時差ボケで起床。4時過ぎにはもう外が明るい。薄暗くした部屋でぐずぐず過ごす。自宅のバスタブは満足に湯を張れないので旅先の入浴を楽しみにしていたが、このホテルも浴室が古風すぎて湯張りが不十分。あと浴槽の足元がおそろしく滑りやすかった。特筆に値する滑りやすさ。どういう材質の違いなんだ。
本日はムンク美術館と国立美術館にすべてのスケジュールを捧げる。10時開館を目掛け、朝の腹ごしらえがてら8時前から散歩に出た。前日の晴天がうって変わってあいにくの雨模様だが、濡れた街路も美しい。熱波のニューヨークから着いたばかりなので、裏地付きのスプリングコートを着て「ちょっと冷えるね」と言い合うくらいの気候が逆に嬉しかったりもする。前日は宿の西側をぐるりと見たが、今日はトラムの線路が敷かれた大通りを辿りながら、東側を目指す。地図アプリ片手に、嫌な予感が確信に変わる。この街、もしかして徒歩でほとんど回れてしまうのでは……?
オスロ観光には「オスロ・パス」というアプリが便利だと言われて指示通りにダウンロード購入したはいいが、これがお得になるのは、複数の美術館や博物館をハシゴするためにバスやトラムや地下鉄に乗りたおすスケジュールが大前提なのだった。かたや我々は、常日頃からマンハッタンの下半分は大体ほとんど徒歩で移動するほどの散歩好きである。「この距離なら歩けちゃう」という夫婦間合意が一般のそれよりもうんと長い。下手すると公共交通機関に一度も乗らずに終わり、先払いしたパス料金のほうが高くつく計算だ。「政府観光局の罠にハメられた」「外国人旅行者向けの市税徴収システムじゃないのか」とボヤキながら、ヘルシンキ以降も類似の観光パスは購入前によくよく吟味しよう、と反省。
市内に何軒かある洋菓子屋「PASCAL」のうち、大きめのカフェで朝食。カフェラテとコルタード、アップルパイ、マカロン(ピスタチオとパッションフルーツ)、しめて251NOK。た、高い。日本換算だと4000円近い。米国換算23ドルと考えればそんなもんだが、旅行者は食事がすべて外食となるため、やはり節約自炊の生活者目線での物価感覚とは違う。でも味はニューヨークのそこらの喫茶店よりずっと美味しくて、さすがヨーロッパ。フランス人パティシエの人気店だそうだ。
オスロ中央駅の駅ナカを南側から北側まで通り抜け、全体の土地勘を掴む。駅前にまでガラの悪いカモメがのさばっている! と驚愕するが、中央駅は2008年から続くビョルヴィカ地区再開発計画の要所でもある。駅も図書館もオペラハウスも美術館も、その周囲の新築高級住宅街も、すべてがウォーターフロントに建っているのだ。名画も稀覯本も、もっと高台に置かんかいな……地震と水害が荒ぶる東京湾育ちには無い発想だ。「峡湾」の美しさ静けさ穏やかさ、どちらかというと運河のノリに近いのか、落下防止柵が欲しいような箇所にもろくに設けられておらず、「(水深が浅いため)飛び込み禁止」の注意書きがあるだけだったりする。当然ながら土手や消波ブロックも無い。だけど外海仕様の巨大な豪華客船がデンと停泊していたりもする。私の培ってきた「河」や「海」のイメージ、極めて日本的なのものなのだと、外国の地形を見て思い知る。
中央駅は商業施設がいくつも組み合わさった立派な建物で、膨大な鉄道情報を一つの大きな液晶ディスプレイにまとめたUIが綺麗だった。ノルウェー語が読めないので真の意味での機能性や利便性はわからないが、少なくとも見惚れるデザインである。これは他国でも思ったことだが、最低でも母国語と英語、場合によっては三カ国語以上を併記しなければならない都合ゆえだろう、文字情報のレイアウト処理がすっきり整然としている。且つ、「そりゃ文字量は増えますわいな?」と言わんばかりに、威風堂々と一度にものすごい分量を表示するので驚かされる。美術館の展示キャプションや、飲食店のメニューなどを見ても感じたことだ。
