【献立】2014/2/26

佐藤雅彦+齋藤達也「指を置く」展

ギンザグラフィックギャラリーにて恩師の展示。とても刺激を受けました。一階が習作、地階が応用としての大型作品や映像への発展、というような構成なのだけれど、私はやっぱり、同じフォーマットで好きな順番に指を置ける一階展示が好きだった。考察でいうと「呪術性の生起」もの。置く前にだいたいどんなものかわかる→けど→置いてみてやっぱり得も言われぬ気持ちになる、という、心の準備ができて且つそれが実体験によって無駄になるようなものがよかったな。ネタバレにならないように書くのが難しいが、地階では「虫がいる」ものと「片足を上げる」ものがクドくていいなと思った。それ以外の大型作品は、グラフィックの力が強すぎてちょっと……とくに「目玉がいっぱい」のやつは、研究室時代にスクリーンにsodaplayが大写しになったときのことを思い出してしまった。ときどき生理的に無理。
お互いの仕事の合間に待ち合わせて同行した夫のオットー氏(仮名)はあまりピンとこなかった様子で、その理由をあれこれ聞いてみたのが面白かった。ピタゴラ装置のように「もっとキャッチーなもの」のほうが、安心して鑑賞できるとのこと。一番グッと来たのはスタディルームの「ブランコ」だったそうだ。シンプルであること、一つテーマが明確であること、「本質だけが在る」ことのほうが優れている、とつねづね思いがちな自分との対照を、しばし二人で考察。図録も刊行されるとのことなので楽しみに待ちたい。

「指を置く」展 開催中
通常の美術の展覧会では、作品の前面に向かうのは、あなたの眼です、手や指は関与してきません、むしろ後ろ手をして鑑賞している姿もよく見かけます。映画館などは真っ暗にし、あなたの存在さえもキャンセル(ないものと)してスクリーンだけに向かわせます。読書時も自分の手をないものとして読んでいます。このように、メディア上のコンテンツに向かう時、私たちは自分をないものとすると没入感が生じやすいのです。しかし、この展覧会では、自分の存在を敢えて、コンテンツに参加させます。その時、果たして自分の存在は、メディアの定義でもある没入感を阻害するのでしょうか。それとも、表現の新しい鉱脈となるのでしょうか。
http://www.masahicom.com/blog/index.cgi/information/20140207puttingfinger-ggg.htm

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どうしてこのグラフィックがポスターになったのかな? と考えていたが、「指を置かなくても『脳の中で』展示意図が像を結ぶ」と「ポスターサイズに引き延ばしても指を置きやすい」作品は意外と少なく、なるほどこれが一番だったのかも、と全部を見て思った。
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会期も終盤に近づいていたので、記号で示された箇所の意味を理解するより先に、先人たちの指を置いた跡がそのポイントでどう行動すべきかをわからせてくれる。
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階段の踊り場に隠すようにして見せびらかしてあった「指を置く」ために「足を置く」台。かわいい。あと一階展示のあの小さな特注の机が欲しい。何台か譲ってもらえないかしら。

「茶・銀座」

よし田も維新號もダロワイヨも重いので、喫茶。
http://www.uogashi-meicha.co.jp/shop/ginza/

「オザミデヴァン」銀座本店

美味しかったけど、店の作りが閉所恐怖症にはちょっとつらい。
https://auxamis.com/desvins

「GapBody」

今季のデザインも本当にしゅっとしてて素晴らしいので、春夏っぽいカットソーを何枚も何枚も買ってしまった。
http://twilog.org/okadaic/date-140226