私の名前と私の性格

 筒美京平先生を私淑しているが、ペンネームの由来が「左右対称文字」というのは知らなかった。今の自分の名前がほぼ左右対称である点を大変気に入っているので、あの偉大なる筒美先生もそんなことを気にしたり気に入ったりしているかと思うと、ちょっと嬉しい。

 「岡田育」という名前は戸籍名ではないけれど「育」は両親から授かった字なので、左右対称で書けたり、月が入っていたり、マッチ棒を使って(=直線だけで)書けたりする名前の人には、妙に親近感をおぼえる。そして、こういう小さなことが、自分の性格にも影響与えていると思う。

 たとえば、私は漢字名に「月」、2歳下の妹は「日」を含んでいる。私は昔から夜型で内向的で貧血気味でルナティックにヒステリックで、他者の存在に照らされて初めて自己を実感するタイプ。反対に妹は、社交的で日輪のように明るく、自己にも他者にもズルや不正を絶対に許さないタイプだ。非常に陳腐な物言いだが、姉妹でよく「もし名前が反対だったら性格も変わっただろう」と話す(性格は正反対だが仲はけっして悪くない)。

 また、母親の名前から一字を譲り受けた妹はまだ実家で暮らしており、海外都市から名前をつけられた私は、家から外に向かう気持ちが強い、とか。ただの暗示と言われればそれまでだが、少なくとも偶然ではないと思う。繰り返し、繰り返し、大人たちから名前の由来を言い聞かされて育ったから、影響がないはずがないのだ。

 そう考えると、「○に×と書いて○×です」という漢字名の名乗り方をどう繰り返すかも、大きい。だって「希望の希に青い空の空と書いて、希空(のあ)です」と言い続けるか、「希薄の希に空っぽの空で、希空(のあ)です」と言い続けるかで、性格変わりそう、でしょ?

 ところで、電話口で「岡」の字を伝えるとき、いつも迷う。岡山県にも福岡県にも盛岡市にもまったく由縁がないので、よその地名を使うのは憚られる気がする。たいてい「オカダは、ふつうの一般的な岡田です」などとお茶を濁している。一度でいいから、「都知事と同じ青島です」ならぬ「准一と同じオカダです」と言ってみたいね。いやぁ、准一による「岡田」のイメージアップ効果はすごいのですよ。それまでは、眞澄と、有希子と、あ〜みんと、監督と、イジリーですからね……。

 筒美京平作品で1曲だけ選ぶとしたら……って選べません。ぱっと思い浮かんだものを2つ。詞も良いし曲も良いし、数分の中にストーリーとドラマがあって、一度聴いたら忘れられない。素晴らしい。

中原理恵「東京ららばい」(松本隆/筒美京平)

郷ひろみ「よろしく哀愁」(安井かずみ/筒美京平)