多言語都市ニューヨークでは逆に、文字は減らせば減らすほどよいとされ、平易な英語を端的に見せるデザインが多い。非英語話者はじめディスアビリティのある人でもパッと見て意味が汲めるように、といった厳しさで、一度に見せる情報量を削る方向性がよしとされる。この違いは大きい。北欧旅行、文字をいっぱい浴びたなぁ、という感想がついて回った。ユニバーサルな視点からのベストな解ではないかもしれないが、しっかり個性を持ったグッドなデザインではある。北欧プロダクトデザインの理念にも通じるところがありそうだ。
そういえば、クレジットカードの決済端末が非常に不親切だなと感じる機会が多かった。あの端末はそれこそ万国共通デザインなので、小さな画面に合わせて語数を絞った(すなわち米語圏的な)表示が特徴だ。そしてそこに、現地語しか表示されないのである。店員とは英語で話していても、出された画面に何が書いてあってどのボタンを押せばいいか(たとえば、まだカードを抜くなと言っているのか、もう抜けと言っているのか)、事前に予習して来た日常会話集には無い語彙で、急に戸惑う。勝手知ったるUIなのに、操作を店員に確認したりした。ココも英語表記にしてくれればいいのに、と思うが、まぁそれは旅行者の傲慢というやつだろう。日本でも、こうした小さな小さな画面が外国人旅行者を躓かせているケースは多そうだ。ところで北欧諸国はアメックスが全然使えません。デビットカード持って来ててよかった。
雨がやみ、暗かった空が晴れたり曇ったりという天気になってきた。最終日に乗ったタクシーの運転手が「オスロの天気は変わりやすい、天気予報なんか信じるな、数秒後にどんな天候だってありうるぞ」と笑っていたが、たしかに頭上の雲の厚さが変わるたび、フィヨルドの景色もまるで違って見える。そして自然と「日光ありがてえな!」という気持ちになる。こうして太陽神話が生まれるのだな。
晴れている間に絶対したいことを最優先にするぞ、というわけで、先にオペラハウスに登ることにした。登る……? そう、この街では、オペラハウスは登るものである。人はなぜオペラハウスに登るのか。そこにオペラハウスがあるからだ。2007年に完成したオスロ・オペラハウスは、国立オペラと国立バレエ団の本拠地。設計事務所スノヘッタの代表作で、数々の建築賞を受賞している。白大理石で作られた世界初の「屋根の上を歩ける」劇場である。とはいえ、高所恐怖症はじめ各種こわがり合併症の私、海に面した吹きっさらしで手すりも何も無い石の建造物に、悪天候の中を傘さしてつるつる滑りながら登るなんて絶対イヤだ……地面が乾いてきた晴れ間の今しかない! というタイミングでゆっくり登頂できて、大満足である。
入場制限などもなく、斜面をどこでも自由に上がってよいのだが、縁のところには目隠しを施された階段もついている。雨上がりなので水捌けをどのように処理しているかもわかりやすく興味深かった。傾斜のあちこちにスリットが切りつけてあって、オシャレと機能美が一体化している。遠目に見ればツルンとした白亜の神殿という印象だが、実際に足を運ぶと、複雑に組み上がって磨かれた表面の、タイル床とも石垣ともつかない懐かしさ、ところどころが茶けてくたびれた感じも趣深い。一発芸のパビリオンじゃなく、文化の殿堂として、押しかける観光客に踏みしだかれて経年変化していく覚悟が据わっている建物、というのかな。頂の影になる部分にはイベントスペースも設けられていて、野外コンサートの設営が進んでいた。あと頂上に電動シェアスクーターを乗り捨てている奴がいてびびった。自由すぎるだろ。ヘルシンキではフィンランディアホールが外観工事中であんまりゆっくり見られなかったのだが、そのぶんオスロオペラハウスを堪能できてよかったな。本当は入場してオペラも観たかった。
この建物がさらに素晴らしいのは、一階部分がガラス張りになっていて、舞台装置の倉庫や稽古場、舞台衣装やウィッグのアトリエなど、「舞台裏」にあたる部分を、道行く人々が覗き込めるようになっている点だ。といっても奥で作業するスタッフの手元まで細かく丸見えになるわけではなくて、みんなうまいこと目隠しなど立てて作業台を部屋の中央に寄せ、仕事に集中できる環境を確保している。そして窓辺には通行人に向けて、それぞれのセクションが手がけた過去作品に解説を加えたパネル展示を展開している。軽い素材で重厚な可動式セットを組むにはこうするんだよ、特殊メイクやヘッドピースってこうやって作るんだよ、といった紹介を眺めるだけでも楽しいし、オペラやバレエを一度も観たことがない市民にも親しみやすい。日本の劇場もやればいいのに。
