父にみる嫁

不在のマンションへ父親がやって来て
実家に届いた私宛ての郵便物をポストに入れておいてくれた。
その際、ポストに投げ込みのチラシが入ったままであったと
わざわざ来た電話は非常に不機嫌な声で一方的に怒鳴って切れた。

ああそうか、この人は今まで一度も
自分の家のポストにたまったチラシを取り込んで分別して捨てる
という、あの非常に面倒くさいおこないを
疲れて帰ってきた夜には到底したくないあの一連のおこないを
したことがないのだな、専業主婦を嫁に迎えたから。と考えた。

注意してくれたのはありがたいことであるが、
近所の施設に居る祖父を見舞いに来たついでに立ち寄った彼は
自分は善いおこないしかしない人間で
自分の息子は悪いことしかしない人間だと本気で思っている。

そして、自分が他者に生活の世話を焼かれること
自分の背中を、自分の暮らしを別の誰かに預けることに
何の罪悪感も抱かず、馬車馬のように働いている。

こういう男の息子に生まれたものだから
私は、ことほどさように、嫁が欲しいのである。
そうして自分の生き方を肯定したいだけなのだろう。

嫁とは、とても便利で、生活を豊かにしてくれるもので
それによって私の日々の悩みの半分以上は吹き飛んでしまう
音に聞く嫁とは、そんなものだと想像される。

こう書くと嫁の人権を無視した発言だと言われそうだが、
人ひとり分の人権など、俺の稼ぎでまかなってやろう。
求める幸福が同じであれば俺は俺の役割期待を担ってやる。

結婚して何年か経って嫁が何か自己実現したいと言ったら
「君の好きにしたらいいさ」と言えるくらいの婿にはなろう。
しかし、父親にはチラシをとりこんでくれる古女房がおり、
私にはまだそれが居ない。そのことが残念でならない。

……と、先日ある男性に似たような話をしたところ、

離婚して未成年のお嬢さんと同居している自宅開業の彼は
「その論理でいくと俺は娘のお嫁さんだな。
 朝ごはん作って学校に送り出して、掃除して洗濯して」
と言っていて、あやうく萌えました。これが本題です。