコ努力は惜しまないわ、という文があって、超かわいい。はせべ社長も「網タイツごときで喜んでくれるなら履いてやんよ!」って書いてたな。たいへん共感する。
私の大好きな<おじさま×しょうじょ>カップリング文学としても、半自伝かつ半フィクション、半小説かつ半エッセイという独特の形態をみても、この中村メイコ『ママ横をむいてて』は本当に素晴らしい作品である。女友達の父親(実の娘に「若返りたいから誰か若い女の子紹介しろ」と言う。すげえ!)に連れ回される話とか最高だ。清い仲だけど恋人のようでもあり、でもやっぱり友達のお父様だから突然「失恋気分で」プイッと帰っちゃうメイコ。かわゆすぎ。ちょっと朗読するからまぁ聴け。
「人生に退屈はツキモノらしい。その人生の退屈を、きわめて盛大に味わっているのが四十代のオジサマ族である。そして、退屈などというモノを感じているひまもないほど忙がしいのが、ワレワレ十代のオ嬢サン族である。」
そんな自分たちはオジサマのための「退屈しのぎガール」だと宣言するメイコ。
「オジサマ、また来ちゃった。」
私は小さな窓の下で明るくさけんでみた。
「今日はきっとキミが来てくれると思ってた……。」
小説屋のオジサマはれいによってタバコくさい顔をニュウッとつき出した。私は、今日は黒ずくめの洋服で頭にだけ真白のベレーをのっけている。髪は男の子のようにみじかい。そして真紅なリンゴを一つ手に持っている。このおもしろい恰好は、きっとこの小説屋さんのオジサマをよろこばすだろうと、すこしシュールにこしらえてみたのだ……そして半分は自分のオシャレである。
「若いひとが黒を着るのはいいもんだね、しかし、その真白いベレーは、僕には少しまぶしすぎる……よごれたオトナの目には痛いんだ。」
はたしてオジサマはそんなキザな言葉を私にあびせる。私のよそおいがお気に召したらしいのだ。
「コレ、ふたりでたべましょう。」私も、オジサマの調子にあわせて、いきなりそんなふうにリンゴをつき出して、すこしらんぼうに足をなげ出して坐ってみた。
(あまりにもメイコに萌えすぎてこれ以上は朗読できない。)
その後、小説屋のオジサマが自分に本気を出し始めた様子に気づいたメイコは、「ドキン」として、自分も好きだなぁと気づき、「シマッタ!」と思って「そして私は、もうそろそろ、このオジサマとしばしば逢うのをよそうと思った。」……なんという!! 間髪入れずに今度は「毒消し屋さん」こと製薬会社社長とデート。オフィスガール風のタイトスカートで、忙しい雰囲気を醸し出しながら、株の話(昨晩あわてて新聞見て一夜漬けした)などふって、「オジサマ、すこし都会病なんじゃないかな。」と野菜をたくさん食べるよう薦める。なんという……!!
そして最終話、せっかくのクリスマスの夜に、1人きり同士で、あるオジサマと再会する。
(ヤイお嬢さん、あなたは、なんだってあんな真似をしたの? あれじゃあまるで、オカベのオジサマにとって、あなたは、男友だちだわ。一度だって女性らしくふるまったことがあって?)
齢19の彼女は自分がティーンエイジャーでなくなることを知り、「魅力のあるお嬢さん」になるためにオジサマたちの「いいお友だち」でいることをやめる。洗面所でのモノローグの後、いつものようにおじさまにからかわれて「いじわる!」と横を向いた後に、大人の顔で「メリー・クリスマス」と交わす挨拶によって、物語が終わる。ああ、なんという、日本おじさま×(し)ょうじょ文学の金字塔!!
この本は、帯文がまた萌える。
「みずみずしい娘心があふれていて、読後に素直な美しさが残った。」(川端康成)
「メイコ恐るべし、これはメイコに対する私の結論だ。」(徳川夢声)
「はたちの才女、困った存在。憎っくき奴。」(三木鶏郎)
おまいらメロメロすぎだろ! 身悶える。文壇も芸能界も経済界も巻き込んでオジサマを篭絡しまくるメイコに身悶える。ちなみに口絵写真は、眼鏡ッ子@書斎。もうね、華恵ちゃんなどより軽く半世紀くらい早いですから、この少女文豪は!
19歳というのはメイコが神津さんと初めて会った時期でもある。と考えれば、ノンフィクションとしても楽しめる。さすが人生が劇場の天才少女女優。神津さんがプロポーズした理由は「当時は娯楽がなかったもので」。ちなみにプロポーズの台詞は以下。
「もう2、3年たったら結婚しませんか、ぼくと。女の人の19歳から24歳までというのは一番心の移り変わり易い時期である。その時期にぼくが現場を離れるということはできにくいので、留学費用にあてている貯金を全部あなたとのデートに使い果たそうと思うのだが、どうか」
最後の最後に神津さんという旦那様あってのメイコ文学だと思う。これは長谷部千彩『有閑マドモワゼル』が結婚とともに幕を下ろすのとまったく同じなんだよね。2冊とも私の聖書です。出版社に勤めている間に『ママ横』を復刊させるというのが野望のひとつである。真顔で。