【旅日記】「三度目のパリ」(2)

note定期購読『夜半の月極』のためのノートでした。

旅日記の今後についてまったくアイディアが浮かばなかったので、しばらくは「三度目のパリ」というテーマで更新します。過去の写真整理がまるで追いついていないので、順次更新通知が飛びます。普段は自分用に書いているようなメモ。実在の人物団体等が頻繁に登場し、いちいち許諾も取りようがないので、有料課金コンテンツ化がふさわしいだろうと考えました。感想をお寄せいただけると大変励みになりますが、購読後も具体的なエピソードについては口外無用でお願いできればと思います。


11月23日(金)滞在1日目。夕方からのろのろ起き出して地下鉄のChâtelet駅へ、切符を買ってメトロを乗り換え、Bir-Hakeim駅至近の「パリ日本文化会館」へ向かう。

地下鉄に乗っている間にいろいろと思い出した。黄色いメトロ1号線は、東京でいう銀座線みたいなもの。パリ最古の地下鉄として街の中心を走るが、そのぶん観光客の利用も多いのでガンガン整備されている。他の路線はそっけないのに、この線だけ多国語で駅名を告げる他に「スリにご注意ください」といったアナウンスまで流れるのだ。とはいえ、二度目のパリ、10年前の秋にはホームドアはなかった気がするな。自動運転、自動放送とのこと。

ルーブル美術館最寄りのLouvre – Rivoli駅のプラットフォームは、車両のドアが開く位置にちょうど合うように美術品が展示されていて、どちら向きのどこの車両に乗っているかで見えるものが変わる。これがランダムガチャのようで楽しい、というのは2008年に来たときにも記憶がある。問題は、2008年当時の私にはこの「ガチャ」という語彙はなかったはずであること。何みたいだと思ったのだろう。ルーレットか、ダーツか。

小さな銀のハンドルを回転させて地下鉄のドアを自分で開けられるようになると、パリに慣れたなと思う。でも、本当にすっかり慣れると、わざわざ自分でやろうとも思わず、誰か別の人が開けるのを待つようにもなる。日本のバスのあの「停車ボタン」と同じだ。10年ぶりに乗って、「あ、そうだ、あれ開けたい」と思った私は、この街に対して子供のような気分をまだ保持しているのだろう。

凱旋門のあるCharles de Gaulle – Étoile駅で乗り換え。両扉が開く終着駅の構造が中野坂上っぽいとか渋谷だとか。外の高架を走る6号線はやっぱり渋谷駅っぽいかな、と言っているうちにエッフェル塔のあるBir-Hakeim駅へ。


17時半くらいに着いて、マームとジプシーの波佐谷聡くんがInstagramに上げていた写真(の「超うまかった」)だけを頼りに、「L’abreuvoir」で早めの夕飯。
https://www.tripadvisor.com/Restaurant_Review-g187147-d786368-Reviews-L_Abreuvoir-Paris_Ile_de_France.html

体感気温は3度くらいなのに囲いの外のテラス席まで賑わっていて立ち飲み客もおり、満席かと心配したが、みんな喫煙者なのだった。老若男女の歩きタバコ率が高いなぁ、というのがニューヨークとの一番の違い。街中を歩いていると、甘ったるいベリーの香りがする紫煙をこちらへ吹きつけるようにして吐き出すスーツ姿の中年男性がいたりする。紙巻にせよ電子にせよ、この視覚と嗅覚の組み合わせは、ニューヨークでは滅多に見かけない。

ものものしい蝋燭の光。グラスワイン白赤、鴨コンフィの春巻と、ステーキタルタル&フリッツ。「超うまかった」。本当は二人でもう一皿くらい食べるつもりがタルタルの満足度が高すぎて、ポテトフライも完食してしまい、腹一杯。まるでメインにもデザートにも辿り着かないのはニューヨークでの外食とまったく同じ。それにしても、日本を離れてから生肉ずいぶん食べてきたけど、タルタル絶品だったなぁ。塩胡椒、ケチャップに自家製らしきマスタード、ウスターソースとタバスコが置かれるのだが、そのままが一番美味い。でもちょっとマスタードつけるのも美味い、刺身にワサビみたい。そしてウスターソースもつけすぎなければ謎に美味い、刺身に醤油みたい。16ユーロだったかな。この味のこと、いつか新媒体の新連載に書くかも。


まだまだ開演に時間があったので、時差ボケを直しに帰投する夫と別れ、並びにある「Le Saint Martin」に入る。ニューヨークの感覚で「カフェバー」だろうと思って入ったら、結構ちゃんとした「飲食店」で、でもパリのカフェって、そうなんだよな。こういうのも、来ると思い出すけど行かないと忘れてしまう。入ってすぐのバーエリアでカフェラテ、2.5ユーロくらい。
https://www.tripadvisor.com/Restaurant_Review-g187147-d3736244-Reviews-Le_Saint_Martin_s-Paris_Ile_de_France.html

同じ止まり木にはずらりと常連のおじいちゃんたちが居て、コート姿のまま小さいグラスを並べて赤ワインをかぱかぱ空けている。大半の人が入るなり店員全員と握手してから注文するような客層で、店員でもないのについでに新規客全員と挨拶する、おじいちゃん三人組。見ない顔だな、というのでナンパを受ける。定型文で注文したのでフランス語で話しかけられたものの英語でしか返せず、にこにこにこにこ観察を受け、にこにこ返す。カップに口をつけると「なんだよー、こんな時間にカフェオレかよー」みたいなこと言われているのが(フランス語がわからなくても)わかる。

