「信じる」という言葉は、いつも、つねに、「目に見えないこと」に対して使うもの。不確かなものは信じられない、なんて、ちょっと語彙矛盾なんだぜ? そう考えれば、何か素敵なことを根拠なく信じる気持ちがわいてくる。と、私は信じている。なんていう、言葉遊び。
私が大好きな聖トマスは、触れられなければ信じないと言った。けど、彼がイエスの肉体に「触れた」結果ようやく信じたものは何かというと、「触れられるもの」でなくて「不可視のもの」なんだよな。という、言葉遊び。
そりゃあ見ないで信じられたら素敵だけど、見られるものなら見てみたくない?奇跡。というわけで彼奴のスピリットを私は支持する。このアホ面が萌える。→ http://tinyurl.com/2qhxs2
聖トマスの懐疑 (Incredulita di san Tommaso)カラヴァッジョ