思春期にむさぼり読んでいた本はどんなものがありますか?
思春期……中学高校時代という解釈でよいのでしょうか。思い出すのも恥ずかしい話ですが、「むさぼる」という言葉から思い出すのは、哲学書と個人全集が多いです。
母校には聖書講読などする「宗教」という授業がありました。触れるものみな傷つけていた時分の私は、毎週その授業中に、修道女の話を聞いているフリしながらニーチェやヴィトゲンシュタインなどを広げて読むのが、最高にロックな行為だと思っていました。保守的なミッションスクールで中二病を爆発させたというレディガガの出自には、いたく共感しております。現代思想や精神医学の本も読みましたが、こちらは明らかに無理のある背伸びでしたね。内容よりも装幀が綺麗であることが大事、みたいな。そこへ空前の『新世紀エヴァンゲリオン』ブームが到来して、わー、あいつらと一緒にされたくない! と死に至る病の香ばしさが漂う衒学的な書物全般を遠ざけてしまいました。自分もファッションで読んでたくせに……典型的な高二病の症状です。
また、ローティーンの一時期、普段書く文章にあかほりさとると大川七瀬の文体が伝染してきたことがあり、このままでは自分はヤバいのではないか、そうだ「教養」ってやつを身につけよう、と祖父の書斎に飾ってある一行も読んだ形跡のない世界文学全集をむさぼるように手に取り、ろくに読まずに飽きて投げ出したりもしました。じゃあ国内から攻めるか、ということで、芥川龍之介や夏目漱石など顔が好みの文豪の個人全集に手を伸ばし、続いて谷崎潤一郎とか安部公房とか顔が好みでない作家の全集も読むようになりました。安部公房は一通り読んだ頃に全集が刊行されて(いま調べてみたら1997年)、あれが装幀も超かっこよかったんですよね(また装幀か)。さすがにどれも全読破はしていないと思いますが、それぞれの作家について「全集が出るほどの人でもうっかり駄作を残すことがあるんだなー」「代表作って本当に代表作なんだなー」といった感想を抱けたのが、闇雲にむさぼった収穫だと思います。親には受験勉強であると偽って受講料をふんだくり、予備校の古典と近代文学の講義を履修するのも本当に楽しかったですね。信頼のおける講師が思い入れたっぷりに絶賛するテキストを、何も考えずに追いかけて岩波文庫版で読む。あれもむさぼっている感じでした。
あと、江國香織の新刊『ホリー・ガーデン』→尾形亀之助の全集→『日本の詩歌』ほぼ読破、というのが、いま振り返るとものすごく思春期女子っぽいむさぼり読書体験だったな、と思います。しかもちょうど丸谷才一にかぶれた時期と重なり、堀口大學の訳詩集に傾倒し、うっかり自分の書く日常的な文章にも誤用だらけのポエムポエマーポエメストな旧仮名遣いを用いそうになったところで椎名林檎がデビューして、ハッと羞恥をおぼえた頃にはすでに大学進学後だったので、危うくまぬがれました。もし彼女のブレイクがあと三年早く、私の中二病全盛期に重なっていたら……と思うと今でも本当に恐ろしいです。いやまったく間一髪でした。