鴨沢祐仁氏の訃報、ネットに生き続けるクシー君

 (twitter転載)

 深夜、『クシー君』シリーズの作者・鴨沢祐仁氏の訃報に起こされる。18日に自宅で発見、死因は心臓発作。享年56。本人ブログで鬱病患者だったことを初めて知る。お会いしてみたかったな。ご冥福をお祈りします。

良き誤解は誤解のままに放っておくのがいいのだろうか?

「クシー君」やらのサイドも鴨沢祐仁なのだろうが、日記につづられたような鴨沢祐仁もいたのだ。

(略)日記を読み込めば、その死に驚くことはなにもない。おそらく考えられる限り最悪の生活がここに記されているのだから。アル中、失業、鬱病、自己破産、生活保護。理念上、日本国民にはこの下はない筈だ。事実上どうであるかは置いておく。いや寧ろあってはならない筈だ。鴨沢祐仁はそこから這い出ようといろいろしようとしていたのだと思う。しかし・・という結果の死だと受け止めている。吾妻ひでおは生還した。鴨沢祐仁はできなかった。

http://d.hatena.ne.jp/YADA/20080120

「家の中での転倒事故が死因だったようで死亡推定日は12日ということです。諸事情により葬儀は執り行われませんが、24日荼毘に伏されることとなりました」http://www.seirinkogeisha.com/editor/index.html

「アル中で知られる鴨沢先生だけに、やはり酒を飲んでいての事故でしょうか…中島らもと同じく、らしい最期といえば最期なのかもしれませんが、とても残念です。」http://www5e.biglobe.ne.jp/~rolling/

 鴨沢さんのブログを少しさかのぼって読んだ。毎日毎日、食べたスパゲティと見たテレビ番組を書き、会えない「ひとみちゃん」や抑鬱状態の記述が続くなか、『続・ALWAYS』を見て号泣したと書いてあって、そんなクシー君にこちらの涙腺までゆるんだ。

 ペットロスの様子も読んでいてとてもつらい。8年経っても、家族を喪ったことについて、こんなふうに書けるものか。岩手在住「ひとみちゃん」への切々たる想いに感情移入してどんどん読んでしまう。もやもやして眠れない。

 毎日のおやすみメールとおはようメールの記録、しないで寝たときはしないで寝たことまで記述してある。それが鬱病患者だ、と言われればそうなのだけど。本人が亡くなった後も、ネット上にはずっと彼の「ひとみちゃんにおやすみメール」していた日々が残るのだな、と思ったら、本当に泣けてきた。


 人は、ウラオモテの水量を調節し、感情を意のままに制御しようとする。私などに顕著だ。かたや鴨沢さんのこれは、もうダダ漏れに漏れてしまっているだけだな、と。離れて暮らしている「ひとみちゃん」に毎日おはよう&おやすみメールを送って記録をつけていた56歳の鴨沢さんに驚嘆した。

 そんなふうに故人のたましいから漏れて落ちた「好き」という感情が、主人を喪ったブログ記事として半永久的に残る。たとえそれが「好き」だと伝えたい相手に届かなくても、どこかで別の誰かの心を打つことがあったりするのだな。面識の有無も、恋愛だったかどうかも、いっさい関係ない場所で。

 「僕がどんなに君を好きか、君は知らない」というフレーズがつねに正しい。(あの曲の歌詞はあまり好きじゃないが)。見知らぬ者同士でも、長年連れ添った夫婦でも、同じように、どんなに好きかを知ることがない。でも、第三者にだけは正しく知られている、ということは、大いにあると思うのだよ。


 私が初めて「クシー君」シリーズをちゃんと読んだのは、じつはごく最近のこと。沼田伯父と、大阪在住の甥と私の3人で渋谷まんだらけをひやかしていたとき、誕生日が近かったか何かで、伯父がまとめて単行本を買ってくれたのだ。稲垣足穂が好きで、あがた森魚が好きで、不思議の国のアリスが好きで、ロボットが好きで、夜の街が好きで。そんな「少年」たちの輪に入れてもらえたようで嬉しかった。お返しに『菫画報』を貸そうと思ってすっかり忘れていたな。

 さすがに支離滅裂で自分が何を書いているのかわからない。3時間しかないけど仮眠。クシー君の夢を見るだろうか。

クシー君のピカビアな夜

クシー君のピカビアな夜