震災以降、人々の意識が変わったとよく言われています。それは一時的なもであったり表面的なものかもしれませんが、okadaicさん自身が確実に変わったと思うことはありますか?
震災というのは2011年3月11日のいわゆる「東日本大震災」のことだと解釈して回答します。地球上のあらゆる自然災害による死傷者数、被災者数を、とても気にするようになりました。
たとえば2010年のハイチ大地震の死者は31万6000人超だそうです。2004年のスマトラ島沖地震の死者は22万7000人超。どちらも今回のことで憶えた数字です。東日本大震災から1年間、「今までにも、地球上でいろいろな自然災害によって、ものすごく多くの人たちが命を落とした」ということを、他人事でなく考えて意識するようになりました。何かの折りに過去に起きた自然災害の名称が目に留まると、犠牲者数を調べたりするようになりました。
今ざっとニュース記事をぐぐってみたところ、災後1年の時点で東日本大震災の死者数は約1万5000人、行方不明者数は3000人超、といった記述を発見しました。なんだ、歴史的に世界規模で見れば結構少ないじゃないか、とは言いません。そのふたつは天秤の両側に載せて互いの重さの差を比べるものではなく、同じ大地に積み上げて累計をはかり、ともに墓標を立てるものだと思うからです。被害が増大していくのは人災だ、云々という議論もここでは抜きにしましょう。ただただ「数字」が気になるようになりました。たとえば「でも、ハイチではこの30倍死んだんだよな」とか、または「えっ伊勢湾台風ってそんなに犠牲者出たの、3分の1くらいじゃん」とか。「宮城県名取市閖上地区では人口の1割超が死んだ」という記述を見ると、今までの私は「どうやったら9割に入れるだろうか」と考えていました。最近の私は「そりゃ、自分が1割に入ることもあるよな」と思うようになっています。
阪神淡路大震災の直後、東京から神戸へ知人を訪ねて行き、つぶれたままの道路や割れた駅や切れた家屋を目にしましたが(変な表現だけど本当にそんな感じで都市全体がズレまくっていた)、あのときの私は、地震の被害状況を目で見ることはあっても、その奥にある死者行方不明者数を気にかけることはありませんでした。実際に関西の親戚や友人知人が命を落としたわけではなかったから、痛ましいと思いつつもそのうち「復興」の過程ばかりを目で追うようになりました。死傷者数を見ても目がすべっていたのだと思います。交番の前に貼り出されている交通事故の被害数などと同じで、「ふーん」と思うより先へは想像力が及ばなかった。
震災以降、人々の意識が変わったとよく言われています。それは一時的なもであったり表面的なものかもしれません。私自身が確実に変わったと思うことは、「私もいつかどこかで計上されるかもしれない」という意識で、自然災害の被害状況を見るようになったことです。自然災害の直撃を受けずとも、自然災害の後で起きる人災で死ぬことだって十分あるかもしれない。なぜなら、ハイチの人が「たかが地震」で死にすぎたのとまったく同じように、私もまた、東京で「たかが地震」によって死んでいた可能性がきわめて高かったのだから。21世紀なのにね。ものすごい未来だと思うんですけどね。雨をしのぐ道具といえばいまだに傘だし、たかが地震が起きた程度のことで生活の安全が危ぶまれるような枠組の上に暮らしているんですよね、我々は。
あと以前にも書きましたが、住環境を見直して、引っ越しました。といっても原発のない国へではなく、同じ町内の隣区へです。また、ご覧の通り「がんばろうニッポン、心を一つに」とかはとくに思ってないです。今までも、これからも、人類が後から勝手に引いた国境線の境目を狙って地球のプレートが動くわけじゃないですから。
「人々」という言葉で私がシンプルに思い描くのは地球全体の人々のことなんですが、どうですかね、そんなに意識が変わってるんですかね、阪神淡路大震災のときの私みたいなもので、「人々」全体の数百分の一程度しか騒いでない気がしますけど。それは少ないかな。私自身の変化についてのご質問ですから、そこは勘繰りすぎないようにしましょう。