2017-09-20 / 悲鳴、その後で。

昨日の日記を書いて以降、なんとなく自分の中でモヤモヤしたものが残ったので書き足しておく。「工房で職人として働きたい」欲について。
グラフィックデザインの世界は上からざっくり、クリエイティブディレクター>アートディレクター>デザイナー、と階級がある。それぞれにシニアとかジュニアとか細かく分かれるけれどもそこは割愛、求人情報においてはだいたい「職歴の長短」と同義で、今はその話。私が潜り込んでいるような小さめの会社では、学生はインターンから入って常勤デザイナーになることを目指す。権限も待遇もお給料も違って、下から入って職歴を積んで上を目指す、という作り。
美術大学で一緒にグラフィックデザインを学んだ同級生の多くは、「なるべく若く、一足飛びに、いきなり大看板のクリエイティブディレクターになる」ようなことを目指しているのだった。すごくわかりやすいのは、大学出たてですぐステファンサグマイスターに見初められ対等に共同名義で働いてるジェシカウォルシュ。もうね、平たく言うと、学部生のちょっとチャラチャラしたガールズはみんな彼女みたいな大抜擢シンデレラストーリーを夢見ているし、そのためにAppleやGoogleやペンタグラムに腰掛け入社したいと思ってるくらいの不遜さ。イヴサンローランが21歳でディオールに就任したような、高校在学中にデビュー作で芥川賞受賞みたいな、昔からある夢物語である。大学の教授陣も煽る煽る。デザインスクールでもビジネススクールと変わらず「勝ち組」の絵図が明確で、それを目指して最短距離でピラミッド登りつめろ、と煽られる。卒業後、いきなりそういう輝かしいキャリアを得られる学生が増えると、大学側にも利益がありますからね。寄付金など。米国人にさえ狭き門、留学生だったらなおさら正攻法ではいけないはずなんだけど、純真な子は、学校で優秀な成績をおさめればそれが叶うと信じてしまう。
まぁでも私は、オトナだし、書く仕事もあるので、そういうコースには全然興味がない。いま20歳で、かつ英語ネイティヴだったら、全米全世界に名を轟かせる一流大企業にインターンで入って、上司に気に入られて正式採用され、下積みから何でもやって誰もが羨む輝かしいキャリアを築き、好きなことだけをしてバリバリ稼いで自己実現、というような未来を標榜したかもしれないけど。いや、そういうの、約15年前に母国でやったから……その線でチャレンジするならジャパンの新卒一括採用が最も効率いいんだし、一度しかない人生で二度はやらなくていいかな……というのが、正直な感想なわけです。「クリエイティブ職なのにクリエイティブ意識がない!」と思いますか? じゃあクリエイティブ意識って何? やった仕事より名前のデカさで次の指名が取れること、ではないはずだろう? 自分に言わせると「出世欲」がない、だけです。
もう少しメタな見方をすると、「学歴で箔をつけ、俺様にしか作れない、世界がアッと驚く、かっこいいデザインを作りたい」系の学生と、「授かった職能を活かして、この世から少しでもダサいデザインをなくしたい」系の学生がいる。そりゃあ、前者が目立ちます。大学の送ってくるニュースレターに載るような子は、前者ばっかりです。それはそれは華々しい。だけど、彼らのやってることは実質ほとんどファインアートだったりする。私は後者なんですね。今までの自分の人生を振り返って、言葉も通じなければコネもないアメリカで、創出できる価値がないかと考えたとき、日本語圏では「編集」を名乗ってやってた仕事、「情報の整理整頓」という得意分野を、言語抜きの「ヴィジュアルコミュニケーション」として輸出しようと考えた。だから講師も、インチの国でミリ単位の修正を求めてくるタイポグラフィ畑のド変態、みたいな人ばっかり大好きで師事していた。