オペラハウスと隣接したムンク美術館は2021年に開館。1963年から市内にあった旧館のコレクションを海辺の再開発地区に新築移設したのだそうだ。一帯にはムンクブリッゲという新地名もついている。入ったら数時間は出て来られなくなるぞ、と覚悟を決めて、美術館前の「Godt Brød」ムンクブリッゲ店で二度目の朝ごはん。レーズンパン、マンゴースムージー、コーヒーを分け合う。
移設休館中にあたる2018年に日本の東京都美術館でもムンク展が開催された。出張中にこの巡回コレクションを観た夫のオットー氏(仮名)はいたく感銘を受け、新館がオープンしたら絶対にオスロまで「聖地巡礼」に行くぞ、と心に誓ったのだそう。ものすごい気合の入りようである。私はといえば、代表作「叫び」に複数種類あることもさっき知ったような著しい温度差がある。とはいえ、国を代表する一人の芸術家のためにその名を冠した壮麗な美術館が建てられていることは感銘を受け、ゆっくり時間をかけてたっぷりの作品数を鑑賞した。ここ、駆け足で観るのはもったいないですよ。
オスロ・パスをかざしてそのまま入ろうとしてチケットカウンターでQRコードを発券しろと怒られ、発券して行ったら大きな荷物はロッカーに預けろと怒られ、夫のリュックサックを預けて入ろうとしたら私のハンドバッグの中身検査があって飲みかけの水のボトルを置いて来いと怒られる、いちいち迂回する距離が長い。最上階まで一気に上がって順番に降りてこようとエレベーターに乗ったら「健常者はエスカレーター使わんかい」みたいに咎められる。入室までの関門が多すぎて途中から「試練!」と愉快になってしまった。
最上階レストランとスカイバーまで数えれば13階まである建物で、閉鎖中の区画も多いが、オペラハウス同様、修復や額装の作業場などがガラス張りで見えたりして、隅々まですべてがエドヴァルド・ムンク。豊かだ。11階はムンク作品を他作家の収蔵作品と並べ置く「HORISONTER」という展示。10階の「SOFIE’S ROOM」は作品の断片シルエットを鑑賞者が壁面に好きに貼り付けていく体験型の展示。7階はムンクの居住空間を遺品とインタラクティブアートで追体験する「SKYGGER」と版画の展示「INNTIL」、6階は巨大壁画のための空間「MONUMENTAL」とゲーム展示「ARCADE」、4階がメインコレクション「UENDELIG」で、3階は風景画が中心の企画展示「JORDSVINGNINGER」。
「叫び」は4階に専用に区切られたエリアがあって、テンペラ画、リトグラフ、パステル画、の三点をそれぞれ半時間ごとに一つずつ展示する趣向。当然ながら全館のうち一番人気のエリアだけれども、全種類コンプリートしたい鑑賞者は他のフロアを回遊しながら戻ってくるので、ほどよく人が流れて混雑防止にもなっている。3階にも現代音楽と組み合わせた「聴きながら観る」展示があって、ポーズを真似て自撮りする客は比較的空いているそちらに殺到していた。
ムンクの絵といえば「狂っててなんか怖い」という俗な先入観があったのだけど、実際に実物を間近に観てみると、絵画そのものからダイレクトに狂気を感じることはなかった。むしろ、同じモチーフを同じ構図で繰り返し描くタイプの作家特有の、真面目さ、誠実さ、評価を拒む気難しさ、あるいは、執拗さ由来のかわいさ、などを受け取ることができた。これはおそらく美術館学芸員の、もっというとノルウェー国民の、ムンクへの愛を浴びたからこそ得られた感想だろう。たとえば自画像だけ集めた一角を眺めながら「よくもまぁ、こんなにいろんな筆致で、いろんな顔した自分自身を描けるものだな」と驚きつつ、結局その手法の実験のほうが主で、題材には大きな意味はなかったのかもしれない、と考えたりする。ムンク自身の自己愛より、我々鑑賞者が(心を病んだ愛すべき美丈夫である)彼の姿をもっと見つめたい、と願う気持ちのほうが強い。その想いに応えるようにただ絵画が置かれており、鑑賞者はそこに自分自身の願いのかたちを見出す。