そうこうするうち、三人組のうち最も体格のよい首領格がゆったりとした英語で話しかけて来て、ゆったりとした会話の中で私が一通り応えると、「やっぱ日本人で当たってた、でも来たのはニューヨークからだって、これから友達の芝居を観に行くから俺たちと酒は飲めないんだって。芝居はほら、すぐそこにあるあの日本文化会館でやるんだとよ!」と、残り二人にすべてを早口で同時通訳しているのが(フランス語がわからなくても)わかる。小柄なメガネのおじいちゃんが「あー」と頷いて何か言ってグラスを掲げてくるので、またにこにこ。というのを何往復かやる。観るべき美術館、行くべき酒場、滞在日程がいくらあっても足りない、三度も来たのにまだまだ足りない、パリは最高の街ですね、にこにこ。

パリジェンヌたちは日本人女子と同じく、やたら馴れ馴れしく話しかけてくるようなこの手の地元のジジイどもにはめちゃくちゃ冷たいので、こうやって観光で来たような外国人女性に話しかけては、無聊を慰めてもらっているのだろう。というか、世界のどこでもそうだよね。日本やニューヨークでは絶対に相手したくないような老人からのナンパを、旅先だと優しく受け止めることができる。傾聴ボランティアみたいなものである。

今年の春、モロッコの青の街シャウエンの大広場にあるカフェでも、ジュラバ姿のおじいちゃんに「ここへ座れ」と座席指定を受けて、一緒にミントティーを飲んだな。あのときも「もし私がこの山奥に生まれ育ったら、この長老と並んで茶を飲むことは絶対なかっただろうな」と夢想しながら、にこにこ座っていた。地元の男たちに混じって喫茶しているのは、我々よそものの異教徒の女性だけなのである。世界のあちこちに仏頂面の地元の女の子がいて、世界のあちこちに不必要なくらい愛想を振りまく外国人観光客がいて、私もその両方を往き来しながら生きて無聊を慰めている。


で、お芝居が非常に素晴らしかったという話は、明日、もう一度マチネを観てから書きます。連絡は林香菜やんとだけしていて、藤田貴大くんにも直接は事前連絡していなかったので、終演後「なんで育さんがいるの!? どうやって来たの!? 時空が歪んでるんだけど」と驚かれて「飛行機で七時間」と答えた。我ながら本当にひどい。

パリ日本文化会館はエッフェル塔の真向かいというような位置で、とてもお金のかかった立派な施設であった。ニューヨークにあるジャパンソサエティも相当立派な建物であるが、私は自分が海外生活をするまでこの手の施設にまったく縁が無かったので、驚くことが多い。終演後はしとしと雨が降っていて、嫌がる人もいるかもしれないが、日に日に乾燥のひどくなるニューヨークから来てみると、あるいは底冷えする日本に慣れているせいか、湿度が高くて寒すぎないというこの冬の気候は逆に心地よいくらい。

閉館後のエントランスで、上着を着込み、傘を出そうとのんびりしていたら、ポロシャツをパリッと着こなした警備員風の男性がやって来て「閉まったから出ろ」と言う。「わかってるわかってるー」と言いながら、ポスターに目をやりつつもたもたやってると「早く出ろ、なぜ注意を受けたのにまだ立ち止まっているんだ!?」という趣旨のことを、英語と仏語と両方でかなり厳しく言われて、とても強い態度で追い出された。まだ階下のシアターには、スタッフも他の面会客たちも残っているのに、一人で上がってきてエントランスに佇んでいた私だけが。

帰り道みち考えていたのだけれども、あれはパリなりの「テロ対策」というか「不審者判定プロトコル」みたいなものなのだろうか。「注意を受けたのに立ち止まっている」というのは、面白い表現だ。もちろん、彼が早く警備室に戻りたいだけなのかもしれないけど、言われてみると飛行機内における「化粧室付近に集団で集まるな」という注意事項にも似たニュアンスがある。「用もないのに立ち止まる奴は不審者扱いされておかしくない」という発想は私にはなくて、「もしそれがパリのルールならば、ニューヨークで見る人々は地元民も観光客も案外ぼんやり歩いたり、相当マイペースに立ち止まってぼんやりしたりしているから、全員アウト判定だよな……」というようなことを考えた。

反対に、アメリカで厳しく咎められるのは、何だろう。フードを目深に被ったファッションはそれだけで危険人物扱いされるので、警官に殺されたくなかったらやめておけ、といった話は聞いたことがあるけれど。実際のところどうなのかはまったく不明なので、何かエッセイなどに書くことがあったらちゃんと調べてみよう。どうやって調べるんだろう。在住の長い人に聞き取り意識調査かな?


メトロで同じ道程を帰り、駅からは往きと違う通りを歩く。スノッブホテルのある界隈は夜でも賑やかで、カジュアルめの飲食店には客がすずなり、宿の並びには性風俗マッサージ屋やアダルトグッズの店などがあったりもする。そのうちの一軒、「店全体がアダルトコーナー」というような状態のエッチなDVD屋さんから、見目麗しい男女五人組がパッと出てきて、陽気に語らいながら夜の闇へ消えていった。まったく淫靡な雰囲気がないのが、逆に不思議だった。あれは普通の若者が客としてフラッと入ってとくに何も買わずに帰るところだったのだろうか、それともセックスワーカー仲間か何かで、店内で仕事の取引ようなことがあって終わった帰りなのだろうか。

追いかけて訊くわけにもいかないので、小雨とも霧ともつかない湿っぽさにひたされた舗道を、付かず離れず歩きながら観察していたのだが、英語でも聞き取るのが難しい若者言葉、ましてフランス語ともなればちんぷんかんぷん。とにかく楽しそうなことだけが伝わってきて、何が正解なのかはわからぬまでも、なんだか羨ましいような気持ちになって、23時頃に宿へ戻る。立ち止まったら不審者だと思われてしまうから、疑われやすいよそものは、目的地までにこにこ歩き続けるのみだ。