そして卒業生として社会に出てみると、「少しでも長く、一介のデザイナーでいたい」という気持ちがもたげてくる。会社組織としてちゃんとしているデザインスタジオほど、上に立つ人は実際のアイディア出しをせず、クライアントからお金を引っ張ってくるのが主要業務になる。私は言語にハンディキャップがあるから、このピラミッドの上のほうへ登っていく競争は、正直まったくしたくない。そこで買う苦労ってデザインスキル微塵も関係ないから。私と境遇そっくりな例のチェコ人だって、口達者な米国人の相棒を得たから法人化できたわけで。彼は「人の下では働けない」タイプだから起業していきなりクリエイティブディレクターを名乗るが、「人の上に立ちたくない」私は渉外に飛び回る彼らの下でゴーストとして毎日泥臭い企画出し千本ノックをする。社外オリエンではなく社内ミーティングを重ねながら、ひたすら手を動かして少しずつ給料が上がっていくので、満足なんです、今のところは。なぜかというと、下っ端のままでも発言権がめちゃめちゃデカいし、これだけでは食ってけないけどそれでも日本よりは断然待遇良いからです。この辺の塩梅が絶妙。
ある日突然、「Iku、ヒップホップどれだけ詳しい?」とか言われて、いきなりブロンクスの再開発地区に開店するレストランの仕事が降ってくる。もちろん全然詳しくないので得意のクレイジーリサーチから入る。黒人クライアントはもちろん、こんな下働きの東洋人に俺らのカルチャーの何がわかる、という顔をするんだけど、そこはチェコ人に発注してる時点で文句言わせんよ。ちゃんと説明すれば、伝えたいことは伝わる。「外から来る新規客を獲得したいなら、文化の核となる部分を正しく伝えるのに、このアプローチが最適です」なんて説得までしている。結局そういう仕事が好きなんですね、私は。「普段は時代小説を読まない若い女性層にも手に取ってもらうには」とプロモーション戦略を練っていた編集者時代とまったく同じ。ヘレン様から「英語圏においては貴様の売りはエディトリアルじゃねえ、ブランディングで行け」と言われたのが本当に正しかった。あー、私こういうの向いてるな、ヒップホップ調とかロココ調とかMUJI調とか、そういう個別のスタイルへの向き不向きじゃなく、この職種における「降ってきた仕事を打ち返す」作業との親和性が高いなと。
独立開業したら、仕事を自分で取りに行かないといけない。そのときには、私個人のスタイルを確立させないといけない。文筆はそうやって続けてきたし、そこは譲りたくないし、それで思ったほど売れなくても案外凹まない。でも平日仕事は、ずっとこのまま、ほっといてもどこか上のほうから仕事が降ってきて、瞬発的集中力で「最適解」を打ち返すことでお給金に変えていくような、そういう働き方が理想だよな。そう思っているという意味です。志が低い? まぁそうだね。でも、二つ職業があって、両方の世界でまったく同じように振る舞いたいとは、あんまり思わない、むしろ、二つのものが対照的なほうが、両方にやりがいを感じられる。そういうワークライフバランスもあるという話です。
昨日書いた日記、「楽して働きたいからデザイナーという職を選んだ」というふうにも読めてしまうのが、ずっと気になっていた。その「楽」というのは、私が今までやってきた、向いている、強みを持っている、でも経歴的には中断していた分野と近いものがあるから、私個人のキャリアチェンジを考えたときに「楽」という話であって、この業界なら誰でも簡単にサクセスできるという話ではない。日本語カタカナの「デザイナー」という言葉から想起される仕事ぶりって、クリエイティブディレクターか、グラフィックアーティストの域にあるような人だけを指す場合が多いように思う。それいったら「エディター」も、カタカナになるとなんか全然別のニュアンスが加わるよね。しかしながら、私個人の考え方でいくと英語の「Designer」と日本語の「編集者」は結構似ていて、独創性も大事だけど、突然どこからか届いた謎の「原稿」を全力で楽しめる素質も同じくらい大事で、私は結構そこにイキイキするので、こちらサイドでは万年ヒラ会社員プレイヤーがいいと思ってる、という意味です。こちらからは以上です。
なお、昨日どどどと返事書いたオファーは、一日半経ったけど、どれからも返事の返事が来ないよ! またしても希望給与額を高く書きすぎたかな! Instagramがヴァカンスヴァカンスしすぎてアホだと思われたかな! 糠喜びの可能性大! 学校ではいついかなるときも先手を打ってギャラ決めろと教わったんだけど、これやっぱり先方から訊かれるまではおとなしく黙ってリードに従ってたほうがいいんじゃないですかね初心者は! 死。