「i」字形に描かれる入江に反射する太陽も、一つ目を見たときは「水のテクスチャ描くの下手すぎか?」などと訝ったものだが、何作も見ていくと、時を超えて画家と鑑賞者が交わす秘密の暗号のように感じられる。あと版画の体験コーナーで自分でも白紙にこの「i」を刷り出してみて初めて、どの画材のどの画法でも同じに描ける共通のフォルムを突き詰めた結果なのかな、と気づいたりする。他の美術館で他の名画に紛れて彼の作品が一つだけ置いてあれば、それがどれだけ明るい色遣いでも、鑑賞者はどうしてもそこに不穏な要素を読み取ろうとしてしまう。「不安」や「叫び」や「赤い蔦」を描いた画家なんだから仕方ない。人物さえ幽霊のように見えるのだから、あの「i」も不吉な光に違いない、とかなんとか余計な深読みをしてしまう。しかし、ムンク美術館で観れば「何点観ても飽きないな」「なかなかこうは描けないな」「上手いなぁ」といった、子供のように素朴な感想が優る。最も過酷な時期に精神病院で描かれた作品群さえも、隅っこの小さなキャラクターのかわいげなどが目に留まる。いい美術館だな。
いま帰宅してから写真整理していると、空間も鑑賞者もすべてフレームアウトした、絵画だけクローズアップで撮られた画像をめくりながら、どれもまたふたたび「狂っててなんか怖い」と見えるようになってしまっていた。おかしいな、実物は全然そんなことなかったのに。あの場で作品群をくるんでいた愛の魔法が解けてしまったようでもあり、同胞から引き離されて帰る故郷を失くした孤児を眺めているようでもあり、あるいは、数年ぶりに帰った自分の実家が記憶とまるで違う空間に模様替えされていて驚くと同時にちょっと怖くなる、ああした認知の違和感にも似ている。「不安」を鑑賞している最中にはまるで感じなかった不安が、「不安」から目を逸らした途端、スマホに定着してしまったかのようだ。とにかく、生で鑑賞できてよかった。
普段は「モノを増やす」ことに極めて否定的なミニマリストの夫のオットー氏(仮名)が一転、美術館売店で珍しく、あれもこれもと目移りしながら土産物を買い込んでいる。推し活だ。「叫び」モチーフのものを無限にカゴに放り込もうとするので「ワードローブに1ムンク! 食器棚にも1ムンク! 1カテゴリ1ムンクまで!」などと諭しながら、Tシャツ、グラス、大判のカタログ、トランプなどを買う。トランプ? いつ遊ぶのか? 今まで夫婦でトランプしたことなんか一度もないのだが、クイーンが「マドンナ」でジョーカーが「叫び」、たしかに物欲をそそるデザインだ。ちなみにヘルシンキでは私が「1カテゴリ1ムーミンまで!」と悲鳴を上げられる側に回った。
ふたたびオスロ中央駅の駅ナカを通って北側へまたぐ。北欧料理の代表格といえば昨日食べたトナカイのシチューに加えてクリーム味のサーモンスープ。『地球の歩き方』が魚料理ならばここが美味しいと薦めていた店を目指す。ユングストリエット広場に面した商業施設の一階路面にある「Fiskeriet」というカジュアルなレストランで、最終日にオスロ空港をぶらついていたら空港にまで支店が入っていた。とはいえ空港店舗とはわけが違う。店舗の半分は日本人にも馴染み深い、氷を敷き詰めたショウケースの上に秤が下がっているような「魚屋」の販台となっていて、残り半分がそのイートイン、というような作りだ。調味料売場には我々も見たことがないような日本産の高級特殊醤油やポン酢の瓶が幾つも並んでいたりする。
ランチタイムを外して14時頃に着いたのに、当たり前のように超満員だった。「たまたまカウンター隅のトイレ前の狭い狭いスペースに空席があってラッキーだったな、小柄な東洋人なら詰め込めるだろ」といった態度で、選択の余地なくそこへ通される。俺たち日本人、サカナにはちょっとうるさいぜ、と来てみたものの、雨に濡れたテラス席でレインコートを着たまま、独りで黙々と白ワインを傾けながらムール貝のバケツと対峙している老紳士などがいて怯む。神田の蕎麦屋で昼から飲んでる粋なおじいさんのオスロ版である。
冷えたビールに、サーモンのたたきとフィッシュスープを一つずつ注文して、二人で分ける。他のテーブルではメインディッシュを何種類も取る客が多いが、日本人の胃袋にはこれで十分。評判通り、ものすごく美味しい。ポン酢風味のタタキは一人前ちょっと物足りない量だが、ここで追加して生食の分量を増やしても喜びは増えないことを我々日本人はよく知っている。厨房もわかっているのでこの量で供されるのだ。新鮮な魚介類を適切に調理する文化圏の人間とはそれだけで仲良くなれる気がするな。
ぐずる赤子をベビーカーに置いて、たまに揺らしながらドンチャン酒盛りしてる人々がいる。「じ、自由だな……長い冬越して夏至を迎えた北欧の人々ってこんな感じに解放的なのか……」と呆れつつ、ぐずる赤ちゃんは罪無くかわいいので隣席から適当にあやす。あやせばあやしただけ御機嫌に笑う赤ちゃんの瞳の色は、吸い込まれるようなアイスブルー。虹彩のコントラストが万華鏡のように輝いている。と、保護者の一人から「ヘーイ、君たちどこから来たの!? ニューヨーク!? 奇遇だね、俺たちロングアイランド!! 次はヘルシンキ行くの!? 妹が嫁に行ったよ!! 魚にうるさい日本人には言うまでもないだろうけど、この店の魚はマジ絶品だよね!!」と米国東部アクセントで話しかけられ、丸椅子から落ちかけるほどズッコケた。生粋の北欧人ではなく、避暑がてら夏至のファミリーギャザリングに顔を出してるヨーロッパ系アメリカ白人ファミリーの一部、といった感じか。奥の席には見ず知らずのアジア人なんかとよう会話しやんわって表情の人もいるのだが、むしろそちらが現地の親戚だったりするのだろう。めっちゃ話しかけてきたのは、普段めっちゃ見飽きた類のアメリカ人だった。
この店と同じ建物内にはFOLKETEATERETという、おそらくはミュージカル特化型の劇場があって、ちょうど『Jesus Christ Superstar』や『Sound Of Music』の告知看板が出ていた。調べると内観もかなり立派で、しかし前日に拝んだ「イプセンの聖地でござい」という門構えの国立劇場とは完全に棲み分けが効いている。北欧白人キャスト縛りの『サウンドオブミュージック』はたしかにちょっと観てみたい。けど隣に掲出されてる『THE BOOK OF MORMON』のノルウェー語版はどうかなぁ……。日本のミュージカル劇場のポスターも、通りすがりの観光客からこんなふうに思われてるんだろう。
トラムの線路を辿るようにして、また市街中央部のホテルまで歩いて帰る。このまま一生トラム乗らないんじゃないの。雨の中、紙袋に包んで抱えるようにして持ち歩いたムンク美術館の土産物を部屋に置き、気を取り直して前日下見した西側エリアを攻めることに。もちろん徒歩。美術館売店で爆買いスイッチが入った夫のオットー氏(仮名)、まずはVARSITYのポップアップストアを再訪して夏素材のキャップを新調する。私はノーベル平和センターで「ノーベル賞メダル型のチョコレート」という定番土産を買う。お次は国立美術館である。
アーケルブリッゲ地区は1980年代から開発が進んだあたりで、元は工業地帯だったそうだが今は面影も無い。国立美術館と平和センターは、かつてオスロ西駅だった跡地を活用して建てられている。国立美術館は2021年にリニューアルオープンしたばかり。北欧最大級の規模で、とにかくデカい。そして、現役の市電やフェリーが細々とひしめく水辺にいきなりスケールの異なる巨大建造物が出現すると、そのことが唯一「なるほど、元鉄道駅」と頷かせる面影を残している。
ムンク美術館と、国立美術館のムンク室とは、二つで一つの「聖地巡礼」コースだ。国立美術館にある「叫び」は油彩で、「マドンナ」は赤い帽子と黒髪のコントラストが強いほう、他にも「病める子」「思春期」「橋の上の少女たち」など同題複数バリエーションが存在する代表作のうち、なんと言えばいいのだろう、ひときわメジャー感の高いバージョンが、一点ずつ展示されている。ムンク美術館のほうが見応えはあるが、あちらで習作のような作品を観て満足していたところ、こちらではそれよりも完成度や知名度が高い、「教科書に載るほう」「アルバム版の編曲ではなく、シングルカットされてオリコン上位に食い込んだラジオエディットのほう」みたいなものをずらりと見せられた。国立美術館が威信をかけて揃えたスタメンというか、音楽の例えなら「バンド解散後にレコード会社が勝手に作った(大衆の需要に合った)ベスト盤」というか、そういうラインナップを観るのも面白い。
ムンク以外にも見どころはたくさん。ピカソをはじめとするヨーロッパ主要作家の作品、北欧出身作家を集めたコーナー、イリヤ・カバコフの「決して何も捨てなかった男」、マーク・ロスコの大規模回顧展、カンディンスキーの無名時代のフォークロア作品を集めた展示(ポンピドゥーのコレクションだそう。本当にあの抽象画家と同一人物か? 同姓同名なわけもないが? とぐぐってしまった)。とはいえ、朝10時から夕方18時までぶっ続けで芸術鑑賞すると、体にこたえる。オペラハウス登ってから街中と美術館内を歩くだけで2万歩を超えている。
明日以降もずっとこんな調子なのに今へばってて大丈夫か、やりすぎはよくない、との合意に至り、一階の常設展示はスキップすることに。オスロには最終日も滞在するので、余力があればまた来よう、余力があればね、と己に言い聞かせ、二階のカフェテリアでグラスワインを一杯ずつ飲む。美術館で酒。ケチケチ暮らしてるニューヨークでは絶対そんな付加価値の高い振る舞いはしないのだが、旅先だし、念願のムンク・デイなので、夫の財布の紐がゆるみまくっている。軽食とコーヒーばかり出し続けている店員が「え、ワイン? あるはあるけど、銘柄とか訊かれてもわからんよ……えーっと、ロゼの産地は、うーん、フランス、かな……?」とボヤキながら、スクリューキャップのボトルから提供してくれた。入館料一名分と同じくらいの値段だ。北欧は緯度が高すぎてワインが生産しづらいため輸入物ばかりで、提供側もあまり熱がこもっていなかったりする。
やっぱり北欧は、アクアヴィットでないなら、ビールだろビール、というわけで、ホテルの裏手にある「RØØR」というクラフトビールの店で飲み直すことに。ブルックリンあたりにもありそうな店構え、素晴らしく豊富な品揃え。フライトがあるというので詳しく聞いたら、ミニグラスでちょっとずつ飲めるわけではなくて、ただ単にスモールサイズ(小さくはない)のタンブラーを木枠にはめて5つ運んできてくれるだけだった。多いわ! 夕食に選んだ店がキッチンを21時に閉めるという情報を得たので、フライトはやめて軽く飲んで退散。
伝統料理を食べようというので選んだ「Stortorvets Gjaestgiveri」も、いわゆるガイドブックに載っている系の老舗。大通り沿いの一等地に一つだけ18世紀の建物が建っている。オスロの煉瓦亭、って感じだ。平日夜は存外空いていて、アスパラガスの前菜と、本日の魚料理というのでグリルドマカレルを注文。前菜はしょんぼりだったが焼き魚はさすがに美味い。声が届かないくらい離れた席に、一人のノルウェー人と複数名のアジア人という団体客がいて、なんでかわからないが、ビジネス出張で来て現地法人か取引先か何かと接待飯を囲んでいる日本人たちなのだろうとわかる。なんでわかるんだろうな。
そういえばこの日、国立美術館の売店で、「あら、日本の方ですか?」と声をかけられた。旅行中だという品のいい老夫婦で、「あなたがたのようなお若い方々は見かけないから、つい」と言う。我々も立派な中高年だが、御本人たち何歳くらいなんだろう。前日にもラップランドに向かうと思しき日本人の団体ツアーを見た。街の小ささからすれば相当な頻度じゃないかと思う。この話の続きは、明日以降のヘルシンキで。